言葉で分からないからこそ。
「んっ、んー……あー……こんなもんか」
ゴルトとか言うチンピラを追い払い、背伸びをした俺はリラックスして息を吐いた。まぁ、チンピラならこの程度だわな、本気の本物とは比べ物にもならない。しかし、久々に街角の喧嘩をした気分に、俺はスカッとしていた。
「目潰しに金的、さらに耳削ぎとは、随分慣れた流れだったな」
ふと、後ろを見れば町田が店から出てきた。そして俺がゴルトを制した一連の流れを、興味深く顎に手を当てて尋ねて来た。
「まぁね、アマチュア試合以外にも、喧嘩してたからさ」
「あぁ、だから躊躇いが無かったのか……」
躊躇い無く危険な技を繰り出す俺の、喧嘩慣れに頷いた町田に、俺はあのチンピラについて詳しく聞く事にした。
「随分因縁めいてたけど、結局何かあったの?あのチンピラと」
ゴルトについて聞かれた町田は、ふむと店の壁に背中を預けて口を開いた。
「さっき言った通り、ゴルトはこの区画のチンピラだった、恐喝に無銭飲食、逆らえば女だろうと殴っていてな……この店に指切りと流れ着いた時に……会ってだな……うむ……まぁ、その」
「その?」
「……うむ、まぁ、あれだ……1度目は僕が倒した、2度目は、指切りが左手を切り落とし……3度目は僕が片玉を潰して……4度目は君が耳を削いだ」
凄まじい因縁だった、しかもゴルトとやら、片玉を潰されているらしい。そして両耳を俺が引きちぎったので、俺も因縁の仲間入りを見事に果たしたようだ。と言うか、随分と執念深いなゴルト……一度負けて、二度目に左手斬り落とされて、三度目は片玉を潰されながらも今日また来たわけか……俺なら二回目で諦めてる。
「何さ、町田さん……結局攻撃当ててるんだ」
「あんな輩は、口で言っても理解しやせん」
「外道はその限りに非ずってやつ?」
町田はバツの悪そうに目を逸らし、口を開かない。気持ちは分かる、あの類はどうしようも無いクズで、それが当たり前で生きてきた類の人間だろう、奪うしか知らず、犯すしかしらず、己が世界の中心であり、全てとしか考えれない輩……そんな奴だ。
「実際あいつがこのスラムで、一番の実力者だったらしい、ここのマスターもみかじめを払わされてたし、フェディカさんも……危うく酷い事をされかけた……皆、迷惑してたよ」
「皆……?おい待て、つまり何か?あのチンピラ一人でこのスラム全てを牛耳ってたわけ?」
「あぁ、このスラムにはギャングも居ない、ただの貧民窟さ、その中で体格が良く腕っ節がある、逆らう力を持つ奴が居なかったんだ……ここはあいつの、スラムの王国で、あのチンピラは王様を気取ってたのさ」
それを聞いて、なんとまぁと俺は思わず、あの薄汚れたチンピラの言葉に気付いた。あのゴルトなるチンピラは、俺から全てを奪ったと宣ったが、正しくその通り、町田と指切りに全てを奪われたのは事実だったのだ。
「はは、まるで、血と骨の金俊平だな、いや少し違うか?あれは最後、脳卒中で倒れたからな」
俺はその転落の様を、昔見た映画の主人公を例に出して例えたが、多少違うなと思い返した。だが、あの革のコートに出で立ちといい、棍棒も然り、似通っている部分はあるなとゴルトの姿を改めて頭に浮かべて、やはりに通うなと、うんうんと頷いたのだ。
「血と骨とはまた……なんとまぁ濃い映画を知ってるんだね君は?」
そしてなんと、町田もこの映画を知っていた事に、俺はおっと声を出すのだった。
『血と骨』
ビートたけしが主役を演じたこの映画は、1930年代の大阪を舞台とし、その恵体と粗暴な性格で好き勝手に生きてきた朝鮮人、金俊平の人生を描いた映画である。
ビートたけしが演じた主人公『金俊平』は、その恵まれた肉体と、粗暴な性格を持った北朝鮮出身の人間で、ヤクザも恐れる悪人。
他人の家屋の焼け跡に蒲鉾工場を開くなどして財を築き上げる。妻は強姦し、無理矢理に嫁にしたり、その妻や子供には粗暴に当たる癖、愛人を作りそちらに愛情を注ぎ、蒲鉾工場の金で高利貸しを営み、悪逆の限りを尽くした。
健康には気を使っていたが、その最後は脳卒中で半身不随になり、愛人に金を持って逃げられ、実子には見捨てられて最後は北朝鮮の故郷で、孤独な死を迎えた。
救いようのない、チンピラの話だ。その金俊平もまた、臭いが凄まじいコートに恵まれた肉体、そして桜の木の棍棒を常時携えていたのだ。
「さながらあれは、途中で負けた金俊平なのかもしれないな……」
俺は血の滴る跡が伸びる小路を見て、そんな事を呟いた。貧民窟の王を宣っていたチンピラは、更なる強者に全てを奪われ地面を這う、何という弱肉強食だろうかと少し憂いた。
が、同情はしない。奪い、犯して手に入れた物は、他人に奪われて犯されても仕方がないのだから。そこにあるのは二つだけ。
『強い』か『弱い』かだ。
チンピラの王様ゴルトが弱く、町田恭二と指切りが強かった。ただ、それだけの話なのだ、これは。
ゴルトの話を聞いた俺は、右手を顎に当て左腕を胸あたりに回す町田に話を振った。
「それで、興奮したかい?町田さん」
町田はその言葉に、少し体を震わせて反応してしまった。何を馬鹿な、などと否定もできずに町田は、俺を澄んだ瞳でしかと見つめてくる。顎に当てていた右手を下ろし、左腕もだらりと下ろした。
町田の澄んだ瞳が、鋭く此方を射抜いて来た。いやはや、たまらないな。町田の目つきがもう、全く違う、試合の時はこんな表情をするのだろうか、何とまぁ穏やかに見えて獣の様に野生的なのか、あと少し、あと少し……きっかけ一つで火が灯る。
二歩、三歩、足が動く、町田の足が肩幅に開く。地面を踏みしめ、土を擦る音が嫌に耳に入り、緩やかな風が吹いた。
俺は鼻で笑う様に息をして、一歩近づいた瞬間、町田の左手の拳が放たれたと同時に、俺もまた左手のジャブを放っていた。
乾いた音がスラムに響いた、互いの左拳を互いの右手が払い、被弾を防いだ。それを皮切りにーー町田の連繫が始まった。
先の先、右足が地を蹴り、俺の左腕を蹴りに町田の右中段回し蹴りが放たれたる。防御が間に合わず、直撃し、改めて空手家の蹴りがキックボクシングやムエタイに遜色無い威力と理解する。
骨まで響くそれは、まさに金属バットのフルスイングだ。
「っづぁあ!」
呻きながらも、右脚で返しの右ミドルを放つ俺、被弾した町田もまた目つきを驚きに変えた。間合いが互いに離れ、目線がかち合う。それが合図とばかりに、町田も、俺も再び接敵した。
短い息と共に、町田の両拳が左右交互に放たれる、伝統派の組手の如き連突きに、俺は真っ直ぐ下がりながらその拳をパーリングし、再び右ミドルで反撃を返す。
それをバックステップでギリギリを見切り、回避するやすぐにその隙を見て前進、空を切る俺の右足は、地面に着地と同時に、軸足を右脚に変えて腰を捻り、次は左の後ろ回し蹴りで迎撃する。
後ろ回し蹴りは当たった、しかしクリーンヒットにはならず、膝裏に町田の体を巻きつけてしまう形になり、距離を詰められる。互いの身体が密着した超至近距離となるや、町田の身体が俺を押し上げた。
攻撃を当てる為、身体ごと俺を押して来たのだ。ジャングルジュースとは反対側の家屋の壁に押し込まれ、距離をまた離される。
「っええあっ!」
豪と響く町田の気合い、放たれる右の正拳を俺は寸で左に回避した。そして右耳を擦り、壁からゴツッという聞いた事も無い音と、飛び散る破片に、町田の拳が家屋の壁を砕いたのを知った。
避けなかったら腐ったスイカの如く、頭蓋が破砕されていただろう。肝を冷やしながらも、その事実に燃えながら俺は町田の服の右肩を右手で鷲掴み、右膝を見舞った。
くの字に折れ曲がる町田の身体、めり込む膝頭がクリーンヒットを告げる。
「ぁあああ!!」
二発、三発、本気で放つ右の膝、防御をするどころか受け止める町田に、五発目を放とうとした所で、俺の目に星が飛んだ。
一瞬のフラッシュ、右の頬と右目下に来た痛みに、俺は手を離し後退さる。ふと、町田は息を荒げながらも右手を振り抜いており、町田の右の拳が俺を殴りつけた事を理解させた。
ジクジクと右目辺りの疼きに目蓋が自ずと閉じようと細くなり、息を荒げて俺は町田に向かって聞いた。
「なぁ、楽しいかい町田さん?」
楽しいか?闘いは、ずっと我慢していたのだろう、誰も相手が居なくて寂しかったのだろう?そうなんだろう?問いかけた俺に町田は、にやりと笑いながら、地面に唾を吐いた。
血が混じった唾、さっきの膝か、どこかの場面で口を切ったらしい。無言で、しかし笑った町田は、仕事着の上着から腕を抜き、投げ捨てた。
そして、軽く腰を落としながらも、ステップを踏みながら左手を軽く前に伸ばし、右手は胸元辺りに置く様な構えを取った。
広くスタンスを取りながら、ステップを取る伝統派の構えを前に、俺の心は痺れひりついた。
「よし……あんた相手ならこっちが良さそうだ」
対して俺は、普段とは違う戦いをここで選んだ。
普段使うムエタイとは違う、もう一つの戦い方。現代格闘技とは離れたそれを、俺は町田に披露する事にした。
両手を力強く握りしめ、左足を腰まで抱え上げ、地面を鳴らす様に一気に踏み下ろす。バンっと地を鳴らしながら、左腕は直角に曲げ前腕は真っ直ぐに、右拳は顎のあたりに。
普段の戦いの中でも、此方の技を幾つか使ってはいるが、これを主軸に戦うのは初めてだ。だが、戦える。此方の戦い方が町田相手には相性がいいと俺は感じたのだ。
町田の構えは、広いスタンスにより相手を受け入れる形を柔とするなら、今の俺は一切を打ち砕く剛の気持ちの構えか、通用するか?空手貴族に?稀代の天才に俺のムエタイは通用するか?
いざ!
互いの目が好機を見抜き、遂に次の一撃が放たれようとしたーー。
「貴方達!!一体何やってるの!!」
「「だぁあああああ!?」」
そして、キンキンに響き渡る声を持って、俺と町田は地を蹴る足を滑らせて、互いに前のめりに、ヘッドスライディングを披露して倒れるのだった。




