”ユイはまだ生きている”
ユウはゆっくりと身を起こすと、まずは身体の具合を確かめた。
深く傷付いた身体の方は再生している。まったく問題ないようだ。
リルナが助けてくれたこと。ミックたちが必死に看病してくれたこと。
彼女がずっと呼びかけてくれていたことは、覚えている。
「…………」
立ち上がり、窓の方をぼんやりと眺める。
真っ暗な宇宙空間がどこまでも広がる様を見つめて、物思いに耽っていると。
そこへリルナが入ってきた。
彼女もつい先ほど、壮絶な記憶との戦いを終えていた。
アルの用意した罠――『痛み』に打ち勝ったのだ。
リルナはようやく身を起こしたユウの姿を見つけ、一瞬顔を綻ばせる。
だが物憂げな横顔を見つめたとき。すぐにどうしようもなく哀しくなってしまった。
この人が過ごした年月の果て、いかに変わってしまったかが見えてしまったからだ。
エラネルの青春は。エルンティアで過ごした戦いと愛の日々は。
たくさんの苦い出来事はあったけれど、良き思い出としてお前に刻まれていたはずだ。
だがその後は、あまりにも……。
アッサベルトで得た『絶望』が。ラナソールでの『覚悟』が。リデルアースで受けた『痛み』が。
もはやこの人を。
【運命】に振り回されながら、誰よりも人であろうとし続けたこの人を。
ついに人にはしておかなかったのではないか。
かつての優しいばかりのユウならば、決して持ち得なかった。わかる人にはわかってしまう。
もはや常人ではあり得ない――凄みを帯びていた。
弱き旅人は戦士となり。誰にも真に理解できないほど、遠くへと行ってしまった。
もはやわたしにも。奪われたたった一人の『姉』を除けば、誰にも【運命】を分かつことはできない。
かくも壮絶にして、寂しいものなのか……。
「泣きそう」になりながら、一抹の不安とともにリルナは問いかける。
「お前……変わったか? 何というか、雰囲気が」
「いや……うん。そうだな。色々あったからね。本当に……色々なことが」
少し俯いた横顔は、どことなく憂いを帯びている。
どこか寂しそうに。【運命】に虐げられた人々の深い哀しみを背負っている。
「もしかしたら。とっくにどこか、おかしくなってしまったのかもしれない」
「……なあ」
「でもさ。信じて欲しいんだ」
彼がリルナを真っ直ぐに見つめたとき。
彼女にもようやくわかった。ほっとした。
大好きな瞳だけは、そのままだと。
根は揺るぎない意志と、世界の厳しさを正面から見据えるだけの強さが。
そしてあれほどのことがあっても。憎しみや怒りには染まらない。
決して消えることのない、穏やかな温かさが。優しさが。
「大切なものだけは。一番大切なことだけは、変わってないつもりだから」
杞憂だった。
この人は、ちゃんとユウのままで。優しいままで帰って来てくれたのだ。
「ああ。信じるよ。お前は間違いなく、星海 ユウだ。よく帰ってきてくれた!」
「ただいま。リルナ」
「おかえり。ユウ」
二人は固く抱き合い、数年ぶりの熱い口付けを交わした。
***
限られた時間の許される範囲で、愛を確かめ合った後。
「随分遅かったじゃないか。待ちくたびれたぞ」
「ジルフさんにも怒られちゃったよ。『起きろ。バカ弟子が』って」
そのことから、薄々何があったのかも察してしまったけれど。
「なあ、リルナ。話を聞かせて欲しい。今まで何があったのかを」
「つらい話が多くなるぞ」
「わかってる」
覚悟を決めた男の瞳に、今さら聞くことでもなかったかとリルナは微笑む。
そして彼女は、知る限りのことを話した。
今はトレヴァークに向かっていて、間もなく到着予定であること。
ユウの旅したあらゆる世界が、皆大変な状態になっていることを。
アイが各地を洗脳して回っていることを告げたとき。
ふと、ユウの口から疑念が漏れる。
「なぜだ」
「ん?」
「どうしてそんな回りくどいことをするんだ」
「なに? いや、そうか……」
言われてみれば。
アイは欲望に忠実である。欲しいままに侵し、そして喰らう。
それにしては、もってまわったというか。やり方が回りくどいのではないか。
「あいつは、どんなに人を虐げるのが好きでも。無駄なことだけはしなかった」
食べられるものなら、とっくに食べているはずだ。
ごちそうを前に自らお預けするような、素敵な性格はしていない。
だから何か不自然なんだ。おかしいんだ。何かが。
ユウはそこで、はたと気付く。
なぜあいつは、最初から勝負を決めなかった。
リデルアースで。俺もあのとき一緒に喰らってしまえば、それで終わっていたはずだ。
もはやまともに抵抗する力もなかったのだから。
なのにどうして。わざわざ痛め付けるような真似なんかした。
今だって。【神の器】を介して触れられるのだから、その気になればとっくに食べられるはずなのに。
どうしてこの戦いは、まだ続いている……?
そして、ついに真実に気付いた。
「ああ。そうか。そうか……」
ユウの目から、絶望や哀しみとはまるで異なる。
熱く、温かな涙が溢れてくる。
「どうした? またつらくなったのか」
「いや……。大丈夫だ。もう、大丈夫だ。わかったんだ」
あの人は。約束を一度だって破っちゃいなかった。
たとえ声が届かなくなっても。誰よりつらくても。
ずっと一人で戦っていてくれたのだと。
そして――今も。
袖で拭って、再び顔を上げたとき。
彼の目には、どこまでも戦い抜く意志と。必ず間に合わせるという強い決意が灯っていた。
「ユイは――姉ちゃんはまだ生きている!」
***
[心の世界]
アイはあれからずっと、どこかでは不機嫌だった。
記憶も。姿も。読み取れる感情も。力をほとんどすべて奪っても。
全身を触手で絡め取っても。肉で包んでも。どんなに苦痛と快楽を与えても。
この女は決して、最後まで折れようとしない。心だけは渡さない。
そればかりか。
【侵食】のうち『人を喰らう』力だけは、自ら枷となって封じている。
リデルアースにおいては、それでもアイ因子の結び付きが勝ったが。
その後の世界では、どんなに洗脳を加えても。どれほど侵しても。食べることだけは許さなかった。
だがお前の意志は徐々に弱まってきている。とうに星々へ唾は付けている。
あとはお前さえ折れてしまえば。融け合ってしまえば。すぐにでも喰らってやる。
お前の大切な『弟』も。誰もかも。すべて。
もはや時間の問題だと言うのに。
「あなた。いつまで無駄な抵抗を続けるつもりなの?」
「言ったでしょ。最後まで負けるつもりはないって」
星海 ユイは。
この宇宙でただ一人、いついかなるときもユウと【運命】を分かち合える『姉』は。
大切な『弟』のために。彼がまだ救えるように。決して手遅れにならないように。
アイと正面から向き合い、ずっと孤独な戦いを続けていた。




