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ダブル・スタンダード  作者: 仁科三斗
第四章 姉たちの涙
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本当の器量

この話の「器量」とは、容姿のことではなく、人物としての器の大きさ、です。

 毛利との話が決着し、私はようやく少し安堵した。彼女と話している間は、まったく感じなかったが、アールグレイの香りがゆっくりと優雅に漂っている。


 「それで、私は、いつから、何を始めれば良いんですか?」


 私は、紅茶に少し口をつけたあと、なおも私をじっと見つめている毛利に尋ねた。


 「そうね。まず、明日の夕方の体育で、ちょっと頑張ってもらいたいことがあるの」


 毛利は、腕組みをして、まだ緊張の解けない表情のまま、静かに答えた。


 「体育って、学校の授業と大して変わらないんでしょう? 私は、いったい、何をすれば良いんですか?」


 「あなた、クラスの子から何も聴いていないの? 明日の体育は、全学年参加の騎馬戦よ。これも、この林間学校の伝統行事なの」


 「林間学校の体育の授業で騎馬戦、とは、珍しいですね。騎馬戦って言ったら、普通、体育祭でやるものでしょう?」


 「体育祭には、家族が来るでしょう? その中には、当然、生徒の兄弟も含まれるわ。同年代の男の子の前で、女の子が闘争本能むき出しで騎馬戦を行うなんて、生徒の誰が賛成するかしらね? お嬢様校という評判を保ちたい学校側としても、父兄には見せたくはない光景のひとつだと思うわ」


 「それなら、いっそのこと、騎馬戦なんて、やめてしまったら良いんじゃなですか?」


 私が怪訝そうに尋ねると、毛利は思わず破顔一笑した。


 「ただでさえ、規則が増えて、生徒たちのストレスがマグマみたいに溜まっているのよ。それを、できるだけ、人目に触れない形で、上手に発散させていくことも大事よね。少なくとも、学校側がそう考えてもおかしくはないわ。これは、あくまで私の推測でしかないけれどね」


 「ああ、なるほど。それで、林間学校という、人目に触れないところで、騎馬戦をやらせるわけですね。しかも、ここには立派な体育館があるわけだから、外部の人目も完全にシャットアウトできる、というわけですか・・・考えたものですね・・・」


 「それでね、各学年の4クラスを、2クラスずつ赤軍と青軍に振り分けて、2回戦を行うのよ。引き分けだったら、3回戦になるけれどね」


 「はあ、そういう仕組みなんですか。でも、所詮、体育の授業でしょう? それに単なるストレス発散目的の試合なら、そんなに熱を入れるまでのことはないんじゃありませんか?」


 私が少し拍子抜けをした顔で問い掛けると、毛利は途端に厳しい眼差しに変わった。


 「両軍には、総合指揮官、つまり大将が1名ずつ置かれるわ。慣例では、大将は6年生から選ばれる。そして、今年の青軍の大将はこの私、赤軍の大将は、私と袂を分かって生徒会を退会した河野遙、だとしたら、それでも、あなたは、所詮、なんて言葉が言えるかしら?」


 「そういうことですか。なるほど、それでは、毛利先輩と大内派の河野先輩の因縁の一戦にならざるをえないですね」


 私の言葉を聞くと、毛利は視線を少し落とし、僅かな苛立ちを含んだ、かすれた声で呟いた。


 「大内派、なんて言葉、使わないで・・・。夏帆とは、あの子が一年生のときから、ずっと助け合って生徒会を切り盛りしてきたのよ。私は、咲良と同じくらい、あの子のことも信頼していた。あの子も私をよく支えてくれた。あの頃は、本当に・・・本当に毎日が楽しかったわ・・・。あんなことさえ無ければ、きっとあの子は私の傍らで、ずっと私を支え続けてくれていたはず・・・。こういうことになったのは、決してあの子の本望ではない、と、私は信じているわ・・・」


 「あんなこと、というのは、毛利先輩が織田先輩を後継者に選んだ、ということですか?」


 「事情を知らない人たちは、そんなふうに思っているようね。でもね、それは、私と夏帆と咲良の関係を深く知らない人たちが言っていることよ。世の中、そんなシンプルなものじゃないわ・・・。その話は、いずれ詳しくお話しすることもあるでしょう。今は、明日のことについて相談したいの」


 毛利は再び顔を上げると、再び声を励まして、私を正面からじっと見つめた。


 「両軍には、総合指揮官のほかに、参謀、つまり軍師を1名ずつ置くことになっているわ。これも慣例に従うと、4年生から選ぶことになるわね。あなたに、青軍の軍師を務めてもらいたいの。そして、絶対に青軍が勝てる戦術を考えてほしい。いいわね?」


 有無を言わせぬ気迫を込めて、毛利は私の瞳の中を覗き込んできた。


 「えっ、だって、今夜頼まれて、明日の午後にはもう試合ですよ! そんな急な話・・・」


 さすがに困った顔で首を横に振ろうとすると、毛利は私の言葉を途中で遮った。


 「到底受けられない、と思う気持ちはわかるわ。でも、流れていく時間は、人を待ってくれない。例年、騎馬戦はずっと引き分けだったから、私も、今朝の事件が起こるまでは、たとえ赤軍の大将が河野遙であっても、何も心配していなかったわ。でも、今は違う。私は、絶対に勝たなければならないのよ。引き分けではなく、勝つことが大事なの」


 「それはわかりますよ。でも、あまりにも時間が足りないです。たった一晩で戦術なんて・・・」


 「時間の多寡は戦術の質とあまり関係ないわ。いくら時間をかけて考えても駄目な人もいれば、短時間で見事な策を考え付く人もいる。幸い、赤軍には、あなたほどの人物はいないわ。そして、時間が無いのは、相手も同じよ」


 そして、毛利は、意味ありげに、にこっと微笑んで見せた。


 「一度ひとたびしょうを得て、滅せぬものの、あるべきや」


 「えっ、その台詞は・・・小寺千鶴から聞かれたんですか?」


 まったく予想もしない言葉を聞かされて、私は驚いて目を大きく見開いた。


 「さあ、誰から聞いたかしら、もう、忘れちゃったわね・・・。そんなことより、圧倒的に不利な状況で、信長は桶狭間で勝利を掴んだわね。信長が軍勢が揃うまで時間を掛けて、悠長に行軍していたら、果たして勝てたかしら。私たちも状況は圧倒的に不利よ。でも、それゆえに、赤軍も油断しているわ。それに、相手は、青軍の軍師をあなたが務めることを知らないのよ。相手の油断に加えて、こちらには有能な軍師・・・、形勢を逆転できる可能性は決して少なくはないわ。それに、あなた一人で重責を担え、と言っているわけではないわ。今のあなたには、信頼できる友達や後輩がいるじゃないの。彼女たちにも知恵を出してもらえば良いでしょう。黒田さんあたりは、きっと何か良い知恵を出してくれると思うわ」


 「そこまで、私のことを調べ尽くしておられたんですか・・・。まあ、仕方ありませんね、そこまで外堀を埋められてしまっては、もう引き受けざるをえないじゃないですか・・・。わかりました、お引き受けします。大勝は無理かもしれませんが、そこそこの勝ちなら、なんとかなるかもしれません」


 私は根負けして、半ば呆れた表情で毛利を眺めた。


 「そこそこの勝ち、じゃ駄目なの。大勝ちさせて欲しいの。誰もが情勢が再び大きく動いたことをはっきり実感できるような、そんな鮮やかな勝ち方が必要なのよ、青軍、いえ、今の私には」


 毛利は再び表情を引き締めると、厳しい口調で断言した。


 「鮮やかな大勝利、ですか・・・。随分と簡単におっしゃいますね・・・」


 たっぷり皮肉を込めた口調で切り返すと、毛利は厳しい表情のまま、僅かに頭を下げた。


 「・・・無茶なことを頼んでいるのは、よくわかっているわ・・・。悪いわね・・・。でも、余裕、無いのよ・・・。私は、あなたに賭けるしか、もう選択肢が無いの・・・」


 これ以上、私が固辞し続けても、追い詰められた毛利がこの話を撤回する可能性は皆無のようだ。それなら、もはや時間を無駄に過ごすわけにはいかない。私は、腹をくくった。


 「先ほど、例年、騎馬戦は引き分けだった、と仰いましたよね。いったい、どんな試合だったんですか? 騎馬戦で引き分けなんて、むしろ、非常に難しいんじゃないですか? よほど実力が伯仲していたんでしょうか?」


 私の変化を敏感に感じとって、毛利は、さあっと明るい表情に変わり、強い期待のせいか、白い頬を僅かに紅潮させた。


 「騎馬戦で引き分けにするのは、実に簡単なことよ。だって、双方とも、動かなければ良いのだから。それでも、毎年、元気の良い一年生が、何騎か、果敢に敵陣に向かって行くわ。でもね、騎馬戦を指揮できる有能な指揮官なんて、女子校にいるわけがないじゃないの? きちんとした指揮官を欠く状態で、がむしゃらに敵陣に突っ込んでいけば、たちまち相手の餌食になるわ。そして、そういう自分たちに圧倒的な有利な状態になると、人は、日頃のストレス発散という誘惑に容易に負けてしまう。取り囲んで、蹴りは入れてくるし、髪の毛も引っ張ってくる。そういう悲惨な状態になった友達を見た一年生たちは、もう翌年からは、自分から打って出なくなるわ」


 「ああ、そういうことですか・・・。でも、それはつまらない騎馬戦ですね。単なる消化試合みたいなもんじゃないですか。あんまりストレス発散にもならないですね」


 「そうよ。少なくとも、今まではね。でも、自ら動くことでこそ、初めて事態を大きく変えられる。動かないことが最善の防御だというのは間違っている。騎馬戦なら制限時間をやり過ごせば良いけれど、人生はそうじゃないわ。自分から何も行動を起こすことなく、誰かが状況を変えてくれるのをただ待っているだけでは、必ず事態は悪化していく。それが、今、そして、これからの日本の社会なの。首をすくめて、じっとしていれば、一時的な嵐には耐えられるでしょう。でも、自分たちの立っている、この足元が少しずつ、でも、確実に崩れていく中で、何もせずに立ちすくんでいたら、どうなると思う?」


 毛利は、私の反応を窺うように、いったん、言葉を止めてみせた。私は、黙ったままで首を振って、「それでは駄目だ」という意思表示をしてみせた。我が意を得たり、とでも言うように、毛利は深く頷いた。 


 「後先考えずに突っ込んでいくのが良いわけではないけれど、事前に十分に戦術を練って、そして、現場に出たら、チャンスを逸することなく、勇敢に突撃していくことは、自分が生き残っていくためには絶対に必要なことだと思うのよ。騎馬戦でも、そして、これからの人生でも、ね・・・。そして、みんながそういう勇気を振り絞って、踏み出して行くためには、『この人についていけば、きっと負けない』っていう、ある種のカリスマ性のある指揮官が絶対に必要なの。そして、今のあなたには、それがあるわ」


 輝きを増し始めた毛利の瞳を見つめながら、私はさすがに当惑していた。


 「でも、私の役目は軍師なのでしょう? そして、現場の指揮官は毛利先輩じゃないですか? 確かに、今回の件で、いろいろと大変なお立場なのはわかりますけど、それでも、あなたは最上級生であり、そして、生徒会長じゃないですか。あなたが指揮をお執りになるのが最善でしょう?」


 毛利は軽く微笑むと、どこか遠くを見る眼で、少しだけ寂しそうに答えた。


 「もちろん、現場の指揮は私が執るわ。でも、あなたの立てた戦術に則って私が指揮を執っている、という構図がなによりも大事なのよ・・・。私は、後輩たちから尊敬されているけれど、もともと信頼されているわけではないわ。みんな私の指導者としての資質、あるいは限界をよく知っているのよ・・・。先輩たちから受け継いだものを、大切に、そして、確実に、後の世代に引き継いでいくのが私の役目。守りに徹するか、あるいは、みんなを率いて平坦な道を進んでいくのは得意かもしれないけど、華々しく打って出て戦いを展開するような力量は、私には欠けているのよ。そして、みんなから、たくさんの夢や希望を預けられるには、私の器量はあまりに小さすぎるわ。これが私の限界よ・・・。残念だけど、これは変えようのない厳然たる事実なの。でも、私は、自分の限界をわかったうえで、自分にできることを、自分なりのやり方で、精一杯、戦ってきたわ。そして、それは、あの子たち、咲良や夏帆も同じよ。でもね、あなたは、私たちとは違うと思うの」


 「そんな・・・。先輩は、私のことを買いかぶり過ぎてますよ。私は、この通りの向こう見ずの無鉄砲で、問題ばかり起こしているじゃないですか。先輩みたいに、みんなに尊敬されることなんて、おそらく金輪際こんりんざいありえないと思います」


 毛利は、黙ってティーカップに手を伸ばし、軽く目を瞑って、紅茶を一口含んだ。そして、静かに目を開けると、今までに見せたことのないような柔らかな表情で、私を暖かく見つめた。


 「あなたには、他の子にはない何かがあるのよ・・・。それは、あなたと初めて話した時に感じたわ。私の眼をまっすぐ見つめ返して、物怖じせずに反論してきた後輩は、あなたが初めてよ。言い分が合っているか、間違っているのかは、実は大した問題ではないの。自分の言いたいことを、相手が誰であろうとも、恐れることなくはっきりと主張できる、そういう強さがあなたにはある。あなたは、破天荒で、やることなすこと、まったく予想がつかない。でも、この閉塞を、思いもかけない方法で打ち破って、まったく新しい世界を見せてくれるかもしれない。そして、自分たちが窮地に陥ったとき、ためらうことなく、助けに来てくれる。いったん決めたことは、どんなに苦しくても決して変えずに最後まで貫く。軸がブレることがない。そういう全幅の信頼が無ければ、人はついてこないわ。もちろん、私にも咲良にも、そういう気持ちは十分にあるわよ。でもね、それをはっきりと目に見える形にして、みんなに示すことまではできなかったわ」


 小さな溜め息をつくと、毛利は言葉を続けた。


 「しかし、あなたは、自分に降り掛かってきた試練を、見事に跳ね返して、逆に生徒たちの信頼感と期待感を勝ち取ってしまった・・・。まったく妬けてしまうわね・・・。でもね、それでは、仮に私が同じ立場だったとしたら、あなたと同じように、たった一人で通り魔に立ち向かっていけたのか、と問われると、正直に言って、私にはそんな自信はないのよ・・・。だから、それを行動に移せたあなたは、この時機に、天の遣わした逸材なのかもしれないわね、きっと・・・。実際に、あなたの周りには、あなたが意図して集めたわけじゃないのに、有能なクラスメートや後輩たちが自然に集まってきているじゃないの。それが何よりの証拠よ。彼女たちを大切になさい」


 いつの間にか、私は毛利に手を握られていた。


 暖かく、柔らかく、そして、包み込むような感触に、私は、どこか安心感を感じ取っていた。

自分の限界を冷静に認識し、次代を担える人材をきちんと探していく。

なかなかできることではありません。

毛利は優秀な子です。

的確な判断力と洞察力を持ち合わせているだけに、自分の器量の限界がはっきりと見えてしまう。

つらいところではありますが、そこで絶望して自暴自棄になったりせず、ましてや、素質のある後輩を妬んだりすることもなく、むしろ後輩をきちんと育てて、次代を託していこうとしています。

彼女もまた、優秀なリーダーのひとりなのです。

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