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アイゼン・イェーガー  作者: 来生直紀
EP04/ 第2話 シールド・ブレイク
35/93

#34

「遠野くん、昨日はごめんね」

 登校した俺が教室に入ると、駆け寄ってきた伊予森さんが開口一番に言った。

「あ、いや、べつに」

「あと、ありがとう。気を遣ってくれて」

 不意に向けられた微笑みに、俺はどきりとした。

 礼を言われるとは思っていなかった俺は、その言葉に身体が軽くなるのを感じた。

 すこし、深く考えすぎていたのかもしれない。

 やたら自分を馬鹿だと思い込んでいたが、実際に旧知の再会だったことは事実だ。べつにそこまで間違った選択でもなかったのだろう。

 それにしても。


 ――聞いていたよりも、意外と無鉄砲なんだな


 あのプレイヤー――ハルのこと、伊予森さんは知っているのだろうか? いや正確にはあの成瀬晴が、アイゼン・イェーガーのプレイヤーであることを。

 しばしの逡巡の末、思い切って口にした。

「あの人……成瀬って、アイゼン・イェーガーやってるんだね」

 俺の発言に、伊予森さんは目を見開いた。

 むしろ、なぜ俺が知っているのか、という顔だった。

 聡明な彼女の思考は、すぐに結論を導き出した。

「もしかして……あいつ、遠野くんに会ったの? ゲーム内で?」

「あ、うん、昨日の夜……」

 伊予森さんは大きく嘆息した。

 助けられたことは、口にしなかった。それが小さなプライドによるものだということには、なるべく意識を向けないようにしながら。

「ごめんね。まさか昨日のうちになんて……。あいかわらず、ムダに行動力だけはあるんだから……」

 どうやらアイゼン・イェーガーのプレイヤーであることは承知していたらしい。

 しかし、ごめんね、ということは――

「その……伊予森さんが? 俺のこと」

「うん、しつこかったから、話しちゃって。あいつ――晴はわたしがアイゼン・イェーガーをやってることは前から知ってるんだけど……。晴はずっとべつのチームでやってたし、わたしが最近なにしてるかは知らなかったみたいで。それにあいつ、どっちかというと攻略より対人プレイヤーだし」

 そういうことか。

 合点がいった。だれかからアバターネームを聞いたりでもなければ、いくらアイゼン・イェーガーのプレイヤーだったとしても、リアルで会った人間とその日ののうちにまたゲーム内で偶然出会うなど、有り得ない。検索して、俺がいるフィールドまで探しにやってきたのだろう。

 それに俺は、伊予森さんの言葉でもうひとつ腑に落ちていた。

 対人プレイヤー。

 つまり、デュエルバトルやチームバトルに特化したプレイヤーということだ。

 昨日あのあと調べてみて、俺は目を剥くほど驚いた。

 プレイヤー――『HARU』

 現在の公式デュエルマッチランキングにおける、第十七位。

 一千万分の十七番目――まちがいなくトップレベルのプレイヤーのひとりだ。

 だが俺は、ハルのことを知らなかった。ひさしぶりに過去の記録をさかのぼって閲覧してみたところ、この春シーズンに入ってから、つまり俺がアイゼン・イェーガーを一度やめたくらいから、急速にランキングを駆け上がってきたらしかった。

 当然俺も、ランキング外はもとより、100位まである下位ランカーすべてを知っていたわけではない。

 だがもし俺がランキングに居続けれていれば、いずれはぶつかっていたかもしれない相手、ということだ。 

「遠野くん?」

「あ、うん」

「おこってる……?」

 伊予森さんの瞳は、不安そうに揺れていた。

「え、なにが」

「わたしが、晴にシルトのこと話したこと」

「そんなことは……ないけど」

「よかった……」

 伊予森さんはほっと胸を撫で下ろした。

「もしあいつになにか変なことされたら、すぐ言ってね」

「あ、ああ」

 俺が曖昧にうなずいたとき、チャイムが鳴った。

 伊予森さんが小さく手を振り、「またあとで」と小さな唇で紡いだ。さらさらの髪を揺らして遠ざかるその背中を見つめながら、変なこと、とはなんだろうなと考えていた。


 *


 放課後、俺が学校を出てぼんやり歩いていると、途中で伊予森さんに声をかけられた。

 べつに約束をしていたりするわけではないのだが、家の方向的にこうして帰り道で一緒になることが多いのだ。

 というか伊予森さんのようなハイクラス女子が俺などに声をかけてくれることが、改めて奇跡的だと思う。

 若干誇らしげな気持ちになりつつ、いつものようにアイゼン・イェーガーの話題で場を持たせていると、通りかかった公園の中に目が止まった。

 そこにいたふたりの女の子のうち、片方が特徴的だった。

 真っ赤なランドセルと、ツインテールにした長い金髪のコントラスト。

 クリスだった。

 その隣は、クリスよりだいぶ背の小さい、というよりも平均的な身長の小学生らしき女の子がいた。こちらは水色のランドセルを背負っている。

「どうしたの? あ……」

 伊予森さんが視線を向けると同時に、クリスがこちらに気づいた。

 俺を視認し、その表情がぱっと明るくなる。

 ぱたぱたとこちらに駆け寄ってきた。

「シルトさん! 楓さんも」

「や、やあ……」

 クリスを前にすると、俺は若干落ち着かなくてなる。

 いろいろと前にあったからというのもあるし、いろいろと目の場やり場に困るというのもある。とくに……いや、とにかく俺は決してロリコンではない。

 だがクリスはまったく気にしていないらしく、純真な笑顔を浮かべた。

「なんだ、一緒だったんだ」

「はいっ。きょうはふたりで縄跳びの練習してました」

「はは、ふたりともけっこう上手いもんね」

「?」

 交わされるやりとりの意味が、よくわからない。

 すると、クリスと一緒にいた女の子もこちらにやって来た。

「おねえちゃん、きょうお母さんまたおそくなるんだって」

「うん、聞いた。わたし買い物してくから。遅くなっちゃだめだよ。お父さん怒るし」

「わかってるー」

 ……などと、伊予森さんと女の子が当たり前のように会話を交わす。

 俺はひとり、困惑した。

 お姉ちゃん?

 置き去りにされていた俺に、伊予森さんが気づく。

「あ、ごめんね遠野くん」

「いや……。あ、もしかして伊予森さんの……」

「うん、妹」

 伊予森さんが妹に俺を紹介する。

「こっちは、遠野くん。わたしのクラスメイト」

「あ……伊予森、ふうです」

 女の子がぺこりと頭を下げた。

 そうか。最初にクリスを連れてきたときも、伊予森さんの妹の友達などと紹介された覚えがある。それがこの子か。

 伊予森さんに似て、実に器量の良い女の子だった。


「あの……おねえちゃんの、彼氏さんですか?」


 その発言に、全員が色めき立った。

 俺がぎょっとし、クリスがええ!と悲鳴を上げ、伊予森さんがぽかんとした。

「ち、ちがうってば!」

 伊予森さんが慌てたように訂正する。

 俺も、お、おうとしか反応できなかった。

 だが諷はとくにどちらでもいいのか、なんだ、とあっさり納得して、すぐにべつの話題を口にした。

「ねぇねぇ、そういえば晴くんっていそがしいのかな? 高校生ってそんなにたいへんなの?」

「晴? あいつなら、昨日帰りに会ったけど」

「えー! なんで教えてくれなかったの~!」

「だって、たまたまだったし」

 諷がぷくっと頬を膨らませる。かわいい。いや繰り返し俺はロリコンではないが。それはともかく――

 晴くん、か。

 どうやらあのイケメンは、伊予森さんの妹君にも慕われているらしい。やはり男は顔か。顔だろうな。あと金か。どちらも俺にはない。

 ドス黒い気持ちになりながら、俺と伊予森さんはクリスたちと別れた。

「はは、なんか諷が変なこと言ってごめんね」

 改めて伊予森さんが言った。

「いや、それはべつに……」

 そう答えつつ、俺はつい先の件を聞かずにはいられなかった。

「あの、さっきの晴って、この前の……」

「あ、うん。そうだよ。なんかいろいろと付き合い長くて」

「付き合い……」

「親の話。うちの親と晴のご両親が仲いいみたいで。それで中学も一緒だったから、晴もうちの家族のことはよく知ってて」

「そう、なんだ……」

 当たり前のことだが、俺は伊予森さんについて知らないことのほうが多いのだと、そのとき改めて理解した。

 帰り道のあいだ、俺はそれまでなかった疎外感を抱きはじめていた。


 *


 その日の夜、俺たちはアイゼン・イェーガーで新フィールドの攻略を再開していた。

 一面白銀の世界。

 猟機を慎重に操縦し、クレバス――氷河の深い裂け目に足をとられないように進む。外周エリアとはちがって立体的な構造になっており、行く手を猟機の何倍もある氷壁がさえぎる。山というよりはさながら氷の大迷宮といった場所だった。

 レーダーに適性反応。

 クレバスの裂け目から、オットセイのような外形の敵ガイストが飛び出してきた。

 その頭部から、長い牙のように下向きのレーザーエッジが伸びる。

 先頭を進んでいた俺は、その巨体をシールドで受け止めつつ、同時にその隙間から構えていたレーザーソードで敵の胴体を串刺しにする。

 だが敵の反応は複数だった。

 まるで魚のように勢いよく飛び出し、こちらに襲い掛かってくる。

 俺の機体は特性上、一度に処理できる数には限度がある。俺は敵を引きつけつつ、仲間の支援射撃を期待したのだが――

『チア~!? 逃げないでよぉ!』

 イヨの叫びがこだました。

 チアの猟機は支援どころか、一目散に彼方へと遠ざかっていく。

 チアはその狙撃の才能を発揮することより、敵前逃亡のキレに磨きをかけていた。もはや敵が二体以上出現したら迷うことなく、自分だけ安全圏へと離脱するようになっていた。その反応の速さはだれも止められないほどだ。


 結局、俺が全身を目にして立ち回り、かろうじてすべてを撃破した。



 氷壁に囲まれた小さなスポットで猟機を降り、しばしの休憩をとる。

「ね、ねえチア? できたら、一緒に戦ってもらえるとありがたいんだけど……」

 イヨができる限り優しい言い方をする。

 白髪に赤い瞳のチアは、デフォルト状態からさらに青ざめた表情で震えていた。

「……でも、こっ、こわぃ……」

「それは、わかるけど……。でも、チアがいなくなったら、前衛で戦ってるシルトが後方支援を失って、孤立するじゃない?」

「……ぅん」

「そうなってもしシルトが撃破されたら、結局みんながピンチになるよね。えっと……だから、一緒に戦ってくれたほうが、最終的にはチアの安全のためにも――」

「で、でも……」

「でも?」

「こっ、この人――シルトが囮になる、ことで……」

「なることで?」

 チアの瞳が、なにか正義感のようなものに輝く。そして、


「自分だけは、助かる……!!」


 堂々と言い放った。

「え」

 イヨは素で絶句していた。

 俺は頭を抱えたい気持ちでため息をついた。

「こ、この人――シルトが危ない目にあうのは、とっ、とてもつらい……。で、でもっ、そうすることで助かる命が、あ、ある。尊い……犠牲……!」

「……それ、逆ならかっこいいんだけどな」

 俺はすでに半ば諦めの境地にあった。

「そ、それに、このゲーム……味方も撃てる」

「? それは、そうだけど……」

「常に油断するなって、ふたりが言った、こと……」

「……うん、そうだね。いつなにが襲ってくるか、わからないし」

「自分は、油断……しないっ」

 チアが、俺とイヨを警戒した目つきで見つめていた。

「ち、チア? あの……それってつまり……わたしたちを、信用してない、ってことだったりするのかな?」

 こくり。

 チアは悪びれもせずにうなずいた。

 イヨは唖然とし、 

「なな、仲間なんだよ? 信用してよ!」

「??? で、でも、親じゃないし……そ、それは厳しぃ」

「親以外も信用しよう!?」

 イヨの声にチアはびくりと震え、ますます距離をとった。  

「イヨ。……彼女は、こうなんだよ」

「そ、そんなぁ……」

 イヨが絶望的に嘆いたとき、俺の視界の端で通知表示が点灯していた。

 だれかからのダイレクトメッセージだった。

 俺は指先でそれに触れ、メッセージを開封した。


 < HARU:やあ、今日って時間ある?

      よかったらあとで、ちょっと付き合ってくれない? >


 ぎょっとした。

 差出人は――ハルだった。

 脳裏には、俺を助けたあの猟機の姿と、現実での成瀬晴の姿が同時に再生されていた。

 メッセージには、ハルのドックへの招待状が付いていた。

「シルト?」

「――え」

「どうかしたの?」

 イヨが不思議そうな視線を向けていた。

 俺が虚空を――他のプレイヤーからは見えないメニュー画面を見ていたのがわかったのだろう。

 ハルから変なことされたら言って、とあのとき伊予森さんは口にした。 

 これはそのうちに入るのだろうか。

 俺はためらった。

 そのときの心情は、自分でも正確にはよくわからない。

 いや――

 伊予森さんに告げ口することが、まるで“逃げ”のように感じてしまったかもしれない。まるで、あの男から逃げているかのように。それに無意識が反骨心を抱いた。

「……いや。ちょっと、コンフィグいじってただけ」 

 結局、俺はなにもない風を装った。


 それから攻略をすこし進めたところで、その日はお開きになった。

 俺はふたりがログアウトしたのを確認し、メニュー画面からフィールド転送を選択した。


 *


 イヨのそれと同じく、大規模に拡張されたドックだった。

 ざっと見たところ、ガレージにはあのとき見たネイビーブルーの猟機の姿はなかった。他のプレイヤーに見せたくない機体はシークレット設定にもできるので、それによるものだとわかった。

 いつもそうしているのか、俺が来るからそうしたのか。

「やっ、シルトくん」

 声のしたほうに振り向くと、そこに見知らぬアバターが手を挙げていた。

「あれ、そういう感じのキャラなんだ。意外と……」

 ハルがにやりと笑みをつくる。

 前回、俺たちは猟機を降りずに会話していたため、互いの姿を見るのはこれがはじめてだった。

 そう言うハルは、現実と同じくイケメン長身のアバターだった。

 機体と同じくネイビーブルーの軍服姿。

 ナチスドイツをモチーフにしたようなその特徴的な意匠は、たしかデュエルマッチのランキング戦の報酬でもらえるレアなものだった。そのせいかイケメン度がより強調されていた。

 それにしても、意外と、なんなのか。

「呼び出して悪かったな」

「……この前、助けてもらったんで」

「ああ、そういえばそうだったか」

 俺の口から言わせた――

 一瞬そう感じたのは、考えすぎだろうか。

「俺に、なにか……」

「きみに興味があったんだよ」

 背中にうすら寒いものが走った。

 え、なにこいつ。まさかそういう……。

 俺が警戒した目つきでいると、苦笑いした。

「勘違いするなって。ちょっと話したかっただけだよ」

 ハルは現実と同じく人懐っこい笑みを浮かべた。

「でも驚いたな。まさか、きみまでこれやってたなんて。アイゼン・イェーガーはいつからやってんの?」

「……さ、最近、かな」

 俺の過去については秘密、というイヨとの約束を思い出す。

 それに俺自身も、中学三年間を捨てたとは言いたくなかった。

「へぇ。でもそのわりには、よくあいつと同じチームでやっていけてるな。あいつ、けっこうガチなのに」

 あいつ。伊予森さんのことだ。

「……たまたま同じクラス、だったから」

 俺は適当な嘘でお茶をにごす。

 だがハルは意外そうな反応をした。

「へぇ……。まーオレの場合、いよも――イヨがやってるから、興味持っただけなんだけど。まあそのわりには意外とハマっちゃって、こうして続けてるけどな」 

「そ、そうなんだ」

 ハルの発言に、俺の内心は乱れた。

 イヨがやってるから、はじめた?

 それはつまり、なにを意図しているのか。

「あいつ、高校ではどう?」

「どう、って……」

 伊予森さんは俺とちがって成績もいいし、交友関係も広い。男子の友達がほぼいないので知らないが、人気は高いにちがいない。

 本来なら俺と関わることのないような人、とは言えなかった。

 ふと、俺は思った。 

 アイゼン・イェーガーという唯一の共通点がなかったとしたら。

 伊予森さんは、俺に興味など抱かなかったのではないか――

 その意味のない想像に、俺は暗い気持ちを抱いてしまった。



 それから、とにかくハルは口が軽かった。

 中学時代から伊予森さんは気が強かっただの、クラス中の男子が玉砕していただの、伊予森さんの妹がどうだの、方向性の見えない会話ばかりが続いていた。それに俺は戸惑いながら相槌を打つしかなかった。 

「あの姉妹はそっくりっていうか、どっちも優秀だよなぁ。あ、あいつの妹って会ったことある? 諷って名前なんだけど」

「……まあ、この前はじめて」

「けっこう似てるよな。性格も負けず嫌いなとこが――」

 そこまで言いかけて、ようやくハルが俺の困り顔に気づいた。

「悪い。なんか、オレばっか話しちゃって」

「べつに……」

「あ、もし攻略に詰まったら呼んでくれよ。攻略はちょい専門外だけど、助っ人ならやるし」

「お、うん。わかった」

「……それとさ」

 そのとき、ハルが初めてなにかを言いよどんだ。

「シルト――きみに相談……っていうほどでもないんだけどな。一応言っておきたいというか、知っといてもらいたくてさ」

「……? ああ」

 俺はほぼノーガードだった。

 駆け引きとか予防線とか――そういうものを俺は知らなかった。それはこれまでの俺の人生ではまったくといっていいほど、培われていなかったからだ。

 だからその言葉は、弾丸に等しかった。


「オレ、彼女のこと好きなんだよね」


 思考が停止する。

 そのときのハルの表情は、力強く、自信に満ち溢れていて。

 それは紛れもなく、俺が持っていないもので。 


 自分とは異なるその存在を前に、俺はなにも答えることができなかった。



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