人面獣心のクソヤロウ 下
町田恭二が引き起こした事件……それは全国誌に載るほどの事件であった。
一人の、いじめで輪姦寸前の女子高生を救うために一人の少年が、身につけた武術で不良達を殺傷した……。そんな漫画やラノベみたいな事件を、町田恭二は本当に起こした。
事件のインパクトもさながら、ここまで取り沙汰にされたのは……やはり町田恭二の『格闘技団体からのアプローチ』があったからだ。神山真奈都もこの渦中の人物であった為、驚いたし、どんな流れで事件が終焉に向ったかも知っていた。
町田恭二の打撃系格闘技の才能は、神山が好敵手として定めている『神童』に匹敵、いやそれ以上だろうと当時の関係者達は囃し立てて、事実であった。しかし……町田恭二は打撃系格闘技へは行かず、空手家として居続ける事を宣言した。
その後に引き起こしたのが、この事件であった。
どんな理由であれ、殺人事件である事に変わりはない。しかし……世論は町田恭二擁護の流れを作ったのだ。神山がアマチュア部門で参加していたキックボクシング団体『BOF』の代表も、彼は悪くないと声を上げた。
それだけではない、メジャーマイナー問わずMMA団体、キックボクシング団体、空手団体、果てはプロレス団体まで、あらゆる格闘団体が町田恭二の減刑署名に動き出したのだ。SNSではその不良達の家族や、家の特定や過去の悪事の暴露にまで発展、炎上した。そこへ更に、殺された不良達から、過去被害を受けた者達による町田恭二擁護の弁護士団まで現れ彼を後押しした。
正義は町田恭二にあり、彼の殺人は正義の執行である。
結果……町田恭二は裁判により保護監査処分を勝ち取ったのだ。無罪とは行かなくとも、刑務所による懲役無しのお咎め無しの殺人事件は、悲劇の事件として終わりを告げたのである。
「当事者でもないキミは、この時の僕がどんな心情であの場を見ていたかなど分からないだろう……私はね……しめたとすら感じたのだよ」
どんな豆かも、どこから取り寄せたかも分からないホットコーヒーの入ったカップに、ミルクを垂らしながら町田は宣う。
「キミとて感じた事はあるだろう、自分が修めた力はどれほどの物かと、果たして自分の強さは如何程かと……神山くん、私はね……あの時空手に……いや格闘技に飽きていたんだ」
スプーンで混ぜず、白のミルクの線とモヤが漂い、ブラックコーヒーの色を変えていく。それを町田は眺めながらに話は続いた。
「敵が居なかった、いや……居なくなったんだ、君の追う神童にも食指が湧かなくてね……当時の君自身にもね」
当時の自分は、空手に飽きていた……そんな事知らない神山は、ただ聞き入る事しか出来なかった。そして憧れてすらいた男に、同時は興味すらないと思われていた事を告げられた。
「競技としての空手で、幾つもカップを手にしたしトロフィーも手に入れた……行くとこまで行き着いたなと思っていたんだよ私は……敵が居ないというモチベーションの低下もあったんだ」
神山には分からないだろう、出れば優勝してしまう実力を持ち、敵が居ないという事態……強者故の悩みを抱く町田と、負け続けて強くなった神山では見える景色が違っていたのだ。その隔たりを、神山は悲しくも理解できない。
「道場や出稽古の乱取りですら、大人ですら僕を避けた……ひたすらに孤独だった……しかし……ただ一人、僕の食指を動かした奴が居た……私はそいつと戦い、勝ち……思ったんだ……」
町田は目線を、自らの右手に落とし、開いた手を握り締め拳を作り言い放つ。
「果たしてこの手に宿った力は……人をどこまで壊せるのだろうかと」
悪魔の囁きが聞こえたのだと、町田は言う。ふと、神山は冷や汗をいつの間にかかいていたのに気付いた。目の前で、今自分と話す男は、本当に町田恭二本人か?感じた事も無い恐怖心が神山にも湧き出して来た。
「神山くんは知ってるかな?私がこの事件を起こす前……一人の空手家を殺した事を」
「え……」
そして、まともに混ざってもいない、混ぜてすらいないコーヒーに口をつけながら、町田は告げたのだ。事件以前に、一人空手家を殺している……それは知らないし、態々告げて来た意味が神山には分からなかった。
「いや、正確には殺してはいない、しかし原因は私だ……私が彼を……大会で壊したが為に、彼は死んだのだ……私の……知的好奇心でな……現世で私が、唯一没収試合にされた試合がある」
コーヒーを飲み干した町田が、一息吐いて話は続いた。
「その試合が、私の血気をより強めたのだろう……そうして私は……あの日、あの現場に出くわして……殺し終わって……笑ったのだよ、体育館裏の古いガラス製のドア、そこへ微かに映った私は……笑っていた」
自嘲を浮かべて、町田は足を組んで視線を宙に向け、長々と続いた語りを締めに掛かった。
「神山くん……私はね、逃げたいのだよ……この世界に、だからかもしれない、私がこの世界に流れ着いた理由は……」
『逃げたい』
帰りたくない、のではなく……逃げたいと心中を吐露した町田に、神山は理解した。如何に世間が、町田恭二を許しても、町田自身は人殺しの咎から逃れる事はできない。町田自身も一生背負い続け、何より彼を後ろ指差す輩も少なからず居る。
しかもだ……様々な格闘団体が町田恭二という男を擁護したのは、決して善意からだけではない。恩を売る為だ、これだけしたからうちに来るよな?リングに上がってくれるよな、という意味合いが見える。
現世に帰って町田恭二を待ち受けるのは、操り人形の未来しかない。そして町田も、少なからず過るのだろう……このまま此処に居れば、罪も何も忘れて好きに生きれるのではと。
神山は、町田に憧れを抱き神聖視していた部分もある。そんな町田が、弱音と人間らしい姑息な部分を抱いている事に驚いた。
「その……なんつーか……」
「幻滅したかい」
「いや、ちょっと安心しました」
「なんと?」
が、神山は言った、むしろ安心したと。呆けて来抜け顔にまで力が抜けた町田に、神山は続けた。
「やっぱり、悩んでたんですね……いっつも町田さん気ぃ張ってて、もう決着ついてんのかなと思ってたんすけど……めちゃくちゃ悩んでたんだなって」
天の上の様な存在が、こうも内心に抱えた重苦しい感情に触れて、ようやっと少し理解できて良かったという神山に町田は皮肉混じりに言った。
「そうだな、贖罪の責任も感じながら……もし叶うならと逃げたい感情はある、その癖未だに戦う相手を求めているのだ……人面獣心のクソ野郎とは私の事かもしれん」
「そこまで自嘲せんでくださいよ、まぁ……俺が言ったらダメなやつですけど……」
神山はそんな町田に言い切った。
「正しいなり悪いなり、自分が考えて選んだんなら、正解じゃないんすか?それに対して俺は何も言う筋合いは無いんで……」
「そうか……」
「ま、もし町田さんが自分が生きる為に実子の心臓狙ったり、興味本位でゴリラに喧嘩売る様なクソヒールになった時は、俺がぶん殴って目ぇ覚ましてやりますから」
「なんだその悪人、居てたまるか」
どんな悪人なんだそれはと、町田は笑った。ひとしきり笑うと、町田は肩の力が抜けたのか、楽に立ち上がった。
「ふぅ、話し込みすぎたな……切り上げて襲撃に備えようか、すまんな神山くん……」
「いえいえ、何もしちゃいませんよ俺は」
二人して食器を片し、実行委員会の襲撃を待つ為、部屋に戻る事にした。その時だったーー。
「おい見たか、広報ビジョンが何かやってるみたいだぞ!!」
「誰かが乗っ取ったのかぁ!?ビキニパンツの筋肉ダルマがポージングしながら何か言ってるぜ!!」
何やら、異変が起きているらしい、神山と町田は食い終わったばかりながら、腹痛が来るのも構わずホテルの正面まで駆け出した。




