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十九話 虎と虎

 クロエと別れた俺は、二階を行く。

 向かい来る敵を倒し、廊下を進んだ。


 クロエとの打ち合わせ通り、行く先々の部屋の扉を開けて軽く中を荒らしてまた別の部屋へ行く、という行動を繰り返した。

 騒ぎを大きくするためだ。


 そして、俺はその部屋へ辿り着いた。


 広い部屋だ。


 そこには一人の男がいた。

 窓際に立ち、外を眺めている。


 その後姿だけで、俺はそれが誰なのか悟った。


「兄弟」


 呼ぶと、ナミルは振り返る。


「よう。来るんじゃねぇかと思ってたぜ」


 平然と、笑みさえ浮かべて奴は言った。


 俺も、こいつがここにいる気がしていた。

 ここへ来るまでに、スーツ姿の連中を多く見た。

 あれは、虎牙会の人間だろう。

 だから……。


 どうであれ、ここで会ったからには聞いておかなくちゃならない。

 俺は、兄弟に気持ちをぶつける事にする。


「兄弟……教えてくれ。何で、こんな事になっちまってるんだ? 何で俺を殺そうとしたんだ? 俺には、さっぱりわからねぇよ」

「前に言ったろ。取引先の頼みだって。その取引先が、ここの主なんだ」


 じゃあ、虎牙会と繋がっていたのはダストンじゃなくて、ザクルスの方だったって事か。


「何でそんな奴の言う事を聞くんだ。俺やビッテンフェルト公まで殺そうとする奴なんだぞ」

「力を持っているからさ」

「力?」

権力ちからだ。傭兵上がりの俺が、あの町で一番になれたのはザクルス公爵の後ろ盾があったからだ。そうなるために、俺は奴と組んだんだ」

「なんだと?」

「お前は知らなかっただろうが。俺は、貴族の血筋なんだよ。だから、平民嫌いのザクルスもそれを聞けば力を貸してくれるようになった」

「そんな事はどうでもいい。だから、何でこんな事をしたんだ? 何でお前は、そんなに力が欲しかったんだ?」

「そうだなぁ……。そもそも俺がヤクザものになったのは、お前が貴族になったからなんだ」

「俺が? 俺が貴族になったからって、どうしておまえがそうなっちまうんだよ」

「俺はな、ティグリス。お前と対等でいたかったんだよ。

 貴族になっちまったお前と……。

 ……知ってるか?

 スラムの頂点にある立場ってのは、貴族ですら頼ってくるんだ。

 必要だが、公にはしたくない仕事を俺達に頼んでくるんだ。

 それこそ頭まで下げて頼んでくる。

 頼りにされるって事は、貴族と対等って事だろう。

 その立場になるためにあいつの力が必要だった。

 貴族になっちまったお前と対等になるには、力が必要だったんだよ」

「そんな事のために……」

「そうさ。そんな事が理由だ。俺は、貴族が嫌いだ。だから、貴族にならず貴族に並ぶ力を手に入れたかった。お前と同じ、力を手にしたかった」

「筋が通ってねぇよ。結局、お前はその力を得るために、貴族の力を使ってるんじゃねぇか!」

「そうだな。かもしれねぇな……。焦っちまったのかもな。このままじゃ、お前に置いていかれると思って……」

「兄弟……」


 ナミルが構えを取る。

 俺と同じ構えだ。


「でも、今回の事は丁度よかったかもしれねぇな。こんな機会に恵まれるんだから。どうであれ、今の俺は権力だけならお前と対等だ。あとは……」

「腕っ節の強さか?」

「そうだ。権力も腕力も、どちらもお前に劣らない。それを証明してやる。それが証明できた時、よくやく俺達は対等な関係に戻れる! 俺はお前と、また肩を並べられるんだ!」

「……馬鹿馬鹿しい。だが、付き合ってやるよ。俺もお前も、結局は話だけで納得できねぇ馬鹿だからな!」


 俺も構えを取った。


「行くぞ! ティグリス!」

「来い! ナミル!」


 ナミルが迫る。

 右ストレートを放たれる。

 左腕で防ぐ。右フックで応酬。しゃがんで避けられる。

 腹に痛みが走る。蹴られたようだ。

 蹴りの威力で距離が開く。

 外れた視線をナミルに戻すと、奴の体が宙にあった。

 半円を描いて、奴の蹴りが俺の頭頂目掛けて振り下ろされる。

 両腕を組み合わせて防ぐ。

 防ぎきれずにガードを崩される。


 着地した奴の右拳が迫る。

 それに合わせて、俺も右拳を放つ。


 互いの拳が、互いの左頬を抉った。

 そのまま勢いを止めず、頭突きと頭突きがぶつかる。


 額が密着した状態で、俺とナミルは睨み合った。


 不意に、ナミルが笑う。


「久し振りだな。お前とこうして拳を交えるのは」

「そうだなっ!」


 ナミルの首に両腕を回し、膝蹴りを腹に叩き込む。

 蹴りを受けながらも、ナミルは拳を俺の脇腹へ密着させる。

 衝撃が腹を抉る。


 ナミルもまた、俺と同じく距離を必要としない打撃を習得している。

 これは、俺とナミルが互いに磨き合って習得した技術だ。


「うっ!」


 痛みに呻く。

 肋骨にひびが入ったかもしれない。

 緩んだ腕の拘束を強引に解かれる。

 わずかに開いた距離を蹴りが閃く。側頭部を狙うハイキックだ。

 しゃがんで回避。同時に、ナミルの脇腹へ一撃。

 お返しだ。


「ぐっ!」


 若干の怯み。

 しかしすぐに持ち直し、ナミルは殴りかかってくる。

 こちらも同じく殴りかかる。

 互いに拳の届く距離。足を留めて殴り合う。

 拳の応酬が互いを打ち貫く。

 腹を打ち、顎を打ち上げ、頬を殴りく。

 どちらか、先に退いた方が負け。

 そんな意地の張り合いじみた殴り合いだ。


 その殴り合いを制したのは俺だった。


 一歩退いたナミルの側頭部へハイキックを当てる。

 倒れるナミル。

 すぐ立ち上がろうとするナミルの顎を蹴り上げる。

 ナミルは後ろへ転がった。


 部屋の壁にもたれかかる。

 そんなナミルの顔を蹴りつけようとする。

 が、避けられて足が壁を貫いた。

 避けたナミルは、足を取られた俺の背中を蹴る。

 足を抜き、蹴り返す。

 その足を掴み取られる。そのまま俺の体ごと回転し、壁へ叩きつけられた。

 足を掴んだまま、ナミルは俺の腹を強かに殴りつけた。


 衝撃が壁に伝わり、壁が壊れた。

 俺とナミルは隣の部屋へ倒れ込む。


「ぐあぁ!」

「うおぉ!」


 そこは倉庫に使っている部屋のようだった。

 家具などが置かれている。

 俺達が倒れこみ、ほこりが舞い上がった。


 互いに立ち上がり、襟首を掴み合う。

 襟首を掴んだまま殴り合う。

 少しだけ俺の拳の威力が勝り、ナミルが後ろへ退く。

 その拍子に、ナミルのジャケットとシャツが破れた。


 ナミルは構わず俺から離れると、近くにあった衣装タンスに手をかけた。

 腕に力が込められ、血管が浮き上がる。


「うおおおおぉ!」


 雄叫びをあげて力を込めると、タンスを持ち上げた。

 それを持ってこちらへ向かってくる。

 そのタンスを受け止めるが、止めきれずに後ろへ後ずさる。

 そのまま、壁へ押し付けられた。

 タンスの重量が体に圧し掛かってくる。


 さらに壁が崩れ、隣の部屋へ転がる。

 思わず目を閉じ、開ける。

 すると、こちらに落ちてくるタンスが見えた。


 転がって回避する。

 タンスが避けた先のすぐ横へ落下した。

 間一髪だ。


 が、次の瞬間、ナミルが俺へ馬乗りになった。

 襟首を掴まれ、その状態で拳を何度も叩きつけられる。

 その拳を片手で受け止める。

 同時に、殴り返す。

 顎を拳に捉えられたナミルが、仰け反るようにして離れる。

 その拍子に、掴まれていた俺のシャツが破れた。


 俺が立ち上がってナミルを見ると、奴もまた立ち上がる所だった。


 ナミルはボロボロになった自分の服を見る。

 次いで、俺を見た。


「スーツってのは、見た目はいいんだが動き難いもんだな」

「……そうだな」


 ナミルは、スーツの上を脱いだ。

 俺も同じく、ジャケットを脱ぎ、ボロボロのシャツを脱いだ。


 二人共、上半身裸になる。


「これで、存分にやり合えるな」

「ああ」


 言葉を交わすと、互いに詰め寄り、殴り合いが再開された。




 あれからどれだけ経っただろう。

 俺達はずっと殴り合っていた。


 体の疲れと痛みが思考を奪い、攻防は次第に技のない力と力だけの応酬になっていく。

 顔を見れば拳を振り抜き、蹴りを放つ。

 そんな単純なやり取りになっていく。


 体はもう限界に近かった。

 何もかもが重い。

 それはナミルも同じだろう。


 満身創痍だ。

 そんな体を必死に奮い立たせて戦う。

 戦い続ける。


 全力を尽くした。

 でなければ、ナミルに応えてやれない。


 よくわかったよ、兄弟。

 お前の気持ちは……。


 こうして拳を合わせれば、どんな思いでこの戦いに挑んでいるのかがわかる。

 だからもう、これで十分だろう?


「「うおおおおおおぉっ!」」


 互いに渾身の一撃を放ちあう。

 そして気付けば、俺とナミルの拳は平等に互いの頬を抉り合っていた。


 ……ナミルだけが倒れる。


「負けか……。結局俺は、お前と対等になれなかったって事か……」


 ナミルが呟く。


「何言ってやがる」

「あ?」

「対等ってのは、力が等しいって事でも、貴族だ平民だと肩書きが等しいって事でもない。互いに認め合った人間が、対等なんだ。俺はそう思う。少なくとも俺は、今でもお前の事を対等の兄弟だと思ってるんだからな」


 俺が言うと、ナミルは呆気に取られた顔をする。


「そうだな……。お前の言う通りかもしれねぇ。結局俺は、貴族の血を憎むあまり、肩書きやら力やら、余計なもんにこだわり過ぎていただけなんだろうな」


 俺は、ナミルに手を差し出す。

 ナミルはその手を掴み、起き上がる。


「っ!」


 その瞬間、ナミルが手を強く引いた。

 ナミルが俺を後ろへ引き、前へ出る。


 そして、どこからともなく飛来した火球かきゅうがナミルに直撃した。


「ぐわぁっ!」

「兄弟!」


 ナミルが火球の爆発を受け、吹き飛ぶ。

 宙を舞い、床へ仰向けに倒れた。


 火球の飛んで来た方向を見る。

 するとそこには、怯えた様子のダストン将軍が立っていた。


「く、くそ!」


 俺を狙うつもりだったのだろう。

 青ざめているのはそれが外れたからだ。


「てめぇ!」


 ダストンへ向かっていく。


「く、来るな!」


 ダストンが火球を連射する。

 だが、魔力のない人間に魔法を追尾させる事はできない。


 でたらめに撃った火球を避けながら、ダストンへ迫る。


「ひっ……ぐべぇっ!」


 ダストンへ渾身の拳を叩き込んだ。

 そのまま、動かなくなる。


「兄弟!」


 俺は叫び、ナミルの方へ走った。

 倒れるナミルの体を抱き起こす。


 ナミルは、目を開いて俺を見た。

 意識がある事に安心する。


「何で、こんな事を……?」

「俺だってなぁ、これでもお前の事……。今でも、兄弟だと思ってるんだぜ?」

「そんな事ぁわかってんだよ! 今更言われなくたって伝わってるんだよ!」

「そうかい……。そいつはよかった。流石は、俺の兄弟だ……」

「もういい……! 喋るな……!」

「大丈夫さ、これくらいじゃ死なねぇよ」


 言いながら、ナミルは上体を上げる。

 そうして、笑いかける。


 だがどう見ても、大丈夫じゃない。

 火球を受けた胸には、大きな火傷ができている。


「ただ、ちょっと自力で立つのが辛い……。壁に寄りかからせてくれねぇか?」

「ああ……」


 壁へ寄りかからせる。

 ナミルは壁を背に座った。


「ありがとよ」


 ナミルは、弱々しく礼を言う。


 早く手当てしなくちゃならない。

 だが、俺にはその手段がなかった。


 どうして俺には魔力がないんだ。

 魔力さえあれば、白色で治せるのに……。


「何て顔してるんだよ……。言ったろう? 俺は死なねぇぜ」

「……ああ」

「だから、さっさと行けよ」

「でも……」

「さっさと行けっつってんだろ!」

「……」

「ザクルスは屋敷の奥にいる……。こんな目に合わされたんだ、ケジメをつけたいんじゃないのか?」

「……わかった」


 俺は立ち上がり、ナミルに背を向ける。


「それでいい……。じゃあ、また会おうな。兄弟」


 その言葉を背に受けて、俺はその場を後にした。


 絶対だぜ、兄弟。

 絶対に、また生きてまた会おうぜ。

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