13「東京決戦 3」
[1月20日 12時55分 霞が関]
「よろしくお願いいたします」
提出書類をまとめたファイルを手渡し、シュウは深々と頭を下げた。
玄関口を出た彼は、肩を回しながら息を吐く。
「とほほ。こんな物騒な時期にお役所回りとは」
ペーパーレス化が進みつつあるとは言え、一切紙が要らないというわけではない。
彼の仕事柄、たまには省庁へ出向かなければならないときもあるのだ。
ただそれはお役人たちも、そして警備に立つ警察の人たちも同じこと。
お疲れ様ですね。僕たち。
なんて思いながら、明らかに去年より増員された警備員を見やりつつ。
うんと伸びをし、空を見上げた。
「ユナ。ユウ。お父さん今日も頑張ってるよ」
冬空はからっと晴れていて、一点の曇りもない。
今日もどこかで事件が起きているのだろうか。
あの人は銃声を鳴らし、戦い続けているのだろうか。
詳しくはあえて聞いていないが、妻がTSG事件の対応に昼夜問わず当たっていることは重々理解していた。
妻は強い。世界最強の嫁だ。戦いで死ぬことはないと信じている。
だけど、強いだけの人などいない。
可愛いところもたくさんあり、意外と初心であったり、か弱いところもあるのだ。
この世界で僕だけが知っている顔がある。
ならば、あの人がそんな弱さを見せられるような、安心して帰れる家庭を守ることが僕の仕事だ。
静かな決意を胸に、単身赴任の心意気でサラリーマン生活を続けてきた。
でも今回はさすがに長いかな。寂しいよ。可愛いユウにも会いたいなあ。
若干しんみりしつつ、昼飯にでもするかと時計を見る。
時刻はちょうど13時00分をわずかに過ぎたところで――。
突然、上の方から爆発音がした。
「うわっ!? なんだなんだ!?」
驚いているうちに、弾けた窓ガラスとコンクリートの破片が、彼の目の前へ雨あられと降り注ぐ。
たまたま家族を想い、時計を見るために立ち止まらなければ。
大怪我していたか、最悪死んでいただろう。
慌てて回り込み、ビルの方を見上げると。
ちょうど彼が書類を手渡しした階の辺りが、爆発で吹き飛んでいた。ニアミスにもほどがある。
まさかTSGか。白昼堂々、国のど真ん中に、この霞が関にテロを仕掛けてきたっていうのか!?
僕の四半期がかりの仕事が台無しに――って、言ってる場合じゃない!
よりによって今日、こんなときに!
「僕が何をしたって言うんだああっ!」
自分の運命を呪いつつ、行動は的確で素早かった。
一も二もなく、自身の車へと駆け出したのである。
連日の爆破事件で電車はすべて止まっているため、彼は自家用車でここまで来たのだ。
ユナの夫をするなら、修羅場の一つや二つでは済まない。慣れたくはないが、こんなことは正直慣れっこであった。
間もなくここはテロ集団に襲われる。激しい戦闘になる。
一般人Aだろうが何だろうが、奴らは皆殺しにする。
一刻も早くこの場を抜け出さなければ。命がいくつあっても足りない。
既に魔の手は回っていた。
駐車場にも、銃を持ち覆面を被った怪しい男たちが待機している。
彼らはシュウの姿を認めるなり、かける言葉もなしに銃弾を撃ち込んできた。
「うおっ!?」
しかし彼は、ただでくたばる男ではない。
サラリーマンの武器であるかばんを盾に突進していく。
それはなんと、銃弾を弾いていた。
『あなた。私からの誕生日プレゼントよ♡』
『何だい。楽しみだな』
『じゃーん。防弾かばんだ。私の愛がたっぷり詰まっているぞ』
『あ、ありがとう……』
愛情印の防弾かばん。さりげに着込んだ防弾スーツ。
あの人からのプレゼントは、大半が妙に物騒なものばかりだが。
とにかく生きるには役に立つ。
僕には君みたいな力も、特別な才能もない。
これしか。君に何度無視されても蹴られても、交際を申し込み続けたような。
クソ度胸しかない。
帰るべき家庭には、僕もいなくてはならない。二人が悲しむから。
愛する妻が。子供が待っているんだ!
男シュウは、魂の叫びを上げる。
「こんなところで死ねるかあああーーーーっ!」
進路上邪魔になるのは、一人だけであるのを確認して。
恐れを凌駕した家庭戦士は、目の前に銃を持った敵がいるのもおかまいなしに、ただ己の車を目指し走った。
気迫に押されたか、テロリストは弾切れになるまで撃ち尽くしてしまったようだ。
動揺した隙に、シュウはなりふり構わずかばんで彼を殴り倒す。
防弾かばんは重量があり、適当に振り回しても頭に当たれば、大きくよろめくくらいのことはする。
それを見届けることすらせず、シュウは一目散に自分の車へ逃げ込み、急エンジンで発車した。
防弾仕様の四人乗りミニカーが、唸りを上げる。
「どけぇーーーーーー!」
普段の優しい顔つきが、まるで嘘のようだった。
鬼気迫る表情で、狂ったようにクラクションを何度も叩き鳴らし。
邪魔する奴はガチで轢き殺さんばかりの勢いで、入口の包囲を強引に突破する。
すぐにカーナビを付けて位置を確認――電波障害か。
あいつら、「やってる」な。
TSGによる妨害行動だと判断したシュウは、目視で脅威を確認しつつ、危険領域からの脱出を図る。
幸か不幸か、テロの脅威に晒された東京は車通りが少なく、運転自体は快適だった。
***
結論から言えば、永田町周辺はかなり包囲されていた。
既にテロリストたちと警察、自衛隊の戦闘は激化しつつある。
銃弾や砲火、時たま謎のよくわからない力が飛び交う中。
あっちでもないこっちでもないと、シュウは懸命に場違いのミニカーを走らせていた。
生存が第一。どこかに活路があればと、必死に頭を巡らせながら。
途中、彼は立ち往生していた二人の人物を見つけた。
どちらもスーツ姿で、明らかにテロリストではない。
どこかですごく見たことある顔のような気がしたが、気にしている場合ではなかった。
さっと車を止め、声をかける。
「お困りでしょう。乗りますか」
すると老人の方がひそひそ話で若めの男に相談してから、重々しく頷いた。
「ああ。頼む」
「危ないので、シートベルトをしっかり締めて下さいね」
二人を後部座席に乗せ、再び車は走り出す。
ミラー越しに彼らの疲れた顔を確認しつつ、シュウは話しかける。
「どちらへ向かわれますか」
「とにかく安全な場所であれば」
「それなら目的地は同じですね。おっと」
どこからともなく、対物砲が飛んできたが。
シュウは巧みなハンドル捌きでグイっと蛇行し、それをかわした。
そのままの勢いで、ドリフトカーブを決めつつ、通りを曲がる。
これも先天的な才能はまるでなかったが、ユナと相乗りを続けるうち「自然と」身に付いたものである。
「ね。シートベルトしておいてよかったでしょう?」
「「…………」」
二人の男――西凜寺首相と秘書は、唖然とする。
あまりに常人離れした肝の座りっぷりと運転っぷりに、さしもの西凜寺首相も目を丸くし、困惑していた。
いや、実際助かってはいるのだが。
「君、何者かね……?」
「通りすがりのしがないサラリーマンですよ」
キレッキレの運転テクを見せつけながら。
「ただ、妻がちょっとアレでしてね。僕もこうなっちゃいました」
シュウは外回りの大きな武器でもある、人当たりの良い穏やかな笑みを浮かべた。




