#16
間に合ったことが奇跡――そう言っても過言でない本当にぎりぎりのタイミングで、俺は黒の竜のソードを弾き返した。
「これかっ……!」
ようやく、俺は理解した。
レーダーから消えていた敵影。
スペック以上に体感する、敵機の速さ。
これだけの機動性をもつ相手だ。目で追いきれない場合、対峙しているプレイヤーはどうするか。
必ずと言っていいほど、近距離レーダーをあてにする。
だがその一瞬でも、レーダーから敵機の姿が消えたらどうなるか。
反応が遅れる。致命的な隙が生まれる。
みな、これにやられたのだ。
「アクティブ・ステルス……!」
発動の数秒間、一時的にレーダーから消える。その効果時間や使用可能回数からいくつか種類はあるが、おそらく最も短時間だが強力なもの。
そういうことか。
アクティブ・ステルスは防御用の兵装だ。
フィールド攻略中にプレイヤーに襲撃された際など、離脱判定までの距離をかせぐために起動させ追撃をまく。
だがこいつはちがう。
敵を倒すためだけにステルスを使用している。
自分の動悸が速くなっているのがわかった。
落ち着け――
姿そのものが消えているわけではない。
レーダーを頼るな。
敵機の位置を想像しろ。難しいことではない。三次元戦闘に慣れたプレイヤーなら、だれしも無意識のうちにやっていることだ。
黒い猟機が真上を跳び越す。地面を滑りながら急速旋回。敵機と向き合う。ライフル弾がシールドを直撃。すでにシールドの耐久値も限界に近い。
指先が、手が、足が、震える。
一つでも、一瞬でも間違えば、やられる。
ライフル弾が頭部をかすめる。
被弾率が目に見えて高くなっている。
俺の猟機は酷い有様だった。無傷な部分はほとんどない。ぎりぎりで致命傷になっていないだけだ。
このままでは、ジリ貧だ。
その前に仕留めるしかない。
敵機の眼前に踏み込む。
敵機がライフルで照準。シールドの位置を調整して――
左肩に直撃。
装甲が砕ける。
「!?」
レイヤー表示されたエラーメッセージが目に飛び込む。フレームパーツにランダムトラブル発生。左腕のパフォーマンス低下が警告されていた。なぜ、こんなときに。
あのときだ。
さきほどの戦闘で、敵を引き付けるためわざと攻撃を受けたときの影響だ。
シールドの動きが遅れる。接近を諦めて再び離れる。ライフル弾の猛追。
左腕の機能低下によりシールド越しの衝撃が増し、機体のバランスを大きく狂わせる。必死に機体を立て直す。
心臓の鼓動が大きく聞こえていた。
負ける。
このままでは、俺は負ける。
力で否定される。
抗いようのない事実に突き落とされる。
どれだけ戦っても、この感覚に慣れることは、平気になることはない。
焦りが、恐れが、動きを鈍らせる。
やられたくない。負けたくない。
でも――
ブースト・マニューバの速度が低下する。
まずい。
スラスターを使いすぎた。継続噴射が持たない。
黒い影が瞬く間に迫る。
ソードが振りかぶられる。
致命の太刀筋。
その瞬間、視界の端になにかが映った。
青と白の塊が真横から飛来し、黒の猟機と激突する。
イヨの管制機だ。
黒の猟機は、ライフルを持った手で防御姿勢をとりそれを受け止めていた。激突の勢いのまま地面を滑り、停止する。
黒の猟機が、怒りを表すかのようにソードを引いた。
「イヨ!」
レーザーソードが、管制機の胴体を両断した。
機体が真っ二つに引き裂かれ、破片が撒き散らされる。
上半身が地面に激突。レーダードームが粉々に砕ける。
目の前で起きていることが、信じられなかった。
どうして。
なぜそんな無茶を。
管制機が戦火のど真ん中に飛び込んでくるなんて。
色鮮やかな機体は見る影もなかった。
はっとし、チームメンバーのステータス、つまりイヨの管制機の表示を見た。耐久ゲージはゼロに。
撃破認定。
「なんで……」
破壊されたイヨの猟機の残骸が、虹色の光に包まれていく。
大破した機体がドックに強制転送される。
残されたのは、生身のイヨだった。衝撃の混乱から立ち直り、俺の猟機を見上げた。
俺はなにも言えず、堂々と立つその姿を見た。
その唇が、ゆっくりと言葉を紡いだ。
『きみなら、きっと勝てる』
穏やかな声。
それは、俺の全身を縛っていた鎖を、あっさりと解いた。
震えが止まった。
漆黒の猟機に向き直る。
敵はまるで挑発するかのように、停止してこちらを待っている。
わかった。
俺はあいつに追いつけない。
今の機体であの黒い猟機の速度を上回ることは難しい。
それでも、諦めるわけにはいかない。
スティックを握り直す。必要なのは負けないための予防策ではない。勝つための、その可能性を掴むための方法。
恐れるな。
覚悟を決めろ。
その先にこそ、求めるものがある。
「コマンド、アーマーパージ!」
俺は叫んだ。
直後、機体から残った装甲が弾け飛んだ。
全装甲の緊急パージ。
軽量化し速度を上げる。だが脆弱な部位がむき出しになり、攻撃がかすっただけで致命傷になる非常に危険な状態。
あいつを倒すために必要なのは、速さだ。
俺の猟機はいま骸骨のような姿に変貌しているだろう。
「コマンド、リミッターリリース」
猟機の奥底が唸りを上げる。
アフターブーストを常時使用するためのコマンド。
残りの燃料をすべて使う。
視界の上方に、解除停止までのカウントダウンが表示される。
60秒。
すべてを次の一瞬に賭ける。
ペダルをキック。
アフターブースト。
半壊したシールドを構え突撃。推力に任せて上昇する。
敵機も飛んだ。
ブースト・マニューバ。
空中で跳ね回り、敵機の背後を狙う。
猟機同士の空中戦。
360度。視界がめまぐるしく反転する。
スラスター異常加熱の警告が鳴る。だがそれは向こうも同じはずだ。引くな。進め。昇れ。
右から下へ。
左から上へ。
水平制御など捨てろ。姿勢は着地の直前で立て直せばいい。相手の背中に回りこめ。半身だけでも優位に立て。
首を獲ってやる。
速く。
もっと速く。
渾身の力で制御。
空中でアフターブースト。
加速に乗せてソードを振るう。
黒の猟機が弾き返す。返す一撃をぎりぎりで受け止める。
『シルト!』
冷たく、熱くなれ。
勝つために。
三度、ソードが弾かれる。
着地。アブソーバが激しく悲鳴を上げる。構わずブースト。相手に体勢を整える時間を与えるな。
視界が光のように流れる。
「負けない」
こみ上げる熱のまま、俺は叫んでいた。
「俺は、負けない……!!」
敵機のアフターブースト。ソードの切っ先が目の前に出現する。
シールドが砕け散る。
まるでプレイヤーの意思ごと砕くように。
盾を放り投げる。
構うな。
旋回しながら接近。
オートライフルを両断。
まだだ。
左手でハンドガンを抜く。
至近距離で連射。
対猟機用のアーマーピアシング弾が、黒い猟機の胸部装甲を吹き飛ばす。
弾丸が尽きる。
ハンドガンを投げ捨てる。
敵機のレーザーソードがひるがえる。
シールドはもうない。とっさに左腕をかざす。
左腕の間接部が蒸発。
その先が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
残りは右腕だけ。
ソードを引く。
腰溜めに構え肉薄する。
恐れるな。
踏み込め――
最後の加速。
レーザー最大出力。切断面を入力。
抜刀。
「ああああああああああああああああああ!!」
敵機の右手首を切断。
ソードが宙を舞う。
あと一歩。
直上から振り下ろす。
刃が黒い腕にめり込んだ。
敵機がかざした右腕に、ソードが止められた。
そのときすでに、俺のレーザーソードの耐久値は限界だった。
目の前で、レーザーの発生器である刀身がへし折れた。
白刃が潰える。
届いていない。
届かなかった――
絶望が、最後の気力を奪い取る。
あと少し。それなのに。
黒の猟機が残った左腕を引いた。
重量機の切り札。直接打撃。
頭部が吹き飛ぶ。
一瞬、視界が暗闇に覆われる。すぐさま胸部のサブカメラ映像に切り替わる。
解像度が低く粗くなった視界の中、敵機がこちらの頭部を打ち抜いた左腕を、ゆっくりと抜いた。
やられる。
もう武装がない。
俺の視線は、視界の右下に表示されるアームズリストに移っていた。
すべてが暗くダウン――使用不能を表すなか、たったひとつだけ、明るく点灯しているものがあった。
あのとき最後に購入した兵装。
それは猟機の胴体横、脇の下にマウントされていた。
旧式のチェーンダガー。
セレクト。ダガーの柄がせり出す。残った腕で引き抜く。
密着状態。敵機が拳を振りかぶる。
視界に映る敵機の胸部めがけ、ダガーを突き出す。
刃が胸にめり込む。チェーンを駆動。
「やられろぉおおおおおおおおおおお!!!」
渾身の力でトリガーを引き続ける。
激しく散る火花が目の前を覆い尽くした。
七秒後。
負荷に耐え切れず、安価なダガーの刃が弾け飛ぶ。
駆動が停止。
全部だ。
これ以上は、なにもない。
静寂のなかに俺はいた。
敵機の腕が引かれた状態で停止している。
目の前に、なにかの文字が流れた。
<< TARGET DESTROYED >>
自分の心臓と、呼吸音だけが聞こえていた。
視界に表示されたそれが、なにを意味するのか、すぐにはわからなかった。
俺の猟機は、黒い猟機と支えあうようにひざをついていた。
機体の各所から煙が上がっている。頭部と左腕がなく、武装も装甲も失った状態。大破寸前。
まだ茫然自失のまま、俺は目の前の黒い猟機を見た。
その頭部が、わずかにこちらに向いた。
『――礼を言う』
低い男の声。だがまだ若い。
意味がわからず、俺はそのまま固まってしまう。
やがて敵機が光のなかに消滅する。
はっと我に返った。
「せ、セーブ!」
慌てて猟機を降りる。
すぐさま黒の猟機が消えた場所に駆け寄る。
だが、あたりにプレイヤーの姿はなかった。
すぐに転送したのだろうか?
どんなやつか、せめて顔だけでも拝んでおきたかった。結局、あのメッセージの差出人なのかどうかも、わからなかった。
「シルト!」
イヨの声に、振り返る。
目の前にイヨの顔があった。
飛びつかれた。
反動でぐるぐると回り、そのまま目が回って倒れこむ。気力を使い果たし、俺は立ち上がることができなかった。
イヨは俺にまたがったまま、興奮して叫んでいる。
「勝ったんだよ! すごい! やったやった!」
手を引かれ、力の限り抱きしめられる。
いつもの冷静な面影はどこへやら、イヨはまるで子供のようにはしゃいでいた。
そうか――
俺は、勝ったのか。
ようやくその事実を頭が理解しはじめていた。
身体の奥底から、浮き立つ衝動がこみ上げていた。
認めるしかなかった。
ああ、やっぱり俺は、このゲームが好きなんだ。
その場に座り込んだまま、俺とイヨは声を上げて笑いあった。
ひさしぶりに、俺は心の底から笑えたような気がしていた。




