#36
闘技場に、乾いた風が吹いていた。
アイゼン・イェーガーの世界。俺は猟機に乗ったまま、周囲をぐるりと見渡した。白い地面は平らに固くなされている。ときおり砂埃が風に吹かれて足元を舞っていた。
さえぎるもののない円形上の広場のなかに、俺の猟機は立っていた。それをすり鉢状に広がった客席が取り囲んでいる。だがいまは人影がない。
数百メートル先に、ハルの猟機がこちらと同様に立っていた。
コロッセウム。
デュエルマッチ専用のクローズフィールドのひとつだ。
『ベタな場所だったけど、よかったか?』
「……ああ」
空返事だったが、異論はなかった。
何度ここで戦いを繰り広げたことか。安心感すらある。場所に問題はない。
「試合は、非公開でいいの」
俺は目の前の対戦相手――ハルに訊いた。
『ん? ああ。べつに必要ないだろ』
「……わかった」
わずかに意外だった。
デュエルバトルやチームバトルは、その都度設定で全プレイヤーへのリアルタイム配信が可能だ。他にも招待したプレイヤーのみ限定的に公開する、といった選択もできる。
だが、ハルは一切不要らしい。
イヨを呼ばなくていいのか。
どうしても、そんな考えが脳裏をよぎってしまう。
この勝負のことを、俺はイヨやチアには話していない。
ハルの心の裡が読めなかった。
いや、そもそも俺はそういうことが得意ではないのだ。それは自覚している。読むなんて高等テクニックは荷が重い。知る方法は、ひとつしかない。
「なんで、俺と戦おうなんて?」
ついに口にした。
返答には、数秒あった。
『最初にゲーム内で会ったとき、助けただろ』
「ああ」
『あのとき、じつはすこし遠くから眺めてたんだよ』
「え……」
気づかなかった。
俺の猟機の索敵可能範囲外だったのか。いや、あのときは俺がガイストの群れに囲まれ、その対処に追われていた。単純に気づかなかっただけかもしれない。
もっと早く助けられたが、あえて見ていた――そういうことか。
だが、どうして。
『オレももう数え切れないくらいの敵と戦ってきたから、わかる。遠野――シルトの動きは、普通じゃない。始めたのは最近って言ってたけど、そんな素人に毛が生えたようなレベルとは、次元がちがう。すぐに感じたよ』
ハルの言葉は強い確信に満ちていた。
『こいつは本物だ、って』
見抜かれた、と一瞬思った。
だがハルは、すぐに小さな笑い声をもらした。
『正直、オレにはシルトがなんで上手いのか、なんでその腕に見合わないそんなしょぼい機体に乗っているのか――そういうことには興味がないんだ。べつに、あれこれ詮索しようなんて思わない。そこは安心してくれ』
とりあえずほっとする。
だが安堵する一方、俺は“しょぼい機体”と言われたことに少々むっとした。
この機体、たしかに初期状態から多少チューンアップされた程度のものとはいえ、乗っていれば多少の愛着も出てくる。
もちろん、合理的ではないことはわかっていた。
強い者がより強い機体に乗る。それがハルのなかで、当然のことなのだろう。
いや、強者はみなそうだ。
このアイゼン・イェーガーは、純粋に公平なスポーツ競技などではない。
狩るものと狩られるものがいる。
力が正義となる世界だ。
『つまりは、純粋な好奇心だよ』
ハルの答えはシンプルだった。
『だから、戦ってくれてありがとう』
穏やかな言葉のなかに、獰猛さが垣間見えた。
まるで挑戦者の健闘を称える王者のような物言いだった。挑戦者? 俺が?
舐めるなよ――。
矜持はあった。自信もある。
たしかに猟機のスペックでは、向こうが上だろう。それも織り込み済みだ。
俺は改めて、ハルの猟機をじっと見すえた。
中量機体――〈テンツァー〉
敵機に視線を合わせ、視界にレイヤー表示されたマークに触れる。
すると猟機の名前や区分とともに、構成されたパーツや武装の価格、性能等を基準とした、システム内AIによる総合評価判定が表示された。
〈テンツァー〉の総合判定は、最高評価の『S』。
つまりある基準においては、このアイゼン・イェーガーの世界で実現しうる猟機の“完成形”ということだ。
武装は見たところ両手のハンドガンのみ。最初に遭遇したあのときと同じ装備だ。スマートなシルエットだが手足の装甲はやや分厚い。
おそらくは、近距離射撃型。
機動力を活かして敵との距離を詰め、回避運動を取りながら二丁のハンドガンで畳み掛ける。
だが総合火力は高くない。継戦能力がそれほどあるとは思えない。短期決戦型か。その潔さはある意味、非常に対人プレイヤーらしい。
こちらも装備は以前と変わっていない。左手に大型シールド、腰部にはレーザーソードをマウントし、右手に装弾数の少ないハンドガンを握っている。あとは機体胴体部脇にセットしたチェーンダガーのみだ。
それに対して、俺の猟機の総合評価判定は『E+』だ。
あくまでAI判定とはいえ、スペック差は歴然としていた。
現役の十七位、か。
だが、俺がかつて通った道だ。
勝てない道理はない。
『じゃあ、はじめようか』
ハルの声に気負いは感じられなかった。
俺を侮っているのか。それほどに自信があるのか。
どちらせよ、これからはっきりする。
身体に深く染み付いた習慣で、俺の意識も自然と研ぎ澄まされた。
<< BATTLE MODE: DUEL MATCH >>
<< FIELD: COLOSSEUM >>
<< Schild VS HARU >>
デュエル開始のブザー音が鳴り響き、タイムカウントがスタートした。
途端、静寂が訪れた。
どちらも――動かなかった。
俺とハルは、互いに相手の初動を見ていた。
よくあることだった。互いに遠距離用の主力武装を持っていないとわかっていたから、ということもあるが、隠し武装というパターンがないわけではない。
そうだとしても、確認した上で対処できる。
すなくともお互い、それぐらいの余裕と自信はあるということだ。
やがて、ゆっくりとハルの〈テンツァー〉が横に歩き出した。
俺もスティックを傾け、猟機を進ませる。
互いが歩きながら、しだいに距離を削り合っていく。
嵐の前の静けさ。
直後、敵機が大地を蹴った。
スラスターの噴射炎が大気を揺らめかせる。宙を飛ぶようなステップ。敵がハンドガンを構えた。
衝撃に機体が揺れた。
敵の弾丸をこちらのシールドが受け止めていた。
だがダメージはない。あのハンドガンの口径ではこちらのシールドを貫通できない。シールドの耐久値が多少削られたが、少なくともこの試合中に限界を迎えることはない。
だがハルは続けざまに発砲。
一部をシールドで防御し、一部を回避。こちらもハンドガンでけん制射撃を返す。
敵猟機の動きに、迷いやためらいは見えなかった。
さらに距離が縮まる。ハルの射撃は正確だった。回避方向に待ち構えていたかのような弾幕を張られる。こちらの動きを制限し、さらに接近。
プレッシャーを感じた。
俺は慎重に間合いを維持しながら、拭い切れない違和感にとらわれていた。
――なんだ?
なぜこれほど踏み込んでくる。
なぜこれほど強気なのか。
向こうは近距離射撃型。
だが俺の猟機はそれよりも狭い間合いを主眼に置いた、近接戦闘型だ。それは機体を見てわかっているはずだ。近づき過ぎれば、こちらのレーザーソードの間合いに入る。普通ならそれを恐れ、ぎりぎりの距離を置いて立ち回るはず。
探ってみるか。
俺は指先でスティックのボタンを操作し、肩のハードポイントにハンドガンをマウント。
空いた右腕で、レーザーソードを抜いた。
トリガー。発生器である刀身が青白く発光する刃をまとう。
あえてここで刃を出力したのは、相手の反応を見るためだった。
だがハルは、まったくお構いなしだった。むしろそれを待っていたかのように、強気で距離を詰めてくる。
接近戦が望み、ということか。
侮るな――。
だったらやってやる。
三手で仕留める。そう決めた。
一手目は防御とけん制。シールドを構えたまま隙間からソードの切っ先を押し出す。
二手目はフェイク。敵にわざと大きな横薙ぎを見舞う。
三手目が本命。間合いをとった敵に距離を詰めて最大リーチとなる刺突を繰り出し、敵の胸部を貫く。
敵機が正面に。俺はあえて気圧されるように後退。その誘いに敵が乗ってきた。
脳裏にイメージを描きつつ、近接戦闘に突入。
レーザーソードの切断面を入力し、機体を躍らせた。
一手目。敵はシールド越しの攻撃にたたらを踏むように直前で急停止。予想通りの回避。
二手目。大振りの攻撃を相手がバックブーストで回避。
敵機が足を止めた。ハンドガンを構える。
メインスラスター全開。
三手目。上半身をひねりながら加速に乗せて右手のレーザーソードを突き出す。
獲った――
次の瞬間、視界が激しく上下左右に揺れた。
天地を見失う。
反射的に姿勢制御。バックブーストで距離を開けつつ状況を把握する。まっさきに自機のステータスを確認。
機体の耐久ゲージが、ごっそりと減っていた。
――なんだ。
理解不能だった。なにが起きたのか、わからない。
いま、なにをされた?
あのとてつもない衝撃を食らう刹那、目の端がハルの猟機の背中を捉えていた。ねじるように身体を旋回させ、そして――
格闘……?
俺が導き出した答えはひとつだった。
回し蹴りを食らったのだ。
ハンドガンは囮。いや、動きを制限するためのけん制か。
だが思考できる猶予はそれまでだった。
敵がこちらを猛然と追撃。すでに肉薄していた。
シールドで左前面を防御しつつ、L字に回避機動を取る。
敵がひるがえった。
その左脚部が鞭のようにしなり、眼前を切り裂いた。
やはり格闘。
旋風のような攻撃から逃れた瞬間、敵のハンドガンが火を吹いた。
な――
胸部に被弾。
激しい衝撃とノックバック。ダメージアラート。装甲の薄い俺の猟機は、耐久ゲージを大きく減らされる。
混乱した。
なんだ、これは。
この戦い方は。
アラートが鳴り響く操縦席のなかで、俺はようやくその真実に行き着いた。
こいつは、ただの格闘機じゃない――




