#41
俺は楠さんを伴って、街をさまよっていた。
――カフェでも入る? ⇒ ノー。
――ゲーセンでも行く? ⇒ ノー。
――な、なにか買い物とかしたい? ⇒ ノー。
じゃあ、どこならいいんだよ!
文句が喉まで出かかったのを、俺はかろうじて飲み込んだ。一応、伊予森さんから楠さんをよろしく、と頼まれているのだ。
「……今日、わりと涼しいね」
「……………………………………んが」
話題がなかった。
そうか、コミュ障がふたり揃うとこんな状況になるのか。新たな発見だった。
まさに進退窮まる、といったところか。
「行きたいとことか……ある?」
無言。
思いつかない、というより、ぶっちゃけとくにないのだろう。
あったら自分ひとりで行っている。自分たちはそういう人種である。
さらに楠さんの歩き方はひどくぎこちなかった。手と足が同時に出ている。出来の悪いロボットのようだ。緊張しているのだろうか。
無駄に歩かせるのも忍びなかった。
もうどこでもいいから、休めるところに行きたかった。
「ま……」
そのとき、楠さんが初めて自分から言葉を発した。
「なに、どっかあるの?」
「…………漫画、喫茶」
その提案は、さすがに予想外だった。
携帯で検索して、近くに昔ながらの漫画喫茶を見つけた。
我ながら名案だと思った。……というよりは無難な策か。
受付を済ませて、ふたりそれぞれ別れて好きなように飲み物やマンガを手にして、個室に入る。
一名用のわりにはゆったりめの個室には大きなリラクゼーションチェアーのほかに、VHMDやデジタルペーパーなどが置かれている。
「さてっと……」
紙媒体のマンガを手に、俺は椅子に身体を沈めた。
パラ……パラ……。
…………………パラ…………………。
静かな個室内に、ページをめくる音だけが響く。
読みたい漫画は色々あったし、これはこれで、楽しい。
が、果たしてこれは一緒に遊んでいることになるのだろうか?
かといって俺は成瀬のように遊び慣れていないし、仮に提案できたとして、そういう場所を楠さんが望んでいるとも思えない。
わりとすぐ、漫喫を出た。
楠さんも微妙な表情をしていた。
自分が言ったとはいえ、なぜ放課後男子と一緒に街を歩いて、漫喫でそれぞれ分かれてマンガを読まなくてはならないのか、という顔だった。
俺もよくわからない。
「……公園でも、行くか」
こくり。
もはやなんの目的意識もないまま、俺たちは近所の運動公園に足を運んだ。
夕暮れどきの公園は、和やかだった。
ときおり舗装路を走るスポーティな格好のランナーがいる。
水場の近くで、小学生低学年くらいの子たちが遊んでいる。
腰の曲がったお年寄りが、なにをするでもなくベンチに腰かけている。
それに習って、俺と楠さんもとりあえず空いているベンチに座った。
――俺はいったい、ここでなにをしているんだろう?
まあ、これで一応「遊んできた」という既成事実にはなるだろう。無駄に金を使いたくもなかったし、楠さんもここなら平気そうだった。
そのとき、俺はふと気づいた。
そうなのだ。
これが俺と成瀬のような人間の、決定的なちがいだ。
自分は、だれかを引っ張れるような人間じゃない。
中心にはなれない。
だれかが作るグループに入ることはできても、自分がいなければそのグループが成り立たない、ということには決してならない。でも、
それで、いいのかもしれない。
成瀬や伊予森さんたちと一緒に遊ぶことは楽しい。いまは、素直にそう思える。
自分が中心かどうかなんて、瑣末なことじゃないだろうか。
考えようにようっては、むしろ気楽な立場とさえいえるのだし。
すこし、気が楽になった。
「そういえば、なんで学校休んでたんだっけ」
なにげなく聞いてから、俺はすぐ後悔した。
そうだ。こういうことは、あまり聞いてはいけないのか。
「…………こうつう、じこ」
だが意外にも、反応があった。
「事故?」
「入学式のすこしまえ……。…………轢かれた。それで、身体、五箇所骨折した……。全治……三ヶ月」
「……マジか……」
驚いた。
なんとなく勝手にメンタル的な事情を想像していたのだが、意外と物理的な理由だったのか。
「で、でも、大事に至らなくてよかったね。車の事故でそれくらいで済んで……」
「……車じゃない」
「?」
「……こ、こぐやつ」
漕ぐやつ?
「あ、自転車かぁ。まあ最近、自転車事故多いしね。ロードバイクとかスピード出るやつだと十分あぶな――」
「ちがう」
「え?」
「ぃ…………一輪車」
楠さんは、苦しげに答えた。
は――?
「小学生の女の子とぶつかって……。こういう、公園で……」
「…………」
言葉が出てこなかった。
どういう顔をして、どういうリアクションをとればいいのかわからなかった。
「そ、そっか。……ま、まあそういうことも、あるよね?」
「…………なぃ……」
はげしく気まずい。
(ほぼ)高校生が小学生の一輪車に轢かれて入院。
俺の人生で、もう二度と出会うことはない出来事にちがいない。
「ち、チアは、身体をもっと鍛えたほうが……」
静寂のあまりの息苦しさに耐えかねて、とにかくなにか喋ろうとしたとき。
楠さんがきょとんとしていた。
遅れて、俺も自分の失態に気づく。
しまった。
ついゲーム内のときの癖で、名前で呼んでしまった。
「ごめん、楠さんは――」
「……ぃぃ」
「え?」
「名前で、ぃぃ」
どきり、とした。
怯え混じりの瞳がこちらを見上げている。
うすい唇はかすかに震えていた。
触れたらすぐ壊れてしまいそうな儚さ。
そうか。
出会いのせいか、いまのいままで意識しなかったけれど。
楠さんは――千亜は可愛いのだ。
ややぼさぼさ気味の頭や、常にまとっている陰鬱な雰囲気をのぞけば、顔立ちは整っているし、小さな身体はなにか常に一生懸命な感じがするし。
「わ、わかった」
おろおろしながら、俺はかろうじて答えた。
「…………なまっ、なまえ……なに」
「名前って……俺の?」
こくり。
「盾、だけど」
「……盾」
「は、はい」
「……………………へんな、名前」
「なっ」
千亜は声にならない声でくつくつと笑い、華奢な肩を揺らしている。
そうだ。
本性は、こういう性格なのだ。
「悪かったな」
「……き、気にして……?」
「べつに……。昔から散々言われて、もう慣れてる」
すこしぶっきらぼうな言い方だったか、と一瞬不安を抱いたが、千亜は唐突に吹き出した。
「たて…………ぷぷっ!」
「……だからって、面を向かって笑うのはどうかと思うよ?」
げんなりしつつも、すこしだけ俺は安堵していた。
不思議な感情が、俺のなかに芽生えつつあった。
*
とりあえず駅まで送った。
俺は乗る路線もちがうので多少遠回りだったが、伊予森さんにも頼まれているし、エスコートするくらいの常識はあった。
人が込み合ってくる手前で、千亜がここでいい、と言った。
「じゃ、これで」
「盾」
「ん?」
「きょうは、楽しかった」
はっとした。
千亜がうつむき加減ながら、うっすらと笑みを浮かべていた。
そういう風にできるなら、もっとそうしてればいいのに。
成瀬じゃあるまいし、そんな気障な台詞はもちろん口にはできなかった。が、本音ではあった。
「そっか。うん」
じゃあ、また明日。俺がそう返そうとした。そのときだった。
「――あれ、遠野?」
よく通る声のほうに振り返ると、そこに成瀬がいた。
その傍らは、やはりというか、一葉の姿もあった。
「わぁ、遠野先輩! なにしてるんですかぁ?」
一葉の問いに、まあちょっと、と俺は言葉を濁した。
いろいろと説明がしずらかった。
「……っていうか、最近、よく会うね」
「そうだな。もしかして、オレのストーカーか?」
「や、それはこっちの台詞……」
「残念だ、遠野。悪いけど、オレにはそっちの路線は……」
「いやだから」
成瀬はいつもと変わらず、軽口が絶えない。
だがこういうなにげないやりとりが、俺には十分新鮮で、心地よいのは確かだった。
「で、そういやアイゼン・イェーガーの件は、決めてくれたのか? マジな話、本当にオレたちは遠野たちに仲間になってもらいたいんだって」
「それは、……わかってるけど」
「先輩ぃ、いいじゃないですかぁ。それともわたしが嫌いなんですかぁ?」
「いや、そういうことじゃなくて」
猫撫で声の一葉に詰め寄られ、俺が思わずうなずいてしまいそうになった。
そのときだった。
「ん、そっちは……」
成瀬が、ぽつんと置いてけぼりの千亜に気づいた。
「あ、えっと――」
そういえば、このふたりは面識がなかったのか。
どうやって紹介すべきか、なにか共通の話題をと考えながら、アイゼン・イェーガーのことを思い出し、千亜の顔を見た。
成瀬を見つめる千亜の表情が、固くこわばっていた。
まるで幽霊かなにか――本当に恐ろしいものを目の当たりにしたかのような、異常な反応だった。
かける言葉もなく、俺が呆然としていると、
突然、千亜がきびすを返して走り出した。
「え?」
止める暇もなかった。
行きかう雑踏にまぎれて、すぐにその小さな背中は見えなくなってしまった。
成瀬と一葉も首をかしげている。
「――なんですかぁ、あれぇ?」
まさに、そう一葉が呟いた通りに。
なにが起きているのか、理解できなかった。




