#00
焼け焦げた内地。水没した埋立地のビル群。境目のない鈍色の空。
光学カメラ越しに目に映るのは、どこまでも続く荒廃した景色。
崩落しかけたビルの残骸の陰に、機械の巨人が身をひそめていた。
機体の内部、窮屈なコックピットのなかで、男は視界に重ねてレイヤー表示される情報を、めまぐるしく確認する。
味方機の損耗状況――自機以外、大破。
武装の残弾数――残り10パーセント。
敵機の位置――不明。
全周スキャン。レーダー上に敵機の位置が確認できない。
どこにいる。
データリンク。管制機に搭乗している戦術オペレーターと通信。
「あと何機だ?」
『二機だ』
「本当に二機か? こっちは一機しか視認してないぞ」
『こちらのレーダーでも確認できない。前方には出ていない。損傷が大きいのかもしれない。それより潜んでいるもう一機を警戒しろ』
つつかれた程度で撃破されるような機体状態なら、後方に退避していてもおかしくない。いずれにせよ同時に攻めてこないなら好都合だ。一対一ならまだ勝機はある。
『ダミーを出して後退しろ。姿をさらすなよ』
言われずとも。
男はコンソールを操作。巨人が背負ったコンテナから、ダミーが射出される。
浮遊移動式のダミーは、レーダー上で機体があたかもそこにいるように欺瞞するものだ。
とはいえこちらの機体を視認されては意味がない。
ブーストカット。徒歩で慎重に下がっていく。
崩れた橋の瓦礫に機体を潜ませ、辛抱強く待った。しばらくダミーの方角を注視しているとき、レーダーが感応した。
接近する機影。
「かかった……!」
『左から迂回しろ。敵がダミーの側面に回り込んだタイミングで背後から強襲。移動マーカーを出す』
オペレーターが機体が進むべき最適進路を、光学モニターにレイヤー表示する。引かれた青いラインが機体の理想的な強襲コースとなる。
マップ上で敵機のアイコンがダミーに近づく。両腕のガトリング砲を近接射撃モードへシフト。スティックを握りしめながら、タイミングを合わせる。
敵機がダミーの隠れたビルを回り込む。
今。
ペダルをキック。
機体背部のスラスターが全面解放。
アフターブースト。
大量のエネルギー消費と引き換えに、20トンの機体が猛加速で前方に押し出される。
振動に歯を食いしばって耐える。ラインに沿って宙を飛翔。ビルに隠れた敵機の側面へ踊り出る。
二丁のガトリング砲でがら空きの側面を――
赤い三つ目の光学カメラと、目が合った。
盾越しに覗く敵機の頭部がすでにこちらを向いている。一瞬の後、気づく。
――かかった振り。
この距離は、まずい。
スティックを戻す。バックブーストに点火。緊急後退。プールされていたエネルギーが著しく減少する。構いもしない。男は敵機の武装を視認していた。
大型の対物シールドと、接近戦で比類なき威力を発揮するレーザーソード。
敵機のアフターブースト。
彼我の距離が恐ろしい速度で消える。
「くそがっ……!」
すさまじく速い。高速型の機体。
出力の低いバックブーストでは逃げ切れない。かなりの重量があるはずの大型シールドを構え、正面から突っ込んでくる。ガトリング砲をフルオートでばらまく。
敵機のブースト・マニューバ。噴射炎が青白い翼のように広がる。踊るように左右に機体を揺らしながら迫る。止まらない。盾に防がれている。ガトリング砲では駄目だ。いや、あの盾は――
ほくそ笑む。
あのシールドなら、こちらのレーザーキャノンで貫ける。
馬鹿が。盾を過信しすぎだ。
男はスティックを操作し、背部にマウントされていたキャノンを砲撃状態へ移行。
さらに距離が詰まる。敵機の姿がはっきり見えた。
黒と銀色の、骸骨めいた軽量機体。
赤く光る目が、男の機体を捉える。ほぼ同時。チャージが完了。
トリガー。
機体の主力装備、大口径レーザーキャノンから青白い光が迸った。
まばゆい光と蒸気が敵機の前で膨れ上がる。命中。
「やっ――」
男のつり上げた口が、固まった
超高熱でオレンジ色に変わった盾は、貫通していない。
ちがう。さきほどのものではない。レーザー系の攻撃を防ぐ特殊加工の盾。わざわざ軽量機体に盾を二つも積んでいた?
敵機が盾を放り投げる。
すべては、正面からの高速突撃を可能にするための装備。
今度こそ悪寒が走り抜ける。
これは、向こうの間合いだ。
そのとき敵のパイロットが笑ったような気がした。
懐に引かれた敵機の右手。増幅器の刀身から超高温の凝縮レーザーが出力。
灼熱の、光の剣。
振り抜かれた。
すさまじい衝撃。
無数の警告がバースト。機体のシステムがダウンし、男は一転して暗闇に包まれた。
*
敵機を両断した剣から、刀身が消える。
極めて軽量な高速型フレームに近接用レーザーソードを携えた俺の機体は、静かに駆動を停止した。すると不思議なことが起こる。
巨人の全身に光が集まり、機体はそれに包まれて、空中へと霧散した。
代わりにその足下にぽつんと現れたのは、ひとりの美麗な姿の男、つまり俺だ。
長い銀髪を風に揺らし、黒いコートをはためかせる俺は、大地を揺らす振動に振り返った。
もう一機の巨人がゆっくりと近づいてきた。
俺の機体とは対称的に、ずんぐりとした重量級の機体だった。
停止した機体は、俺のものと同様に虹色の光のなかへと消えていく。
代わるようにそこに現れた大柄な男が、こちらに向かって手を上げた。俺に匹敵するほど、こちらも絵に描いたように眉目秀麗な短髪の男、リカルドだった。
「お疲れさん、シルバーナイト。今日もナイス一番槍だったぜ。最後もばっちり決めてくれたな」
「……ああ」
「どうした? なんか浮かないな。まさか、おまえひとりに任せたこと怒ってんのか? どうせおまえがやり漏らしても俺が仕留めたんだし、結果は変わらねえよ」
「べつに。そうじゃない」
「じゃあ、なんだよ?」
男は不審そうに、俺の顔を見た。
「なぁ、リカルド」
「なんだ?」
「俺は、もう戦いをやめる」
「……は?」
俺は荒涼とした光景を眺めたまま、言った。
「終わりにする。この『銀影師団』からも抜けさせてもらう」
突然の俺の言葉に、リカルドは絶句していた。
無理もない。この反応は予測していたことだ。
それでも、言わなくてはならない。
「ま、待てよ」
「決めたんだ。答えは変わらない」
「……なぜだ」
胸ぐらを掴まれる。俺はされるがまま、身を任せた。
リカルドは怒りに震えていた。
「あのとき誓ったはずだ。俺たちは、ともに最後まで戦い抜くと」
いつかの遠い約束。培われた絆。今となってはもう、すべては忘却のなかへと消えてしまうほど儚いものに思える。
いま俺の中にあるのは、ただ虚しさだけだった。
「こんなこと、無意味だ」
「無意味、だと?」
信じられないという表情で、リカルドはさらに力を強めた。
「なぜだ。理由を言え。どうしてだ!?」
「それはな……」
俺はうつむいていた顔をゆっくりと上げ、大きく息を吸って、叫んだ。
「これが“ゲーム”だからだよ!」
アイゼン・イェーガー。
全世界で一千万人以上のプレイヤーを有する、VR型MMOロボットアクションゲーム。
『猟機』と呼ばれる人型陸戦兵器を操り、プレイヤーはチームの仲間たちと協力しながら荒廃した世界を攻略していく。
三年前のサービス開始以来の古参プレイヤー『Silver Knight』こと俺――遠野盾は、うんざりして叫んだ。
「もうやめるんだよ! だれか代わりを見つけてくれ。じゃあな」
困惑するリカルドを捨て置いて、メニューを呼び出す。眼前に二次元上の画面が表示される。「フィールドの移動」を選択。
自分の格納庫へと一瞬で転送される。
目を開くと、多種多様な猟機がずらりと並ぶ大型の倉庫だった。
すぐにチームメンバーのリカルドから、音声チャットが入る。
『お、おまえが抜けたらうちのチームはどうなる!? 二位の『砂漠の牙』の連中とのポイント差なんてあと少しなんだぞ! あと数日持ちこたえれば、今シーズンはうちの勝利なんだぞ、わかってるのか!?』
「知るかっ! この廃人がっ!」
『なんだと!? ……っていうか、いっつもログインしているあんたに言われたくないけどなぁ』
「ぐっ……」
その通りだ。
中学三年間。学校にはかろうじて行っていたが、それ以外、ほとんどをゲームに費やした。なかでももっとも多くプレイしたのが、このアイゼン・イェーガーだった。
なんとか中堅どころの公立の高校に入ることはできたが、学歴を重視する親からすれば、俺は落第生だ。二個下の妹は秀才で、学年トップレベル。弟の方は小さい頃から運動神経が抜群に良く、部活のサッカーで全国大会に出るほど、華々しく活躍している。
それに比べて俺は?
友達なし。彼女なし。家庭内の立場なし。
歴然の差。
失ったものは、あまりに大きい。いまになってようやく、そう思うようになっていた。
『待て、まだ話は――』
ログアウト。
VHMD――VRゲームを遊ぶための着装型端末を外した。
しんと静まり返った薄暗い部屋に、俺はいた。
パソコンを開き、アイゼン・イェーガーのプレイヤーサイトを開く。
アカウントの管理画面にログイン。
「アカウントの消去」を選択。キャラクターデータが存在するという警告。無視して実行。さらにメッセージが表示される。
本当に消去しますか?
キーに触れた指が震えた。
例え恥じるべき過去とはいえ、何百、いや何千時間もの結晶。
だが、これでいい。これでいいんだ。
俺はもうやめる。
キーを押し込んだ。
画面が「新規アカウントの作成」に変わるのを見届けた瞬間、予想していなかったほどの清々しさが俺を包み込んだ。
ノートパソコンを閉じ、時計の表示を見る。日付が変わっていた。
4/1 (月)
明日から、いや今日から俺は、高校生になる。
高校生になって、俺はリア充になるのだ――




