獣の目覚め 下
「どうしたんすか、町田さん?」
突然先に行っててくれと言い出した町田に、神山はどうしたのか尋ねると、町田は朗らかな笑みで、やってしまったとばかりに宣った。
「いや……忘れ物をしてしまった、まだアリーナ近いから取りに行く」
忘れ物と聞いて神山は、ああと納得してしまう。何を忘れたのかまでは尋ねる事も無く神山は言った。
「そうなんすか、なら一緒に行きましょうか?」
「いや、大丈夫、一人でいい」
付き添いますよと善意から一緒に行くと町田に言うが、町田はそれ程大した事も無いと拒んだ。
「ありがとうな神山くん、すぐ戻る!」
そうして町田はアリーナまでの道を駆け足に戻り始めた。しばらくすれば背中は曲がり角に消えて、神山は少しばかり気にはなるものの、皆に言った。
「じゃあ、先帰りますか」
「そうね、キョウジなら心配ないでしょう」
このメンバーの中でも一際大人びた町田なら、特に心配事は無かろうとマリスも頷いて、皆内壁の出口を目指した。その中で、ただ一人河上静太郎だけは、町田の消えた薄暗闇を一度見てほんの少し足を止めたが、すぐに顔を背けて皆と歩みを同じにした。
それで……町田恭二は忘れ物をしたか?いや、してない。そもそも備品類は長谷部や緑川、ニーナが預かっている。曲がり角を曲がった町田は、一度背後を確認し、しばらく歩き出す。方角はアリーナに向かっているのは間違いない。
人影はまばら……いいや、全くと言っていい程無い、内壁住まいの人間が、まるで消え去ったかの様に、街路の真ん中に町田は止まった。
「……出てこい、殺気が丸わかりだ」
町田の背後、街路の影から一人の男がそう言われて出てきた。現れたのは……鹿目駿。つい先程まで神山真奈都と、展覧試合で死闘を演じた、マギウス・スクワッドのリーダーであった。
「殺気とか何なんだよ本当によぉ……こちとら人祓いの魔法まで行使して気付きやがって……」
「それで先程からこうも人影が無いのか……」
鹿目からすれば、魔法という異能すら嘲笑う様な、殺気などという不可思議な感覚でこちらが近づいている事を察知した町田に苛立ちを募らせた。対する町田からしたら、全く人一人居ない周囲がおかしくてならないと言葉を返す。
「それで、要件は何だ鹿目駿……」
「はんっ!分かりきってるだろうが、大人しく展覧試合辞退しろや」
鹿目に要件を尋ねた町田、聞く必要も無かろうと鹿目は町田に言い放った。ああそういう事かと、町田は眉間に皺を寄せて鹿目を睨みつつ、周囲にも目配せをした。それに応えるかの様に、出てくるローブに身を包んだ者たち、全員がマギウスに所属していると、証の紋章が刺繍されていた。
「テメェら劣性のチームが戦う姿なんて誰も望んじゃいねぇんだよ、袋にされたくなかったら神山とあの銀髪主人呼んで、辞退の言質取らせろ」
全員が、魔法使いの闘士集団、マギウスが総出で、TEAM PRIDEの勝利を手段問わず奪いに来た。町田からすれば、ここまで恨み節全開で執念深く襲撃に来るとはと、少しばかり驚いた。
驚きはしたのだが、それは顔に出す事は無く、周囲を見てから町田は再び、鹿目に目線を移した。
「成る程な……そうして今までも、展覧試合に出てきたのか?」
「黙れよ、この世界、このシダトじゃ強いやつが正しい、勝ってしまえばどうとでもなるんだよ」
今までも、こうして展覧試合に参戦して来たのかと町田は尋ねた。鹿目の言い分に町田は、ここまで陰湿な外道がこの世界に居たのかと、溜息を吐いた。
それならばもう、我慢する必要も無かろうなと、町田は身体をリラックスさせながら鹿目に尋ねた。
「鹿目駿……ところで、何人集めて来た?」
「あ?人数聞いて何になるんだよ、まさか100人近く相手にしてテメェ、勝てるとでもほざく気かよ!!」
「そうか、そうか……」
100人近くかと、魔法が使えるとはいえ、素人が、たったの100人だけで来たのかと、町田は一度首を下げて目を閉じた。
『くれてやる、暴れて構わん、済んだらしばらく眠ってろ』
町田は、誰かにそう呟いた
「舐められたものだな、この俺も」
「ああ!?」
町田はそうして鹿目へ向き直り言い放つ、町田恭二の顔を見た鹿目は、呆気に取られた。
安生地の時でも、さも武道家の様な無表情で、達人気取りとばかりな平静な顔つきをしていた町田恭二が、歯を見せて、こちらに笑みを向けたのである。
それが、異世界にて戦い続け生き抜き、一団体の長にまで上り詰めた鹿目駿の、この世界で最後に見た顔であった。
『担架だ!!すぐに担架を!!」
『肋骨が突き破って出てる!!病院に緊急手術の手配を!!』
『血が止まらない!誰か、誰か止血を!』
あの時……あの日……俺の内に居た獣は目覚めた。
高校1年の夏……中学時代から、伝統派、フルコンタクト問わずに様々な空手大会に参じ、俺は表彰台を飾った。
『空手家一家が生み出した、新時代の空手家』
『若き天才』
『神の拳の再来』
格闘技雑誌、空手雑誌問わず、俺をそう称えた。
悪い気はしない、しかし俺にとっては、町田恭二にとってはそんな証や、成績などどうでも良かった。
つまらなかったのだ、単純に。退屈していたのだ、本当に。
ルールに縛られようと、裸拳で打ち合おうと、グローブに手を守られようと、空手で自分を脅かす存在は居なかった。
他の道場に顔を出しても、大人の黒帯ですら、俺との組手を避ける人が多かった。
この時ばかりは、それこそ様々な立技格闘技団体から来ていた誘いも真剣に考えていた。新天地に敵を求めて、踏み込もうとも思った。
そんなある日、空手情報雑誌にでかでかと、一人の男と流派が特集を組まれていたのを見つける。
『素手顔面アリの超実践カラテ流派!大真塾空手道の若きエース!薬師寺健一とは何者か!?』
聞いた事も無い流派だった。
調べてみれば、フルコンタクト空手の新興の流派で、なんと素手による顔面あり、肘ありという、バイオレンスなルールを良しとする流派であり、薬師寺健一は自分の二つ上で、この流派の顔役であった。
身長は189cm、体重も100kg近くという巨漢。高校生ながら大人達と遜色無い重量級の空手家に、俺は心臓が高鳴った。
そして特集ページの煽り文句だ。
『軽、中量級の町田と重量級の薬師寺!最強の高校生空手家はどちらだ!?』
雑誌の編集が様々なデータを元に、もしも彼と俺が戦ったならばと予想が細かに記され……体格差から俺が不利と結論を出した。
そうしたらもう、戦わねばなるまい。薬師寺という未知の空手家を前にした俺は、即座に父へ大真塾のオープントーナメントへの応募用紙に印鑑を貰った。
夏の終わり……俺は初めて薬師寺健一と対峙した。オープントーナメントで、改めて感じたのは、素手顔面ありというルールの恐ろしさ。伝統派の全国でこそ、当て止めで被弾した事はあるが、フルコンタクトの裸拳が顔面に向くと、こうも違うのかと戦慄した。
それでも、決勝まで上がり、薬師寺健一と対峙した時……俺は歓喜した。居たのか、こんなにも強い奴が!何故、何故こんなマイナー流派で燻っている!
体重差を感じた、凄まじい剛力を感じた、そして……そんな暴力性を感じない綺麗な空手に、俺は初めて試合で笑みを見せた。
試合時間はたった3分……開始49秒、僕は高校生になって初めて、膝を床につけた。技ありを奪われたのである。上段回し蹴りを被弾し、踏ん張れなかったがなんとかすぐ立ち、一本を免れた。
そう……そして、僕の中に居た獣が目覚めて。
気がついたら……道着の下から肋骨が破れ出て、血塗れの薬師寺健一が、両膝を落としてそのまま気を失っていた。
そうしてから、父や関係者に、何があったのか聞かされた。
『人が変わったかの様に、戦い方が変わった』
『凄惨きわまりなかった』
『一気に流れが変わり、一方的になった』
……いや違う。
実は……気付いていた。
自分自身が、薬師寺健一を嬲る様に戦った事を。
まるで、気を失い、本能だけで戦っていと僕は自ら言い訳していたのだ。
『薬師寺健一は強かったよ』
『あの上段蹴りで意識無くしてました』
雑誌のインタビューでも、そう答えた。
実際は違う……確かに薬師寺健一は強かった。
しかし……頑丈ではなかった。
嗚呼もっと、もっと戦いたかった。それこそ、命尽きるまで。
「お前はどうだ、鹿目駿?」
「あ?何言って……」
瞬間、町田恭二の右手が伸びた。右手親指と人差し指を立てて、咽頭への打突。そして……その親指と人差し指の脅威的なピンチ力に、皮膚と肉は貫通、喉仏をむしり取った。
次いで左手が拳を握り、胸部を殴打。幾人もの人間の胸骨を砕いた正拳は、此度も鹿目の胸骨を破砕し、心臓に突き刺さる。
終に右足甲部が、鹿目の股座を蹴り上げ、睾丸破裂及び、恥骨破砕、膀胱破裂に追いやった。
「せいぃやっ!!」
残心を取る町田に、あまりの事態に反応すら出来なかったマギウスの者達は、喉から、口から血を吹き出し、股座から尿とも血ともわからぬ液体を流し、立ちながら絶命するチームの長の惨劇を目の当たりにして、固まった。
「さて……長を失えどお前達はこうして、TEAM PRIDEに敵意を露わにした、また何処で手を出されても敵わんのでなぁ」
武人が嗤う、それは最早人が浮かべる笑みに非ず。野に放たれ、喰らう獲物を見つけた、肉食獣の如く歯を見せて笑った。
「俺の試しとなって死んでいけい、この町田キョウジの試し人形としてなぁ!!」
人祓いの魔法は、叫びも呻きも嘆きも逃さず閉じ込める。故に、この惨状を目撃する者は居なかった。




