こちら男塾、異世界分校。
「くっうううう!?」
長谷部直樹は焦りを感じていた、最初の踏み込みからボディは当たった、クリーンヒットだ。その後も、しっかり当てられた、顔面にも、顎にも、鳩尾にも、横腹にもしっかり当てていた。
それが少しずつ擦り出して、遂に空を切る様になってきたのだ。
たった数分、それで自分のボクシングが攻略されたのか?焦燥が心に不安を募らせる、対して神山は……笑っていた。
「よっと……」
「ぬぁああ!」
大振りに振った右フックが空を切り、神山はそれをダッキングで潜り抜けて右側へ、さらに背後までステップで回り込んで来た。それを見てしまえば、最早自分は攻略されたのかとすら、長谷部は思い込んでしまう。
しかし違う、それは違ったのだ。
『あ、ぶ、ねぇぇえええ!くそ早い!返して攻撃できねぇ!!避けるしかできないんだけど!?何なの!?もしかしてこの人アマチャンプどころか世界ランカー!?』
神山真奈都は、めちゃくちゃ追い詰められていた。
攻略したのではない、避けるのがやっとなだけであった!攻撃を捨て、回避に専念したからこそ、こうして余裕に避ける風に周りから見えているだけで……その実長谷部のスピードと手数の多さの前に攻撃に転じた瞬間、その激流に飲み込まれるのがイメージできてしまったのだった。
『いやはや、凄えなボクシング、誰だよロー打ったら勝てるなんて言った奴、ロー打った瞬間にカウンターで意識刈られるわ……いや違うな、長谷部が凄えんだな、うん』
改めて、長谷部の実力に、掛け値なしの称賛を心中にて送る神山。本当に、巡り合いに恵まれていると、神山はしみじみと感じていた。
『そして、本当にいい事教えて貰ったわ、タイの戦士達には感謝しきれない』
出会いと言えば、出稽古で世話になった、バンコクのムエタイジムの戦士達だ。長谷部の顔に暗雲が見え隠れするのも、今俺がこうして笑って、追い詰められてるけど、余裕見せてる風に見えるからだろうなと。
『レイペン、苦しい顔駄目、笑うネ』
『レイペン』とは、タイ語で日本人という意味である、ちなみに『イープン』だったり『ヤーパン』だったり『リーペン』だったり、発音が多少違う事がある。というのも、中華華僑の流入により中国人とのハーフもいる為、言語が混ざったり、方言だったりする。レイペン呼びは、中国語での日本人『レーベン』からだと思われる。
屋外に建てられたリングに、テントを張った、風通し最高なのに熱苦しいジム。リングでミットを持ってもらい、ブザーが鳴るまで蹴って、殴って……現地の若手選手と首相撲して、スパーリングして……くたくたでコーナーに体を預けていると、トレーナーの一人が俺に氷水を掛けてくれてそう言った。
『わ、笑う?』
『そう、笑う、分かる?こう!』
トレーナーはいい笑顔を俺に見せた。俺はその時、力無く笑ったので、頬を引っ張られてしまった。
『ふぎぇ』
『苦しくても、笑う、相手強くても、笑う……ナックモエ、皆笑うね、笑わないのは、苦しいからね、痛くて痛くて、負けそうって分かる、だから笑うね』
『わ、わはりまひた』
『レイペン、もし、ナックモエの笑顔を無くせたなら、本気出させたって意味ね、それくらい強くなった意味ね……がんばれ』
ナックモエは、ムエタイの戦士は笑顔で戦う。その笑顔が消えた時に初めて、本気の牙を突き立てて来る。それまでは正しく、あしらわれているのだと、俺は知った。
寝ても、覚めても……倒されて、あしらわれて……強さの差が凄まじい、悔しさよりも諦めすら感じた……日本の『強い選手』が、この人達の前で簡単に倒されたのが理解できてしまう。
それに比べたら、日本のアマチュアの、何と楽な事か……。
強くなってやる、強くなって、いつかあんた達を本気にさせて、驚かせてやる。
さて、どうしてやろうかと、俺は笑みを浮かべながら長谷部を見つめた。蹴りに合わせてパンチが来るわけだ、俺が1発放ったら、長谷部は5発殴って来る、それくらいのハンドスピードとステップのキレがある。
長谷部のスタイルは、その鋭いヒットアンドアウェイとなるわけだ。
綺麗で、鋭くて、凄まじい。
この鋭さ、如何にしても攻略するかと考えると、ある事に気付いた。そう、ボクシングにはローキック、自分はこれに頭を固められていると。
て言うか……何故俺はこいつの距離に付き合ってるわけ?ローを潰して踏み込んでるだけ、固執しすぎにも程があった。
ならば、こうだなと、俺はニヤリと本当の笑みを見せる。そして俺のその笑みを見た長谷部が、いよいよ焦れて踏み込んで来た。
「シッ!」
基本通りの、ジャブ。フェイントだろうが、捨てパンチだろうが関係ない!俺は前に出した左足を持ち上げて……。
「ぅあいしやぁあああい!」
「ぶあっ!?」
長谷部の顔面を思い切り突き放す様に、蹴ってやった。
頭がかち上がり、真上を向く長谷部、そのまま後ろに勢いよく下がり、何があったのかと此方を見つめた。俺は左足を下ろし、石畳の地面でリズムを取りながらゆっくりと長谷部に詰め寄る。
「シイィっ!」
そして次は右足を踏みしめ、長谷部の左腕向かって、右のミドルキックを放つ!バヅンという音を鳴らし、骨にすら響かせる右ミドルに、長谷部が左へ思わず崩れた。
「っしゃぁ!」
ここだ!一気に畳みかけてやる!俺はここで初めて長谷部に近づいて、両手を伸ばして長谷部の頭を押さえつつ左の膝を顔面向けて放った。
「っぐうう!?」
これは両手でしっかり防御された、ならばと左の脇腹に右膝を放てば、見事に突き刺さった。
「ぐぶ!」
「まだぁ!!」
くの字に折れ曲がった所で、俺は長谷部のあたまをおさえながら、ガードの上からその場で飛び上がって左膝を放った!勢いよく後ろへ離れながら、両手の構えも取れなくなりタタラを踏む長谷部に、一気に踏み込む!
「シイッ!」
右ストレートを放ち、見事に当たる、長谷部がロープを背負った、そしてーー。
「ァアアッシ!!」
俺は飛び込む様に踏み込みながら、その勢いで右肘を長谷部の顔面向けて打ち込んだ。ツタ性のロープに跳ね返り、勢いよく膝から崩れ落ち、石畳のリングに長谷部が倒れ込む。
決まった……筈、思い切り肘を振り抜いてやった、クリーンヒットだ。審判も、本当に倒れたのかとゆっくりと近づいていくのを見て、俺は背中を向け、コーナーに歩き背中を預けた。
展覧試合に、ダウン制は無い。ただ、このリングを建てて俺に向かって来た長谷部への、互いにリングに上がるものとしての矜持だった。
審判が長谷部の身体に触れる、意識を失ったか確認する。対して俺が、追撃しないのを見てか、いよいよ決着を決めようとした瞬間……。
長谷部の手が、石畳の地面を支えた。
体を震わせて、顔から血を流し、コーナーの俺を見て、ゆっくり、確実に、立ち上がろうとしていた。
「ワーン、ツー……」
俺は長谷部に、聞こえるように数を数えた。10カウント……こいつを聞いたらボクサーは、いいや格闘家は、その肉体に闘志がある限り立ち上がる。長谷部が、立ち上がってくる……まだ終わらない、まだ戦えると立ち上がってくる!
「スリー、フォー、ファーイブ」
両足をしっかり踏みしめて、両手を顎の高さに、足が震えるそれは脳震盪の証、口から流す血は歯が砕けたか、口内を切った証拠、マウスピースもないこの世界では、歯は簡単に砕けるし抜けるだろう。
「シックス、セブン、エイート……」
荒い息をしながら、長谷部はしっかり立ち上がり、俺を見据えた。コーナーから俺は、改めて長谷部へ向かって行く……長谷部もまた、一歩、また一歩と、俺に近づいて来た。
「待たせた……神山」
「おう、気にすんな、流石ボクサー」
お互いもう、これ以上隠す事も無かろう、長谷部が拳を握りしめ、俺も拳を握りしめる。
「ラウンド……2」
「いっせーーのぉ!!」
互いに弓引く様に、右拳を振り上げて。
「「せっ!!」」
俺と長谷部は互いの左頬を殴り抜いた。
「バカだろ、うちの大将、バカだ」
「だな、その通りだ」
展覧試合に参加する闘志達が二階から、そしてTEAM PRIDEの面々全員が、そこに起きた事を見た。
闘士が二人、足を止めて、殴り合っている。回避も、防御もしない。ひたすらに顔面を、腹を、拳を握りしめて殴り合っている。戦いですらない、喧嘩と呼ぶにはなんとも激しすぎる。
ノーガードの打ち合い、クラスとスキルを持つ優性召喚者の闘士達も、ましてやTEAM PRIDEの面々も、こんな試合があってたまるかと、皆ただ白痴の如く見るしかできなかった。
「高山とドン・フライかよ、いつからPRIDE男塾異世界分校が開校したんだ?」
「今開校したんでしょ」
中井と河上が、目の前の光景にため息吐き、町田はしかと目に焼き付けるとばかりに目を逸らしはしなかった。
「だが、やはりこんな戦いを、してみたくならないか、中井くんに河上は?」
「僕はやだね、殴るより関節だし」
「見る分には愉快だが、ごめん被る」
散乱する、汗と、血と、涙の混合物……審判はただ立ち尽くし、響き渡る打撃音、二階の観客席の闘士達からは、最早ブーイングも、応援も消えていた。
「ちっ!オラァー神山ぁあー!!ボクサー相手に殴りあってんだ!カッコつけて負けんじゃあねぇぞぉおー!やるなら殴り倒せぇええー!」
呆れを通り越した中井がついに声を上げた、発破を掛けて応援する!パンチの本職に打ち合い挑んだ以上、無様に負けるなと声を荒げた。
「負けたら両手足斬り落として達磨にしてくれる!!俺を倒した以上無様に負けるなど許さんぞ神山!!」
河上も、自分を打ち負かした男ならば、相手の領分で馬鹿をやる以上負けは許さんと叱咤の声を上げた。
「神山くん……勝て!勝て!勝てえぇえ!」
町田はただひたすらに、勝てとエールを送る!
「マナト、マナトー!頑張れー!」
それに呼応して、マリスさえも応援に加わった!四人の応援が、吹き抜けの練兵場に響き渡ると、二階の観客席に居た闘士の一人が……負けじと声を上げた!
「長谷部ー!シルバードラゴンでお前まで負けたら、俺達優性召喚者の立場がねぇ!負けるな!勝ってくれ!優性召喚者の力を見せてくれー!」
それは、確かに伝染していく、しっかりと隣を滾らせる!
「このまま奴らにでかい顔をさせるなぁ!頼む勝ってくれ!本戦まで出た力を見せてれぇ!」
「長谷部!負けるなー!長谷部ー!」
本来ならば、霧散し消えてしまう声が、満たされてすら居ない練兵場に、声を響かせていく。
それが聞こえているのかは分からない、しかし、互いの拳が肉体を殴打し続ける時間も、もう直ぐ終わる……互いの肉体が、腫れと痣に埋まりゆく最中、ついに……長谷部の膝が片方地についた。




