1-74"ただの痴話喧嘩"
「大人しく捕まっていればよかったのにな。そうすりゃアイ様の下で生きられたんだ。お前はいつも気に入らないばかりことしやがって」
「ふふ。でも今回ばかりはわたしが正しくってよ。あなたが道を外れてしまったなら、今度はわたしが止める番」
「道を外れてばかりなのはお前さ。どんなに拭っても血塗られた過去は消えない」
「ええ……そうね。その通りよ。過ぎ去ったものは返らない。だからね、せめて今と未来を変えるために。精一杯やるのよ!」
「お前の人生こそ間違いだらけだ。何も変わらない。だから死ぬ羽目になるのさ!」
普段の彼なら、どんなに悪態を吐いてもこんな風に人を根本から否定はしない。わたしを庇ってくれたあなたなら、そんなこと言わない。
化け物に歪められた認識に物悲しさを覚えつつ、カルラはいつでも動き出せるよう身構えた。
サークリス魔法卒業から十余年。
『仮面の集団』によるオズバイン家暗殺事件からただ一人生き残った現当主として、サークリス再建に敏腕を振るい続け。彼はさらに実力と風格を増していた。
やはり腐っても当代最高の魔法使い。こうして対峙しているだけでも威圧感が肌を刺す。明らかにやばい相手だとわかる。
ちょっとカッコ付け過ぎたかしら。
いいえ、どうしてもこの”喧嘩”だけはわたしが買わなくちゃいけない。誰にも譲れない。
本当のあなたに伝えたいことがあるから。
《クロルエンス》《ファルスピード》
二大加速魔法を同時に自身へ施し、二人は同時に駆け出した。
加速魔法の開発と普及は、現代魔法戦を丸っきり変えてしまった。
もはや古典的に立ち止まって芸もなく撃ち合うなどしていては、誰もまともに当たってなどくれない。
双方積極的に動き回り、隙を見出して活路を拓くのだ。
そして完成されたアーガスという男に、余計な見栄はもはや存在しない。人を殺すのに必要十分の構成をもって襲い掛かる。
《グランセルビット》
初手から容赦なく超重力による加重を仕掛けるが、しかしカルラの動きが損なわれることはなかった。
《マインドリンカー》による想いの力が現実的制約を超越し、重力という物理的事象よりも彼女自身の望むままの動きを優先させる。
「へえ。小細工は効かないってか」
重力魔法の秘奥すら数ある引き出しの一つに過ぎないアーガスはあっさり諦めると、巨大攻撃で押し潰しにかかる。
《ボルケット・ブランヴェル》
《ケルディオンタス》
火と土の超上位魔法が双方から撃ち出され、それは互いの超絶的バフによって山ほどの規模になって中央で激突した。
破壊振動が大気を揺るがし――その収束を見るより早く二人はもう動き出している。
《ヒルクレスト》
《ファルレンサー》
アーガスが十万を超える氷柱の槍を降らせれば、カルラは数万を数える風の礫で退ける。
双方強化された分、かえって素の魔力差が浮き彫りになっていた。
「くっ!」
カルラは致命傷になりそうなものだけを弾き、多少の傷は受け入れる。
そうしなければとても捌き切れない。
《《デルバルティア》》
アリスが開発した雷の超上位魔法も、今や二人にとっての共通知識。
しかし規模、速度、精度。どれをとっても彼が一歩も二歩も上回る。
アーガスの雷がカルラの雷を喰らい、巻き込んで彼女の方へ向かっていく。
同じ魔法の撃ち合いなら、やはり彼の方が上――!
カルラは内心舌打ちしつつ。わかっていたことではあるので、回避のために飛び上がったが。
既に上空では、彼が動きを予測して先回りしていた。
しまっ――
《グランセルタウク》
破壊的な重力加重を伴った不可視の遠当てが、痛烈な一撃となり彼女の全身を打ちのめす。
痛々しい呻き声を発しながら、カルラは地に叩き付けられ、さらにめり込んでいく。
「どうやら瞬間的な加重なら効くらしいな」
天才アーガスは、想いの力とやらも万能ではないことを戦いの中で見抜いた。
あらゆるものに対して無敵の力など存在しない。そんなフェバルじみたずるをするような心根ならば、『奇跡』など宿らない。
どんなものでも。戦う意志を伴った明確な攻撃は、やはり適切に見極め捌かなければならないのだ。
できなければ、無様に叩きのめした彼女のようになる。
TSとは、あくまで超越的存在と対等に戦う土俵に上げるための武器である。
それ以上のことは、実力次第。
このシビアな誠実さこそが、『奇跡』を実現するための最低限の制約だった。
そしてそのために、彼我の残酷な実力差となって結果に表れていた。
「まだだ! 負けるかああああああああああーーーーーーーーーーーっ!」
気合いの掛け声とともに地面をひっくり返して、カルラは空高く舞い上がる。
だが如何ともしがたい。再び彼と同じ目線に立ったとき、既に服はズタボロで構えるのがやっとなほどだった。
「崩れたな。いい女が台無しだ」
「は。こんなときでも世辞は言うのね。クソイケメンが」
「言ってろ。そのまま死ね」
《キルバッシュ》
完成された戦士アーガスは、冷徹に闇魔法を速射する。
決して近寄らせない。手心など加えない。
無限連射の闇の刃が、次々とさらに彼女を傷付けていく。
光の魔力による防御と、情けばかりの光刃の反撃をもってしても、男には痛痒に
「どうした。威勢だけで防戦一方か。このオレに挑もうというのがお門違いだったんじゃないのか?」
肩口が切り裂かれ、脇腹に血が滲み。太ももが痛ましく開き。
大切な女の髪も、少しずつはらりと削り落ちて。満身創痍もいいところ。
だが彼女には諦め切れない、切なる想いがあった。
彼がやりたいのは殺し合い。わたしは”喧嘩”をしに来たの。
あなたを無暗に傷付けたいわけじゃない。そんなことをしに来たんじゃない!
その気高き想いが力となり、彼女を本当の死と敗北からは遠ざけている。
そればかりか、徐々に高まる心の力が脅威を退けつつあった。
当たりかけた傍から、闇の刃の構成が解かれて消えていく。カルラは無意識に闇魔法の本源を見極めつつあった。
「ちっ。しぶとい奴め」
小技をいくら撃っても決定打にはならないと判断したアーガスは、距離を取って掌を天に掲げた。
やはり想いの力というのは得体が知れない。接近戦だけは得策ではない。
どんな形でもワンチャンスを狙ってくる。
彼が選んだのは、超重力による一撃必殺だった。
かつて世界最強の剣士クラム・セレンバーグに致命傷を与えた、彼が持つ最高の魔法の一つである。
「これで終わりだ」
《グランセルレギド》
上空にブラックホール様の重力球が発生する。
光さえも閉じ込められ、捻じ曲がり。空間が著しく歪んでいる。
同じ名前の魔法でも、規模はあの日とまるで比べ物にならない。
星に向けて放てば、まったくただではでは済まないだろう。
そんなものを、ただ一人の敵に向かって放とうとしている。
迎え撃つカルラは決死の覚悟で、右手に力を込めていく。
わたしは、勝つんだ。伝えるんだ!
不思議とそれはユウが宿すものと同じ、穏やかな海色を湛えていた。
ついに撃ち下された絶望の巨大魔法に。
一人の女が猛き叫び、果敢に挑みかかる。
「うおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーっ!」
そして。
ついに激突しようとする瞬間――信じられないことが起こった。
重力球の構成が綺麗に解かれて、露と消えゆく。
恐るべき災厄の重力魔法が。何事もなかったかのように、空は静寂を取り戻す。
アーガスは目を疑った。あまりにも馬鹿げていた。
彼女の力だけではあり得ない。まさか。
気付けば、眼下には愛弟子の姿があった。
エイミー、お前の仕業か――!
「こんのっ! バカアーガスがーーーー!」
懸命に真っ直ぐ突き進んでいた彼女が、ついに届く。
カルラは全身全霊を賭けて、渾身の一撃をお見舞いした。
***
「ありがとうございます。ユウさん。私にも戦う力をくれて」
時空魔法の術式化。
理論上はできると信じていたけれど、まだまだ術式の洗練と何より自分の魔力が足りなかった。
今ちょっと下駄を履かせてもらって、ずるしちゃいましたけど。方向性は間違っていなかった。
『虚無化』の術式魔法を発動させたエイミーは、大事な手助けをできたことにほんのりと微笑む。
「アーガス先生。あなたの共同研究者として、少しでもいいとこ見せたいですからね」
後に世界を根底から変革する史上最高の天才は、今確かな萌芽を見せつつあった。
***
下手をやった狼藉男に、成敗女のすることなんてただ一つ。
”ただの痴話喧嘩”に、何も特別な魔法など要らない。
めいっぱい想いを乗せたカルラ渾身の右ストレートが炸裂し、アーガスの頭をガツンと叩き直す。
世界最強の魔法使いが面白いようにぶっ飛ばされ、情けなく大地に転がった。
これできっと――きっと届いたはず。
傷だらけのカルラは最後の力を振り絞って着地し、肩で大きく息をしながら、祈る眼差しで彼を見守る。
「あー……」
倒れたアーガスから、ばつの悪い響きが漏れた。
「いてえんだよ。相変わらず馬鹿みたいに真っ直ぐ殴りかかって来やがって」
殴られたところをさすりながら、やおら身を起こした彼に。
「お前だけだぞ。ほんとによ」
いつものクールで優しい彼の瞳を確かに見つけて。
カルラは胸いっぱいになり、怪我も忘れて飛び付いていた。
男女が二人、地面に転がり込む。
「おい。おま――」
何か言いかけた彼を、情熱的な唇が塞ぐ。
縺れ合うままに、激しく愛を確かめ合う。大事な彼をもう二度と離さないと。
彼女は……本当はずっと怖かった。
また愛する人が、二度と手の届かないところへ行ってしまうのではないかと。
どんなに普段明るく気丈に振舞ってみても。彼女の本心はずっと一途で繊細なのだ。
ようやく唇を離すと、彼女は切なく目を細めて。泣きそうな声で願った。
「あなたを愛しています。わたしと結婚してくれますか」
――――
アーガスは鼻で笑って、ぴんと彼女のおでこを弾いた。
「ひゃっ」
「これだからお前は。やっぱ何にもわかってねえ」
「……なによ。せっかく人が勇気を出して、ロマンチックに決めようとしたのに」
寂しそうに文句を続けようとした唇を、そっと人差し指が止める。
「違うだろ」
アーガスはいつになく真剣な瞳で、言った。
「オレから言わせろよ。そんな大事なことは」
はっと息を呑む彼女に、彼は大切に言葉を選んで告げる。
「カルラ。お前を愛している。まだ家は寂しいけどさ、オレのところへ来てくれるか。一生大切にする」
彼女は嬉し涙を目にいっぱい浮かべて、しおらしく頷いた。
「――はい」
再び、愛し合う者同士は固く分かちがたく結ばれる。
オズバイン家は、アニエスの生まれる未来へと続いていく。




