蓮華草
意気揚々と引き揚げてくる赤軍の中で、毛利だけが厳しい表情を崩していなかった。
彼女が何を考えているのか、今の私にはよくわかる。、第二戦では、青軍は油断せずに注意して掛かってくるから、もはや奇策は通用しないだろう。第二戦は、両軍が全力を尽くして激突することになるわけであり、厳しい戦況になることは容易に予想できた。
5分間の休憩に入ると、晴香が駆け寄ってきた。
「やったねー! とりあえず、これで一勝だね!」
簡易ステージの上で軽く胡坐をかいて座っている私を、晴香は満面の笑顔で見下ろした。
「うん、晴香の立てた戦術が大当たりだった! 莉子を起用するとは、誰も思いつかないよ」
少しだけ表情を緩めて答えると、私は急に声を潜めた。
「昨夜も話したけど、第二戦は厳しい戦いになる。しっかり頼むよ」
「うん、任せて! 次の試合は、左翼の動きがとっても大事だから、よろしくね!」
晴香はそう言うと、にっこり笑って3年生が集まっている辺りへ駆け出していった。晴香が何か声をかけたらしく、3年生たちが一斉に振り返ったが、ひとりだけ険しい眼で晴香を眺めている少女がいた。
やはり、凛にとっては、晴香の戦術は不満なのだろう。そして、これから起こることを知っているだけに、さらに愉快ではないのだろう。彼女にとっては、「勝ち方」が非常に重要なのだ。「勝ち方」が大切なのは、私もよく理解しているつもりだが、今は、背に腹は代えられない。まず、今回、着実に勝つことが、すべての第一歩になるのだ。
胡坐を崩すと、私はゆっくりと立ち上がり、青軍の集合場所をじっと見つめた。赤軍を指さして何かを興奮気味に話している少女、厳しい眼差しで腕組みをしている少女、タイプは様々だが、いずれも奇襲戦術が採られたこと自体が許せないらしく、むしろ第一戦以上に士気が上がっているようだ。
彼女たちは「相手の汚い戦術に嵌められて負けただけであって、正々堂々、正面からぶつかれば決して負けないはず」と思っているのだろう。おそらく、これが凛の言う「勝ち方」に繋がっていく問題なのだろう。
(この程度で煽られてしまうとは、やはり子供なんだよな・・・。だが、テンションが上がって、普段の実力以上の力を出してしまうのも、また子供の特権だ・・・。いずれにせよ、次がいよいよ正念場ってことか・・・)
私は、簡易ステージからポンと勢いよく床の上に飛び降りた。4年生の集まっているあたりに向けて歩き出そうとしたとき、やや遠くから視線を感じた。
思い思いの姿勢で休んでいる6年生たちから、少しだけ離れて毛利が立っていた。口を固く結んで、無表情のまま、毛利はしばらく私を見つめていたが、やがて微かに頷いてみせた。
(これが、あの人なりの励まし、か・・・あるいは、「すべては勝ってから」とでも言いたいのか・・・)
毛利に向かって小さく頷き返すと、私はゆっくりと歩き出した。
騎馬の上から眺める景色は、素晴らしかった。視点が少し上がるだけなのに、見慣れているはずの景色が、まったく新鮮なもののように思えた。高い建造物を作ることに、古来から人があれほどまでに固執した理由が、少しだけわかるような気がした。
ゆっくりと周りを見渡していると、簡易ステージの上で、いつになく真剣な面差しで青軍を見つめている晴香の姿が目に入った。
「莉子と比べると、やっぱりアンタの方が遙かに重いな」
首だけこちらに向けて、瑠花が白い歯を見せて笑った。
「莉子と比べたら、誰だって重いだろうよ。まあ、私は瑠花よりは軽いって自信はあるけどね」
「失礼なっ! 私のは筋肉、アンタのは脂肪、背丈は同じくらいでも、私の方が軽いに決まってる!」
「まあ、そういうことにしとくよ。今度の戦いは接近戦になるから、瑠花にも頑張ってもらわないとね。相手は蹴りを入れてくるかもしれないから、その時は・・・」
「アタシは、やられたことは3倍返しにする性分でね。まあ、さっきはあまり暴れられなかったから、今回は思う存分、やらせてもらうよ」
「お姉さま、なんだか嬉しそう。でも、嬉しいのは、暴れられる、ってことだけじゃないですよねぇ?」
「な、なにを言うんだ! わ、私は、純粋にストレス発散できるのが嬉しいんであって、べ、別に、理沙を乗せてるから嬉しいわけじゃない!」
右足を支えている千鶴が笑いながら冷やかすと、瑠花は頬を赤く染めながら反駁した。
「もー、お姉さま、自分で言っちゃってますよー。ほんと、お姉さまってば、可愛いんだから、もうっ!」
「か、可愛い、とか言うな! お前は黙って右足支えてればいいんだ! 千尋を見ろ、真面目にやってるじゃないか! 少しは見習え!」
「あ、いや、さっきからさ、瑠花の手がだんだん熱くなってきてるんだよね。あんまり汗ばむとさ、手を組みにくくなるから、ほとほどにねー」
左足を支えている千尋からもからかわれて、瑠花はみるみる首筋まで赤くなった。私は、少し気の毒になって、瑠花の頬に後ろからそっと優しく触れた。
「瑠花、ありがとう。あなたは、私の大切な友達。一番頼りにしてる」
今にも大声で反論しようとしていた瑠花は、急におとなしくなり、私を見上げて、「うん」と消え入りそうな小さな声で答えた。
「でも、軍師の交替なんて前代未聞だよ。まあ、誰にも考え付かないことをやってのけるのが、理沙なんだけど・・・。晴香もよく軍師に応じたよね。あの子、基本、単独行動なのに・・・」
瑠花がおとなしくなってしまったのを見て、千尋が笑いながら話題を変えた。
「試合途中で軍師を交替させちゃいけないなんてルールはどこにも無かったからね。それに第二戦は、どうしても私が前線に出ないといけないし、どうしても晴香に指揮を出してもらわないといけないんだ。それは・・・」
私が理由を話そうとしたとき、教師の吹いたホイッスルの音が響いた。周りでは、他の少女たちが慌てて騎馬を組んで立ち上がり始めている。
やがて全ての騎馬が組み上がると、館内はしんと静まり返った。第二戦が引き分けなら、第三戦は行われず、勝敗が最終確定する。つまり、青軍は第二戦で絶対に勝たねばならないのだ。一方、対する赤軍は、青軍が全力で攻撃してくることが予想できるだけに、自然と緊張が高まっている。
16時30分、フィールドのすぐ外に立っている教師が再びホイッスルを吹くと、試合が始まった。
もう後がない青軍は、第一戦以上に思い切り良く、こちらに向かって全力で向かってくる。その間、晴香は青軍の動きをじっと凝視するだけで、何も指示を出さない。
どんどんスピードを加速して迫ってくる青軍を見て、赤軍の騎馬が動揺し始めたとき、青軍の先鋒が中間線を越えた。その瞬間、晴香が赤旗を2回、左に大きく振った。6年生のうち、毛利の騎馬が二歩だけ前進し、毛利から声を掛けられた周囲の6年生たちも、それぞれ二歩だけ前進した。その反対側、右翼では、1年生の騎手のひとりが周りの騎手に声を掛けて、1年生の騎馬が一歩だけ前進していた。
機密保持を考えて、事前に戦術の内容を伝えておいたのは、各学年の騎手1名ずつだったので、戦術の伝達をその場で済ませてしまう必要があったが、とりあえずスムーズに済んだようだった。
いよいよ6年生を先鋒にして突撃か、と誰もが思ったとき、晴香が赤旗を大きく2回、右に振った。それと同時に、赤軍の6年生の騎馬がいきなり右方向に向かって駆け出し、逆に1年生の騎馬が左方向に向かって駆け出した。
すでにスピードが上がり切っている青軍は、予想外の赤軍の動きに即応できず、自分たちの陣容を変えることもままならない中で、真っ直ぐこちらに突っ込んできている。赤軍の右翼と左翼の入れ替えが済んだところで、晴香が赤旗を市上下に激しく振り始め、赤軍は全力で前進を始めた。
青軍の1年生には赤軍の6年生が当たることになった。自分たちなど及びもつかない最高学年の少女たちといきなり激突することになって、青軍の1年生たちは浮足立ってしまい、瞬く間に赤軍に突破されて、後ろに回られてしまった。
後ろから襲われて次々に崩されていく青軍の1年生や3年生たちを横目で見ながら、私は赤軍の1年生たちの騎馬の先頭を駆けていた。
青軍の1年生が赤軍の6年生にとって敵ではなかったように、赤軍の1年生たちも青軍の6年生にはかなわないはずだ。それを補って、戦線を維持するのが、私たちの騎馬の役目だった。
たちまち私の騎馬は、青軍の6年生と至近距離で相対することになった。先方の先頭には、大将の印である青い腕章を両腕につけた河野遥がいる。
私と瑠花の名前は、先日の通り魔事件以来、学校中に知れ渡っているらしく、私たちが組んだ騎馬が赤軍の先頭を進んでくるのがわかると、青軍の進撃スピードが明らかに落ちた。今までこの学校にいなかった「異形の存在」である私や瑠花には、いくら6年生と言えども、ある種の怖れを本能的に感じるのだろう。
青軍の6年生たちの目の前で、私たちの騎馬は動きを止め、私と瑠花は、最大限の怒りを露わにした形相で、青軍の騎手たちを睨みつけた。もともと「ワンコ」と「不機嫌姫」という不名誉な二つ名を与えられていた私たちである。その二人が憤怒の形相で立ち塞がれば、いくら上級生と言えども、思わず怯んで立ちすくんでしまう。
私たちの騎馬のすぐ前で、青軍の進撃が止まり、6年生たちはまるで怖ろしいものでも見るような眼で、私たちを遠巻きに眺めていた。
「何してんのよ! 向こうは、たった1騎でしょっ!? 何ができるってのよ! こっちが絶対、有利なんだからっ!」
慌てた河野が同級生たちを叱咤しているが、誰も自ら好き好んで火中の栗を拾いに行く者なんていない。この学校の生徒たちは、数を頼んで大勢で何かするのは得意でも、自分が率先して前面に出て何かするのは、もともと非常に苦手なのだ。そして、これまでの経験から、私も瑠花もそんな「習性」を十分に熟知していた。
河野の度重なる叱咤に、ようやく6年生たちが動き出そうとした。
(今だ!)
私は騎馬の上で立ち上がり、眦を決して大声で叫んだ。
「通り魔を病院送りにした吉川理沙です! お姉さま方の中で、私と一騎打ちで勝負をつける勇気のある方はおられませんか? いかに試合とはいえ、一切、手加減致しません。お怪我があったら、お許しください!」
こんな脅迫に近い口上を聞かされて、それでも名乗りを上げてくる者などいない。大将の河野ですら、明らかに逡巡している。それはそうだろう。これから受験を控えている彼女たちは、こんな試合で怪我などできない身なのだ。
「一騎打ちなんて必要ない! 包み込んで討ち取るわよ!」
すぐに我に返った河野が指示を下したとき、私は、青軍の6年生のすぐ後ろに、毛利たち赤軍の6年生が迫ってきているのを見ていた。毛利たちは、青軍の1年生や3年生たちを蹴散らすと、そのまま青軍の中を突破して、河野たちの後ろに出ることに成功していたのだ。
青軍の6年生たちの足止めをするという、私たちの騎馬の役割は十二分に全うできた。
毛利たちが青軍に襲い掛かると同時に、私と赤軍の1年生たちも青軍の騎馬に組み付いた。前後から挟撃された青軍の6年生は次々と鉢巻を取られていく。形勢不利と悟った河野は、いち早く右翼方面に逃れたが、青軍の中で最強の6年生騎馬がほぼ壊滅してしまっている中、数騎の4年生騎馬とあちこち逃げ回るのが精一杯だった。
混戦の中で青軍の統制はすぐに失われてしまい、各騎がそれぞれ自分の判断で戦う形になっていた。このように複数個所で戦線が展開されてしまうと、もはや軍師の指示など、あって無きが如し、ということになる。すでに晴香は、指示を出すのを早々に諦めて、簡易ステージの上で胡坐を組んで、じっと戦況を見守っている。対する青軍では、もはや誰も軍師の方など見ようともせず、軍師も呆然と立ち尽くすばかりである。
やがて、赤軍の僅かな隙を突いて、河野たち3騎が自軍の集合場所に逃げ戻り始めた。とりあえず生き残っている騎馬を後退させて、陣容を立て直すつもりなのだろう。
青軍の騎馬の中には、河野たちを追撃しようとする者もいたが、毛利は声を嗄らして制止した。
「遙なんかに構わず、目の前の騎馬を潰すわよ!」
大将の追撃に兵力を割かなかったため、両軍の3年生と4年生が激しく組み合っているところへ、ほぼ無傷の6年生と1年生の騎馬を突入させることができた。こうなると、もはや多勢に無勢。なんとか戦線を維持していた青軍の3年生と4年生は、赤軍に押し包まれて次々と鉢巻を取られていった。
青軍の1騎は河野のもとへ逃げ戻れたが、それでももはや青軍は4騎しか生き残っていない。僅かな青軍に向かって、赤軍の11騎が一気に押し寄せ、青軍は大将の河野を残すのみとなった。これで河野の鉢巻を取って完勝か、と思ったとき、タイムオーバーを知らせる教師のホイッスルが鳴り響いた。
第二戦は、大将の河野遥を討ち取ることはできなかったものの、青軍は河野以外は全滅。赤軍は、乱戦の中で1年生騎馬が1騎、討ち取られてしまったものの、12騎中11騎が残っていた。明らかに赤軍の圧勝だった。
(これで、毛利との約束は果たせたな・・・しかし、さぞかし河野からは恨まれただろうな・・・)
味方が悉く全滅した中で、大将だけが生き残っているというのは、戦場をひたすら逃げ回っていたことを意味する。大将が前線に出て討ち死にしてしまっては元も子もないので、戦術的にはこうした行動はむしろ肯定されるが、そこまで先読みできない少女たちは、眼の前にある事実をまず優先するだろう。
鉢巻を失って自軍の集合場所に歩いて戻っていく青軍の少女たちや、観戦していた友人たちは、まだ騎乗している河野に向けて、噛みつくような鋭い視線を投げ掛けている。
(これで河野の人望は完全に地に墜ちたな。そして、お茶会の件で傷のついた毛利の威信もかなり回復したはずだ。でも、まだ足りない。軍師をつとめた私や晴香ばかり目立ってしまうと、総指揮官である毛利が相対的に霞んでしまう・・・)
自軍の集合場所に戻りながら、ふと前を見ると、晴香が息せき切って駆け寄ってきていた。私は、晴香を手招きすると、騎馬の上から身を乗り出して、彼女の耳元で小さな声で囁いた。
「あ、それ、名案だね! すごくいいと思う!」
私の言葉を聞くと、晴香は大きく頷いて嬉しそうに笑った。話の内容は、当然、瑠花にも聞こえており、彼女も深く頷いている。
両軍がそれぞれ自軍の集合場所に戻ったところで、教師たちが残っている騎馬数を最終確認した。
「双方とも大将は健在。残存騎馬数は、赤11騎、青1騎。よって、赤軍の勝利」
勝利宣告を受けると赤軍の騎馬や観戦者から大きな歓声が上がった。生き残っていた騎馬を崩して、参加者たちと観戦者たちが抱き合って喜んでいる。そんな中で、毛利は、ようやく安堵の表情を浮かべて、静かにたたずんでいた。
その毛利に向かって、私と晴香と瑠花は駆け寄っていった。遠くから私たちの姿を認めた毛利は、珍しく手を上げて応えて見せた。彼女も土俵際で救われたのだ。よほど嬉しいのだろう。
その毛利の目の前で、彼女から声を掛けられる前に、私たちは片膝をついて床の上に跪いてみせた。
誰がどのように見ても、これは臣従の姿勢だ。しかし、どうしても必要だったのだ。この試合の最終的な責任者、そして、勝者が誰なのか、はっきりと目に見える形で示さねばならなかった。
毛利は、私たちの姿を見て、一瞬、目を大きく見開いたが、すぐに意図を察したようだった。普段、公的な場所で感情を表に出さないようにしている彼女が、今、美しい笑顔を見せて、ゆっくりと手を伸ばすと、まず、私の頭をゆっくりと撫でた。
(これは茶番なのだ。しかし、見ている者に茶番と思わせないように振る舞うことが、私たちの役回りなのだ)
私は、毛利に頭を撫でられると、胸の前で両手を組み合わせて、僅かに俯いて目を閉じてみせた。
予想外の私の行動を、他の少女たちが息を呑んで見守っているのは、眼を閉じていてもよくわかった。
(「あの気性の荒い吉川を心服させ、手足のように使って大勝利を得た」という事実が、今の毛利には絶対に必要なのだ)
晴香と瑠花の頭も撫でると、毛利は赤軍の少女たちの顔を、一人一人、ゆっくりと眺めていった。毛利に見つめられた1年生が、思わず私たちと同じように跪くと、他の少女たちも、毛利を取り囲むように、次々と片膝をついてその場に跪いた。
そんな様子を眺めて、毛利は思わず目頭を拭った。そして、声を詰まらせながら、少女たちに向かって語り掛けた。
「みんな、ありがとう! 相手を恐れず、全力で戦ったあなた方を、私は心から誇りに思います! これからも、私は、恐れず、怯まず、そして、相手を侮ることなく、みんなが誇りを持って自由な学生生活を送れるよう、生徒会長として務めていきます。私は全能ではないし、間違いも犯す。だからこそ、みんなの意見をよく採り入れて、自分にできることを、常に最大限の努力を以って進めていくことを誓います。みんな、どうか私に力を貸してください!」
憧れの、そして、いつもは強気で無表情な生徒会長の、涙ながらの言葉は、確実に少女たちの心を動かしたのだろう。下級生のほうから、まず鼻をすする音が聞こえ始め、やがて赤軍とその観戦者の殆どが、大なり小なり、涙ぐんでいた。
(これでいい。部外者からは茶番と笑われようが、当事者にとって、勲章とセレモニーと涙は、いつの時代でも必要なものなんだ。)
ふと薄目を開けて隣をみると、首筋から頬まで真っ赤に染めて、瑠花が嗚咽を堪えて感涙に咽んでいた。
(さっき、晴香と話した内容を聴いていたはずなのに・・・。ああ、もう、この子はこう見えて、本当にピュアなんだから・・・)
呆れると同時に、そんな瑠花をただただ愛おしく感じた。自分の娘を見守る感覚だった。
反対側をみると、同じように薄目を開けて周囲の様子を見ている晴香と目が合った。晴香は小さくウインクしてみせると、再び神妙に頭を垂れて見せた。
(こいつは、まったく、ふてぶてしいこと・・・。でも、その小狡さが今回の勝利につながった。物事は一筋縄、正攻法ではうまくいかないことも多い。晴香は、私たちに欠けている狡猾さを持ち合わせた稀有な人材なんだろう。でも・・・)
毛利は跪いている少女たちを促して立ち上がらせると、他の6年生たちと一緒に体育館をゆっくりと引き揚げていった。
他の少女たちも三々五々、体育館の出口に向かって歩いていく。シャワーを浴びて一休みしたら、お待ちかねの夕食なのだ。
私は瑠花を先に行かせると、晴香とともに体育館に残った。
去っていく瑠花の後ろ姿を見送りながら、私は、少し厳しい表情で晴香に声を掛けた。
「これで、晴香は、十分に責務を果たした。もう、なにも気にすることなんて無い。今までどおり、自分の生きたいように生きればいい。無理に私たちについてくる必要はない。結果はどうあれ、この戦いが終わったら、毛利先輩には、私から話してあきらめてもらうつもりだった。だから、お茶会の件は、もう気にするな。すべては今回の勝利でチャラになったんだから」
晴香は、一瞬、目を大きく見開いて、私を凝視したあと、泣きそうな顔になった。
「どーしてそういうカッコいいこと言っちゃうのかなぁ、この子は・・・。それじゃ、理沙が毛利先輩に叱られちゃうじゃん! そんなことできないよ!」
「毛利先輩はともかくとして、私は、人の弱みに付け込んで協力させ続けるようなやり方は、好きじゃない。すべては契約、とさっぱり割り切れるほど、私はドライに物事を考えられない性質なんでね。晴香は、今までだって、自由に生きることを大切に思ってきたんだろ? 誰かの大切な信条を力づくで捻じ曲げるのは、私の性には合わない」
「ほんとに、それでいいの? 毛利先輩は絶対に怒ると思うよ。場合によっては、生徒会に理沙たちが入るっていう話も、駄目になっちゃうかもしれないよ? このままいけば、理沙なら、きっと織田先輩の次に生徒会長になれるのに・・・」
「そんな理由で私たちをクビにするなら、毛利先輩も、所詮、その程度の器量しかなかったってことさ。そんな人なら、私たちが加わっても、遠からず生徒会は潰れるだろうよ。私は、別に生徒会に入りたくて、毛利先輩に協力しているんじゃない。私を慕って集まってくれた子たちを守る手段として、生徒会に入る、ただそれだけのことさ。もちろん、毛利先輩の言う、学校の自由を守るって趣旨には賛成してるけど、それは別に生徒会に入らなくても協力できることだろ?」
心配そうに私を見上げる晴香に向かって、私は、少し砕けた笑顔で答えた。
「・・・そう・・・それなら、私、生徒会に入らないことにするね・・・。協力できなくて、ごめん・・・」
俯いて小さく呟く晴香の表情は、もはや私からはよく見えない。
「いいよ、気にすんな。やはり野に置け蓮華草、ってことさ」
「なにそれ? どういう意味?」
「江戸時代の俳人が詠んだ俳句の一節さ。手に取るな、やはり野に置け、蓮華草。蓮華草っていうのは、野原で咲いているからこそ美しいんであって、摘んで花瓶に活けて観賞するもんじゃない。そのヒトにふさわしい環境にいるのが一番良いんだっていう意味さ。晴香は自由に生きるのが、一番似合ってる。組織に入って、ウエの顔色見ながら生きていく晴香を見るのは、ほんとのところ、私もつらかったんだ・・・。それじゃ、この話はもうおしまい。そろそろ帰ってシャワーでも浴びようか」
自分としても、最も気が楽な決着だった。毛利が整った眉を吊り上げて怒る光景が、ちらりと頭の片隅に浮かんだが、まあ、平身低頭して謝ればなんとかなるだろう。許してもらえなければ、それまでだ。瑠花たちとなにか新しい部活でも立ち上げて、毛利と大内の間をうまく遊泳して、後輩たちを守っていくしかないだろう。生徒会長選挙で、うまくキャスティングボードを握れれば、また事態も変わってくるに違いない。
少なくとも、嫌がっている晴香を力づくで自分の陣営に引き摺り込むより、何倍もマシな話だ。
ふと、晴香の足音が聞こえないことに気付いて、私は足を止めた。
振り返ろうとしたとき、いきなり激しい足音が響き、後ろから晴香に強く抱き締められた。
「もう、理沙は、馬鹿で、馬鹿で、馬鹿で、おまけにお人好しで、そんなんじゃ、この学校じゃ生きてけないよ! ほんと、見てらんない! 仕方ないから、私が傍にいて、ずっと面倒見てあげる! その代り、最後まで責任取ってよね!」
晴香の顔は私の背中に強く押し付けられていて、よく見えない。
ただ、何か暖かく、そして、湿った感触が少しずつ背中に広がっていくのを感じていた。
先週は、風邪による発熱と激しい喉の痛みで、連載をお休みさせて頂きました。
結局、完治までまる1週間かかってしまいましたが、今はやっと元気になりました。ご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。
さて、今話で第四章は終わりになります。
理沙とともに歩んでいく5人の少女たちの姿がようやく見えてきました。
次話から、いよいよ第5章です。
少女たちの謎解きと冒険が始まります!




