58「原初のユウ」
『異常生命体』アキハの残る力すべてと引き換えに為した呼びかけにより。
『彼女』は悠久の時を超え、ついに母なる海の中でわずかに意を呼び覚ました。
そうして、辛うじて「同じ」ユウにだけは知覚できる存在になった。
温かく白い光が、ユウ、クリア、ミズハをそれぞれ包み込む。それは護りのオーラだった。
決して敵には気取られることなく、決して溺れさせることもなく。
三人を潮の流れに沿って、緩やかに日本へ向けて運んでいく。
***
[心の世界]
いつかまたアキハに巡り合うことを、幼心ながら胸に留めて。
遥かなる遠い約束を交わしたユウの元に、次の来客が訪れる。
「こんにちは。あの子のおかげで、やっと会えたね」
「またべつのおねえちゃん?」
艶やかに流れる黒髪を肩の少し上まで伸ばした、可愛らしい女の子がそこにいた。
歳の頃は、大きい方のアキハお姉ちゃんと同じくらいだろうか。
ユウには、やけにお母さんによく似ているように思えた。
と同時に、なぜだか自分にもまるでそっくりのような気がした。
へんなの。
おれはまだちいさくて、きみはおおきいし。
おれはおとこのこで、きみはおんなのこなのに。
『彼女』はけれど、まるでそれが正解であるかのように微笑んだ。
「そう――私はあなた。あなたは私。って言っても、わからないよね」
「うん。わかんない……」
『彼女』は困ったように笑うと、屈み込んで小さな彼に目線を合わせる。
「うーん。もう少し大きくなってから話せたらよかったんだけど。君ってまだ小さ過ぎるもんね」
何をどう間違えたのだか。
本来あなたがフェバルとして覚醒するときよりずっと早く、色々なことが起き過ぎている。
こんなにも『予定』にないことが次々と。今までだったらあり得ないことだった。
アキハさんのような、特大の『異常』までをも引き寄せたものは何だろうか。
『彼女』は世界情報へアクセスし、探りを入れてみる。
「なるほど。『黒の旅人』……あの子が頑張ったってことね」
「くろの、たびびと?」
「えーとね。君のご先祖のご先祖のずっとご先祖……みたいなものかな。実は私も『その一個上』なんだけどね」
『彼女』は――原初のユウは。
孤独に傷付きながらずっと戦い続けてきた「次の」『彼』を想い、ひどく胸の内を痛めていた。
「最初の私が不甲斐なかったせいで、彼にはいっぱい可哀想な思いさせちゃったし、迷惑もかけちゃったからね。ずっと、謝りたいと思っているのだけど」
素直な君と違って、ずっと昔に心を閉ざしてしまったあの子には、もう声が届かないからね……。
さっきから何のことを言っているのか、小さなユウにはさっぱりわからなかった。
『心の世界』では瞬時に思っていることが伝わるので、彼の困惑も『彼女』には当然わかっていた。
『彼女』は全然気にしなくていいと、柔らかく微笑む。
「ああいいの。わからなくてもいいんだよ。記憶として刻んでおくことが大切だから。アキハさんも言ってたでしょ。いつか大切なことはちゃんと思い出せばいいって」
「そうなの?」
「うん。いいの。今はわからなくても、ここに受け止めておいてくれれば」
胸に手を添えて、『彼女』はウインクしてみせる。
「さて、時間も極めて限られていることだし。どこから話をしたものか」
『彼女』は思案し、それからいたずらっぽく口元を緩めた。
「君って本当なら、女の子として生まれてくるはずだったって言ったら驚くかな」
「え、そうなの!?」
確かに男らしくないとは、よく言われるけれど。びっくりだった。
「うん。ほんとはね、素直に生まれてくれば。私とそっくりの女の子に育つんだよ。君って」
「へ、へえ……」
いよいよ本格的にわからないので、とりあえず言われた通り素直に受け止めておくだけにするユウだった。
「でもね。まあなんていうか。色々調整というか、巡り合わせでね。私より向こう、君たちはみんな男の子として『捻じ曲げられて』生まれてくることにされちゃったのね」
【神の器】が決してその真価を発揮しないようにというのが、最大の理由かな。
女の子として完全な生殖能力を備えた、最初の『私』のような星海 ユウが。
もし人並みに恋をして、子をなせば。
【器】はコピーされ、子へとそのまま継承される。同様に世代を跨ぐことで、【器】は爆発的に増えていく。
たった一つで全宇宙にも匹敵する膨大な情報量を内包し得る、この宇宙のバランスをも乱しかねない最強のポテンシャルを秘めた能力が。
星海 ユウが女の子だと、果てしなく増えるかもしれないんだって。
たったそれだけのことで。ふふ、何とも可笑しな話だよね。
【器】が増え過ぎると、どうなるか。情報密度が際限なく増していくことになる。
平均情報量の無限大への発散は――最終的に宇宙の破局的破裂を引き起こしてしまう、みたい。
つまりある意味で、『私たち』は現行宇宙にとって最も破滅的な可能性を秘めた存在――ラスボスみたいなものなんだ。
『黒の旅人』は……あの子はこの辺りは何も知らないまま、受けた理不尽に対してずっと戦っているけれどね。
だから、『光』が『私』を亡き者にしてでも止めようとしたことには、今となっては理解できる部分もあるの。
当時は一つも分かり合えなくて、最終戦争なんてものをこの地球で巻き起こしてしまったけれど。
で、ほとんど相打ちになってね。残念ながら負けちゃったのは『私』なんだけど。
いや、勝ってたら宇宙終わってたかもしれないし、残念でもないのか。
それからは、『光』も力を損ねて、宇宙に顕現できなくなっちゃってね。アルって坊やに管理を任せて、自分は引き籠ってしまったわけ。
ほんとひどかったなあ、あの戦いは。
もちろん――【運命】なんて『光』のあり方には、今でも決して許すことはできないのだけれどね。
「そのときのこと。これ以上、私の口から何を言っても、小さな君にはちゃんと伝わらないと思うから」
だから。ここに記憶を置いていくよ。最初からこうすればよかったね。
いつか君が大きくなって、全部受け止める心の準備ができたとき。開けてみてね。
『心の世界』の片隅に記憶の光球を配置して、『彼女』はうんと頷いた。
「あのさ。ぜんぜんわかんないんだけど」
「だよねー。うん知ってた」
ただ苦笑いをするしかない『彼女』。
せめてもうちょっと成長した君に話をしたかったけれど、他に機会もないから仕方がない。
「まあ簡単に言うとね。私たち、みんな失敗しちゃったんだよ」
「しっぱい? なにを?」
「ユウはね。これまで誰一人として、【運命】には届かなかったの」
「また、うんめい……」
彼の短い人生なりに、思うところはあるのだろう。
じっと考え込むユウを見つめて、『彼女』は目を細める。
「あなたは――うん。今までの私たちとは、ちょっと違うのかもしれないね」
誰よりも弱くて、誰よりも優しいユウ、か。
とても面白いね、君。
あなたならもしかしたら。
私の『白』でも、あの子の『黒』でもない。
まだ『誰』も知らないところへ辿り着けるのかもしれない。
――ああ、残念。そろそろ時間か。
「もしまたここへ来ることがあったら、ぜひあなたの答えを聞かせてね。私も楽しみに待ってるから」
「えっと。えっと。またね、おねえちゃん」
「またね。ユウ」
この時代のアキハさんが、生まれて来られなかった想いの残り火だったように。
『私』もまた遥か時代の彼方に消えた、ただの残滓のようなもの。
あのとき敗れた私は。海へ溶けて、消えて。
だからこの力の及ぶところも、声を届けられる場所も。母なる海の中だけ。
その先のことまでは、どうしても助けてあげられないから。
現実では気を失ったまま、日本へと流れ着き。間もなく浮上していく三人を見送って。
『彼女』は――原初のユウはせめて祈る。
だから。この先何があっても。それはあなたたちの人生だから。
どうか、負けないでね。




