神山真奈都という名の狂人。
「う、お、あぁああだだた!!」
背中に伝わる衝撃と痛みに神山は叫びながらも、喧しい音と共に屋台の一つを背中に叩きつけられた。周囲では喧嘩により避難し始めた人々、神山はそのまま屋台の向こう側にあった建造物の壁に叩きつけられた。
「っらぁあああ!」
青台の咆哮と共に、右の拳が振り上げられる。しかし、その予備動作だけで神山の肉体は反射運動とばかりに、青台のジャケットの左側を、右手で掴み引き込みながら、左手で右肩を押しつつ身体を捻り、壁側に青台との場所を素早く入れ替えた。首相撲の応用、柔道の袖の攻防に似た技で、青台を壁へ押し付ける!
「っしゃあ!しぃやっ!」
そのまま腹部へ壁に押し付ける様な膝蹴りを、青台へ神山は放つ。くの字に体が折れ曲がろうと構わず、右の肘を折り畳み、青台の顔面に即座に右肘を繋げて放った。
二発、三発、後頭部を壁に、顔面を肘によりプレスする容赦ない攻撃、既に青台の鼻骨周辺や、口内から粘質な血液が糸を引いて神山の素肌の肘に付着して糸を伸ばしていた。
「がぁあ!!」
その反撃とばかりに、青台の足底が神山の腹を蹴り抜いた。見えてなどいない、そこに居るだろうとただ争うだけの蹴りが神山の腹部に当たった。
「がぐ!」
神山の、ジャケットの袖を掴む手が離れた。そしてそのまま地面に、二転三転と転がってしまった。神山は蹴られた腹を押さえながら、離れた青台を見上げた。
今、蹴られた神山はその威力に驚いていた。背中まで突き抜けた様な、衝撃が通り抜けたその威力。蹴り方は素人の喧嘩キックだったのに、その威力は見過ごす事が出来なかった。
「ってぇ〜なぁ〜、やっぱ習ってる奴は違うな、鬱陶しいわ」
壁に寄りかかっていた青台は、潰れた鼻に折れた前歯が覗く口を見せつける様に笑う。そして、ふと壊された屋台が、何やら飲み物を売っていたらしい、散乱する小瓶の一つを取り出して、コルク栓を抜いて、その飲み物を飲み始めた。
「ぷぁあ……ふぅ、知ってるか神山ぁ?優性召喚者はなぁ、この世界のあらゆる食事で傷を癒せるんだぜ?」
「何?」
「優性ってのはクラスやスキルを与えられただけじゃあねぇんだよ、この世界に如何に順応しているか、適応しているかってのがあんだ」
瓶を口から離し、袖で口元や鼻を拭う青台、そして次の瞬間には、青台の凹んだ鼻骨周辺は、まるでダメージなど無かったと言わんばかりに元通りになっていた。それだけではない、へし折った前歯もしっかり生え揃っているのだ。
「どうよ、テメェらが数週間数ヶ月呻く怪我もこの通りだ、自然治癒のスキルじゃねぇぞ?この世界の、あらゆる全てが優性召喚者の味方なんだよ」
自然治癒のスキルとも違う、世界自体が優性召喚者の理の中にあると、暴走族らしからぬ概念めいた話を展開する青台。所謂、食事自体が回復アイテム代わりになるのかと、神山は独自に頭の中でそう纏めた。
「はっ、びびって何も言えねぇか?」
青台が、煽るように嘲りを込めて言う。しかし……神山の目はなんともつまらないとばかりに細めで青台を見つめていたのだ。その目線が、見下したかの様に見えるのが『不良』やら『チンピラ』なのだろう。青台は、握っていた瓶を振りかぶる。
「なんとか言えやおらぁ!!」
そのまま神山向けて瓶を思い切り投げつけた。先程、自らの肉体やらを強化していた青台の投擲、当たれば無事では済まないだろう瓶を、神山はあっさりと片手でキャッチした。
「なっ……」
そのまま神山は、瓶を傾けて飲み下す。どうやら葡萄ジュースだった様だ。中身を全て飲み干して、口元を拭いながら神山は青台向けて言い放つ。
「で?だから?何?絶望したかって?しねぇよボケ、その程度で強いとでも思ってんのか、カスチンピラ、テメェなんざうちのジムのダイエットコースの女性会員さんでも勝てるわ」
瓶を投げ捨て、フンと鼻息を一つしてから神山はゆっくり歩き出した。神山の強がりかは知らないが、言い切ったそのセリフを聞いて青台も近づき出す。
「そうかい、ならやってみろやぁ!」
距離が狭まった瞬間、青台の拳が放たれた。左、右、左とリズム良く早く、振り回しているのとは違う、腰の入った喧嘩慣れした拳の乱打。
しかし、神山はそれを……避けている。身体を傾け、ステップで離れ。スウェー、ウィービング、ダッキングと、ボクサーの如く青台の打撃の悉くを回避して見せた。
「く、くそっ!」
「あらよっ」
「ぬぁあぁあ!」
乱打の切れ目に神山は、青台のスキンヘッド右側頭部を左手で軽く押しながら、青台の右へ回り込んだ。バランスを崩して前のめりになり、もたつく青台に、神山は言った。
「確かに早いのかもなあ、けど遅い遅い、無駄があるし、当てる気満々なだけに見え見えなんだよ、フェイントも無しに当てれると思うな」
つまらんとばかりに神山は右の靴の爪先を地面にコツコツと突きながら、青台に宣った。
「ふざっ、けんなぁあ!」
振り返りながら青台が再び突貫する。
神山は意識こそしていなかったが……先程、青台は自らに強化の魔法を掛けていた。これにより、確かに一撃の威力や動体視力、攻撃スピードは、この世界の理の中では上昇している。
現に蹴りの一撃は神山自身も、危険を感じていたのは事実だ。
だが、しかし、それでも神山は落ち着いていた。
「らぁああ!」
青台が声を上げて右足で地面を蹴り、右の蹴りを放とうと地面から足底が離れ、膝を軽く曲げた瞬間、神山は短い息と共に、左足底で青台の右太腿を素早く蹴り抜いた。
「おぁあ!?」
蹴る筈の右足を蹴り抜かれ、前のめりに地面へ倒れた青台。避けるでなく、防御するでなく、攻撃に攻撃を重ねて潰してみせたのだ。その青台を見下ろし神山は宣った。
「さっき言ってたっけ?青台、有象無象がなんとやらーとか?なら言葉を返す、テメェらが嬉々として倒して来た格闘経験者や武道齧りと、俺を……いいや、俺たちを同列に語るな、テメェら如き優性召喚者に負けてやる程、TEAM PRIDEは弱くねぇんだよ」
言い返す、青台が優性召喚者を舐めるなと宣った様に。神山真奈都は応じて言い返した、格闘家を舐めるな、今まで対峙して来た、倒して来た輩と俺達を同列に語るなと。
それを聞いてしまった青台が、普通の召喚者であったならばまだ挑発には乗らなかっただろう。しかして青台の根底は不良である。他人に嘲られるのを、ナメられる事を嫌う種族である男、頭に血が登るのも早かった。
「舐めんじゃぁ……ねぇえええ!!」
素早く立ち上がり、三度目の突貫に移る青台。
「攻撃速度強化、攻撃力強化重ね掛け!!これで避けれるなら避けてみろや神山ぁああ!!」
再び行使された強化魔法、神山の瞳にも、炎熱の如き何かが、まるでアニメや漫画の如き陽炎じみた熱の漂いが見えた。鳴る、風を切る音が聞こえるほどの拳撃が神山目掛け振るわれた。
神山は思い出していた。
アマチュア時代、様々な才能を垣間見て来た。
日本人が持ちえぬ天性の肉体と才覚で戦う『黒船』と呼ばれた男。
考えられた試合運びと緻密な策の果てに最後の鋭い一撃で仕留める『狙撃手』と呼ばれた男。
階級上すら薙ぎ払う、生まれついての怪力で当たれば敗北必至の一撃を持つ『剛腕』と呼ばれた男。
そして……格闘技の神様から、向こう十年の格闘技界を託されたとばかりに、格闘技の才覚を持って生まれた『神童』と呼ばれた男。
全員とアマチュア時代に当たった、尽く敗れた。『才能』というのを知った。映画のスクリーンに憧れて門を叩いた少年を、嘲笑うかの様に、諦めろと言わんばかりの才覚。
周りの誰もが、大人達もが、彼らに期待していた。
自分は期待なんてされてない、そんな思いを受け取った事もない。有象無象の一人だった。それなりに頑張り、それなりに強くなり、中堅程度で終わるか諦めて辞めるだろうと見向きもされない一人でしかなかった。
だからこそ、諦めなかった。
ムエタイに魅入ったその時から、神山はただ願い続けた。これだけは負けたくない、一番でありたいと。
そして神山は旅立った、ムエタイ発祥の地、タイ王国。
その地で、彼は更なる才覚と出会った。
そこは、人外領域、化け物の巣窟だった。
環境も違う、勝ち負けで生活が掛かっている、ぬるま湯な日本とは違う世界。まだ日本なら遊んでいる10にも満たぬ子供が、失神が当たり前な凄まじい殴りあいをする世界。
そこで育った化け物達に、神山は必死に食らいついた。
『切り裂き魔』と呼ばれた肘打ちの巧者。
『天翔ける膝』と呼ばれた膝蹴りの強者。
『マトリックス』と呼ばれた回避の達人。
『現人神』と呼ばれた伝説の選手。
笑われても、あしらわれても、必死に必死に練習にくらいついて、それでも未だにその人達には届かなかった。当たり前だ、未だ伝説と語られる男達、十代のガキが並び立てるはずもない。それどころか、同じ年頃の者達に良い様にされる毎日。
それでも、神山は食らい付いていった。ひたすらに、ひたすらに、打ちのめされて笑われて、馬鹿にされてもひたすらに、練習に明け暮れた。
そうだ、あの日から彼は狂ったのだ。
一つの格闘技に魅了され、強大なる壁を前にしても諦めきれぬと立ち上がり、非常なる現実を突きつけられても、否定しようと虚勢を張り。いつしか……『神童』以外を打ち倒して。
神山真奈都は、こう呼ばれたのだ。
『狂人』と。
攻撃速度強化魔法の重ね掛け、確かに常人から見ればその手数と風切り音は、脅威!されど神山は知っている!もっと早く撃ち込める格闘家を!速度ではない、凄まじいキレの一撃を放つ格闘家を知っている!
青台の目の前で、信じられない光景が広がっていた。己の魔法を纏わせた、凄まじい速度の連続の拳撃が、ただの一つも擦りもしない!無駄の無い身体の微小な動きだけで、青台の拳はまるで霧の中を手探る様な感覚に陥らせた。
「よお、当たんないなぁ?」
「な、はぁあ!?」
そして神山は、軽く手を伸ばして青台の額を軽く押して距離を離して見せた。
「こ、こんな馬鹿な事が、ありえねぇ!!テメェさては能力をーー」
「持っちゃいねぇよ、あれか?テメェより強かったら、ズルとかチートとかでも思ってんのかよ?」
青台の顔が焦燥に歪み、冷や汗を垂らし浅く早い呼吸をし始めた。優性召喚者たる青台は、その馬鹿げた異世界の理から外れている相手を、理のうちに当て嵌めようとして否定された。
「ひたすら、ひたすらに、ただ練習して、試合して……勝って負けてを繰り返し」
一歩、間合いを詰めて睨みつける。視殺、その目線一つで青台の両足は、杭を打ち付けられたが如く動かなくなった。
「勝っては喜び、負けては泣いて反省して、また一つ強くなり!」
「ひ、ひぃい!?」
二歩!左右に逃げ場あれど、足は動かず!その狂気に練られた闘気を感じて、身体は震え始めた!
「そして!壁に遮られようとも立ち上がり!己が鍛えた五体と研ぎ澄ました技にて打ち砕く!」
三歩!間合いの内!!既に勝敗は決していた!!
「それが格闘家だ、それがぁ!ナックモエだぁ!!分かったか、借り物野郎がぁああああああ!!」
右足で、大地を踏みしめる。
左足で、大地を蹴り上げる!
爪先から膝へ、膝から腰へ!!
腰脚融合の元に放たれたそれは左ハイキック。
馬鹿げた世界の理である職業の力でも無く。
姫より与えられた借り物の能力でも無い。
鍛え上げた五体と積み重ねた年月に研ぎ澄まされた、格闘技の技。
鋭くも、無慈悲に薙ぎ払うその左足は、青台の右側頭部を強烈に打ち払い、その肉体が宙空で右回転に、二回転、三回転と回りながら、屋台の瓦礫に叩きつけられたのだった。
「テメェ等如きに負けるか、負けたら現世の奴らに顔向け出来ねぇからよ」
瓦礫に埋もれ、白目を剥く青台向けて吐き出す神山。
「そうだ、負けられねぇ、神童に勝つまでは、あの人外領域に辿り着くまでは、こんな馬鹿げた世界で黒星つけられねぇんだよ」
そうだけ言い残し、神山はその場から立ち去るのだった。




