#31
放課後。
俺と伊予森さんと楠さんの三人は、駅前に新しくできたケーキバイキングの店にやって来ていた。
やわらかで落ち着いた照明。ウッドテイストなインテリアに囲まれた空間のなかに、ゆったりとしたソファーやテーブルが並んでいる。店の中央には彩色豊かな様々な種類のケーキやクッキーなどのスイーツが、甘い芳香を漂わせながら並んでいた。
女子力の高い店である。
伊予森さんの誘いとはいえ、居心地が悪かった。
だがそれは楠さんも同様だったらしい。むしろ彼女の方が目を泳がせ、そわそわし、だれが見ても丸わかりなほどキョドっていた。
「? ふたりとも、どうかしたの」
『いえ……』
俺と楠さんはハモって萎縮した。
まあこういうのも経験だ、と自分に言い聞かせる。
いつどんな場所でも堂々としている伊予森さんは、さすがだと思う。
「…………あいぜん・いえーがぁー?」
伊予森さんの話に、はじめて楠さんが反応した。
「そう。とっても楽しい、わきあいあいとしてドリーミングでハートフルなゲームなんだよ♪」
伊予森さんは、やや語弊のある言い方で説明する。
まるで怪しげな団体の勧誘文句のようだ。
「だから、楠さんも一緒にどうかなって」
男子ならイチコロ確実の、伊予森さんの天使の微笑み。
だが楠さんはやはり警戒する小動物の目つきのまま、じっと黙り込んだ。
伊予森さんは目線で俺に助けを求める。
「……でもさ、なんでアイゼン・イェーガー?」
「それはだって、わたしと遠野くんが一緒にやってることっていったら、まずそれでしょ?」
伊予森さんは平然と答えた。
「それは、そうだけど……。いや、というか」
なにかに誘ってみたら、とはたしかに俺が言ったことである。
しかしそれは伊予森さんが、という意図だった。伊予森さんはクラスのだれとでも仲良くできるような人だし、同じ女子だし、コミュ力の低い楠さんの味方になれるだろうと思ったからだ。
べつに、俺がそこに加わる必要はないのだが……。
「それにね、できれば新しい仲間が欲しかったからかな」
「仲間?」
「チームメンバーってこと」
言って、伊予森さんは手元の紅茶を注ぎ足した。
「すこし前から思ってたことなんだけど……。わたしたちって、ふたりだけでしょ? しかもわたしの本業はオペレータだし。これまでも正直、遠野くん――シルトの腕に頼りきりだったところがあるから、負担が大きすぎるかなって」
意外な言葉だった。
伊予森さんは、イヨはそんなことを考えていたのか。
「もちろん、シルトの強さは別格だけど。……でも、これからの戦い、このままじゃ越えられないことがあるかもしれない」
「それは……またあいつみたいなやつが、ってこと?」
伊予森さんがうなずく。
あいつとは当然、あの“黒の竜”のことだ。
俺は手元のチーズケーキをぼんやり見つめながら、思案する。
薄々、思ってはいたことだった。
一対複数で勝てるというのは、そもそもプレイヤーの技量に相当の差があったり、地形や戦術で相手を圧倒することで叶うものだ。
いままでは運良く勝ち続けているが、これからはわからない。
それに仮にも俺たちは、あの黒の竜の正体を見つけようとしているのだ。
どういう状況で、どういうレベルの相手と戦いになるか、計り知れない。
もちろん、負けたからなにかが即終了というわけでもない。ただ、場合によっては負けることで得られないものが出てくるかもしれない。伊予森さんの言っているのは、そういうことだ。
楠さんが、不安そうに俺と伊予森さんの顔をうかがっていた。
「あ、ごめんね。えっと……あ、シルトっていうのは遠野くんのゲーム内の名前で」
と伊予森さんが楠さんに説明する。
「ただ、もし楠さんがやってくれたとしても、いきなり俺たちに合わせるのは酷なんじゃ……」
「もちろん、わかってるよ。だから基本的には楠さんが楽しめることが前提。そうじゃないと、意味ないもの」
なるほど。
それなら、べつに悪いことではないが……。
「……ちなみに、他にはだれかいるかな」
「そりゃ、誘える人はいっぱいいるけどさ。でも、クリスちゃんなんかはちょっとプレイする時間帯もちがったり、あの子たちのチームがあったりするでしょ」
「まあ……」
「ほかには……たとえば、フェリクスさんとか?」
「…………やめとこうよ」
「わたしもそう思う」
「織江さんは?」
「旦那さんのことを知りたくてプレイしてただけでしょ? そこまで頼むのは、ちょっとちがう気がする」
「たしかに」
俺たちはそろってため息をついた。
「……というわけで、楠さん」
びくっ、と楠さんがたじろぐ。
「どうかな。一緒に、アイゼン・イェーガーやってみない?」
楠さんの返答を、俺たちはじっと待った。
やがて――
「………………かっ……た」
楠さんは青ざめながらも、震える声をしぼり出した。
「ゃる」
短い一言。
だがそれだけで、伊予森さんは全身で喜びを表現した。
「やったぁ! ありがとう楠さん! じゃあお祝いに今日はどんどん食べよ? 楠さんってなにが好き?」
「………………いちご」
「ストロベリー! おいしいよねぇ~」
女子ふたりが追加のケーキを取りに弾んだ足取りで席を立つ。
その背中を見送りながら、俺もとりあえず安堵していた。
あのふたり、友達になれるといいけどな――
俺はなぜか楠さんの人間関係について、勝手な感慨を抱いていた。
現実には、都合よく救いの手を差し伸べてくれるような人は、なかなかいない。
孤立しているとき、大抵はそのままだ。
今回だって、伊予森さんが無償の愛で動いているわけではない。もちろん親切心はあるだろうが、どちらかといえば自分の欲求に基づいて行動している。
だがそういう偶然に、救われる人間もいる。
あいにく俺にはそういう同性の友達はこれまでいなかったが、もしかしたら、楠さんには伊予森さんがその存在になってくれるのではないだろうか。
他人事とはいえ、俺はそれに小さな安堵感を抱いていた。
「――そういえば、楠さんVHMDは持ってる?」
店を出て、伊予森さんが疑問を口にした。
「……る」
楠さんは徹底して省エネな応答をする。
もうすこし、人とのコミュニケーションというものをだな……まあ人のことは言えないが。
ちなみにVHMDの普及率は低くない。携帯端末ほどだれもが持っていて当たり前の機器ではないが、女子が持っていてもべつに驚きはしない、という感覚だ。
俺たちはまた明日の放課後に集まって、彼女がゲームをはじめる手伝いをすることにした。
翌々日。
学校で楠さんのプレイ環境が整ったことを聞いた伊予森さんが言った。
「じゃあ、わたしのドッグに集まろうよ。楠さんの機体選びの参考になるかもしれないし」
「それで、いい?」
俺の問いに、楠さんは無言でうなずいた。
まっすぐ帰宅した俺は、自室で時間を確認し、VHMDを装着。
アイゼン・イェーガーの世界にログインした。
*
俺がイヨのドッグへとやって来ると、すぐにイヨが迎えにきてくれた。
彼女の横には、見知らぬ小柄な少女がいた。
服装は女アバターの基本装備のひとつであるショートパンツ、タンクトップにジャケットといういでたち。
そして白い髪に赤い瞳という、どこか病的な美しさを感じる外見をしていた。
アバターネームは『Chia』
どうやら彼女が、楠さんらしい。
楠さん――チアと一緒に、俺はイヨのドッグ内へ案内された。
そこは、工場かなにかというほどに広かった。
最大規模まで拡張されたドッグに、軽量猟機、重量猟機、空艇用、局地戦用、空中戦闘専用など、さまざまタイプの猟機が並んでいた。
壮観だった。
男であれば、こういう光景にはだれしも心動かされるものがあるのではないだろうか。俺は自分の現在のこぢんまりとしたドッグを思い返し、自分で選んだこととはいえ小さな後悔を感じていた。
「イヨ、どれだけ機体持ってるの?」
「え、二十機くらいかな。あ、ビルドが完成しているのだとね」
「……それ以外も含めると?」
「さあ?」
数えたこともない、という反応だった。
「シルトだって、全盛期は沢山あったんじゃないの?」
「いや、まあ……。でも俺の場合は、ほとんど使う機体は限られてたから」
こういってはなんだが、俺はあまり器用なタイプではない。
それは様々な機体を乗りこなす能力、という意味でだ。
かつてしのぎを削って戦っていた上位ランカーたちでも、そういうタイプの操縦者は少なかった覚えがある。
「わたしの場合はいろいろ作って、それで乗ってみないと、指示を出すときもやりにくいからね」
「なるほど」
「チアは、どういう感じのに興味がある?」
チアは感情の読みにくい表情で、屹立する鋼の巨人たちを見上げていた。
「…………なるべく、関わらないのがいい」
「かかわらない……って」
「…………人と」
なかなか珍しい発想だった。
協力や対戦要素のあるオンラインゲームで人と関わりたくないというのは、どうなのだろうか。
俺が難題に頭を悩ませていると、
「じゃあ、遠距離かなぁ」
イヨは意外とあっさりと答えた。
遠距離といっても色々ある。積載量の高い重量機にミサイルランチャーを積むのか、空中機動力の高い軽量機にスナイパーライフルを持たせるのか。
「………………あれは」
チアがある猟機を指差す。
その機体は他の猟機よりも――“脚”が多かった。
*
イーストユーラシア第190解放区域――機械化都市マルドゥック。
重苦しい曇天が覆い尽くすフィールドだった。
アイゼン・イェーガーの世界でよく見る砂漠や荒野のフィールドより、やや難易度が高い。だがその分、手に入る経験値や素材のランクも上がっている。
工業ビルや貨物搬送用のモノレールが縦横無尽に交差し、全自動で動き続けるその街は不気味な雰囲気に満ちていた。
俺たちはチアの経験値と資金稼ぎのために、ここへやって来ていた。
序盤のジャンクパーツ稼ぎでは定番といわれるフィールドだったからだ。
『チア、どう? はじめての猟機は』
『…………たかい』
幼児のように、チアは単語で答えた。
チアが初期機体として選択したのは、多脚タイプの中量猟機だった。
単純に脚数が多い分、他の猟機より重量が増している。ただしその分安定性が抜群に高いし、積載量もある。
重量があるが地上走行の速度は悪くないし、悪路や山岳地帯での走破性も高い。空中機動には難があるが、どのみち猟機での空中戦は初心者には敷居が高い。そういう意味では、正しい選択だといえた。
「イヨ、今日は管制機じゃないんだね」
俺のとなりに立つイヨの猟機――それはあの青と白のカラーリングが鮮やかな管制機〈ヴィント〉ではなかった。
全体的な色合いは同じだが、細身のスマートなシルエットの軽量機だった。
『べつに、管制機にしか乗れないなんて言ってないでしょ』
「そっか……」
『シルトみたいな廃じ……おほん、強い人じゃないけど、わたしだって、けっこうできるんだから』
イヨは言って、ロングレンジライフルを掲げた。
『それに、チームメンバーが多くないと、あんまりわたし役に立たないし』
「そんなことは、ないと思うけど……」
とはいえ、たしかにイヨの本当の実力が発揮されるのは、複数機同士のチーム戦だろう。
この前も、それで痛い目に合わされた。
『以前は、デュエルマッチのランキング入りを目指したこともあったんだけどね』
「へぇ。どれくらいだったの?」
『どれくらいもなにも……すぐに諦めたってば。っていうか、ランカーってなんでみんなあんなに強いの? おかしいよ』
「あ、ああ……」
昔だれかが、あそこには化け物しかいないと言っていたのを思い出す。
そうかもな、と俺は他人事のように思った。
あそこはある意味、広大なアイゼン・イェーガーの世界のなかでも、また特異な場所だ。
純粋な強者のみが、歓声と賞賛を独占することができる。
さすがにもうあの華やかな場に戻ることはないだろうな、と俺はぼんやりと思った。
機械化都市のなかを進み、俺たちは最初の敵ガイストを発見した。
モノレールの上を複数の砲台が移動している。
レールにそって砲台はビルのかげに隠れるが、また同時にべつの箇所から砲台が現れる。
まだ、敵とはかなり距離があった。
しかも敵はレール上を高速で走行しているため、照準が付けづらい。
俺は猟機の狙撃モードを選択し、めずらしく携行していたスナイパーライフルを両腕で構えた。この距離だとマニュアルで狙いをつけるしかない。
慎重に照準を合わせ、トリガー。
放たれた徹甲弾は、レールの上を大きく通り越していった。
『シルト、ぜんぜんかすってもないよ』
「わ、わかってるよ」
俺のこの軽量猟機は完全に近接仕様だ。
腕部からFCSまですべてその思想で設計されている。
いや、もし遠距離仕様だとしても、ここから当てるのは絶望的だ。シューティング可能な距離まで接近するのが妥当だが、当然被弾する危険性も上がる。
イヨも同じように狙いを定め、ライフルを発砲した。
レールに命中。しかし、移動する砲台にはまるで当たらない。
「惜しい」
『……仕方ないね。もうちょっと距離を詰めようか』
俺とイヨの猟機が進み出す。
だが、なぜかチアだけはその場から動こうとしなかった。
「チア?」
『近づくの…………ぃ、いや』
「そうは言っても……」
『…………あ、当てれば、いい?』
「そう、だけど。でもこの距離じゃ厳しいんだ。だから――」
俺が言いかけた直後、チアの多脚猟機が手持ちのスナイパーライフルを構えた。機体の重心が下がり、脚部の膝頭の装甲が展開、そこから小さなアーム――隠し腕がせり出し、ライフルの銃身を支えた。
発砲。
十字型のマズルフラッシュがまたたいた。
ろくに照準をつけたとも思えないタイミングだった。
直後、レールの上を走っていた砲台が爆発――炎上した。
視界にレイヤー表示で、HITの文字が映る。
「え?」
チアは続いて二発、三発と発砲。すべての砲台が次々と弾け、残骸が地上へと落下していく。
レーダーから敵の反応が消えた。
なにが起きたか、よくわからなかった。
まぐれ。偶然。奇跡。しかし――
一発ならまだしも、連続で。それはありえなかった。
『………………だっ、だめ?』
チアは黙り込んだ俺とイヨに、不安そうに聞いた。
天才――
その存在を、俺たちはたしかに目の当たりにしていた。




