81「『黒の旅人』が背負うもの」
内心大いに苛立ちながら、しかし気持ち良くライフル銃を連射するケイジのすぐ背後において。
突如として空間が引き裂け。
全速力で何かが――いや誰かの手が伸びる。
「あ、が……!」
凄まじいまでの衝撃に手が止まり、無様にライフル銃を取り落とす。
彼の胸を刺し貫いて、恐ろしい何かが飛び出していた。
すべてを殺す『黒の剣』が、背後より深々と突き立てられている。
ゆっくりと振り返ると、そこには――。
「お、お前……ユウ、め……!」
ケイジは表情を強張らせ、呻いた。
まるで感情の見えない、冷え冷えとした漆黒の瞳が。時空の裂け目の向こうから、彼をじっと覗いている。
滅びた前回宇宙の外側より、時空の壁を乗り越え。
現行宇宙に今しがたようやく舞い戻った、傷だらけの『黒の旅人』は問う。
深刻なダメ―ジを負ったままと言えど、なお依り代と本物では。格の違いはあまりにも明らかだった。
「何勝手なことをしている。依り代が。調子に乗るなよ」
「くは、は。お前はいつも……肝心なときに、間に合わないのさ……!」
ケイジは――アルは勝ち誇り、ただ一人永遠のライバルにしか見せない歯と感情剥き出しのほくそ笑みを披露する。
『黒の旅人』よ。せっかく僕の本体と奇跡の相打ちで深い傷を負ったようだが。
【運命】はなおあまねく支配的で、絶対である。
見よ。結局星海 ユナは、ああして「事故」で死んだ。僕ごときが気を揉んで出張る必要さえもなかったのさ。
オリジナルの僕の不在では――多少『異常』が発生しやすい程度では、何も本質的な結末など変わらない。
もし万が一何かがあったとして、『Project Integer』始め幾重にも保険を効かせてある。
いつもいつもしつこくて鬱陶しいお前に、また言ってやるよ。
無駄なことを。お前の努力も、執念も。何一つ意味などないのさ!
「精々足掻くといい。真の僕が舞い戻るまで……あとほんの8年程度さ」
「……もういい。死ね」
『黒の旅人』は今回もまた何も変えることはできなかったのかと失望しながら、一思いにケイジを消滅させた。
『黒の剣』は地獄も生温いほどの苦痛をもたらし、彼は凄絶な断末魔を上げてこの地球より永遠に消え去る。
しかし彼の差配によって既に「確定した運命」は、『黒の旅人』には如何ともし難い。
というより、いかに強くとも、ただ強さしか持たない『黒の旅人』であるからこそ、絶対に覆すことはできない。
確かに。いつものことだ。
また絶望の暗闇に塗り潰された、『星海 ユウ』の救えない人生が始まるだけ。
一抹の悔しさと失望と。しかしすぐに余計な感情など振り払う。
一体どれほど同じことを繰り返してきたと思っているのか。
また取るに足らない些細な違いを付け加えて、本質的には同じことが始まるだけ。それだけだ。
それでも戦いを止めるわけには。絶望に膝を屈し、足を止めるわけにはいかない。
なぜなら、俺だけが。
周回を超えて絶望の【運命】と戦い続ける、たった一人の戦士なのだから。
……しかし、何をあんなに必死になってまで「既定路線」に乗せようとしたのだ。あいつは。
いつもは『俺』の凶弾に、『母』が倒れて終わる。約束された儀式のようなものなのに。
まるでムキになって乱発しているようにしか思えなかった。何がそこまであいつを駆り立てた?
そして、凄惨なる現場へと向かい。
生前のケイジがついぞ見ること叶わなかった、ただ一つの「重大な違い」に。
『黒の旅人』は、思わず目を見張ることになるのだ。
星海 ユウは泣き疲れ、気を失って冷たいアスファルトの上に沈んでいる。
冷たい雨に打たれ続けて、哀れな姿でそこにいる。
まったくいつもと同じ光景。しかし。
『原初のユウ』の存在さえ知らぬ『彼』は、まるで想定もしない『事態』に混乱し、首を傾げた。
「女……?」
それこそが、アルが最も畏れた『事態』であると。
まだ『彼』は知らない。
それでも何か。決定的な何かが変わったのだと。
そのことだけは理解した『彼』は。
まともな感情を失ったと見えて久しい『彼』は。
「面白いじゃないか」
わずかに口角が上がるのを、止めることができなかった。
***
「なるほど。お前はよほど愛されていたんだな」
すべての記憶を読み取り、どんな事情があったのかも十分に理解して。
『黒の旅人』ユウは目を細め、そっと小さな女の子のユウを背負い上げていた。
いつになく感傷的な気分で。まだ自分にこんな人間らしい感情が残っていたのかと、驚かされながら。
いつものように転移操作で、事務的に自宅へ送り届けることもできたけれど。
あえて雨道を打たれながら、ゆっくりと静かな散歩を愉しんでいた。
何となく、そうしたい気分だった。
「なあユウ。これは下らない独り言なんだが。眠ったまま、聞いてはくれないだろうか」
俺はきっと、暗に優秀であることを望まれて生まれ育った。
お前のように優しい子に育つようにと、散々温かく言い聞かされて育ってきたわけではなかった。
クリアハートはあんなに溺愛してはくれなかったし、タクはもっと擦れていてどこかいけ好かない奴だった。
母も極めて優秀だったが、地球には持て余した才能にどこか鬱屈として、明らかに退屈していた。
父はそんな母を見て、どこか寂しそうにしていた。
レンクス・スタンフィールドと母に、一切の接点などなかった。
いつもいつでも側に寄り添って、一緒に旅をして。愛してくれるもう一人の「自分」などいなかった。
「お前のことが少し、羨ましいよ」
確かにお前は可哀想だ。
愛が深ければ深いほど、喪失もまた大きいのだろう。
それでも。お前は幸せだ。
よかったな。本当に……よかったな。
俺はただ、『自分』がみんなに愛されて。大切に守られて育つ。
そんなあり得ないはずの可能性を、ずっと見たかったのかもしれない。
確かにそれは、ここにあった。
数え切れない「繰り返し」の果てに、ようやく到達していたのだ。
……だが。何一つとして、安心することはできない。
このまま偽りの安穏のうちに、甘やかされるばかりではいけない。
自分でも不思議なほど優しい声色で、諭すように。
今度は、お前「たち」に。彼は眠る『二人』へと語り掛ける。
「これからお前たちには、たくさんの【運命】の試練が待ち受けている」
それは易々とお前たちから、すべてを奪おうとするだろう。
ヒカリとミライは、お前たちの目の前で必ず死ぬだろう。
それは両親の死と同じ。避けられない未来であるから。
異世界の旅も。アリスたちがどうなるかも、わからない。
リルナはまた、救えない『俺』に嘆き悲しむのかもしれない。
そして……今回特有の事態。
やがてくる未来とやらも、凄惨な戦いが予想される。
それでも。お前たちは、負けてはならない。
この救えない俺のように、なってはいけない。
「なあ。最も弱く、最も心優しいユウよ」
俺もまた……戦わなくてはならない。
『世界の破壊者』として宇宙を駆け回り、決定的な絶望が未来を覆わないために必要で残酷な仕事に明け暮れて。
そしておよそ8年後に待ち受ける、真なるアルとの決着を。
そのときまで。お前たちが心優しいままに成長し、さらなる可能性を見せることができたのならば。
俺もまたすべてを賭して。お前たちに、賭けてみようと思う。
だから負けるなよ。失望させてくれるなよ。
俺はもう側にはいてやれないが。
「遠い宇宙の彼方から。お前たちのことを見守っている」




