漂流宇宙船国家トゥーアーン 前編
『青の旅人』は現在、輸送用宇宙船で帰投中だった。
彼の帰り行く場所――第二の故郷エレリアは、彼(彼女)の築き上げた特異惑星である。
その気になればエレリアには身一つで行き来できるが、大量の物資を運ぶために乗り物は不可欠だった。
やがて宇宙船は、ボイドと呼ばれる銀河のほとんど存在しない巨大な虚空領域へ突入する。
搭載された高性能AIが直線航路の安全を確認し、自動音声で呼びかける。
「間もなくワープ航行に入ります。衝撃に備え、SAFFで身体を固定して下さい」
「了解」
衝撃吸収力場(SAFF=Shock Absorber Force Field)――空間組変技術を利用した無形のシートベルトをスイッチ一つで起動させる。
SAFF着用を確認したAIは、直ちに超高速航行の準備を始める。
「5カウントで移行します。5、4、3……」
とそのとき、彼の心にノイズのようなかすかな音が飛び込んできた。
静けさに満ちた宇宙空間で滅多に届くはずのないもの。気になった彼は、AIを制止する。
「待って。ワープ中止」
「承知しました。安定航行を続けます」
旅人は耳をすませ、断続的に届く声のようなものを今度は確かに聴いた。
『妙だな。誰かが呼びかけている感じがする』
極めて小さいが、明確な意思を持った……そう、まるで救難信号のような――。
『おかしいね。この辺りには何もないはずだけど』
心の声に応じたのはユイ。旅人ユウの半身にして姉であり、彼の『心の世界』に潜むもう一つの女性人格である。
ちなみに彼が女性に変身する際、精神的にも女性に変化するのは、彼女が精神的に融合してサポートしているからだったりする。
もっともこの辺りの複雑な事情は、外から見れば何もわからないのであるが。
『気になるね。このままお土産を持って帰るつもりだったけど、ちょっと調べてみようか』
『うん。また面倒に巻き込まれるかもしれないけど、付き合ってくれる?』
『もちろん。どこまでも一緒だよ』
姉は温かく微笑んで弟に頬を寄せ、弟はいつものようにされるがままだった。
かように姉は弟を溺愛しており、弟も姉をかけがえのない存在として頼りにしている。
やはり心の内のことなので外からは見えないのだが、過酷な宇宙の旅においても真に孤独とならない彼(彼女)自身の秘密である。
***
かすかな手がかりを頼りに船を進めていくと、それは暗黒の宇宙で枯葉のごとく危うげに浮かんでいた。
『驚いた。こんなところに宇宙船があるなんて』
『すごく大きいね』
前方のライトで照らしてみれば、見るからに老朽化が進んでおり、相当な年月を重ねたものであることが窺える。
廃棄宇宙船かと見紛うオンボロさであるが、彼の生命感知は信じ難いことに数百を数える人の命をそこに見つけた。
このコロニーはまだ生きているのだ。辛うじて。
さて、通常はここまで接近すれば何かしらの警告を発してくるはずだが、一向に反応は見られなかった。
物言わぬ宇宙船は、死にかけの老人のように静穏を保ったままだ。
『レーダーが壊れてたりするのかな』
『警戒するにも疲れてしまったのかもね。普通は永遠に見つかるはずがないもの』
宇宙船はそれ自身が光を放つとしても極めて弱く、星に比べれば遥かに小さい。
広大な宇宙の中で一粒の砂と巡り遭うのは、それこそ奇跡にも等しい。
だが旅人は心の力を持つ。特別な感受性によって、奇跡を必然と結び付けることでようやく辿り着いたわけだ。
そして確かに、先方の何者かは――たった一つの声らしきものは今も彼を呼び続けている。
……奇妙なことに、彼の見い出したどの人間の心の声でもないわけだが。
『どういうことだ』
『わからない。人じゃないのかも』
『別のモノがいるって?』
人でないモノの厄ネタ率の高さには経験則がある。
【運命】に溺愛と言って良いほど呪われたユウは、生まれながらの深刻なトラブル体質であるからだ。
ゆえにどうしても警戒を強めるが。
『まあ何とかなるでしょ。私もいることだし』
わりあい楽観的なのは姉の方で、時たま気後れしそうになる弟の背中を押すのが役目だった。
しかも彼女だけではない。こういうとき、決まって横やりを入れてくるのがいる。
『わたしとあれだけ戦っておいて、今さら怖いものなんてあるの』とか煽ってくる宿敵が。
『それを言ったらそうなんだけどさ』
かつて二度とやりたくない凄惨な死闘を演じ、今は自らの『心の世界』に封じ込んでいる当の相手に、ユウはじと目を向ける。
彼(彼女)に青の力をもたらし、同時に極めて重い制約をもたらした――なお現在も苦しめ続けている元凶。
本体は【神の器】をいつでも【侵食】しようと暴れ馬のままな一方で、いつの間にやら『端末』と称して、自分たち姉弟そっくりで小柄な少女の精神体まで造り上げている。
三人目の『家族』。これが彼女にとっての妥協点であり、一応は人を知ろうとしているつもりのようだ。
隙あらば精神戦や乗っ取りを挑んでくるこの内なる最悪の敵は、近頃は生意気な『妹』の立場にも居心地を感じてはいるらしく。
触れ合う旅の中で少しは人の心を知れたのかもしれないと思いやりつつ、だからこそ余計に厄介な存在になってきたとも言える。まったく油断ならない相手である。
ともあれ、『心の世界』は姉妹天下であるには違いない。
「飛び込んでみないことにはわからないか」
トータル二対一で、ひとつのユウとしてはあっさりと進む決断を下したような形になるのだった。
「このままあの宇宙船に沿って進めて」
「承知しました」
AIに自動航行の指示を出し、彼自身は向こうの宇宙船の最下部へ狙いを付ける。
ちょうど人の気配のないところを見定めて、男としての得意技の一つを発動させる。
《パストライヴ》
物理障壁を一切無視した瞬間移動によって、彼は瞬時に宇宙船内部へと潜り込んだ。
節電のため不要な区域では電源が落とされているのか、辺りは真っ暗だった。このままでは何も見えない。
青のオーラで照らすこともできるし、心眼で見通すこともできるが、あれは腐っても奥義なのでここぞというときに使うもの。
ただの明かり一つのために無駄に消耗することは避けたい。
そこで彼は光源魔法を使うべく、内なる姉と「くっついて」己の性別を変じた。
瞬時に背が縮み、やや髪が伸びて、男装の旅服を押しのけながら女性のラインを形作る。
「んー」
女の子になったユウは、違和感に顔をしかめた。
「今日の服、ちょっときついかな」
戦いでしょっちゅうダメにするものだから、買い出し先の星の服屋で適当に見繕ったものである。毎度ベストフィットとはいかない。
伸縮性に欠けるのか、尻と胸のところに引っかかりを覚え、特に胸の方は今にもはち切れそうになっている。
仕方なしに胸元のボタンを一つ開けようかと思うが、手元が見えないのでひとまずは。
《ミルアール》
彼女の掌から拳大の光球が生成され、辺りを照らすようにくるくると回り始めた。小さくても暗い部屋を明るくするには十分な光量を保っている。
それから彼女はボタンを外し、上辺を外気に晒すのと引き換えに緩めた。少し恥ずかしいが仕方ない。
変身を考慮してか、彼女には女物の下着を身に付ける習慣がないので、こうして傍目からすれば完全に危うい女の子の出来上がりである。
ところが本人には永遠に自覚が足りないので、殊更タチが悪いのであった。
そんな余談はさておき、周囲を警戒しながら彼女は慎重に歩を進めていく。
やはり内部も相応に老朽化が進んでおり、塗装が取れて剥き出しになった配管の数々や、割れて動かなくなった計器などが痛ましい姿を晒している。
途中、まだ辛うじて読める案内板を見つけた。
「開拓宇宙船トゥーアーン――希望を込めて」
彼女のつぶやきがそれを読み上げる。フェバルの自動翻訳能力が、それが希望を意味する単語だと認識させる。
どうやら艦は四層構造になっているらしい。最下層は積載庫や駆動系が大部分を占めているようである。
随分長いこと放置されているのか、滅多なことでは人が来ないのか。ともかく最下層には誰もいないようだ。
さらに進んでいくと、上下層を繋ぐ移動用チューブが見えてきた。
階段もない吹き抜けで、最下部に反作用を生むキッカーが付いているだけの単純な構造だが、本来無重力の宇宙空間の移動にはこの程度で十分なのだ。
宇宙船において重力とは、人間の健康的な活動のためわざわざ人工的に発生させるものであり、局所的に切る技術さえあれば上下間の移動は容易い。
とは簡単に言うものの、遠心力や魔法技術等で重力を全体構造に付与するのは比較的容易な一方、部分的排除は中々に高級な技術だったりはする。
宇宙船の巨大さからも推察できたことではあるが、つまりこれを造った当時の文明は優れたものであったには違いない。
生きた人の反応は最上層に寄せ集まっているが、いったん下から数えて第二層をちらと覗いてみる。随分開けた場所らしい。
光球を飛ばして、ずっと向こうまで旋回させてみる。無数の崩れた住居が立ち並び、そこは廃棄された居住区のようだった。
乾いた血の痕などが未だに残っているのは、それを風化させる自然が存在しないためだ。かつて大きな争いがあったことが窺える。
昔は数万人でも余裕で収容できたのだろうと思わせる広さと無残な滅びぶりは、いっそう栄枯盛衰を感じさせた。
――なるほど。人が少なくなって維持できず、放棄されちゃったのかな。
閉鎖的で資源の限られた空間だ。きっとろくな最期ではなかったでしょう。
旅人は一人合点し、何となく手を合わせて冥福を拝んでおいた。
続く第三層は、さらに立派だった構造物の残骸がずらりと立ち並ぶ。
第二層が居住区なら、こちらは工業区に相当するだろうか。やはり激しく争われた形跡が時を経ても色濃く残っている。
こちらにもささやかな祈りを捧げた少女は、するすると第一層――唯一生者の確認できる階層へと上がっていく。
果たしてどういった巡り合わせになるか。期待と緊張を交えつつ。
これまでと違って薄暗く灯りが続いており、光球を走らせずとも周囲を窺い知ることができた。
種々の構造物に意匠をこらした様は、元は身分の高い者たちが住まうための区画だったのではないかと思わせる。
おそらくはその分だけ堅牢だったのだろう。生活循環系はまだ辛うじて生きている。
ただしほとんどは打ち捨てられており、わずかな残存者は中心部に身を寄せ集めて暮らしているようだ。
そこへ向かっていくと、ついに第一住民と目が合った。
アルビノの少女は幽霊でも見たかのように口をあんぐりと開け、わたわたしながら応対した。
「まあ信じられない……。あなた、本物なの? いったいどこからいらっしゃったんですか?」
「えっと、通りすがりの旅人です。ここは偶然行きがかりで見つけたと言いますか」
「なんてこと! 奇跡だわ! ちょっと来てちょうだい!」
「わっ」
強引に手を引かれ、小広場に連れ出されたユウにぞろぞろと奇異の視線が集まり始める。
アルビノの少女は彼女を指差して、高らかに宣言する。
「みんなー! ほら! 外人が来てくれたのよっ!」
半信半疑だったもの達から、どよめきと歓声が上がる。
「おお」「外人だ……」「外人がいたぞ!」
「きれいなおなごじゃ」「女神様みたい」「このような日が来ようとは……」
「ありがたや」「ありがたや」
美貌まで持て囃され、ついでに拝められまですると、ユウとしてはただ苦笑いするしかなかった。
しかしなるほど。人並みには可愛い自負はあったが、事ここにいたっては異様に持て囃される理由も頷けた。
皆共通して色が抜けたように白く、貧相で血色も悪い。
宇宙生活の影響なのか近親交配の影響なのかはわからないが、奇形の割合も異様に高い。
だから健康的な女子というものを見たことがないのだ。
本当にただ身を寄せ合って、辛うじて生きているばかりの有様だった。
ともかく、物珍しい存在として歓迎され、敵対的なムードにならなかったのは彼女としてはありがたい。
親しみやすい雰囲気がそうさせたのか、わずかな子供たちは警戒なくユウにしがみついて、あれこれと話をせがむ。
ユウは穏やかに微笑みながら、旅の中でも優しい物語を選び取って語り聞かせることとした。
アルビノの少女は子供たちの世話役でもあるようで、時折彼らを窘めつつも、本人の方がむしろ興味津々だった。
大人達も例外なく奇跡の来客の話に聞き入って、さながらお祭りのようである。
そうこうしていると、ふらふらと一つの人影が近付いてきた。
「これこれ。どうしたのかね。皆そんなに騒ぎ立てて」
しわがれた男の老人であった。
ずっと目を瞑ったままの様子から、既に光を失って久しいと見える。
アルビノの少女――名をケイシーといったが、彼女はかしこまって答えた。
「長老様。外人がいらっしゃったのですよ」
「おお。なんと……!」
いたく感動に打ち震えた彼は、頼りない足取りで旅人の少女へ傅く。
丁重に手を差し出したので、ユウもならって傅き、諸手を包むように受け取った。
「我々はようやく巡り遭えたのですな」
閉塞感に満ちた人生、数々の労苦もあったのだろう。
人目を憚らず感涙までする姿に、彼女は言いようのない同情を覚えた。
長老は諸手を掲げ、全員に呼びかける。
「皆の者。外人は今ここにおわせられた。ぜひとも宴にしようではないか!」
「「おおー!」」
皆いっそう活気立ち、和気藹々としながらてきぱきと動き始める。共同体としての連帯感の強さが垣間見える手際だった。
ただ宴といっても、酒や肉の類などは一切見受けられない。実際そんな贅沢物を造る余裕は一つもないのだ。
どろどろに濁った泥水のようなスープを掬って、ありがたく皆で分かち合っている。
むせ返るような悪臭が鼻を突き、とても人の食べ物とは思えない有様にたまらずユウは胸が詰まってしまう。
隣に腰掛けたケイシーが微笑みながら、ご馳走のようにそれを差し出してくる。
「味はみっともないけれど、栄養だけは満点なのよ」
「貴重な食べ物だよね。よそ者の私が頂くわけにはいかないよ」
「大丈夫。ご先祖様たちもきっと、歓迎して下さるわ」
器に入ったものを見つめて当たり前にそう言うものだから、旅人は衝撃を受けてまじまじとそれを見つめた。
ひどい濁りの中に細々とした肌色の練り物と、ぎとぎとした油のようなものが浮かんでいる。
心の読める彼女は薄々察してしまったが、そこへ子供の一人が無邪気に割り込んで、残酷な答え合わせをしてしまう。
「これね。人のスープなんだ」
「――――」
ユウはついに絶句し、固まってしまった。
もしやと思っていたが、面と向かって突き付けられると本当に息が苦しくなる。
みんな、こんなおぞましいものをずっと食べて暮らしているのかと……。
「それは、本当なの……?」
「ええ。もちろんそのままではないけれどね。私たちは――人の命を頂いているの。限りあるエコシステムの中で生きているのよ」
ケイシーは血塗られた歴史を語る。なるほど話を聞いてみれば、もうそれしかない答えだった。
外部からの供給が何一つとしてない漂流宇宙船。この閉じられた小世界において、有機物の量なども極めて限られている。
初期の供給システムが壊れて立ち行かなくなったとき、深刻な食糧不足が起こったという。
下層における壮絶な殺し合いには、実は口減らしの意味が大きかったのだ。恐ろしき人の業の一側面を見た。
そして亡くなった者たちは、この限られた宇宙船国家を護る有機循環の一部となり、子孫たちを代々育んできたのだ。
彼女たちは非業の争いを生き残った者の子らであり、同時にそうまでして生き永らえてしまった者たちなのだと知る。
『人が人を食べるだなんて、面白い文化もあったものね』
頭の中でくすくすと弾む声にユウはうんざりしつつ、しかし事実は事実として受け止めるしかない。
部外者が下らない正義感で非難すべきものではないだろう。あまりに厳し過ぎる環境が、どうしても他の解決策を用意できなかったのだ。
だとしたら余計に旅人風情が口にするわけにはいかず、少女は俯きがちに心を痛めていると。
「ひどい話だと思いましたかな。我々も同感ですよ」
いつの間に側へ来ていた長老は、疲れを含んだ声でそう言った。
ケイシーはユウの手をひしと取り、真っ直ぐな瞳で告げる。
「だから私たちはずっと探しているの。いつかこの暮らしを終わりにできる新天地をね」
気付けば、皆が旅人を羨望と期待の眼差しで見つめていた。
一つの生き物のように総意された意思が、その答えを待っていた。
代表して長老が、かねてよりの悲願を口にする。
「旅人様よ。よろしければ、我々にその在り処を授けては下さらんか」
そうか――青の少女は、彼らの逃れようもない生き様を悟った。
これは言わば弔い合戦のようなものだ。老人は失われた光の奥に、なお信ずべき未来への執念の火を灯しているのだ。
一同は固唾を呑んで見守っている。そうすることでしか、それだけが残された彼らの生きる希望だったからだ。
「…………」
旅人は慎重に口を紡ぎ、即答することをしなかった。
周辺の地理を知らなかったからではない。それを軽々に答えてしまうことの重大な影響に対して、無責任になれなかったからだ。
エレリアに難民として受け入れることも過ぎったが、決して大きな星ではない。
あそこはこの世に生きる場所のない、【運命】に呪われた『異常者』たちを護り育てるための場所だ。
今や彼女には一つの星を治める者としての責任がある。同情心だけで際限なしに難民を受け入れるわけにはいかない。
その先に待つものは、悲劇的な共倒れに違いないのだから……。
綺麗事ではない打算が働いてしまうことに嫌気を覚えつつも、結局は差し障りのない回答に留める。
「すみませんが。私はしがない流れ者ですから。ろくに道案内もしてやれません」
「そうか……。知らないと申されるか」
大いに落胆する民衆に、せめてもの親切は届けたいと思うのが彼女の良心であるが。
ただその前に一つだけ、確認しなければならなかった。
「もし新天地を見つけたとしたら、どうしますか」
長老は険しく眉根を寄せ、悲願であり長として当然の野望を語った。
「我々は再び繁栄せねばなりません。そうしなければ、何のためこうまでしてきたのだ。誰にも申し訳が立ちません」
「そうですよね。それは何を犠牲にしたとしても」
「言うまでもありますまい」
まったく予想通りの返答に、少女もはっきりと心を決めた。
ならば答えは一つ。やはりどうしても教えるわけにはいかない。
沈黙でその場をやり過ごそうとした少女であるが、その凛とした面構えと嘘が苦手な生来の性分は、民衆にも何かを感じさせたのだろう。
微妙な空気が包む中、長老は確信を得てついに豹変した。
「皆の者。この薄情者を捕えよ! 秘密を聞き出し、血肉を我らと先祖の御霊に捧げるのだ!」
まったく。人を原材料にしていると聞いてから、嫌な予感はしていた。
のこのこやってきた肉付きの良いおなごなど、ご馳走の素でしかない。それこそ祭りになるほどの。
にわかに色めき立った民衆に対し、だがユウはとても怒りを向ける気にはなれなかった。
ただ悲しげに瞳を揺らし、為すべきことを為す。
深青のオーラを纏った指先が空を切ったとき、彼らの認識はそこでぴたりと止まってしまった。
そのはずだ――なぜなら、時間そのものが途切れているのだから。
彼女は時間という概念そのものに傷を付け、一時的に止めてしまうことさえも不可能ではなかった。
「……残念ながら。君たちとは争う土俵にないんだよ」
その意味もない。君たちは……人間だからね。
か弱く、縋り。苦しみの中にあっては、恐ろしい野望でも何かを頼みにしなければ生きられない。
悪いのは血塗られた歴史であり、変えることのできなかった流れであり、生まれ育った環境である。
凍り付いたケイシーの肩にそっと触れ、ユウは憐れみを込めて言った。
刻み込まれた生き方しかできない、不幸を不幸と知ることもできない彼女へ。
「ごめんね。時代や環境が許せば、あなたとは友達になれたかもしれないのに」
昂った民衆を冷ややかな目で一瞥すると、結局誰も傷付けることなく彼女は姿を消した。
時が動き出す。
「どこだ」「どこへ行った!」
血眼になって探すけれど、旅人はもうそこにはいない。
ケイシーは肩に触れた手の温かみだけを名残に、きっともう戻っては来ないだろうと悟るのだった。
***
開拓宇宙船トゥーアーンには、人としての長の上位に全体システムの統御を担う管理AIがいるという。
その名をトゥーリアといい、艦内最上部の閉ざされたフロアに鎮座している。そのように聞いた。
長らく誰も使うことのなかった対話用インターフェースに、『青の旅人』は密かに接続していた。
「ずっと私を呼んでいたのは君だったんだね。トゥーリア」
だから救難信号のような、何ともはっきりしない『声』だったわけだ。
『お待ちしておりました。我々の現状はご覧になられましたでしょうか』
「よくわかったよ。君が困っていることもね。さて、大事な話をしようか」
一人の旅人と管理AIとの話し合い――知られざる「対決」が始まった。




