夜は明けたはずだった。
「ん……ガストン、さま……?」
ガストンが零した言葉に反応したのか、胸元でイレーネの声がした。
もぞり、と彼女が動く度に、なんとも言えないむずがゆいような感覚が襲ってくる。
だめだ、これはだめだ、と思いながらも、腕にしがみつかれたガストンは逃げることが出来ない。
すっかり固まってしまったガストンの目の前で、イレーネがくしくしと目をこする。
……差し込む朝日の中、色々と、見えてしまっている。イレーネの、あられもない姿が。
当のイレーネは、気付いていないのか全く頓着した様子もなく、ガストンへと微笑みかけてきた。
「おはよう、ございます……」
「お、おう、おはよう……」
ほにゃ、とでも擬音が付きそうな、柔らかくあどけない笑顔。
初めて見るイレーネのそんな顔に、ガストンの心臓がドクンと跳ねた。
ついでに別の部位も跳ねたが、そこは意識しないようにして。
さてこの状況をどうしたものか、と思案を巡らせるのだが……先に、イレーネの方が現状を把握したようだった。
「あら……まあ……その、ガストン様、申し訳ございません。わたくしったら、何てはしたない……」
「い、いや、気にしないでくれ……その、ほら、夫婦なんだし」
頬を染めながらイレーネが言えば、自然とガストンの口から出た言葉。
それを聞けば、一瞬イレーネは驚いたような顔になって。
すぐに、嬉しそうな顔をガストンの胸元へと埋め、ぎゅっと更にガストンの左腕を抱えこんでしまった。
ガストンは、困った。
ますます身動きが取れなくなった、だけではない。
この体勢を、崩したくないと思ってしまった。
そのことを、自覚もしてしまった。
まさか自分がそんなことを思うようになるとは、ほんの少し前は考えもしなかった。
そのせいで、今まさにどうしたらいいのかわからなくなって、硬直するしかなくなっているのだが。
「あ、あ~……その、い、イレーネ? 腹減ってないか? そろそろ朝飯の時間だと思うんだが……」
「……ガストン様が、それをおっしゃいます? きっと屋敷中の人が、今日は私達が寝坊すると思っているのではないかと」
「あうっ……」
くすくすとイレーネが悪戯な声で笑えば、ガストンの顔が真っ赤に染まる。
彼とて、昨夜かなり大声で悲鳴を上げた自覚はあった。
それがどれくらい響いたかなど確かめようもないが……比較的防音がしっかりしている二人の寝室であっても、遮れなかっただろうことは間違いない。
そのことを思えば、ガストンの顔が真っ赤になるのも仕方が無いことだろう。
ただ一つ、彼の声のおかげで、イレーネの艶めいた声は誰にも聞こえなかっただろうことだけは幸いだったが。
そんなささやかな独占欲が芽生えていることに、ガストンは気付いていないけれども。
「うあ~……起きたくない……部屋の外に出たくない……ファビアンとかと顔合わせたくない……」
「お気持ちはわかりますけれども。
……幸い、ガストン様のおかげもあって様々な業務の進捗は良好ですから、一日二日お休みしても問題ないとは思いますよ?」
「そ、そうか? なら……いや、まてよ……?」
ならば休んでしまおうか、と思ったところで、ガストンは思いとどまった。
それだけ順調な状況であれば、先程思う浮かんだあれを差し込むことも出来るのではないか。
悪くはないアイディアに思えたが、しかし口にすることがためらわれた。
これはもしや、秘密裏に進めて、完成後サプライズでイレーネに教えた方がいいのでないか。
柄にもなくそんな計算をしかけたガストンだったが……唐突に、かつてファビアンが言っていた言葉が脳裏に蘇る。
『サプライズなんてのはね、所詮やる側の自己満足で、やられる側は大体喜ばないっすよ。
特に女性は、色々こだわりが強いことが多いっすから、重要なこと、でかいことであればあるほどサプライズは避けた方がいいっす。
相手のことを何もかんもわかってるってんなら別ですが、そう思う奴に限ってわかってないし、そもそも大将にそんなセンスないっしょ?』
……思い返してみれば散々な言われようだが、かと言って反論も出来ない。
イレーネのことを何もかもわかっているかと言われれば、残念ながら首を横に振るしかないし、むしろわかっていないことの方が多いくらいだという自覚もある。
この状況で、更に予算もあれこれ使う事業に関してイレーネに気付かれず黙っていることなど、不可能にも程があるというものだろう。
そして、後からバレたら確実に怒られる。それも大目玉だ。
ファビアンが面白おかしく語っていたサプライズ失敗例ですら大事になっていたのだ、使う金額の桁が二つも三つも違う話であれば、どれだけ怒らせるかわかったものではない。
それに何より。
イレーネがどう思っているのか、聞いてみたいとも思った。
「な、なぁ、イレーネ?」
考え込んでいたガストンを問いただすでもなく待っていたイレーネへと、声をかける。
……待っていてくれたのだと理解して、心に温かいものを感じながら。
もちろん、待っていてくれたイレーネは当たり前のように言葉を返す。
「はい、なんでしょう?」
『待っていました』と言わんばかり、な勢いでなく。
それでいて、不意を打たれたかのようなタイミングでもなく。
絶妙な間合いと調子で返されて、それが何故か妙に嬉しかった。
「あの、な。相談があるんだけど。……教会をな、建てたいんだ。この街に」
だから、素直にガストンは口に出来たのだが。
何故かイレーネは、しばし黙った。
あれ? とガストンが怪訝な顔になったタイミングで、イレーネが顔を上げ。
「ガストン様。何故建てたいのか、お聞きしても?」
当然とも言える問いに、今度はガストンの方が言葉に詰まる。
言うと決めはしたが、それを口にするのは何とも恥ずかしい。
しかし、これを言わねば前には進まないし、何よりイレーネの気持ちを確かめられない。
であれば、己の恥ずかしさなど些末なことだと、ガストンは恥じらいを振り切った。
「あのな、結婚式をやり直したいって思ったんだ。この街の、皆の前で。
今なら、イレーネと一緒になることを、ちゃんと誓えると思う。そのために、建てたいんだ。
イレーネは、どう思う?」
ガストンは、先程までただの思いつきだったことを、言葉に変えた。
そうやって言葉にすれば、すとんと腑に落ちたような感覚。
確かに自分はその形を望んだのだ、と納得がいった。
だが。
イレーネから、返事がない。
「イ、イレーネ……?」
もしかして怒らせてしまったか? と心配になりながらガストンが声をかければ。
もぞり、とイレーネが動いた。
そのまま、ガストンの腹の上へと移動する。……昨夜、何度も見たポジションへと。
「ちょっ、イレーネ!?」
「どうしてくださるんですか、ガストン様。キュンとしてしまったではありませんか」
「ま、まってくれ!? キュンとしたのと、馬乗りになることと、どう関係があるんだ!?」
ある意味当然、ある意味無粋な問いへと、イレーネが返すのは……昨夜ガストンが何度も見た微笑み。
それだけで、ガストンの身体は昨夜の記憶を呼び起こしてしまう。
そして、同時に悟ってしまう。
まだ、イレーネの身体から魔獣肉の効果は抜けていない、と。
「キュンとしたら、身体が疼くようになってしまったようです。ガストン様のせいで」
「俺のせいって言われるのはちょっと違う気がするんだけどなぁ!?」
顔を真っ赤にしながらガストンが言い返すけれども。
その程度では、今のイレーネを揺るがすことなど出来はしない。
「あら……他の誰かのせいになってもよろしいのですか?」
「それはっ、嫌だけども! だめだけども!」
芽生え始めた独占欲が、ガストンにそう言わせた。
それはまた、イレーネの中の熱を煽ってしまうのだが……今のガストンに気付く余裕はない。
「では、問題ございませんね」
「むしろ問題しかないと思うんだよなぁ!?」
と、ぐいぐいくるイレーネになんとか口では抵抗を試みた。
けれど、もちろんそれは無駄に終わって。
その日、気を利かせたファビアンとマリーが仕事の調整をしたおかげで、二人が昼過ぎに食堂に姿を見せても業務に一切の支障は生じなかった。




