百八話 強さが招いたもの
話数も煩悩の数に達しましたね。
「おつかれー。みんな良い演技だったよ」
劇を終え、みんなに労いの言葉をかける。
一所懸命に主役を頑張ったアルディリア。
悪役ながら、劇中一番ノリノリだったアードラー。
アルエットちゃんもしっかり台詞を言えていた。
ムルシエラ先輩は本当に喫茶店のマスターみたいだった。
気乗りしないながらも、本気で役を演じてくれたリオン王子とルクス。
普段、漆黒の闇(笑)に成りきるだけあってコンチュエリの演技もよかった。
カナリオだって台詞はほとんどないけれど、存在感はあった。
マリノーなんて本当に役柄がマッチしていて、演技も仕草も堂に入っていた。
裏方に徹してくれていたティグリス先生とイノス先輩も、ばっちりのタイミングで演出を決めてくれた。
みんなのおかげで劇は大成功だ。
そんな功労者であるみんなが今、私の前でがやがやと言葉を交わし合っている。
この中に、私はいるんだ。
そう思うと私は楽しくなった。
本当に楽しい。
何の憂いもなく、こうして楽しさを感じられる事が私は嬉しかった。
でもずっとこの楽しさの中にいるわけにはいかなかった。
名残惜しく思うけれど、今の私には他にやらなくちゃならない事がある。
私とムルシエラ先輩はすぐに着替えて、講堂の外で待つ王子を迎えに行った。
王子には劇を見てもらっていたのだが、その間の警備は文化祭に配備された国衛院の人に代わってもらっていた。
「今まで見た事のない話で本当に楽しかった。本当に飽きさせないな。この国の文化というものは」
国衛院の人と役目を交代すると、観劇した王子からはそんなお褒めの言葉を頂いた。
「ありがとうございます」
私は礼を言った。
友人達と共に形作った物だ。
褒められて、嬉しくないはずはなかった。
それからの私達は、文化祭の出し物を時間が許す限り見て回った。
カナリオの飲食店に行き、コンチュエリが言っていた漆黒の闇(略)のオンリーイベントにも足を運んだ。
多分、ここまで文化祭を堪能した人間は私達だけではないだろうか?
そう思えるくらいに、私達は文化祭の隅々まで巡ったのである。
そして、文化祭が終わる。
太陽が昇り切らぬ内から始まった文化祭。
けれど、その太陽ももう赤く染まり、隠れようとしている。
来場していた親達と一緒に、笑いながら帰途へ就こうとする生徒達の姿はまばらに見えた。
私の父上と母上も文化祭には来ていた。
一度声をかけられて言葉を交わしたが……。
「私、今父上の顔が見たくないです」
例の噂で荒んでいた私は父上を冷たくあしらった。
ヴァール王子を案内するという目的もあったのでそのまま別行動である。
劇を見ているのは確認したが、それからは見ていない。
もしかしたら、もう帰ったのかもしれないな。
「もう終わりか……。物足りないと思うのは、それだけ楽しかったという事か……」
ヴァール王子がしみじみと呟く。
私もまた、同じ気持ちだった。
本当に、これで終わりだという事が惜しくてならない。
そんな時、アルディリアが私の所へ来た。
「クロエ」
「アルディリア。どうしたの?」
「一緒に帰ろうと思って……」
言いながら、アルディリアはヴァール王子を気にする。
「俺もそろそろ帰る時間だ。案内役はもう良いぞ。ただ、もうしばらく余韻に浸りたい気分ではある」
「と、言いますと?」
ムルシエラ先輩が訊ね返す。
「俺はアールネスにいる間、王城に滞在する予定となっている。せっかくだ、クロエ。お前の馬車で送っていってくれ」
「それは……」
大丈夫だろうか?
王家の馬車とうちの馬車では、防備も違うと思う。
何かあった時に守れるだろうか?
私は先輩を見る。
「俺がそうしたいと言っているのだ。便宜を図れ」
ヴァール王子はムルシエラ先輩に言った。
先輩は小さく息を吐く。
「わかりました。ご要望にお応え致しましょう。いいですね? クロエさん」
有無を言わせぬ聞き方をする。
断られると困るという事なんだろう。
だが、断る。
……とか言ってみたいな。
「はい。それは構いませんが、婚約者も同乗します。よろしいでしょうか?」
「構わぬよ」
ヴァール王子の許可を得て、アルディリアがホッと安心したのがわかった。
馬車駐車場へ向かう。
すると、そこではルクスとイノス先輩が待っていた。
その後ろには、数人の国衛院隊員が控えている。
「ヴァール殿下。我々、国衛院の者が王城へとお連れします」
イノス先輩が礼をして告げる。
隊長は確かルクスだったはずなのに、先輩が話をするんですね。
「いらぬ。親善大使として赴いた際の警護は、独自の人員を用意するものだ」
そういえば、私達がサハスラータへ行った時もそうだったっけ。
護衛は自前だった。
「その護衛の方々の姿が見られないようですが?」
「ゆえに、クロエに送ってもらうつもりなのだ。彼女なら安心だからな」
「しかし……」
「無粋だな。俺の自由を阻む事は許さぬぞ。私はこの国の者ではないのだからな。好きにさせてもらう」
警護は自前で用意するものだと主張しておいて用意していなかったり、その代わりに他国の人間に護衛を頼んだり、自分はこの国の者じゃないから言う事は聞かないと言ったり、なんてわがままな王子様だ。
お騒がせセレブ感がある。
イノス先輩も呆れて溜息を吐いている。
「わかりました。そのように配慮させていただきます」
イノス先輩は深く一礼する。
その横を通って、ヴァール王子は進む。
イノス先輩は頭を上げると、不意にちらりとよそ見をする。
私はその視線の先を見る。
すると、そこには木陰に隠れる数人の人間を見つけた。
よく見ればみんな、国衛院の制服を着ている。
文化祭の間、王子を影ながら護衛していた隊員とかかもしれない。
先輩の今の目配せは、どういう意味があったのだろうか?
気になりながらも私は、アルディリアとヴァール王子の三人で馬車へ乗り込んだ。
王城へ向かう馬車の中。
「実の所、俺はお前と大事な話がしたいと思っていたのだ」
文化祭での出来事を話している最中、見計らったかのように王子は話を切り出した。
「提案がある」
「提案ですか……何でしょう?」
訊ね返すと、ヴァール王子はにやりと笑う。
そして、一言告げる。
「俺の物になれ」
「「えっ?」」
ホワイ?
どういう事なの?
思いがけない事に、私だけでなくアルディリアも驚いている。
「冗談ですか?」
「いいや。本気だ。俺はお前を妻に迎えたいと思っている」
妻!?
「何で突然、そんな突拍子のない事を?」
「欲しくなったからだ。お前は楽しい。そばに置きたいと思うのは自然な事ではないか?」
「ダメです!」
答えたのはアルディリアだった。
けれど、ヴァール王子はアルディリアを冷たく睨み返す。
「黙っていろ。お前に話などない。身の程を弁えろ」
アルディリアはそれでも何か言い募ろうとしたが、諦めて黙り込んだ。
流石に「黙りません!」とか啖呵を切るような事はしないか。
「で? どうだ」
「お断りしますが」
当然と答える。
「納得しないか? なら、もう一つわかりやすい理由を加えてやろう。俺はな、ビッテンフェルトを我が国に取り込みたいのだ」
「ビッテンフェルトを取り込む?」
「我が国はビッテンフェルトという強さを恐れている。だからこそ、その恐れを自らの物として取り込みたいという考えだ。そうして克服したいと思っているのだよ」
なるほど。
「それに、不公平だと思わないか?」
「不公平?」
「私達は同等の関係として和平を結んでいる。だというのに、片方にだけ過剰な武力があるというのは不公平だろう?」
「でも、それがあるから和平を結ぶ理由になったはずです。その不公平さがなければ、サハスラータは和平を結ぶ理由がなくなるのではないですか?」
「そうとも限らぬよ。互いに最強の矛を持てば、要らぬ流血を避けるために不用意な戦争へ発展する事はないと思わんか?」
これは核抑止力みたいな考え方だ。
言いたい事はわかる。
でも、ビッテンフェルトはそんな大層なものじゃない。
「ですが、サハスラータが父上を恐れているのは殊更に父上が強く、なおかつその強さを現サハスラータ王が体験したためです。結果としてうまく権力者に恐怖を植え付けられただけの事です。要は、偶然のようなものです」
サハスラータは確かにビッテンフェルトを恐れてはいるが、実際の所は過大評価だと思うのだ。
父上一人が、国の軍団に匹敵するわけでもあるまいに、恐れすぎなのだ。
「ふむ。確かにその通りだ。正直に言えば、俺もそう思っている。恐れという物は、時間が経てば薄れる。我が国の王とて、いつまでも生きるわけではない。いずれは代が移り、当の恐怖を知る者が失せれば、同じくしてビッテンフェルトの恐怖が薄れる時は来よう」
意外にも、あっさりとヴァール王子は認めた。
「たとえ、アールネスの細作がビッテンフェルトに対する嘘か誠かもわからぬ噂を流布していようと、それすらいつかは御伽話と成り果てる事だろう」
「え、何ですかそれは?」
「恐らく、あの国衛院なる組織の仕業だろう。
お前の伝説が真しやかに流布されているぞ。
やれ、いつも戦いに飢えて誰彼構わず手にかけるだの、母親の腹に三十三か月居座っただの、親子の喧嘩で店が全壊しただの、極めつけには天虎を素手で絞め殺したなどという荒唐無稽なものまであった。
よく考えれば、これが作り話である事などすぐにわかろうものだ」
一部事実だという……。
あと、天虎以外の噂は荒唐無稽でないと思っているのですか?
私ならあり得ると?
「だが……これらの噂は無意味なものであろうと俺は思っている」
「どういう事です?」
「実物は噂などよりも雄弁に、お前を物語っている。ビッテンフェルトの名は、形骸ではなく確かな力を有していた。俺は身を以ってそれを知った。それを証明せしめたのは他ならぬお前だ」
前に、私が王子を叩きのめした時の事か。
いやそれだけじゃなく、私が父上を倒した時の事も含めて言っているのか。
「だからこそ俺は今、お前が欲しいと言っているのだ。どうだろう? 聞き入れるつもりはあるか?」
「お断りします」
「嫌か? 何故だ?」
「何故……私は、アールネスの人間だからです」
「それほど愛国心があるようには見えぬがな」
確かにそうなのだが……。
でも、私の気持ちは今の言葉に集約されている。
この国で育った私には、この国への愛着がある。
私が大事に思う人もここにしかおらず、そんな人々と離れたいと思わない。
「しかし、嫌と言うのならそなたは行動を慎むべきだったな」
「どういう事でしょう?」
「お前は放っておかれるには、少し強すぎたのだ。
お前は幼くして我らが恐れるビッテンフェルトを倒し、その強さを示した。
ビッテンフェルトの名を受ける者は例外なく強い。
お前は、その概念を改めて構築し直したのだよ。
このような事になるのが嫌ならば、お前は強さではなく弱さを示すべきだった。
いや、それではダメだな。
我が国にも王の恐れを疎ましく思う者はいる。
ビッテンフェルトを名乗る者が弱さを露呈すれば王を玉座より引き摺り下ろし、新たな王を据えてアールネスへ攻め入ろうと画策する者がいただろう」
弱さを示せば、アールネスに攻め入られる?
その言葉に、私は思い当たる事があった。
ゲームにおいて、アルディリアルートでのみサハスラータは攻めてくる。
だが、他のルートではそんな事など起こらない。
アルディリアルートと他のルートの違い。
それは、クロエがカナリオに敗北するという事だ。
「お前は強さも弱さも示さず、ただ在るべきだったのだ。ビッテンフェルトの名が形骸と化すその時まで。そうすれば少なくとも、数十年は平和が続いただろう。お前自身は平穏に暮らせたであろうな」
つまり、アルディリアルートでは私がカナリオに負けた事で弱さを示し、サハスラータはビッテンフェルトを軽んじたわけだ。
その結果、本来数十年後に起こるはずの戦争が早まって起こってしまった。
そういう事か……。
「しかし……断る、か……。話し合いで決すれば、一番穏便な方法だと思ったがな」
ヴァール王子は、立ち上がった。
「危ないですよ」
私は注意するが、ヴァール王子はそれに答えなかった。
「だが、だからこそこうなった事が楽しくてならない」
言うと、ヴァール王子は馬車の扉を開け放った。
「何を!?」
私が叫ぶ中、開け放たれる扉。
その先に見えるのは、黒塗りの大きな馬車だった。
そこから起きた事は、瞬く間に過ぎていった。
私達の乗る馬車に併走する黒塗りの馬車。
その扉は、こちらの馬車と同じように大きく開かれていた。
扉には、マスクで顔を隠した黒尽くめの男の姿があった。
ヴァール王子は、黒塗りの馬車へ飛び移る。
同時に、私達の乗る馬車が大きく揺れた。
それどころか車体そのものが傾き、そのまま横転した。
私はアルディリアを抱き庇い、馬車の横転が収まるのを待つ。
アルディリアを抱えたまま、すぐに馬車の扉から跳び出る。
アルディリアを立たせ、辺りを見回して状況を把握しようとする。
馬車の周りを、先程見た黒尽くめと同じ姿の男達が囲っていた。
男達は手に長い棒状の武器を持っている。
先端がY字になった、刺又のような武器だ。
何者かはわからないが、敵の可能性が高い。
突破を試みる。
アルディリアに声をかける暇は無い。
手を引き、走り出しつつ万能ソナーを発する。
魔力の伝わる不快感で怯ませようと考えた。
思った通り、魔力を受けた連中が一瞬だけ怯む。
その一瞬の内に、一人を蹴り飛ばす。
だが、その一人だけだ。
すぐに他の連中は動揺を押し殺した。
不意に、背後から飛来する何かを周囲に巡らせた魔力のセンサーで察知する。
振り返り、アルディリアの手を掴んでいない方の右手で飛来する物を掴んだ。
私の頭を狙うように飛来したそれは、弓矢だった。
私の目前で掴み取られた弓矢の先端は、不思議な事に鏃ではなかった。
球体である。
当たった所で、死ぬ事はなかったかもしれない。
そして飛来した弓矢の軌跡。
その直線状には、弓を放つ体勢で持ったヴァール王子がいた。
笑みを向け、私を眺めている。
同時に、弓矢の先端に付いた球体が爆発した。
目の前で煙のような物を浴びせられた私はその煙を思わず吸ってしまい、むせる。
その直後、私の体から力が抜けた。
体中の筋肉が弛緩したかのようだった。
私の力、その何もかもが溶け出し、足元から流れ出てしまったかのような感覚を味わう。
その流れ出てしまった物ごと引き込まれるように私の膝が落ち、地面に縫い付けられるが如く重くなった。
膝だけじゃない。
体のどこもかしこもが重く感じる。
「クロエ!」
アルディリアの叫ぶ声。
次いで、上空から落ちてきたのは投網だ。
網が私とアルディリアを囲い、捕らえる。
その上から、男達が武器で私の四肢を押さえつけ、私を容赦なく叩きつける。
叩かれる痛みが体へ走る中、私はただただアルディリアが心配だった。
殴られる痛みは恐くない。
ただ、アルディリアがどうにかなってしまうのではないか、という事が私は恐かった。
そして、頭を強かに叩かれ、私はそのまま意識を失った。




