河上静太郎という『剣士』
翌日……町田恭二の姿は、自らの働き先であるシダト北西スラム区域のバー、ジャングルジュースにあった。いよいよ夕日が隠れて、夜の帳を下ろす頃合いに、本来ならば酔う為飲む為と安酒に群がる客で満席になる、町田のお世話になった店の扉には、この世界の字で『準備中』と書かれた釣り看板がぶら下げられていた。
その中には開店中同様に灯りが灯され、カウンター席に町田恭二が座し、カウンターには店主の娘フェディカが立っていた。
「そろそろだけど、下がっとこうかマチダくん?」
赤髪の活発な美女フェディカが、少し気まずそうにそう言った。町田は、出入り口を見てから頷くと、フェディカはカウンターから出てきて、二階へ上がる階段へ向かって行く。
「マチダくん、喧嘩、したらだめよ?」
「大丈夫ですよ、しませんから」
階段の一段目に足をかけたフェディカより、喧嘩はしないよう釘を刺される。それは絶対に無いと断言して、微笑みを返した町田に、フェディカはなら良しと笑顔を返した。そうして、静かなバーに軋む音を響かせて、フェディカの姿が消えて、上の部屋のドアが開けられ、閉めた音を微かに鳴らせた頃……背後の出入り口たる扉が開けられた。
開閉を知らせる吊るした呼び鈴が、カランコロンと鳴る。床を軋ませ、近づいて来て、その姿が町田の左の視界の端に映った。
「やぁ町田くん……随分暴れたな、誘わないなんて水臭いじゃないか」
男にしては高めの声だった、そして何より、出で立ちから彼は特異であった。長い髪の毛を後頭部でまとめ上げて、肩まで伸ばしている、日本人らしからぬ白に近い肌、身体は細いが、肉付いていないでなく、無駄を削ぎ落とした細身。
何より……今は左肩に添え、抱く様に持った黒色の鞘だ。この異なる世界には決して無い、母国の文化財であり、美術品であり、武器……日本刀を彼は持っていた。
町田は左に首を向ける、何度と彼を見た、何より中央から脱走し、このスラムへ流れ着いてからしばらくは共に行動した。
そしてその顔を、会う度に見て思う、男には見えんと。彼は母方に似たか、端正と言うよりは、美人な顔立ちをしていた。
こんな女の様な顔立ちをしておいて、彼の持つ狂気や、残忍な姿を町田は知っていた。だから、最初の一言と共に、優しい笑みを浮かべる、この河上静太郎の言葉、行動へ気を引き締めていた。
「別に、好きで暴れた訳ではない……ゴルトにフェディカさんが拐われたのだ、油断した」
河上に町田は語った、好きで暴れた訳ではないと。それを存じている様で、河上はクスクスと笑いながら、刀の鍔を指でなぞりながら話を返した。
「そうか、そうして3人程であの阿鼻叫喚を作り出したか……ゴルトな、死んでいなかったから止めは刺しておいたぞ」
「なにっ!?」
「ゴルトをあぁまでしておいて、生かしておくとは、あれでは死ぬより酷だろう、あぁ、そのつもりだったか?」
「いいや、殺す気……だった、それくらい怒ってたし、生かす気なんて無かった、仕損じたか」
ゴルトが生きていた報告に町田は驚いた。生かす気など無い打ち込みだった、身体中の骨を砕いておきながら生きていた事実に、町田はゴルトのしぶとさに息を飲むが、トドメは刺したという事実を淡々と語る河上は、話を続けた。
「で、だ……君と戦った奴ら、どんな男達だ?1人は君と同じ徒手の使い手、もう1人だが……あれは、関節技か、それに僕と同じ武器も使う奴がもう1人居たのか?」
どうやら、戦いの後に廃墟へ来ていたらしい。倒れたチンピラ達の怪我を見て、人数を把握している河上に、町田はふと首を傾げさせた。あの場に居たのは、俺と、神山、中井の3人だ。しかし武器使いで、もう1人居るかの様に河上が尋ねて来たのだ。
「武器?いや、2人とも素手だったが……」
「そうか、2人か、2人も居るのか」
町田が、自分の他に2人しか居なかった旨を伝え、河上が頷いた間際に町田は思い出した。ゴルトを追う際、中井が他のチンピラを引き受けた事を、その時に彼は武器を使ったのだろう、だから河上は武器使いで誰か別に居ると人数に数えたのだと。
河上はクスクスと、妖しく笑う、その笑みは美剣士の柔らかな微笑みとは違った。そんな生優しい笑みではない、そしてその笑みは……町田恭二が、もしも情やら常識、倫理を失った先に自らも浮かべるだろう笑みを思わせた。
「ふく、クク……2人かぁ、2人も……どうなのだ町田、どんな奴だ、彼らは君の様に僕を楽しませてくれるのか?あぁ、ダメだ、町田、町田……どうだ、今から表で僕とやらないか?帆柱が熱く濡れてしまいそうだ」
そんな笑みで町田を見つめ、辛抱ならぬと白肌を薄赤く熱を帯びさせ、艶やかな吐息を吐く河上に、町田ははぁと溜息を吐いた。
これだ、全くと町田はこの河上がこちらの世界に来てからか、はたまた現世からこうなったか知らないが、河上静太郎は破綻している。
「断る、お前とやりあったら、命が足らん」
町田は断った、しかしこの河上の催促は続いた。
「なら武器を使え、空手の棒、トンファー、サイ、櫂にヌンチャク、なんでも構わない……なぁ、やろう町田」
徒手が嫌なら空手の武器術があろう、それを持ったらいい、対等だろう、だからと懇願めいた催促だった。それを、町田はそっぽを向いて切り捨てた。
「やだ、殺す気満々だろうが、キミは」
町田は河上を見ない、だが視界の外よりため息を河上が吐き、いよいよ諦めた様を見せた。
「いけずめ……その様子だと、未だにフェディカと寝とらん様だな?」
まるで褥を断られた女の如く、河上は残念そうにそう言った。それだから未だに、同じ職場の女とねんごろにもならんのだろう、固い奴めと話がいきなり変わった。
「いや、フェディカさんは関係ないだろう!?」
町田は切り替わった話と、いきなり関係無い職場の先輩との恋愛事情の進展に、首を振り切り河上を見て声を上げる。俺とフェディカさんは、斯様な仲では無い、それが何故寝るだ寝ないだの話になるのだと。
「関係ある、いかな居場所を与えてくれた恩人であれ、町田は男でフェディカは女、同じ屋根の下で毎日働き顔を合わせ、あまつさえ此度と出会いでゴルトから救ったのだ、いよいよ抱いてやるくらいしたらいい頃合いだろう?」
恥ずかし気も無く、ましてや遠慮も無しに河上は笑んでそう言うのだ、からかいと本気も混ざった言葉に、町田は頭を抱えてカウンターに肘を着いた。
本当に、これで現世はいい所のおぼっちゃまなのが信じがたい。いや、現世のしがらみや法が無いからこそ、河上静太郎はこの様になってしまったのかもしれない。
「しかし、この火照りは収まらんな、ふむ……良し町田!件の2人の話すがら外に行こうではないか、東区の夜町に行こう、遊ぶ金なら僕が出す、フェディカの前に筆を下ろしておくといい!」
がしり!と首根っこを掴まれて、町田は河上に引きずられた。町田はうおぉとよろめく、そして引っ張られた力に抵抗しようとしたが、その引く力、いや握力により虚しくも引きずられるしかなかった。
「フェディカ!町田を借りて行くぞ!なに、今夜か翌朝には返す!」
「待て河上、待て、待ちなさいって!」
河上は二階に居るだろうか知らないが、フェディカが居ると思って町田を借りると言伝を残して町田を無理矢理に引き摺り、扉を開けた。町田は抵抗するも、哀れそのまま外に連れ出され扉は閉まった。
そしてしばらくして、二階からゆっくり降りて来たフェディカは、少々眉間にシワを寄せてドアに近づくと鍵を閉めた。
「明日まで入れてやるモンですか」
町田恭二はそんな事はしない、理解しているフェディカながら、それでも少しは自分に関して肯定が欲しかったと、鼻息を荒くして彼女は二階へ上がるのだった。
シダト外壁、北東は唯一の内壁との出入りができる門があり、内地住みの貴族も、優生召喚者も、娯楽を求めて出てくる。対して南東は、外壁でも裕福な民草が住う、上流市民の居住地となる。
さて、ではその境目、東の境界線には何があるかと言うと、ここは最早治外法権とすら言える、歓楽街がその境界線上には集まっていた。ただ、南西の闘技場や飲み街とは色が違う。
妖しいカラーガラスのランタンに、店の前に屯する女性達、そしてあちらこちらで目を光らせる、屈強な輩と、小袋をちらつかせる小太りで鼻息の荒い男達、時には若い男の腕に絡みつき猫撫で声で店へ誘うその様子から分かるが、シダト東の境界線は、風俗街となっていた。
「とうちゃーく、降りろ町田、行くぞ」
「いいって、全く……」
河上は逃さぬと襟首を掴まれたまま、移動用の馬車より降ろされた。この異世界とやらでも、妖しげな店はあるのだ、そこにあしげくこの河上静太郎は通い、楽しんでいた。色情魔なのだ、彼は、現世ではそうでもなかったらしいが、他に娯楽も無いし、現世の縛りも無いと、こうして遊んでいるのだ。
河上はいよいよ、町田より手を離したが、来いと首を動かす。町田は、やれやれと首を振るが、後ろに追従はせずに、河上の右側へ少し離れつつ並んで歩き出した。
「で、名前は?」
「うん?」
「2人の名前だ、あと、どんな流派だ?」
河上より尋ねられる、ゴルト一派を共に殲滅した者達の名前と、その修めし流派、町田はそれにすぐ答えた。
「1人は、神山真奈都……キックボク……いや、ムエタイ使いだ、蹴りに肘、膝が得意だな、突きも中々だ……もう1人は中井真也、ロシアの格闘技サンボ使い、あと投げと関節技が得意、武器を使ったのは中井だろう」
「強いか?」
「無論……神山は、俺が本気を出さないと危うかった、数合打ち合ったが……10回戦って4回勝てるか……」
「お前がか?」
「ああ、神山は強かった、ムエタイという格闘技では無い、神山真奈都自身が強かった」
「そうか、お前がそう言うか……なら真実か」
町田が神山を褒める様に、ほほぅと河上が唸る。河上は、町田がなんとまぁ先程まで嫌な顔をしていたのに、語れば顔が柔らかに笑みを浮かべたのを見て、そうかと肯いた。
「覚えているか、俺が背中より斬りつけたあの夜を」
「忘れるか、本気で殺しに来て、肝が冷えた」
「俺もだ、藪をついて大雀蜂が出てきた様だったよ……あの時と同じ、楽しい顔をしているぞ、町田」
そう河上より指摘された町田は、口元を左手で押さえた。全く、これでは血気を戒めるなぞ、一生無理やもしれないなと自嘲しつつ、町田は話を切り出した。
「その神山と中井だが、河上に会いたがっているんだ……展覧試合の仲間として、迎え入れたいらしい」
河上は町田からそれを聞いて立ち止まった、その表情には驚きと、呆けを混じらせた様で。まるで、それは考えていなかったと、予想外な話に河上は町田に言葉を返した。
「展覧試合とは、貴族同士の闘士を、内地の闘技場で戦わせるあれか?」
「そうだ、神山と中井は、外壁の没落貴族が集めた闘士だ、俺も誘われて契約した……河上はどうだ?」
町田は聞いた、河上は興味があるかと。自分も闘士契約はしたと言う町田に、河上はふむと顎に手を当てて、ニヤリと笑った。
「つまりは……だ、勝ち進めば中央の召喚者たる剣士や、武器持ちを斬れると?」
町田は河上の返答に、内心でため息を吐いた。あー、やっぱりこうなったよと、誘いたいから話をつけたいと請うてきた神山に、恨み節を吐きたくなった。
河上は『戦いたい』では無く『斬りたい』と吐かしたのだ。戦闘欲求とは違う、殺人癖にしか思えぬ発言は、決してイキリちらしではない、真意であると。
「ま、まー……そーなんじゃーないかーなー……」
「町田、こちらを見て話せ、それともいい女でも居たか?」
やっぱり断るべきだったし、誘うべきではなかった。こいつが今や野に放たれているだけで、戦々恐々なのだ、今の状況だからこそまだ何とか均衡を保っているが、一度これが傾いた瞬間、この男が屍山血河を築くのは目に見えている!
「いや、只な、団体戦だからその、途中で負けたら辿り着けるか」
「なら心配無い、俺が居るからな、俺が居れば負けなどなかろう」
あぁ、これは駄目だ、もうこいつは止まらない、やる気、いや殺る気満々だ。恨むぞ神山、そうして町田が神山に詰められていると……。
「おい、お前か……外壁で内地の雑魚を倒してイキリ散らしている指切りって雑魚はよ?」
そんな河上と町田に割って入る様に、傍の店から数人が、ぞろぞろと出てきたのだった。




