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百二十九話 気に入らないわ

 アードラー視点です。



 その日は朝から最悪だったわ。


 昨夜、眠る前に軽く読むはずだった本を熟読し、いつもより遅くに眠ったせいで寝覚めが悪かった。

 眠りが足りなくて頭が痛い。

 髪がなかなか纏まらない。

 学校へ向かう途中の馬車は途中で車輪が壊れてガタガタ揺れるようになる。

 学園にいる間は気分がよかったけれど……。


 極めつけにあの話だ。


 校舎を出た私を待っていたムルシエラ先輩が私に告げたのは、私が昔陛下に頼んでいた事の結果報告だった。

 私がかつて褒美として陛下に求めたもの。

 それは女性を男性に変える方法だった。


 その研究はムルシエラ先輩の父親であるヴェルデイド公が主導で行なってくれていた。

 この国一番の魔法の権威と呼ばれるヴェルデイド公が携わってくれるのなら、と私はおおいに期待していたのだが……。

 その結果は、研究が失敗に終わったというものだった。


 その結果に私は、今日一番の最悪な気分を味合わされ……。

 気力を失った私は、早々に帰る事にした。


 修理された馬車は、ガタガタと揺れる事もなく私を快適に自宅まで運んでくれた。

 だけれどそんな快適さを喜ぶには、私の心は沈み過ぎていた。


 家に帰りついた私は、自室のベッドに寝そべる。

 そうして絶望感に浸った。


 そもそも私がそんな方法を望んだのは、私が恋をしているからである。

 私には好きな人がいる。

 でもその人は、私では手の届かない人だ。


 私は女性で、あの人も女性だった。


「クロエ……」


 その人の名を呼ぶ。


 彼女は私にとって、初めての友達だ。

 大事な大事な、一番の友達だ。


 彼女も私の事を大事にしてくれている。

 接していれば、それが感じられる。


 でも、私の望むような理由で、彼女は私を大事にしてくれているわけではない。

 私と彼女が、互いに向ける「好き」という感情は、種類が違う……。


 彼女は私の恩人で、私の心を救ってくれた人だ。


 私を苛む孤独の苦しみから、何度も救い出してくれた。


 でも、彼女が私を助け出してくれるたびに、私は同時に別の苦しみを受けていた。


 助けてもらうたび……。

 優しくしてもらうたびに……。

 私は彼女への気持ちを募らせた。

 けれどそれは、どうしても叶わない気持ちで……。


 好きになれば好きになるほど、私の心は絶望的な苦しみに苛まれた。


 その絶望感を味わうたびに、私は一つの希望に浸っていたけれど……。

 寄りかかるための希望は、今しがた微塵も残さず砕かれた。


 本当は、半ば諦めていたのかもしれない。

 でも、結果が確定しない限りは、少しの慰めぐらいにはなっていた。


 その慰めが、もう得られなくなってしまったのだ。


 ああ、本当に最悪の日だわ。


 でも、悪い日というものは最後の最後まで悪いものだと、私は思い知った。




 夕陽が沈みつつある頃、私の家に来訪者があった。

 使用人に来訪者を伝えられ、玄関まで行く。

 そこに来訪者は待っていた。


 アルディリア・ラーゼンフォルト。

 クロエ・ビッテンフェルトの婚約者。


 私の恋敵……。

 いいえ、きっと彼は私を恋敵だと思っていないのでしょうね。


「何の用なのよ?」


 口調から不機嫌さを隠さず、私は訊ねた。


 こいつには、こんな態度で十分だ。


 初めて会った時から、私はこの男が気に入らなかった。

 ただ婚約者だというだけで彼女のそばに居られて、ただ男に生まれたというだけで彼女と添い遂げる事ができる存在。

 私が求めても手に入れられない物を持っている人間。

 私はそんな彼が堪らなく嫉ましく、そして羨ましいと思っていた。


「クロエが、倒れた」

「何で?」


 私は思わず彼に詰め寄り、訊ね返していた。


「それは……」


 アルディリアは言いよどむ。

 言いたくないって事ね。


 クロエが倒れた理由に心当たりがあり、それが自分のせいだと思っている。

 そんな所かしら?


 追求してやりたいと思った。

 でも、今大事なのはそっちじゃない。


「お見舞いに行くわ」

「うん。お願い」


 アルディリアが我が家まで乗ってきた馬車に同乗し、私はビッテンフェルト家へ向かった。

 その中で、私はアルディリアを詰問する。


「それで、あなた何をしたのよ。何で私を呼びに来たのよ」

「それは……クロエの事を伝えたくて……」


 俯いて答える。


 嘘つき。

 あなただって、私の事は嫌いでしょう?


 私に婚約者としての余裕を見せつけて、そのくせ内心では私を邪魔に思っているんでしょう。


「あなた自身、私に用があったんじゃないの?」


 アルディリアは驚いた顔で私を見た。


 すぐにまた俯いた。

 沈黙が下りる。


 馬蹄と馬車の車輪の音だけが車内に響く。


「……うん、そうなんだ」


 やがて、アルディリアは口を開いた。


「多分僕は、クロエに顔向けする勇気が持てないんだ。だから、君に一緒にいて欲しかった。君は僕にとって、一番の友達だと思うから……」


 ……嘘よ。

 そんなの……。


 私は顔を背けて、窓の外を見た。

 そんな私にアルディリアは言葉を続ける。


「僕は今日、クロエに婚約の解消を求めたんだ」


 私はそれを聞いた瞬間、咄嗟に裏拳を振っていた。


 アルディリアは避けず、その拳を頬に受けた。


「馬鹿じゃないのっ!?」


 気に入らない。

 腹立たしい。


 彼の言った事は、私が求めてやまない物を捨てるという意味だ。


「何でそんな事を言ったのよっ!?」

「違うんだ」


 殴られた頬を拭いながらアルディリアは答える。


「僕はただ、気持ちを伝えたかっただけ……。このまま、クロエに自分の気持ちを伝えられない事が、嫌だったんだ……」


 ああ、そういう事ね……。

 私の怒りは、嘘のように消えた。


 私もまた、そんな気持ちを持っているから……。


 でも私は決してそんな事はしないだろう。

 想いを伝えて、関係が壊れてしまう事が怖いから……。

 だから私は、友達として彼女のそばにいる事しかできないでいる。

 一歩進もうと思う強さが、私にはないから……。


 そんな私にない強さを持っている所がまた、気に入らなかった。


「僕はその事を謝って、ちゃんと気持ちを伝えたい。でも、少しその勇気が足りないんだ。だから、その間そばにいてほしい……」

「わかったわよ」


 本当に気に入らない男だ。




 ビッテンフェルト家へついた私達。

 彼女の部屋へ向かう途中、私達が目にしたのはビッテンフェルト公の腹部へ手刀を突き入れるクロエの姿だった。


 手が抜かれ、ビッテンフェルト公は膝を折った。


「「クロエ!」」


 思わず彼女を呼ぶ。

 隣の彼と声が重なった。


 どうなっているの? これは?


 彼女が私達を見る。


「お似合いだね。二人共」


 クロエが言った。


「アハハハハ」


 無表情だった彼女が唐突に笑い出す。


 なんなのよ、これ……。


「「クロエ?」」

「お似合いだよ。二人共」


 そう告げた彼女の顔を黒い仮面のような物が覆った。

 口元だけが露出し、他をすっぽりと黒が覆うような仮面だ。


 これはもしかして、話に聞いていた黒色?


「アルディリア。本当はすぐにでも殺してやりたいけど……。最後にとっておくよ。……面白い奴だ。お前は最後に殺してやる。アハハ」


 アルディリアに向けてそんな言葉を言ったかと思えば、クロエが踵を返した。

 そして、そのまま全速力で廊下を駆け出した。


 私は追おうとして……。


「ビッテンフェルト公!」


 アルディリアの声に足を留めた。

 振り返ると、腹部から血を流して倒れるビッテンフェルト公がいた。


 私は一度、クロエの走り去って行った廊下を見据えてから、ビッテンフェルト公のもとへ向かった。




 ビッテンフェルト公の手当てをして、ベッドに寝かせる。

 幸い、傷はそこまで深くなく、内蔵を傷付けるには到らなかった。


「あれはどういう事でしょう?」


 アルディリアがビッテンフェルト公に訊ねる。


「私にはわからない。だが、いつものクロエではないな」

「ええ」

「黒色に支配されたんじゃないかしら?」


 私は気付いた事を話す。

 アルディリアが反応する。


「黒色? 前にクロエが言っていた? でも、この王都の黒色は薄まっているんじゃ……」

「詳しい事なんてわからないわよ。でも、あの真っ黒な姿……。それにあんなに人が変わってしまうなんて、ただ事じゃないわ。きっと、クロエは心の隙を黒色に憑りつかれてしまったのよ」


 アルディリアがハッとなり、顔を俯ける。


「もしそうなら、僕のせいかもしれない……。思えばクロエが倒れてしまった時、少し様子がおかしかった。あれは、僕の言葉のせいで心に隙ができてしまったって事なのかもしれない」


 言うと、アルディリアは部屋を出て行こうとする。

 そんな彼の手を取って止める。


「ちょっと待ちなさい」

「どうして?」

「私も行くわ。でも、どうするつもりなの?」

「僕は白色が使える」

「体の中に巣食う黒色は、白色で追い出せないって言われなかった?」

「そうだけど。そうだけど……でも……」

「それに、クロエがどこに行ったのかもわかってるの?」


 やりようがなくても、飛び出して行きたい気持ちはわかる。

 でも、ここでちゃんと作戦を練らなくちゃ助けられる物も助けられなくなる。

 そして、その方法が私達にはわからなかった。


「呼び覚ましてやれ」


 そんな時、ビッテンフェルト公が言う。


「呼び覚ます?」


 私は訊ね返した。


「そうだ。あれは、確かにいつものクロエではない。だが、確かにクロエでもある」

「それは、そうでしょうけど……」

「私を穿った手刀。あれは、確かに私の臓腑に達していた。指先で撫でられた感触があった。あそこから少しでも力を加えれば、きっと私は臓腑を傷付けられて死んでいただろう。だが、そうしなかった。それは、あの子自身が手心を加えたからだ」

「それじゃあ……」

「まだ、クロエは完全に屈したわけではないという事だ」


 私とアルディリアは顔を見合わせた。


「正直に言えば、クロエに巣食う物が何か私は知らない。その理屈もよくわからない。だが、あの子は強い子だ。今でも、身に巣食う黒色と戦っているのかもしれない。だから、本来のあの子を呼び覚まし、体の中の悪しき物はあの子自身に追い出させてやればいい」


 なるほど。

 黒色に支配されたクロエの心を呼び覚ませば……。


 本当にそれでいいのかしら?


 ビッテンフェルト公の言っている事には何の根拠もないのではないかしら?

 あやふやで、方法にすらなっていない。


「わかりました。ありがとうございます。必ず、クロエを元に戻して連れ帰ってきます!」


 アルディリアがお礼を言う。

 瞳が輝き、その気になっているのがわかる。


 いや、解決策になってないでしょうよ。


 でも……。

 確かに希望は持てたのかもしれない。

 ビッテンフェルト公が言えば、そんな気がしないでもない。


 私は一つ溜息を吐く。


 それに何より、きっと私達にできる事なんてそれくらいの事だろう。

 一刻も早く、クロエを助けたい。

 私達にあるのは、その気持ちだけ。


 黙ってじっとしているなんて事、したくないわ。


 また、置いていかれて、待っているだけなんて嫌よ……!


 だから、そんなあやふやな方法でも縋るしかなかった。

 縋りたいと思った。




 私達はクロエを探すために外へ出た。


 ビッテンフェルト公の話では、彼女はどこかへ行こうとしていたらしい。


 目的の場所があるという事だった。

 どこだろうと考えを巡らせた時、真っ先に思いついたのは王城にある祭壇の間だった。


 黒色と言えば、彼女がシュエットと勝負を決したあの場所が真っ先に思い浮かんだ。


 そしてその予感は当たる。


 私達が王城へ辿り着くと、普段ならいる警備の兵士がいなかった。


「何かあったのかな?」


 中へ入ると、負傷した兵士数名とそれを手当てする兵士達の姿が見て取れた。


「ちょっと、あなた」


 兵士の一人に声をかける。


「あなたは……フェルディウス家の令嬢様でしょうか?」

「そうよ。何があったの?」

「真っ黒な姿の人物に侵入を許してしまいまして」


 やっぱり……。


「侵入者はどこへ?」

「侵入者は衛兵を蹴散らしながら、城の奥へと向かっています」

「ありがとう」


 それを聞くと、私達は城の奥へと駆け出した。

 途中、倒れる兵士達を目にしながら、クロエが向かったであろう祭壇の間へと向かう。


 そして、祭壇の間へ入ると、そこにはリオン殿下がいた。


「殿下」

「そなたらか」

「黒い侵入者はどこに?」

「その話を聞いたか……。この奥、シュエットの聖域へ向かった」


 言って殿下が示したのは、聖域へ通じる隠し通路。

 けれどその通路は今、壊された壁の瓦礫で埋まっていた。


 前に、クロエが私達を足止めした時と同じだ。


「黒い容姿、シュエットの聖域を目指す点からして、あの侵入者がシュエットである可能性が高い。だから、今カナリオを呼びに行かせている。……そなたらがいるという事はクロエもいるのか? あの者がいれば助かるのだが……」

「えーと……その……、僕達もクロエを追っていて……」


 アルディリアが言い淀みつつ答える。


「あっ……」


 アルディリアが何を言わんとしているのか察したらしく、殿下は小さく声を上げた。


「幸い、奇跡的に死人はでていない。なんとか誤魔化せるよう手を回そう」

「ありがとうございます」


 死人が出ていない、ねぇ。


 ビッテンフェルト公の言った通り、クロエはまだ黒色に屈していないのかもしれない。

 きっと、殺さないよう手加減していたのでしょうね。


「しかし最悪だな……。よりにもよって彼女とは……。カナリオとて勝てるかわからぬ……」

「その事なんですが……。ここは僕に任せてもらえませんか?」

「そなたに?」

「はい。僕は、彼女を止めたいんです。他の誰でもなく、僕自身の手で……。だって、今回の事は僕が……」


 そこで言葉が途切れ、アルディリアはグッと拳を握った。


「そなたにできる事などなかろう。気持ちはわからんでもないが……。そうだな……。だが、カナリオも控えているのだ。無茶をして死ぬなよ?」

「はい」


 アルディリアは力強く答えた。


「私も一緒ですので、大丈夫でしょう」


 私も答える。


「そなたもか? そうだな。そなたも当然行くだろうな。気をつけるのだぞ」

「はい」


 笑顔を向ける王子に私は返した。

 思えば、この方とこうしたやり取りを交わせる日が来るなんて、思いもしなかった。

 これも、クロエがいたからこそね……。


「どいてください」


 アルディリアが崩れた入り口の前にいる兵士達へ声をかけた。

 兵士達が入り口から離れる。


 アルディリアは、崩れた入り口。

 その瓦礫に拳をくっつけた。


「ふっ!」


 アルディリアの魔力が瓦礫に伝わり、そして瓦礫が吹き飛んだ。

 クロエから教わった技、アンチパンチという物だ。


 魔力運用の難しい技だが、私達は長い修練の末に使えるようになっていた。


 通路を塞ぐ瓦礫がなくなり、私達は地下へ続く通路を進みだした。


 まさか私が、彼女と戦う事になるなんてね……。


 本当は、彼女と本気で拳を交わらせる事なんてしたくないのに。


 できるなら、こんな事は今回だけであってほしいわね。


 通路を進むと、広い空間に出る。

 その中央に、黒い人物が背を向けて立っていた。

 顔は完全に隠れて解からないけれど、その立ち姿はクロエそのものだ。

 見間違えるはずもない。


 だってずっと、私はあなたのその姿を見ていたのだから。


 あなたは、私の大事な友人。

 ううん、それ以上の人……。


 でも、あなたを助けるためだったら、私は何だってするわ。

 あなたと戦う事だって躊躇わない。


 この男に手を貸す事だってする。


 気に入らない事だけれど、でも……この男は……。


 あなたが好きよ、クロエ。

 大好き……。

 愛しているわ……。


 でももう、私はあなたに愛される事を望まない。

 気持ちを打ち明けられなくて、ずっと友達のままでもいい。

 もう、そばにいられるだけでいいわ。


 だから、帰ってきて……。

 脳筋理論。

 理屈はあやふやだが、わかりやすくなおかつ聞いているとそれでなんとかなってしまいそうな気分になる理論の事。

 この理論を自在に活用できる所が、ビッテンフェルト公が脳筋にモテる所以ゆえんの一つである。

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