三話 置かれた状況
前方を走るルクスを追って、私と先生は走った。
路地を何度も曲がり、その途中でルクスは立ち止まる。
「ここまで来れば、とりあえずは大丈夫だろう」
ルクスが言う。
「ルクス。どうして助けてくれたの?」
ルクスは国衛院の第三部隊隊長だ。
言わば、私達を追う立場の人間である。
「俺にも思う所があってな……。というより、単純に先生が人を殺したとは思えないってだけなんだが……」
ルクスは先生を見る。
「あんた、本当に殺してないんだよな?」
「ああ。殺してない」
先生が答えると、その真偽確かめるようにルクスは目を合わせた。
視線を交し合う。
ほどなくして、ルクスは笑った。
「わかった。なら、俺のした事は無駄じゃなかったな」
「だが、ルクス。いいのか? お前。自分の所属する組織に背く事になるんだぞ?」
「俺は自分の行動が間違っているとは思わねぇ。誤った犯人を捕まえる方が、国衛院にとっては痛手だと思うからな」
ティグリス先生が問い、ルクスは答えた。
「そうか……。すまねぇな」
「構わねぇよ。それより、ここもいつまでも安全じゃねぇ。どっか、落ち着いて話ができる所に行かないか?」
「それならいい場所がある」
そう言って、先生は私とルクスを先導した。
先生に連れられて辿り着いたのは、小さな酒場だった。
「ヤドリギ……」
私は、看板に書かれた店の名前を読み上げた。
「入るぜ」
先生が、「準備中」の札がかかったドアを躊躇なく押し開ける。
カランカランとドアについたベルが鳴った。
店内へ足を踏み入れる。
「まだ開いてないぞ」
店に入ると、中から声がかかった。
見ると、カウンター内で酒棚の確認をしている中年男性がいた。
シャツの布地が張っており、背中越しでも体格が良いとわかる。
そんな男だ。
「俺だよ。バド」
先生が言うと、バドと呼ばれた中年男性が振り返る。
頬に十字傷がある厳しい顔の男だ。
先生を見て、中年男性は厳つい顔を綻ばせた。
「ティグリスの兄貴じゃねぇか! 最近来てなかったから、死んだんじゃねぇかと思ってたよ」
「言ってろ」
先生は笑う。
どことなく楽しそうだ。
このバドという人は、先生の友達なのかもしれない。
とても親しげだ。
「それで、今日はどうしたんだ? こんな早くに。開店時間を間違えたわけじゃないんだろ?」
「申し訳ないんだが、ちょっと頼みごとがある」
「何だ?」
「ちょっと匿ってほしいんだ」
バドさんが表情を険しくした。
「何かあったのか?」
「殺しの容疑で追われてる」
「そいつは……本当にやったのか?」
「やってねぇよ」
「そうか……」
言って、バドさんは笑みを作った。
「まぁあんたが本当に殺しちまってたとしても、あんたに頼まれちゃ断らなかっただろうがな」
「じゃあ……」
「しばらく店は閉める。好きに使ってくれや」
「すまねぇな」
「兄貴には恩があるからな」
笑んでから、バドさんは私とルクスを見た。
「で、そっちの奴らは?」
「俺の教え子だ」
紹介され、私とルクスは名乗る。
「クロエ・ビッテンフェルトです」
「ルクス・アルマールだ」
「バドラック・ビターだ」
バドは愛称なんだ。
「あんた、ビッテンフェルトって事は……」
「ビッテンフェルト将軍の娘さんだ」
バドさんの言葉に、ティグリス先生が答えた。
「本当かい!」
バドさんは嬉しそうに私の肩を叩く。
「あんたの親父さんには世話になったからなぁ。歓迎するぜ!」
「ありがとうございます」
父上とも知り合いなのか。
しばしして。
私達は店内のテーブル席に着いてルクスから話を聞く事にした。
「俺が、どうして今回の事に疑問を持ったのか……。それは個人的にティグリス先生を信頼しているって事もあるんだが……。それ以上に今回の事件、ちょっと胡散臭い所があってな」
「胡散臭い所?」
私はルクスに聞き返す。
「そもそも今回の事件の調査に関して、国衛院は関与してねぇんだ」
「どういう事なんだ?」
答えたルクスに、先生が聞き返す。
「殺害されたフレッド・ガイムの死体を国衛院は確認していない。見つけたのは、同じ隊の人間でな」
「軍の人間か」
「ああ。で、調査をしたのも同じ部隊の人間だったんだ。同じ隊の仲間を殺された以上、自分達で調査すると言って国衛院の人間を一切関わらせなかった。遺体もすでに埋葬したって話だ」
「そのフレッド・ガイムっていうのはどこの隊の人間なんだ?」
「ダストン・ファーガスン将軍の隊だよ」
「ダストン……」
名を呟き、先生が苦い表情を作る。
「あのクズ野郎か」
そう言ったのは、バドさんだった。
バドさんはカウンターから歩いてきて、水の入ったコップを私達のテーブルに置く。
「ありがとうございます。……知ってるんですか?」
私は二人に訊ねた。
「ああ。昔、俺が傭兵をしていたのは知っているな?」
「はい」
答えると、バドさんが口を挟む。
「ついでに言うと、俺も同じ傭兵団だったんだぜ」
そういう繋がりだったのか。
なるほど。
じゃあ、父上と接点があってもおかしくないか。
「あの南部との戦いで、俺達を雇ったのがダストン・ファーガスンだったんだ」
「そうなんですか。その人と、何かあったんですか?」
口振りからして、二人共そのダストンという将軍に良い感情を持っていないように思える。
「まぁな。あいつは、俺達を自分が逃げるための囮にしやがったのさ」
「あの時は、もう死んだと思ったぜ」
そりゃあ、嫌いにもなる。
「その後は、ダストンとの契約を切ってお前の親父さんに雇われた」
「で、兄貴はそこで戦功を立てて貴族になったんだよな」
そんな事があったのか。
「……話は戻るんだけど。ルクス、国衛院はそのフレッドっていう人の調査に関わっていないんだよね?」
「ああ」
私の問いにルクスが答える。
「じゃあ、何で国衛院が先生を捕まえに来たの?」
「調査が全部終わった後で、ダストンから協力を要請されたんだよ。ティグリス・グランが犯人だと判明したから、捕縛に協力しろってな」
「最初は断ったくせに?」
虫が良すぎる。
「ああ。胡散臭ぇだろ?」
「本当に」
「だってのに、親父はすんなりとそれを了承した」
「アルマール公が?」
「いつもの親父なら、素直に従うとは思えねぇ。だが、今回は疑いもせずにすぐ隊員を動かしやがった」
アルマール公がねぇ。
あの切れ者のおじさまが、そんな胡散臭い事を簡単に信じるとは思えないけれど……。
何か裏があるのかもしれないな。
「ルクス。じゃあ、先生は軍と国衛院の両方から狙われている。そういう事だね」
「そういう事になるな」
国衛院だけでも厄介なのに、そこに軍まで介入してくるというのは骨が折れそうだ。
アルマール公かアルディリアに渡りをつけようと思っていたけれど……。
少なくとも、アルマール公と接触するのは見合わせた方がいいかもしれない。
息子のルクスですらその真意を測り損ねているのだから。
「今回の事件は、何かがおかしい。もしかしたら、先生を陥れようとしている奴がいるのかもしれねぇ」
「俺が狙われてるって事か?」
ルクスの言葉に先生が答える。
「ああ。証拠はないが、間違いないと思う」
「もしそうなら、怪しいのはダストンって人だよね。接点もあるみたいだし」
ルクスの返答に私が口を挟む。
私は先生を見た。
先生が口を開く。
「だが、何年も前の話だ。それが今更、何かしてくるとも思えねぇがな」
「実際に誰が何を目論んでいるのかはわからねぇ。ただわかるのは、先生が深く関わっているって事だ。その辺りは、調べていけばわかる事だろう」
そう言って、ルクスが立ち上がる。
「俺は国衛院に戻ってこの件について調べてみる」
「大丈夫なの?」
「姿は見られてないはずだ。二人を逃したのが俺だとは誰もわからねぇよ」
「うん。わかった」
「何かわかったらまた来る。それまでは大人しくしててくれ。先生の無実が証明できるよう頑張ってみるからよ」
ルクスが頼もしい。
「いや……」
けれど、先生は拒否する。
「じっとなんてしてられねぇ。どこの誰が何のために、俺を狙ってるのかは知らねぇ。だが、俺を狙ってるって言うんなら、俺も自分にできる事はしておきたい」
先生が言うと、ルクスは溜息を吐いた。
「あんたはそうだな。そんな人間じゃなきゃ、他の国までさらわれた教え子を助けに行くなんて事できやしねぇや」
ああ、私がサハスラータにさらわれた時か……。
引き合いに出されるとちょっと恥ずかしいな。
あれは失敗談だから。
薬で魔力を封じられた私は、あっさりとヴァール王子に捕まってしまったのだ。
あの時に先生は、アルディリアと一緒に私を助けに来てくれた。
先生を含めて、あの時助けに来てくれたみんなには感謝してもし足りないくらいだ。
「無理にとは言わねぇよ。ただ、捕まらないように気をつけるんだな」
そう言うと、ルクスは店から出て行った。
私と先生、そしてバドさんが残される。
「先生」
私は先生を呼ぶ。
先生がこちらに向いた
「これから、どうするんです?」
「……まずは家族の安否を確かめたい」
「わかりました。じゃあ、一度先生の家に行きましょうか」
「ああ」




