79「5月10日⑫ 約束された結末へと向かって」
ユナは意識が朦朧としたまま、ふらふらと駅構内を進んでいた。
あの子の前で情けないところは一つも見せたくなくて、最大限カッコ付けはしたが。
セカンドラプターを助けるため、さらに無理を重ねてしまった結果、彼女はとうとう限界まで「削られて」しまっていた。
気を抜けば何もないところで足を踏み外し、そのまま倒れてしまいそうになる。
きっと次に倒れたときが最期なのだと、自分でもはっきりとわかってしまうほどに。死の匂いは明確に近付いてきている。
もはや気力感知など用いる余力もなく、愛する我が子が眠っているという場所を信じて、ひたすら執念だけで前に進み続けていた。
その歩みも遅々として痛々しく、開じ切らなくなってしまった傷口からはぽたぽたと血滴が尾を引いている。
彼女は歯を食いしばりながら歩み続け、トレイターが最期に伝えてくれた言葉を支えに脳内で反芻している。
実は生きているというインフィニティアが協力してくれたのか、激しく吐血してもはや喋ることままならない彼の念を直接受け取る形であった。
『本日23時59分。君は死ぬ』
それは断じて避けられない未来であると。
逆に言えば、それまでは絶対に死ぬことはないのだ。こんなくそったれな事実を心の拠り所にしたくはないが。
せめてもう一度、ユウに会うまでは。あの子を助け出すまでは。
『だが大筋で結果は変えられなくとも。何かはできるはずなんだ』
星海 ユナよ。
『世界を欺け。運命を騙せ』
トレイターは彼女の手を握り、最大の信頼をもって。懇願するように言った。
『僕がすべてを賭してそうしたように。君ならばきっとできるはずだ。そう信じている』
『ああ。やってやるさ。やってやるとも』
ユナが彼の手を握り返し、力強く頷くと。
彼は切なげに微笑み、心から涙していた。
『優しくも寂しがり屋なあの子を。ユウを、ひとりぼっちにしては……いけない』
『それは私も旦那も、みんな思っていることさ。必ず何とかする』
『頼む。頼む……!』
なあユウ。ちゃんと伝わってくれるといいな。
お前には家族でさえないってのに。こんなにも深くお前のことを愛してくれる人がいるんだ。
死んでいったみんなも、もっとたくさんの人が。ずっとあんたの幸せを願っている。
そうだ。最大の悲劇は、あの子を独りにしてしまうこと。はっきりしている。
どうやるかが問題だ。諦めるな。
誰もが死せるその瞬間まで懸命に生きて、【運命】という巨大な壁に一撃入れたところを見てきたじゃないか。
なのに私が諦めてどうする。
きっと何か、冴えた方法があるはずなんだ。
あの子の能力は【神の器】。あらゆる世界情報をそのまま記憶することができる。
気持ちや想いだって、すべてそのままに残るだろう。
せめて旅立つあの子の心に最大限寄り添うことが。あの子を愛でいっぱいに満たしてやることくらいは。
すべてを賭して、私は直接伝えたいんだ。
だから、もう一度会わなくてはならない。
必ず生きて。何としてでも。
ついに彼の亡骸が横たわる地点まで戻ってきた。ホームまではもうすぐだ。
トレイターは【世界歩行者】である。
最期の約束通り、執念でもって元の世界へ帰る「消えない」穴を開けてくれていた。
こいつさえあれば、セカンドラプターも意識を取り戻し次第、現実の地球へ帰ってくることができるだろう。
私ももちろん使わせてもらうが、まずはユウを取り戻してからだ。
無人の東京では、エスカレーターも動かない。
ただの階段でさえ今の彼女には死の危険地帯となっており、手すりに寄りかかりながら、必死に一段ずつ慎重に降りていく。
そうして、ようやくホームへ辿り着いたのだが。
ユウは……ユウはどこへ行った!?
トレイターが嘘を言っているはずはないのに。そこにいるべき者は、どこにもいなかった。
懸命に探すも、人一人影もなく。代わりに見つけてしまう。
椅子の一つには切り傷が付けられており、ダイラー公用語の走り書きでこう記されていたのだ。
星海 ユウは預かった。
『神の穴』のふもとで待つ。
***
少し時は遡る。
ちょうど星海 ユナがシャイナと交戦に向かおうとしているときだ。
「異相世界」が地球であって地球ではないという事実は、何も彼女だけに利するものではない。
ケイジはNAAC最深部から、新宿駅地下深くのホームまで直接転移していた。
転移魔法の類いも、この「ずれた」世界ならば辛うじて行使可能なのだ。
そこで一応戦闘地点に意識を向け、気付く。
「また一人。余計なことになっているな」
セカンドラプターが生きている。どういうわけか死すべきときに死んでいない。
彼こそは【運命】の一なる信奉者であり、余計な手を加えずともありのままで筋書き通りに事が進むことを好む。
ゆえに彼にとって、自ら動くことそのものが望ましくない行為であり。
なのに、どれだけ余計な仕事をさせるのか。
彼女を始末するため、無慈悲にも【運命の弾丸(バレット=オブ=フェイト)】の引き金を引いた彼であるが。
ところが上手く作用しなかった。弾はただ真っ直ぐ飛んでいき、ホームの階段を撃ち抜いただけだ。
実は彼女が完全なる『異常生命体』へと覚醒したために、一定の特殊能力耐性が付いてしまったからなのだが。
オリジナルの【運命の弾丸(バレット=オブ=フェイト)】が、模倣した【運命の弾丸(バレット=オブ=フェイト)】から彼女を護る形になっていた。
「ちっ。すぐに始末もできんとは」
未だ生きているのは気に入らないが、ただその理由を精査している暇はなかった。
そんなことは後でいい。小娘一人、どうとでもなる。
今はそれよりも、最も優先すべき仕事があった。
ケイジはすやすやと眠り続ける小さなユウに歩み寄ると、睡眠薬の作用をゆっくりと抜いていった。
あえて意識のはっきりするところまでは覚醒させず、半端に留める。
インフィニティアが大半を庇い受け流していたものの、死の想念による多大な精神ダメージを受けて、彼の自我はほとんど麻痺したままだった。
そこへさらに《暗示》をかけながら、わざわざ「おじさん」に声色を似せて、調子だけは優しそうに言った。
「坊や。君のお母さんに会いたくはないか」
「うん……」
心の内の自然な望みを引き出すようにして。ケイジはあるものを抜き出す。
YS-Ⅰ――カーラスを始末し、クリアハートを殺し、トレイターを亡き者とした。
その呪われし銃を、彼に見せ付けながら言った。
「こいつは落とし物さ。君のお母さんの大切な愛銃だ。坊やが直接渡してあげるといい」
「わかった……」
小さな手が、おずおずとハンドガンを受け取る。
命を奪う重みを持ったそれが、まったく相応しくない子供の手元におかれる。
ケイジはただ、嫌味たっぷりにほくそ笑んでいる。
その日そのとき。誰かが必ず死ぬと仮定しよう。
もし他に死因となり得るものが一つもなければ、どうなるか。
蓋然性さえ与えてしまえば、【運命】は必ず収束する。
殊に最も強力に縛られているお前ならば。
つまりは。
「さあ行こうか。ユウ」
「うん……」
星海 ユウ。
これまでもそうであったように。何も結末は変わらない。
お前の大切な両親を撃ち殺す者は、他ならぬお前自身なのだ。




