#40
「遠野くん、今日このあと予定ある?」
帰りのHRが終わってすぐ、伊予森さんに声をかけられた。
一応聞いてくれるあたりが優しさだと思う。
「ないよ(もちろん)」と俺も儀礼的な返答をする。
「ひとはたちから誘われてるんだけど。……っていうか、たぶん言い出しは晴だろうけどさ。ビリヤードかバッティングセンターだって。どっちがいい?」
「どっちでも、いいけど……」
いきなりの話に、戸惑った。
「でも、なんで?」
「なんでって……なにが?」
「いや……そのお誘いの、っていうか」
「遊びにいく理由?」
「う、うん」
「べつに……ないんじゃないかな。単純に晴がそうしたいだけでしょ。……もしくは、この前のチームへの誘いの接待かも」
最後はすこし冗談ぽく、伊予森さんは言った。
まあたしかに、遊びに合理的な理由など求めるものではないか。
「あ、千亜ちゃんは――」
伊予森さんが教室内を見渡した。
だが、その小柄な姿はすでに席にはなかった。
拘束が解かれると同時に真っ先に帰ったのかもしれない。その習慣は俺にもあったので彼女の行動が自然と想像できた。
あるいは、伊予森さんとの遊びがまだトラウマになっていて、気配を察知したのか。
「……わたし、嫌われてるのかな」
「いや、そういうんじゃないと思うけど」
「でも、最近いっつも逃げられてるんだよ」
「ちょっと苦手、ってくらいじゃ。だからあんまり一緒に居づらい、みたいな」
「それって……同じことじゃない?」
「…………ごめん」
墓穴を掘ったことに気まずさを覚えつつ、とりあえず俺たちは待ち合わせ場所へと向かうことにした。
「あ、遠野先輩」
店に到着すると、一葉が入口近くにいた。
今日は制服姿だった。
それを見て、ああ本当に中学生だったのか、と実感した。
半袖のブラウスはともかく、腰には薄手のカーディガンを巻きつけているし、スカートは明らかに校則違反だろうというレベルで短かったが。
「……や」
親しげに近寄ってくる一葉から、俺はつい視線をそらした。
「? どうしたんですか、先輩。あ、もしかしてわたしの顔忘れちゃったんですか? ひとはですよ~!」
「あ、はい、うん」
「なんですかそのビミョーな反応は~!?」
どぎまぎした。というか妙に気恥ずかしかった。
どう接したらいいのかわからない。
年下ではあるが、厳密には後輩でもないし、それなのに先輩と呼んでくるし。
「よっ、来たな」
受付の方から成瀬が歩いてきた。
俺と似たような制服姿だが、相変わらずイケメンだった。店内にいた同い年くらいのの女子高生たちが、こちらをちらちらと見ている。
俺は無意識的に、成瀬と並ばないように距離をとった。
「こないだの話、決めてくれたか?」
いきなりの直球に、びびった。
「いや……」
「うそうそ、べつにいつだっていいよ。嫌だったら断ってくれてもいいしさ」
「……あ、ああ」
成瀬は嫌味なく笑い、
「それより、今日はとことん勝負だからな」
挑戦的な目つきで俺の胸を叩いた。
ビリヤードを生身でやったのは始めてだった。
VHMDを使ってできるフリーゲームではすこし触ってみたこともあるが、実際身体を使うのとはやはり勝手はちがっていた。
店内では他にも卓球台やダーツがあったので、後者の方も挑戦してみた。
点数を狙って投げることが、こんなにも難しいとは思わなかった。
だがその分、奥が深い。
根っからのデジタルゲーマーである自分は、こういうものは楽しめないとなんとなく考えていたのだが、実際やってみるとどれも面白かった。
VRゲームとはまたちがった快感がある。
結局、ビリヤードを中心に二時間ほど遊んだ。その結果――
「遠野先輩、苦手だったんですねぇ」
「……まあ」
惨敗だった。
何度球を突き損じ、相手にフリーボールを与えたことか。
最初は男女ペアで別れるようにしていたのだが、成瀬と伊予森さんが際立って上手かったため、後半は男子VS女子になった。
「だ、だれにでも苦手なことはあるからね?」
伊予森さんの優しいフォロー。その通りだ。ただし、苦手なことが一つとは限らないし、得意なことのほうが多いとも限らない。
「ま、楽しめたからいいじゃん」
成瀬は軽く言った。
あれだけ燃えていたのに、終わったらあまり勝ち負けにはこだわらないらしい。
「よし、じゃあ次は打つかぁ」
「次?」
「どっちか、なんて言ってないだろ」
ニヤリと、成瀬は悪ガキのような顔になる。
どうやらまだ遊び足りないらしい。この足でバッティッグセンターにも行く、ということなのだろう。
「遠野くん、行く?」
「あ……うん」
場の雰囲気に流れされるまま、俺はうなずいた。
「もう、晴先輩は仕方ないですねぇ」
一葉は最初から予想していたのか、成瀬にくっつくようにしてすぐに歩き出した。
伊予森さんは俺を気遣ってくれている。
成瀬はみんなを引っ張っている。
俺は前を行く三人の背中を眺めていた。
あれ――
奇妙な感じだった。
友達、がいる。
仲間がいる。
――こういうことなのか。
ずっと、非リアとかリア充だとか、勝手に括っていたけど。
本当は、そのあいだにある壁とか溝なんてものは、すごく小さなものだったのではないだろうか。
自分が勝手に、それを想像して作っていただけで。
「遠野、どうした?」
「センパーイ、どうしたんですか?」
「遠野くん、行こっ」
俺が欲しかったものは、ずっと近くにあったのではないだろうか。
*
昼休みの教室。
伊予森さんが、弁当箱を手にきょろきょろしていた。
どうやら、また楠さんを探しているらしい。だが楠さんは昼時はいつも教室にはいない。だれかと一緒に食事しているところも見たことはない。
やがて、伊予森さんは諦めたように友達グループのところへ戻った。
それを横目に俺はすばやく弁当をかきこんで、賑やかな教室をあとにした。
校舎一回の端っこにある、第一小講義室。
クラスとはちがって静寂に包まれたその部屋の前に立った俺は、迷わず扉に手をかけた。
中には、やはりだれもいなかった。
構わず中に入って進み、ベランダにつながる扉を開けた。
足元にそれはいた。
楠さんだった。
「……!!!」
小さな弁当箱を手に、限界まで目を見開いている。
「またここか」
「~~ゲホッ! ごふげふっ、はうっ……」
楠さんはむせ返り、あわてて飲み物を口にする。その他人とも思えない不恰好な様子を眺めながら、つい小さなため息がもれた。
使われていない教室の、使われていないベランダ。
学校というのは、ひとりきりになれる場所はほとんどない。こういう忘れられたようなスポットにいっときの憩いを求めたくなる気持ちは、俺にはよくわかった。
それで――なにかが解決するわけでもないが。
楠さんは見る見るうちに顔面蒼白になり、
「ぉ、ぉ、おっ」
「べつに、だれも来ないし、言ってもないから」
俺がそう言うと、楠さんはすこしだけ落ち着いたようにうつむいた。
べつに、用事があってきたわけではない。
ただなんとなく、伊予森さんが不憫に思えてしまった。だからといって、楠さんの隠れ家を教えてしまうのも酷だった。
「逃げてる、でしょ」
俺の独り言のような言葉に、楠さんがびくっと肩を震わせた。
「伊予森さんが、誘いたがってた。昼飯とか、遊びに行ったりとか……あとアイゼン・イェーガーも」
「…………」
「来れば」
なるべく私情を混ぜないようにしながら、俺は言った。
「そのほうが、たぶん、よくなるから」
「…………なに、が?」
「状況が」
楠さんが、ゆっくりと顔を上げた。
その小さな顔が、くるっと丸い瞳が、俺を不思議そうに見上げていた。
もう他に伝えるべきことが思いつかなかったので、そこで俺はベランダをあとにした。
廊下を歩きながら、自分の言葉を胸のなかで繰り返した。
状況?
なんの状況だろう。
自分でもよくわからない。
でも、悪いことではないはずだ。それは本心からそう思う。
俺がそうであるように。俺が成瀬たちと一緒にいて気づいたのと、同じように。
なにかが前に進むのではないかと、そう感じていた。
放課後、奇跡が起きた。
楠さんが、青ざめた顔ながら席に残っていた。
べつに伊予森さんが事前になにかを言ったわけではないだろう。実際、伊予森さんも驚いた様子だった。
「千亜ちゃん……」
感動的な面持ちで楠さんに近づく。その接近に楠さんはびくびくしていたが、逃げようとはしなかった。
「今日、これから、どっか寄っていかない?」
伊予森さんは、慎重に言葉を選ぶように言った。
緊張の沈黙。
俺も固唾を飲んで、その様子を見守った。やがて、楠さんが、
「…………ぃく」
「千亜ぁ~!」
感極まったように、伊予森さんが楠さんに抱きついた。
「ふわぁあ」
楠さんがヘンな声を出して悶絶する。だが伊予森さんはお構いなしに、ペットを溺愛するみたいに頭を撫でまわしている。
女子同士の距離感に慣れていない俺は、ただ傍観するしかない。
だが照れるように頬を赤くする楠さんを見たのは、そのときが初めてだった。
駅前に向かって歩く間ずっと、伊予森さんの足取りは弾んでいた。
よほど楽しみにしていたようだ。こういう、日々のつながりにこだわっているところを見ると、伊予森さんも女子だなぁと思う。
途中、ちょっとごめんと断って、伊予森さんが電話に出た。
「もしもし」
だれかと話した途端、その表情が曇った。
「……うん……いま……そう。だけど」
みるみるうちに声のトーンが落ちていく。
俺は楠さんと顔を見合わせた。
「……そんなっ! ……だってわたしこれから……」
なにやら電話越しに揉めていた。しばらくして通話が終わり、俺たちの視線を前にした伊予森さんは、大きく嘆息した。
「ごめん……わたし、帰らなきゃ」
「え?」
「今日、お母さんが仕事で遅くなるみたいで、わたしが代わりに晩御飯の用意しなくちゃいけなくなって……。妹もいるし、お父さんは、もっと遅いし」
「そう……なんだ」
「ほんとにごめん……」
伊予森さんはひたすら申し訳なさそうにしていた。
まあ、こういうとき自分のわがままを優先するような性格ではないのが、伊予森さんなのだろう。
「いや、そういうことなら仕方ないって。……じゃあ、せっかくだけど、今日はここでかいさ――」
「ううん、わたしのことはいいから、ふたりで遊んできて」
「……ん?」
ふたり?
ふたり、とは?
ぽかんとする俺と楠さんの様子に気づいているのかいないのか、伊予森さんはすたすたと俺に歩み寄り、そっと耳打ちした。
「遠野くん、でも、あれだよ」
「は、はい?」
「……千亜に変なことしたら、裁くからね」
裁く!?
な、なにその社会的に殺されそうな脅し文句は。知性的な伊予森さんが言うとより恐怖抜群だった。
「なーんて、遠野くんなら大丈夫か」
伊予森さんはなにやら自己解決して、微笑んだ。
「じゃあ、千亜をよろしくね」
手を振って早足で去っていく伊予森さんの姿を、コミュ障ふたりは口を開けたまま見送るしかなかった。
伊予森さんは帰ってしまった。
楠さんは不安げに、俺を見上げていた。
不安なのは、俺も同じだった。




