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「ただいま」
家に帰ると、コトコトと何かを煮込む音が聞こえてきた。
「おかえりなさ〜い」
台所からお母さんの声が聞こえた。
ここ最近は両親の過保護もだいぶ落ち着き、怪我の事を聞かれることも減ってきた。いつまでも心配をかけるのは嫌だったので良かったと思う。
「お母さん、まだご飯食べてなかったの?」
もうお昼を過ぎているのに今から食べるのだろうか。家を出る時にご飯を食べる支度をしていたはずだけど。
「お昼はもう食べたわよぅ。今してるのは夜ご飯の準備」
ふんふんふーん、と鼻歌を歌いながらお母さんは鍋をかき混ぜる。
「夕飯はシチューにしようと思って。じっくりコトコト煮込んだ方が美味しくなるでしょう?」
「わ、やった。シチュー、久しぶりじゃない?」
お母さんの作るシチューは野菜の甘さが存分に発揮されていてとても美味しいので私の大好物なのだ。
「確かにそうねえ。腕によりをかけて作るから楽しみにしててね」
「うん、楽しみにしてる」
夜ご飯のことを考えると、モヤモヤと濁っていた心が少しだけ晴れた。
◇◆◇
さてと。
色々と考えてしまうことはある。だけど今、一番大切なのは一刻も早く事件を解決することだ。そのためにまずは情報の整理をしなければ。
部屋に戻った私は引き出しからノートを出して机の上に広げる。
現在起きている一連の事件の犯人を仮にXと名付けよう。
ノートに『X』と書く。
今のところ、目的は不明。人物像も不明だ。
家畜を盗み、血を抜き、切り取った髪を盗み、そして人間を拐う。
犯行に一貫性は全くない。
しかし、もしも犯行に使用されていたとされるあの木偶に例の鉱石が取り入れていたとするならば、家畜の血が抜かれた事件に関しては説明がつく。あの魔道具を動かすために大量の血液が必要だったのだろう。
あの木偶を作った人物と事件を起こした犯人が別人である場合もあるかもしれないが、今はとりあえずXは単独犯である前提で話を進める。
そして気になるのが、木偶の製作方法だ。
ロイさんの柔らかな微笑みが脳裏をよぎる。
……どうしてロイさんはあの鉱石の使い方を知っていたのだろうか。犯人は関わりのある人物なのだろうか。
ロイさんとは別に、全く違うところでXが独自に鉱石の使用方法を発見した可能性も有り得なくは無い。
だが、やはり同じルートであの鉱石の使い方を知ったと考えた方が自然だろう。魔術師長であるルカですら知らなかったということは、現状どこにも研究されていない手法だということなのだから。そう簡単に何人も利用方法を見つけられるとは思えない。
「……あーもー」
私は頭を抱えて机の上に突っ伏す。
……もしかしたらこの先、ロイさんの過去を詮索することになるかもしれない。考えて考えて動いた結果、知りたくない事実を知ってしまうかもしれない。その時、私は知らなければ良かったと思うのだろうか。
頭を振って邪念を振り払う。
例えこの先、思わぬ事実が判明したとしても、それは私が自分の意思で行動したことの結果だ。ならば私はその結果がどんなものであれ、向き合わなければいけない。
自分の行動や選択に責任を持つのは魔道具技師ではなくなった今も変わらないのだから。
「よし」
一人呟いて、気合を入れる。
次は十六年前に起きた私の事件についてだ。
次のページに『十六年前の事件』と書く。
これに関してはX以上に分からないことが多い。実行犯である山賊達は既に捕まっているらしいが、確信に迫る情報は何も知らないという。
……そして私の殺害を依頼した人物。
この人物は仮にYとしよう。問題はこのYだ。
Xと違ってYは大勢を相手にした無差別的な犯行ではない。確実に私という個人を殺害するために行動している。
ただ、私は誰かに殺意を抱かれるほど恨まれるようなことをした覚えが全くない。自覚していないだけだと言われてしまえばそこまでだ。が、私は村から追い出された身で身寄りも友達もいなかったため、関わる人と言えば子供たちか取引先の人くらいだったし、取引先の人との関係も良好だった。そのため、私と犯人を結ぶ繋がりが本当に分からないのだ。
アベル曰く、恐らく男性だろうとの事だったが手がかりはそれくらいしかない。
そして、最も問題なのは……。
私はノートに大きく『 X = Y 』と書いた。
この二つの事件の犯人が同一人物である可能性が極めて高いということ、それが一番の問題だ。
もし本当にXとYが同一人物なのだとしたら、犯人像がさらに分からなくなってくる。目的は何なのか、十六年前の事件と今回の事件でなにか一貫した動機でもあるのだろうか。それともそれぞれ別の理由があるのか。
唯一の手がかりと言えば、魔道具屋『ラポール』くらいだが……。
「魔道具屋ラポールね……」
ペンをくるくると回しながら記憶を探るが、やはりピンとくるものは無い。三十年前に倒産しているそうだから、それも当然のことかもしれないが。
と、そこまで考えて、私は動きを止める。
……いや、待てよ?
三十年前に倒産しているということは、魔道具屋『ラポール』はそれより前から存在していたということになる。
そして、ルカは確か『ラポール』には相当な数の魔道具技師が在籍していたらしいと言っていた。
もし、もしも、魔道具屋『ラポール』にかつてロイさんが在籍していたとしたら?
それは私と犯人を結ぶ繋がりになるのでは無いだろうか。
ロイさんは昔大きな魔道具屋で働いていたと話していたし、有り得ない話では無い。
それに『ラポール』で鉱石を使った魔道具製作の方法が開発されていたと考えれば、ロイさんと犯人が鉱石のことを知っていたことの辻褄も合う。
ロイさんが魔道具屋『ラポール』に在籍していたかもしれないことと、私の殺害計画がどう結びつくのかは今のところ皆目見当もつかないが、調べる価値はあるはずだ。もしかしたら何か解決の糸口になるかもしれない。
そう考えたらいてもたってもいられなくなり、私はノートを持って大急ぎでリビングへ向かう。
「おかあさん!」
台所に立つ母の背中に大声で呼びかける。
「あらあら。どうしたの、そんなに大きな声出して。シチューはまだ出来てないわよ?最低でもあと二時間は煮込みたいもの」
「うん、そうじゃなくて、ちょっと今から王宮行ってくる!」
窓の外はまだ明るいし、この時間なら外に出ても大丈夫だ。
母は私の言葉に「あら」と頬に手を当てて驚く。
「なにか忘れ物でもしたの?」
「そんなとこ!すぐ戻るから!いってきます!」
伝えたいことは伝えたのでそのまま玄関へ向かう。
後ろから「知らない人には着いていっちゃだめよ〜」という母ののんびりした声が聞こえた。
◇◆◇
街行く人にギョッとした目で見られるのも気にせずに全力疾走した甲斐あってか、王宮にはいつもの半分の時間で着いた。
ゼェハァと荒い呼吸を繰り返す私に目を丸くする門番の二人に二度目の挨拶をして、ルカの職場を目指す。
流石に王宮内で走り回るわけにはいかないので、早歩きで向かう。
すると、魔術開発研究本部の前でラクリオに出会った。
「あれ?ジゼルちゃん、どうしてここに?さっき帰ったんじゃ……」
「ラクリオ、こんにちは!ルカ居る!?」
私を見て駆け寄ってきてくれたラクリオに前振りもなく聞きたいことをぶつける。
「え、お、おお、居るけど、呼ぶ?」
「お願い!」
私が頷くとラクリオはルカを呼びにいってくれる。
「ジゼル、どうしたんですか?なにか忘れ物ですか?」
一分もしないうちにルカがやってきて、不思議そうに私を見る。
「忙しいところごめん、事件のことで少し調べて欲しいことがあるの」
「調べて欲しいこと?」
ルカの言葉に私は大きく頷いた。




