コトナルセカイ、オロチヲクラフハヨルムンガンド 下
仰反りから先に体勢を整えたのは、翡翠であった。中井は思わずタタラを踏んでしまったあたり、打撃に対して慣れが無いのか、頭突き合戦に付き合ったのが裏目に出たようだ。
「がぁああ!」
無闇矢鱈に、力任せの縦振りが中井を襲う。それを横に転がり回避した刹那。
「ッシ!」
「ぐぉあ!」
神山が飛翔し、右の膝で翡翠の顎を射抜いた。着地して振り向き、構える神山に、中井は睨みつける。
「手を出すなとか無しだぜ中井、光物持ってんだからよ」
二対一は許さないと言いたげな中井に、神山が釘を刺す。武器持ち相手に1人は無謀だと伝えて、中井も手を開き前に伸ばし、脇を締めて構える。
そして、跳び膝をクリーンヒットさせた筈の翡翠は、首を左右に捻り音を鳴らし、中井と神山を交互に見て舌打ちをした。
「劣性の糞どもがぁ、ちっとばかし習った格闘技でオレに勝てると思ってんのかよ!」
「「当たり前だぁ!!」」
同時に言い放ち、2人が突貫する。対する翡翠は相変わらず、型も正しさも有りはしない、力任せの横薙ぎに、神山は跳躍し、中井はスライディングでそれを回避した。
「っああしゃいいっ!」
跳躍からの落下の加速を加えた、神山の左肘が翡翠の右こめかみを撃ち抜く。事故であるかのように首が振れて、こめかみの皮膚がめくれ上がると、その追撃にスライディングから立ち上がった中井が、右の拳を固めた。
「だぁああああ!!」
フルスイングのアッパーカット。翡翠の顎が跳ね上がり顔が真上を剥き、足が地面から少し浮き上がった。
「中井合わせろ!」
肘打ちから翡翠の横を通り過ぎ、後ろに回った神山が声を上げる。何をする気かと既に右足が地面を蹴るのを見た中井は、深く屈伸して両足を揃えて飛び上がる。
バネのように跳ねた中井の両足底が、たたらを踏む翡翠の顔面に、そして神山の右脛が後頭部に吸い込まれ、同時に命中した。
ドロップキックとハイキックのサンドイッチ、常人なら集中治療室直行の一撃。それを食らった翡翠は、しばらくタタラを踏んだが、なんとそのまま倒れず床を踏みしめた。
そして2人して目にする。神山が削いで捲れた皮膚が、ゆっくりとくっつき。変形した顔面がみるみる内に治癒し、元に戻って行くのを。
「……こいつも自然治癒持ちか?」
中井が立ち上がりながら、また自然治癒スキル持ちかと呟くと、翡翠は顔の血を拭いながら言い放つ。
「そんなスキルじゃあねぇんだよ、こいつは俺の職業の力、狂戦士の力だ、傷を負おうが意思ある限り戦い続ける、痛みも疲労も、俺には関係ねぇ」
狂戦士、確か上位職業だったか。基礎の職業から更に派生した職業、皆で羊皮紙に記し纏めた中にそれがあったなと、神山と中井は思い出す。
「さらにだ、俺は職業をもう一つ持ってんだよ、二重職って知らねぇだろ?」
そうして翡翠が、手のひらを宙に翳した。そこに現れたのは……注射器であった。
「創薬師、ユニーククラス……知識に蓄えた薬品を材料無しに創りだせる」
その注射器を、まるで刺し慣れているとばかりに首にゆっくりと刺し、中の薬品を押し入れて行く翡翠。カランと音を立てて注射器は落ちて、光の粒となり消えていった。
「そして創薬師のスキル、過剰作用……こいつは薬品の効果をーー」
「長すぎるわぁああ!」
説明が長いと中井が飛びかかり、足を頭部に絡め背中を伸ばした。飛びつき腕拉ぎ三角固めの形になり、そのまま引き込もうとしたのだろう、勢いよく体重がかかり、腕も伸び切った。
しかし、翡翠は地面に引き込まれなかった。伸び切った左腕が震えながら、ゆっくりと曲がっていき中井を引き上げて行く。
「弱い力だなぁ、中井?こんな力で俺の仲間や先輩達の頸椎砕いたのかよ?」
「ヤク中……がぁあ!?」
伸び切った腕を、そのまま戻すなんて芸当。常人には不可能である、既に極まっている関節は、外されるだけ。しかしそれを翡翠はやってのけたのだ、中井が歯を噛み締め脂汗をかくほど必死に、力を込めているのが神山にも分かる!
「中井離せ!固執するな!!」
「るぁあああ!」
神山が離せと言った側から、翡翠は力任せに腕を振り抜いた。そして中井の体は、そのまま真横に吹き飛び壁に激突した。
「ご、かはっ」
「死ねやぁああ!」
「させるか!」
壁に投げられて打ち付けられた中井に、翡翠が脱兎の如く走るそのまま剣で叩き斬ろうとしたが、神山はそれに追従して右腕を右足で蹴り上げ、剣の軌道をずらした。
「っしゃああ!」
そのまま右足を前に踏み下ろし、打ち下ろす形に神山は左拳を横顎に叩きつけた。拳も突き抜け、首も揺れた。失神待った無しの打ち下ろす左、手応えもあったその左拳を受け、翡翠は足をふらつかせるどころか、神山を睨み返してーー。
そのまま喉輪を掴み、神山を思い切り床に叩きつけた。
「がっはーー」
受け身も取れず、背中を叩きつけられ横隔膜がせりあがり呼吸が止まる。そのまま翡翠が右手に握り締めた剣を振り下ろそうと、神山はその光景を見た。
まずい!足を動かし何とか手を離させようとするが、喉輪を掴む手も力強く指が食い込んでいた。
「お前の相手は僕だ翡翠!」
その声と共に、翡翠の振り下ろしは止まった。翡翠の背後を取った中井の腕が、翡翠の首を締め上げていた。しかも、右足膝裏で翡翠の剣を持つ右手を挟み込み自由を効かなくしていた。
「狂戦士だが何だか知らないがなぁ、血流止まったら落ちるだろう!」
「はぁなせや中井ぃいい!」
腕に力を込め締め上げる中井に翡翠が神山から手を離し、自ら飛び上がるや、床に背中から中井を叩きつけた。
しかしそれでも中井は離さない、さながらそれは獲物を締め上げて力尽きるのを狙う蛇の如く、中井は翡翠の首を締め上げ続け、翡翠は暴れ馬の如く暴れ続けた。
そして神山は体をうつ伏せにして腕で支えて立ち上がる中、ゆっくりと呼吸をして暴れる様を見る。
思う様に戦えない、あの剣が邪魔で仕方ないと神山は息を荒げながら考えた。そもそも、素手であの長物相手は無理だなと、今更になって神山は思ったのだ。
しかし、この場に武器らしい物は見当たらない、一面が現代的な、それこそポセイドンの様なフロアな為か、そんな物は見当たらなかった。が、神山の耳がある音を捉え、そちらに目を向けさせる。
壁に、どこからか落ちてきたらしい、鎖が積み上がっていた。天井を見上げれば、晒された骨組に、鎖がいくつもぶら下がっていた。
そういう内装なのか、はたまた誰か吊り下げていたのかは知らない。しかし神山は翡翠の暴れる様を見て、鎖の元へ走った。
一方、二階で条忍との雪辱戦にて一対一となった町田はーー。3人と別れて以来動きが無かった。
「ヒィイヤッ!」
条忍の放つ左サイドハイキックを、左手で打ち払い、間合いを取る町田。条忍もまた、打ち払われては下がりと、互いに間合いを保つ戦いとなってしまった。
互いに踏み込めば一瞬を制する力を持つが為に、今ひとつ踏み込む事ができない。先程のコンビネーションから警戒された町田も、長丁場だなと、前にした左手をぶらぶらさせ、左に左にと回っていけば、条忍もそれに釣られて回り出す。
間合いの取り方が上手いな。町田は拮抗するこの場で、改めて条忍が素人ではないと理解する。
ジークンドー、かの有名な映画俳優かつ武術家、ブルース・リーが創始した総合格闘技であり哲学でもある。
『最短、最速で相手を制する』という理念と共に、目潰しから金的、関節への打撃にも精通した、何でもありの路上格闘を想定している。
それがジークンドー、その手数といい速さは、町田も今、そして雨中の接敵にて体験していた。
それを、町田は今封じていたのだ。最初の一撃を、間合いと、そして前手にした左手による受けにより、それを阻んでいた。
互いに理解している。次の踏み込み、制すれば勝てると。
にじり寄る町田に対し、ステップを刻み続ける条忍。間合いが……狭まった。
「ホァアッ!」
最初に動いたのは条忍、前での左手を開いた指で、町田の目を突きに行くーーと見せかけて接近して股座に左前足で素早く蹴りを放った。フィンガージャブのフェイントからの金的蹴り、目を突く恐怖心をフェイントに使った技。
しかし、条忍の足は町田には届かなかった。
目潰しのフェイントに掛からず、左手で条忍の足を内に払い受け、右の拳が迫る。
これを条忍、なんとか避けながら、互いに胴体がぶつかり合う、超至近距離にまで接近。
「せいぃい!」
となれば、町田の間合いとなった。額をぶつけ合うほどの、直接打撃系の間合い。気合と共に町田の拳が、条忍の肉体を連べ打ちにする。脇腹、胸板、鳩尾ーーこうなってしまってはもう止められない。
「ぐ、あは……」
そして、条忍の身体が町田から離れた瞬間。町田の右回し蹴りが条忍の左側頭を捉え薙ぎ倒し、倒れ伏す条忍に対して町田は拳を引き残心したのだった。
意識は刈り取った、もう立てまいと、町田は白目を剥く条忍を見下ろす。
ふう、と息を吐いて町田が構を解いた瞬間ーー。
ギシリと、鎖が軋みを上げた。
町田はその感覚に背中に冷たさを感じた。
そして、聞こえてくる。
『こいつではダメだ』
『さらなる強者を』
『まだ足りない』
『食わせろ、もっと、もっと』
町田は左右に首を振るい声から自らを遠ざける。そして、また来たかと、ため息を吐いた。
「こっちに来て、また出てきそうになって来たな……」
町田は自らの手と、倒れ伏す条忍とを見て、目を細める。いつからかと言われたら、空手を始めてから、傍に居たのだろう。それが現れたのはいつ頃か……。多分、僕が二度目の殺しを行った、あの一件からだろうかと町田は思い出す。
大丈夫、まだ大丈夫と、町田は頭を掻きむしり、神山達が上がった階段を登った。
「っなせごらぁああ!」
「ぐぅおぁああ!?」
遂に中井の腕が翡翠の首から引き剥がされ、床に転がった。所々を打ち付けられ、それでもしがみついた時間は数十秒から1分強か、それでも中井な体力の消耗は激しかった。
息も絶え絶えに、身体を床から立たせようと腕に力を込めた中井だったが、節々の痛みと重さ、そして息が思う様に出来ず、唇も青く染まり始めた。
チアノーゼ、所謂酸欠状態である。あまりにも固執しすぎてしまった、翡翠を倒す事に躍起になりすぎて、力が入りすぎていた。それが引き起こした限界……。
「うぅく……はぁ、ぁああ……」
「いい眺めだぜ、あぁ、中井よぉ」
それを立ち上がり、見下ろしながら近づく。そして両手で剣の柄を握りしめ、振りかぶった。
「あの世で詫び入れて来いやぁ、中井ぃいあああ!」
断罪の如く、その首向けて剣が振り下ろされる瞬間ーーその刃は金属音を立てて止まった。
「あぁ?」
翡翠が見たのは、鎖だった。それが幾重にも巻き付いた何かが、中井に向かっていた剣を阻んだのである。そして、それが足だと分かった。
足が伸びた先を見れば、神山が翡翠を睨みながら足を伸ばしていたのである。
「シッ!」
剣を一息に跳ね上げ、神山が中井の前に立つ。その両腕、両足には鎖が巻き付けられ左手にも鎖が握られていた。
「いいもんみーつけたっと」
鎖を巻きつけた神山が、ジャラジャラと鎖を鳴らし中井の前に鎖を落とし翡翠向けて笑みを見せながらそう言う。
「立てよ中井、くたばってんな」
「うるさい」
落ちた鎖を見て、神山にそう言われた中井は、チアノーゼで重い身体を無理矢理に立ち上がらせ、落ちた鎖を巻き始める。左は前腕を守る様に、右は拳に纏わせ少し余裕を持たせて巻きつけ、中井と神山は並んだ。
それを見た翡翠が、ギリリと歯軋りをして剣を構えた。
決着は近い。




