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お兄さま、綾名は一億円で嫁ぎます  作者: 日々一陽
はじめてのデート
10/71

◆ 3話 ◆

◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ふたりはモールを出ると繁華街をアテもなく歩いた。


「知らないのは綾名の方だったのですね」


 翔太はシュンとしぼんだ綾名に歩調を合わせる。


「ごめん、あまり言いふらす話でもないかと思ったんだ」

「わたしってばお兄さまの妹だとか言ってるくせに、何も知らなかったんですね。最低です、わたし」


 あのあと翔太は母のことを包み隠さず話した。そもそも隠すべきことは何もなかった。仕事で無理がたたったのだろう、夜遅く家に帰る途中で倒れたのだ。脳内の出血。人間って案外あっけない……


 目の前の喫茶店から若い男女が手を取り合って笑いながら出てくる。

 僕たちとは大違いだ……


「そうだ、そこのアニメ専門店に行こうよ! 久しぶりに来たし面白いものがあるかも!」


 翔太は急に声を大きくすると、綾名の手を取り店の方へとかじを取った。彼女の辛そうな顔とは一刻も早くおさらばしなきゃ、そう思った。

 綾名も意図を理解したのだろう、笑顔で「うんっ」と頷いてくれて。


 アニメ専門店はお洒落な喫茶店が入る小さなビルの2階にあった。

 エレベーターが開くと狭い通路に特価商品のワゴンがあって、美少年キャラクタの小さな人形や原色眩い美少女タペストリーが積んである。店の入り口はその横だった。2階のテナントはこの店だけなので外の通路にも所狭しとアニメのガチャポンが並んでいる。


 店内でキャラクターグッズを見て回る。女性向け商品が圧倒的に多いのは女性の方がお金をたくさん落とすから、と聞いたことがある。そうであれば翔太の大好きなゲームヒロインのルナ様グッズが1個もないのは翔太が貧乏な所為だとも言えなくもない。


「綾名の好きなキャラクターは?」

「あ、そういうの無いです。深夜アニメはあんまり見ないので」


 じゃあ、と今度はコミックスのコーナーへと向かう。

 狭い通路の両側にぎっしりと詰め込まれたマンガの本たち。近所の本屋さんではあまりお目にかかれないマイナーな本も多数勢揃い。アニオタじゃない綾名もマンガには目がないと見えて、その大きな瞳にはキラキラ星が浮かび放題。


「何か欲しい本とかある?」

「そりゃあもう色々と。えっと、あっこれこれ」


 彼女が手に取ったのは赤い背表紙の少女コミック。『恋は二十歳を過ぎてから』って、ちょっと大人のラブコメらしい。中学の友達が絶賛していると言うその第一巻が出たばかりなんだとか。


「でも、今日は買いません。って言うかその必要がありません。学校で友達に借りればいいんですから」

「友達に借りるって? その子は銀嶺院の子だよね。綾名は高校、うちに来るんだろ?」

「あっ!!」


 今気がついた、とばかりに口に手を当てガーンとなる綾名。

 力なくその本を元に戻すと、他の棚も見て回る。


「お兄さまは欲しい本とかありませんか?」

「ああ、いつも友達に借りるかレンタルか、近所の古本屋かだし」


 言いながら自分みたいな人間が本の業界を窮地に追い込んでいるんだろうなと思う翔太。でも仕方がないよね、貧乏人には金がないんだから。

 ふたりは平積みのコミックスやラノベ、淑女向けのちょっと危ないコミックスなんかを見て回った。この主人公はあのマンガそっくりだよね、とか、こんな髪型あり得ないだろ、とか、眼よりメガネが小さいってどういうこと? とか、そんな取るに取らない話なんかでずいぶん盛り上がった。綾名もずっと万華鏡のようにご機嫌だった。


 楽しむだけ楽しんで。

 結局何も買わず、そろそろ店を出ようかと、ふたりで出口に向かう途中。


(そう言えば……)


「ちょっと待ってて」


 翔太は突然、店の中へと踵を返す。


「どこ行くんですか?」


 待てと言われれば追いかけるのが人の佐賀、じゃなくって性、綾名は慌てて彼を追う。

 翔太はコミックス売り場で棚から一冊を抜き出すと、そのままレジに並んだ。その本は綾名が欲しいと言った、あの赤い背表紙の少女コミック。


「ちょっと、何してるんですか? それはわたしが……」

「あのさ思い出したんだけど、この店のポイントがずいぶん貯まってるんだよ。この本一冊だったらポイントだけで買えちゃうからさ。ね」

「でも、それはお兄さまのポイントで……」

「じゃあさ、読み終わったら貸してよ」

「でも、だったらわたしが……」

「妹はお兄ちゃんの言うことを聞くこと!」


 その一言に綾名は喉まで出ていた言葉を飲み込んで。


「……大切にしますね」


 翔太の後について店を出る綾名の胸には青いビニール袋が抱きしめられていた。




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