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五話 与えられた選択

 私は、カラスの対面の席へ腰を下ろした。


 今の彼女は、あの戦いの時と比べると別人のような印象を受けた。

 いや、別神べつじんか。

 対面に座しているというのに、あまり緊張しない。


「ここに来たのは、私を罰するため?」

「まぁ、待ちなよ」


 言って、カラスは運ばれてきたケーキを食べ始める。


 たまに「んー」とたまらない様子で声をあげながら、紅茶とケーキを楽しむ。

 私は少しイライラしながら、彼女が食べ終わるのを待った。


 食べ終わり、カラスが私の質問に答える。


「来た、というのは語弊だ。最近は、ずっとこの国にいる。かれこれ、一年くらいになるかな」


 一年?

 私が帰ってくるよりも前じゃないか。


「どうして?」

「そりゃあ、三日後を楽しみにしていてくれ。そうすれば、どうして小生がここにいるのか明らかになるよ」


 三日後。


「百億人目?」

「おやおや、知っていたか。そういえば、未来から来たのだったね。ふふふ」


 その日を迎えるために、一年間もアールネスに滞在していた。

 それって……。


「一年も前からいたって事は、もしかして私の運命が見えているって事?」

「そうだよ。三日後に迫るその日、この場所で、君が彼女を助ける事を知っている。百億人目の彼女だ。そして、君は死ぬ。詳しい死因はわからないが、死ぬ事だけはわかっている。恐らく、神である小生に殺されるからその部分が見えないのだろうね」


 三日後のあの日。

 その日の事を思い出し、私は息を呑んだ。



「それにしても、君の運命は他の人間よりもくっきりと見えるね。思うに、君は一度死んだ事があるんじゃないのかい?」

「それは……」


 確かに、私は一度死んだ事がある。

 死んだからこそ、生まれ変わって今の世界にいるのだ。


「そうなんだろう? 君は死を知っている。死に捕らわれた事がある。だからだろう。よく見えるんだ、君の運命は、ね」

「そんな事はどうでもいい」


 カラスを睨む目に力を入れる。


「どうして、こんな事をしようとする? 一年間もこの国にいたのなら、仲良くなった人もいるはずだ。そんな人も含めて、殺すなんて辛いと思わないの?」

「考え方の違いだよ。この世に死なない生き物はいない。いずれ死ぬものが、少し早く死ぬだけだ。たいした違いはないよ。それすらも嫌だというのなら、君は百億人の運命を変えるなんて事しなければいいんだ。それはまだ、遅くない。君があの子を助けなければいい」

「それは……」

「あの子だけでなく、これから先、ずっと……。君に助けを求めてすがりつく人々を全て見捨てればいい」


 やっぱり、シュエット様の言った通りか。


「そんな事は……」

「できないなら、みんな死ぬよ?」


 間髪いれずに告げられた事で、言葉に詰まる。


「君にはそれしかないんだよ。小生の怒りに触れぬよう、何もせず大人しくするしかできない。多分君は、小生に戦いを挑んだはずだ。そしてわかっただろう? 絶対に勝てない、と」

「……っ!」


 悔しいが、反論できなかった。


「大人しく従うんだ。小生に。

 小生の言う事を聞いて、君は自らに縋る人々を見捨て続けるんだ。

 そうすれば人生は平穏だ。

 できる自信がないか?

 そうだなぁ。

 長い人生をそうやって過ごせば、魔が差す事だってあるかもしれない。

 堪えられなくなって助けてしまう事もあるだろう。

 でもそんな時は、今みたいにトキを頼ればいい。

 もう一度時間をやりなおして、今度こそ見捨てればいい。

 そうすれば、許してあげるよ。

 罰を与えないであげる。

 また挑んできてもいい。

 何度でも何度でも……。

 その都度教えてあげるよ。

 君の無力さを。

 そしてまた許してあげよう。

 小生は、寛大だからね」


 カラスは心底楽しそうに笑った。


「どこが寛大だ……!」

「百億人分待ってあげたじゃないか」

「仲良くなった人から助けを求められて、助ける事の何が悪い!」

「それはまた独善的な考え方だね。それじゃあ、君に気に入られた人間以外はどうでもいいって事じゃないか。君が助けた人間のせいで、別の誰かが死ぬ事だってあるのに」


 ……確かに、そうだ。


 私が運命を変えたばかりに、命を落とした人間も多分いるんだろう。

 本来なら生きるはずだった人間の運命を死へと塗り替えてしまった事だってあるんだろう。


 それは確かに罪深い事かもしれなかった。


「まぁでも、人間の情というのもわかる。女神にも何かを好きになる心はあるからね。だから、君が自分の家族を助ける事だけは許そう」

「家族、だけ?」

「そうだ。家族が死の運命を辿ろうとしても、その運命を変える事だけは許してあげるよ。いや、それどころか小生手ずから直接死の運命を取り除いてあげてもいい。この先も、君の家族だけは安泰になるよう……」


 特別だ。他の人には内緒だよ。

 とカラスは声を潜めて言い、すぐに愉快な様子で笑う。


「まぁ、あと三日ある。決断を出すには、丁度良い時間だ。この国の人間……。いや、家族か、他人か、そのどちらを取るのか」


 言うと、カラスは席から立った。


 私の近くに寄る、カラス。

 口元を私の耳へ近づける。


「よく考えろ」


 そう囁きかけ、カラスは踵を返した。

 その背中が遠ざかっていく光景を私はただ見送る事しかできなかった。


 戦いを挑む気にもなれなかった。

 いつもなら強い相手を前にして、心が躍るのに彼女にはそんな気持ちを懐かない。

 かつて、ヤタの正体を知らずに戦った時もそうだった。

 けれど、今回はあの時と理由が違う。


 きっと彼女には、戦っているという感覚がなかった。

 彼女の人間離れした剣は、ただ死を与えるための行為でしかなかった。

 神としての権能の一部を行使した、そういう意識しかないかもしれない。


 戦いには熱が生じる。

 感情と闘争心が生み出す熱だ。

 その熱を彼女は持ち合わせていなかった。


 そんな者を相手に、心が躍るはずもない。


 何より、私ではあの女神に勝てない。

 圧倒的な力を前に、私は一度彼女に屈してしまっていた。


 だから私は、心が折れていたのかもしれない。


 強いられるままに彼女の言う他人と家族の二択を受け入れる事しかできなかった。




 何もする気が起きなかった。

 考えなければいけない事なのに、何も考えたくない。

 体も重く気だるい。


 私は顔を俯けたまま、力のこもらない足取りで自宅へ帰った。


「おかえり」


 玄関を通ると、声をかけられる。


「アードラー」


 そこにいたのはアードラーだ。


 上げられた私の顔を見て、アードラーは心配そうな顔をする。


「どうしたの? 酷い顔よ」


 アードラーは私に駆け寄り、気遣ってくれる。


「何でもないよ」


 私は表情を取り繕う。

 アードラーを心配させたくなかった。


「そう?」


 アードラーは笑顔を作る。


「なら良いのだけど」

「うん。大丈夫だよ」


 アードラーは踵を返す。

 私から離れていった。


 これは、私が決めなくちゃいけない事だ。

 この苦しさをアードラーに……家族の誰にも共有させたくない。


 ふと、アードラーが立ち止まった。


「あなたの言う事なら、私は信じるわ」


 背中を向けたまま、答える。


「どんな言葉だって信じる。あなたは強いもの」

「アードラー?」

「でも、人の心が案外に脆い事を私は知っているわ。きっとそれは、人間なら誰でも同じだと思うの。たとえ、あなただって例外じゃない。だから……無理はしないでね」


 そう言って、アードラーは今度こそ歩き去って行った。


 ありがとう、アードラー。

 そう言ってもらえて嬉しい。


 でも、そんな思いやりのある君だから、私は絶対に話すまいと決意を固められたよ……。

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