2「星海 ユナ、タクに連絡する」
[12月1日 19時01分 東京 新宿]
泣き疲れて眠ってしまったユウを抱っこしつつ、ユナはタクに電話をかけた。
QWERTYの仲間であり、彼女が最も信を置く一人で、終身名誉パシリである。コールが一つも鳴り終わらないうちに、タクは鼻息荒い様子で出た。
『ユナさん、ニュース見ましたか? 今とんでもないことになってまして! 新宿でテロが! こっちからかけようと思ってたくらいで!』
「実はさあ、ちょうど今現場にいんのよ。危うく爆発に巻き込まれるところだったんだぞ」
『うお、マジっすか。あなたって人はいつもいつもタイミングがいいんだか悪いんだか……。てかよく危険を避けられましたね』
「そりゃ勘でしょ」
『何でも勘でいけるのはあんただけだよっ!』
「はいはい」
本人証明であるノリの良い突っ込みが来たので、ユナは軽く適当に流した。
「でさあ、電車がダメになっちゃったから、あんたに迎えに来てもらおうと思って」
『だから僕はあんたのパシリじゃねええええーーーーっ!』
「だってタクだからしょうがないじゃん。へい、タクシー。タクって付いてるでしょ」
『はああああ~~。もう、いいですよ。行けばいいんでしょう。行けば』
「うんうん。良い心がけね。それにユウもいるしさ」
『そいつを早く言って下さいよ! ユウのためならたとえ火の中水の中、いつでもどこでも迎えに行きますよ!』
対TSP組織として裏で活動するQWERTYであるが、表向きはあくまで児童養護施設や青少年教育施設を運営するボランティア組織である。ユナ自身多忙なため、子供を預けたことなら何度もあった。そうしているうち、みんなユウとはすっかり顔馴染みになっており、人懐こい良い子なユウのことが大好きになってしまったのだ。
「私だけのときとはえらい違いねえ。そんなにうちの子が可愛いの? ま、当然だけど」
『だってこんな悪魔からあんな天使が生まれるなんて。きっと世界の何かが間違ってるんですよ』
「あ゛? 誰が何だって?」
『すいません調子こきました何でもないっす!』
「ん。下らないこと言ってないで、さっさと用意しような」
『へーい……。ところで、ユウは大丈夫なんですか?』
いつもならそろそろユウが「代わらせて」と母にせがむところなのだが、そんな素振りもないのでタクは心配だった。
「今は疲れて寝てるよ。無事……とはちょっと言いにくいかしらね」
人の死に吐くほど苦しんでいた我が子の姿を思い起こして、ユナは溜息を吐いた。
『まさかユナさん、いきなり事件に首突っ込んでうちのユウを危ない目に遭わせたんじゃないでしょうね!? もしそうだったらあなたでも許しませんよ!』
彼が息巻く。どちらが親なのかわからないくらいの剣幕だ。
「うちのだ。ばか。そんなことして怪我なんかさせるわけないでしょ。ただなあ。いっぱい死人が出てるからな、感受性の強過ぎるこの子には堪えたみたい」
『なるほど……。そういうことですか』
タクも納得した。
彼もまた、ユウの不思議な感性についてはある程度承知している。今回のことでどれほど傷付いたのかを想えば、いたく心が痛むのだった。
同情しつつ、話題をTSGに戻す。
『連中、世界中でやらかしてますよ。01年の世界同時多発テロを超える最悪のテロ事件だって持ち切りで』
「こりゃ今夜にでも政府から連絡かかるかもしれないねえ」
目には目をということで、TSPの対処にはTSPが駆り出されることが多い。
実のところユナはTSPでも何でもない一般人なのだが、「お前のような一般人がいるか!」と各方面あらゆる人に突っ込まれまくってしまっており、事実上対TSP最終兵器のような扱いを受けている。政府に実績と実力を認めさせ、特別扱いを受けているからこそ、彼女は日常的な銃の携帯も認められているのである。
『西凛寺のじいさんかあ。あの狸じいさん、僕苦手なんだよなあ』
かの有名な日本国首相を思い浮かべて、タクは電話口の向こうで苦虫を潰したような顔をしている。
「あれ得意な人探せって方が難しいでしょ。政治の世界は魑魅魍魎よね」
『うへえ。まあその辺の窓口は任せて下さいよ』
「頼りにしてるからな」
『へいへい。それはそれとして、ユウはまたうちに預けていくんですか?』
「うーん、そうね。様子見次第ってとこだけど、しばらく幼稚園どころじゃないかもね。可哀想に」
眠る我が子の切り揃えてやった黒髪をそっと撫でながら、ユナは思案する。
今後、TSGの活動が本格化するならば、声明でヤツがほざいていた通り、いつでもどこでもテロの危険があるということだ。能力者かそうでないかは、簡単に見分けが付かないからである。
もはや安全神話は崩れた。この日本に、いや世界に絶対安全な場所など存在しないだろう。
それに万が一ということもある。この先、彼女が連中との戦いに身を投じる中で、直接的に彼女ではなく、家族を狙ってくる可能性を否定することはできない。それならば、最初からユウはうちで匿ってしまう方が安心だろう。
やむを得ない措置だ――少なくとも、日本からほぼ勢力を一掃するまでは。
あまり長くは日常生活から離れさせたくはない。卒園や、小学校入学も控えている。それまでにはケリを付けてやると、ユナは決意を固くする。
それから、シュウも一緒に避難させようかと少し悩んだが、首を横に振ってやめた。
「シュウのことなら心配ないか。あの人は日本がひっくり返っても平気で働いてそうだし」
愛する旦那の雄姿を思い浮かべ、ユナはにへらと乙女のような笑みを見せる。タクが直接目にしていたら「きもちわるっ」って言われて殴られること請け合いである。
彼は決して腕っぷしが強いわけではないが、ただ守られるだけの男になりたくないという一端の矜持があった。普段はどこか情けないのに、いざという時のクソ度胸を持っている不思議な男だ。そんなところにも惚れたのだが。
あの人ならちょっとやそっと事件に巻き込まれてもきっと何とかするだろうし、私にどうこうされたくもないだろう。理解のある嫁だった。
それは独り言のような感じだったが、タクにはばっちり聞こえていて、彼は呆れたように言った。
『あの人、何者なんですか?』
「それがさあ。ふっつーのサラリーマンなんだよな。タクあんたさあ、個人的に裏取ってみたらしいけど、別に何もなかったでしょ?」
『実際何もないのが信じられないっすよ。あなたのような人を嫁にとって日常的にサラリーマン続けてるって、普通の人間でいられるって、ある意味一番異常じゃないかと思うんですけどね』
「うちはそれで助かってるし、ちゃんと回ってるからいいのよ」
シュウはユナがただのボランティア施設で働いているわけではないことも、なぜか銃を持ち歩いていることも知っているが、あえて深くは追求して来ない。
すべてを薄々悟りながら、何も知らないふりをして日常を形作り、彩ってくれる。戦いに疲れた彼女が『帰ってくる場所』を守るため、あえてそうしてくれている節があった。そんな温かな心遣いがユナにはありがたかったし、何より幸せだった。
『んじゃ、今から車出しますんでぼちぼち切りますよ。不謹慎だけど、ユウがしばらく世話になるって知ったらクリアは一番喜びそうだ』
「くっくっく。目に浮かぶな」
児童養護施設上がりの一員、クリアハートは、ユウが物心付く前からお姉ちゃんしており、彼を最も溺愛する一人である。
『ではまた現場で』
「うん。よろしく」
電話を切ったユナは、眠るユウを抱っこしながらタクの到着を待つのだった。




