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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP04/ 第2話 シールド・ブレイク
36/93

#35

「おはよ、遠野くん」

 びくり、と俺は身体を震わせた。

 いつも通りの朝の教室。遅刻ぎりぎりで登校した俺に、伊予森さんが挨拶をくれた。

彼女の印象も、いつもと変わらなかった。

 艶のある長い髪が、窓から差し込む光を受けて輝いている。まっすぐ伸びた背筋。腰の位置が高く、足が長い。制服越しにもスタイルの良さがはっきりわかった。健康的で清楚な容姿にかげりはなく、だれに対してもやわらかな眼差しを向けている。

 彼女のまわりの空間だけ輝いているような錯覚すら抱く――そういう人だ。

 わずかに甘い香りがした。

 健全な男子なら、近くにいるだけでどきりとしてもおかしくない。

 だがそういったいつもとは異なる理由で、俺は緊張に見舞われた。

「……ぉはょぅ、ござぃます……」

 思わず顔をそむけながら応じた。

「? どうかしたの」

「な、なんで」

「なんか、声小さいから……」

「お、俺はいつだって声小さいからっ」

「それは……そうだけど」

 自分で答えておきながらなんだか情けなくなるが、それよりもとにかく気まずかった。

 俺は目を合わせないようして、そそくさと自分の席についた。



 昼休みになり、またいつものようにソロランチをとっていると、

「ねえ遠野くん」

 俺は箸を止めた。 

「……なに?」

「千亜ちゃん知らない?」

「楠さん? さあ……」

 伊予森さんの言葉で、俺は教室を見渡した。

 男子の姿は少ない。学食派が多いためだ。残った五人ほどの男子が前方に固まっている。女子は大小まばらなグループになって点在していた。

 そういえば、楠さんは昼に限って教室にいない。

 ちなみに俺は相変わらず自分の席で弁当を広げているのがほとんどだ。ときどき伊予森さんが気を遣ってくれてなのか話しかけてくる。もちろん伊予森さんには女子の友達がいるので、一緒に昼食をとることなどありえないが。

 もしかしたら、楠さんを誘うつもりだったのかもしれない。

「――ちょっと、探してこようかな」

「や、それはやめといたほうが……」

「え、なんで?」

「……」

 言えない。

 楠さんの名誉のためというか、まさかどこかで人目につかないところでひとりで昼食をとっているかも、などとは決して口にできない。

 また保健室に連れていく羽目になる。まして、言いがかり的な冤罪の危険を被るのは御免だった。

「ひ、昼休み、なくなっちゃうでしょ。見つかるかもわかんないし。だから……」 

「んー……。それも、そっかぁ」

 どうにか伊予森さんは納得してくれた。

 だがそれで終わりかと思いきや、

「あ、そういえば」

 伊予森さんが携帯を取り出し、なにかの画面を俺に向けた。

「ねぇこれ見てよ。かわいいでしょ?」

 レーザーディスプレイに映し出されていたのは、アイゼン・イェーガー内でのアバターの衣装だった。どうやら運営の公式ショップで販売されているものを見ているようだった。

 軍服にゴシックテイストが混じったような、ツーピースのコスチュームだ。可愛らしさと凛々しさが見事に同居している。

「で、もうひとつ迷ってるのが、こっちの……」

 伊予森さんが携帯を操作し、画面を切り替える。

 次に映ったのは、またがらりと変わって、マントと部分的なプロテクターで構成された騎士風の衣装だった。肩や脇など、さきほどのものよりはやや露出が多い。

 なぜ俺に見せるのか、疑問に思っていると、

「遠野くんは、どっちがいいと思う?」

 伊予森さんは、俺に期待するような視線を向けていた。

 プレッシャーを感じた。

 そこから逃げるようして、俺は視線を手元に落とした。そして、


「べつに……好きにしたらいいんじゃないかな」


 普通に答えたつもりだった。

 だが、奇妙な沈黙が流れた。

「……どうか、したの?」

「え?」

 虚を突かれて顔を上げると、伊予森さんの表情がくもっていた。  

「なんか遠野くん……。すこし、よそよそしい感じがする」

「そ……」

 まさに本心を見抜かれ、動揺した。

 それが伊予森さんの優れた観察眼によるものか、それともそれが人並みの対人スキルというものなのかは、わからない。

 だが、俺の方の理由はひとつしかない。


 ――オレ、彼女のこと好きなんだよね


 あんなことを聞いてしまったからだ。

 伊予森さんは、成瀬の気持ちを知っているのだろうか。

「そんなこと、ないよ。ほんとに」

「なら、いいんだけど……」

 こういうときの表情のつくり方が、俺にはわからなかった。 

 伊予森さんが成瀬の気持ちを、知らなかったとして。ああ口にしたということは、つまり成瀬は、いずれ伊予森さんに告白する、ということか。

 伊予森さんは、どう答えるのだろうか?

 伊予森さんと成瀬の関係を、俺は知らない。

 けれどこの前再会したときのふたりの様子――決して距離が遠いようには感じなかった。むしろ、互いを認め合っているような気さえした。

 成瀬は、伊予森さんがやっていたからアイゼン・イェーガーをはじめた、と言っていた。それも、その気持ちが元からあったからなのか。それともあとから生じたものなのか。

 伊予森さんはわざわざゲームをやめた俺を、小さな手がかりから探し当ててきたような人だ。強いプレイヤーにはそれなりに興味を持っているのだと思う。HARU。ランキングの第十七位。十分な称号だ。そうなる以前のことはわからないけれど、伊予森さんはもしかしたら中学のときから成瀬を―― 


 ふと、俺は奇妙な感覚に囚われた。


 なにを考えている?

 俺にはなんの関係もないことなのに。

 どうだっていいじゃないか。ふたりの間になにかあったとして、それがなんだというのか。

 そのはずなのに。

 俺はいったい、なにに苛立っているのだろうか。



「千亜ちゃん、待って!」

 放課後、ひとりで先に帰ろうとしていた楠さんを、伊予森さんは逃さなかった。

「……!!」

 小動物そのままの反応で、楠さんは逃亡した。なぜ逃げる。

 しかし教室から昇降口の方へつながる廊下を渡りきったところで、途端に動きが鈍くなった。

「ぜぇっ……ぜぇ……! ひゅぅ~~」

 肩で息をしていた。酸素不足なのか顔面蒼白だった。

 どんだけ体力ないんだ。

「だ、大丈夫?」

 息ひとつ乱れていない伊予森さんが心配していた。

 俺も追いつき、楠さんの悲惨な状態を目の当たりにした。俺も決してあるほうではないが、楠さんはさらにやばい。

 よくそれで小学校や中学校を生き抜いてこれられたな、と思う。

「千亜ちゃん、なんで逃げるの?」

「…………べ、べつに」

 楠さんは目をそらそうとするが、伊予森さんは逃がさない。

「わたし、思うんだ。千亜ちゃんは、ちょっといろんなことに怖がりすぎてるんだよ。だからアイゼン・イェーガーでもせっかくすごい才能を持ってるのに、それを発揮できないでいるんだよ。それって、すごく勿体ないと思う」

「…………」

「それはリアルでも一緒。もっと人と沢山関わっていれば、きっと人を信用できるようになると思うの」

 伊予森さんは正論らしいことを口にした。

 楠さんはその言葉の導く先を怯えている。

 案の定、伊予森さんはにっこりと微笑んだ。

「な・の・で、これからわたしと一緒に、ちょっと遊びに行こっか?」

「ヒェッ……」

 かぼそい声で鳴いた。 

 ずっ友だょ? みたいな勢いの伊予森さんに、楠さんは戦慄している。 

「た、たすっ……」

 なぜか俺のほうに助けを求めてくる。

「交友関係は、大事じゃないかな」

「……!?」

 棒読み気味の俺の言葉に、裏切られた、みたいな顔をした。

 まあいつかの仕返しとしてはこれで十分だろう。それに楠さんは、決して甘やかしていいタイプの子ではない。

 楠さんが強引に伊予森さんに連行されていくさまを、俺はふぬけた気分で眺めていた。

 このふたりって妙な関係だな……。

 まあ女子同士の交友に、俺が入り込む余地はない。

 けれどそのとき、俺はすこしほっとしていた。

 すくなくとも今日ばかりは、伊予森さんと一緒にいることに気が重かったからだ。 


 *


 帰り道、駅前の書店兼ゲームショップに立ち寄った。

 とくに用事はなかったが、漫画雑誌やゲーム専門誌などを適当に立ち読みしていた。

「あれ、遠野?」

ふいに声をかけられた。

 ぽかんとして雑誌から顔を上げると、そこにいたのはあのイケメンの男子――成瀬だった。

「やっ」

 成瀬は気さくに手を挙げている。俺はどう反応すべきか戸惑いつつも、会釈した。

「……ども」

 最近、よく会う。

 しかも今度は現実で、だ。

 まあ年も同じで生活圏内も近くて同じゲームをやり込んでいれば、それほどおかしくないかもしれないが。

「なに読んでんの?」

「えっと……ゲームの」

「ああ、それか。なに、アイゼンの情報収集? でも新しい情報なんかないっしょ」

「いや……ただ、眺めてるだけ」

 成瀬は自分も同じ雑誌を手にとる。

「あー、わかるかも。いいよなー、こうやってたまには本で読むのって。情報だけならネットで十分だけど、なんか新鮮っていうか、ちょっとワクワクするっていうか」

「そ、そうそう」

 成瀬は最初に会ったときから変わらず、人との距離が近かった。物理的にも精神的にもだ。親しみやすいというか、人懐っこいというか――他人の警戒心を解く姿勢が、自然体で染み付いているかのようだった。いつの間にか成瀬が俺を呼び捨てにしていることにもとくに疑問を抱かなかった。

 その空気に俺も多少当てられたのか、しばし雑談を交わしてしまった。ふと、成瀬が思い出したように口にした。

「そうだ。遠野に頼みっていうか、あれなんだけどさ」

「あ、うん」


「オレと、勝負してくれないかな」


「え……?」

 唐突だった。

 成瀬は雑誌から視線すら上げていない。それくらいの気安さだった。

 勝負?

 俺が、成瀬と? なにを――なぜ?

 困惑顔で答えを求める俺に、成瀬はようやくこちらを向き、とくに気負いもない様子で告げた。

「アイゼン・イェーガーの、デュエルマッチだよ」

 成瀬はまたしても、自信に溢れた顔を覗かせていた。


 俺に彼女への気持ちを告げたあのときと、まったく同じように――



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