開花その111 上陸
赤茶けた崖が視界の半分を覆うようになると、海の色が濁り始める。
透明度の低い褐色の海には、様々な種類のアンデッド系の魔物が隠れていた。しかも、人型が多い。こいつら連携して魔法を使うし、ある程度の知性を持つのだろうか?
だとすれば、この集団の規模なら封印魔獣並みか、それ以上の脅威になり得る。
(ウミちゃん、このカオスな状況でよく無事だったね)
とりあえず、救いはウミちゃんだ。
(はい。そこから陸沿いに西へ向かうと、岸壁に深い亀裂が入っている場所があります。そこを目指してください)
(ありがとう。行ってみる)
船の速度を落とし、認識疎外の結界を張った。西へゆっくり移動している巨大クジラのスケルトンに船を近寄せ、肋骨の間に紛れながら何とかやり過ごそうと試みた。
私の使い魔たちは王都に残してきた。パンダみたいなのもいるし、新人のコマに全部押し付けるのは可哀そうだからね。だから、私の手元にいるのはカタツムリとウミちゃんだけだよ。
「西へ行くと、大陸の岩肌に亀裂があるらしい。そこを目指すよ」
「ええ~、帰らないんですかぁ?」
セルカの声を無視して、私は慎重に船を進める。プリスカは電池が切れたように甲板で横になったまま、動かない。生きてるよね?
「少なくともウミちゃんのいる場所では、魔法が使えそうだ。今後のことは、合流してから考えよう」
魔法無効化フィールドについて、ある程度は理解している。それはカタツムリに祝福を与え使い魔化したことによる恩恵でもあるが、私のことなので論理的な説明を求められてもちょっと困る。ただ魔力に頼らないスキルの謎に、半歩近付いたのは確かだ。
念のため最低限の魔法無効化対策は用意しているが、私やルアンナの魔法が完全に封じられるようであれば、かなり辛いことになるだろう。
「仕方ありません。ではそちらへ向かいましょう。でも、その前に先生がアンデッド化しないといいんですけどね」
セルカが不安そうに私の顔を見上げる。
「じゃ、プリちゃんの意識がない今のうちに、速度を上げようか」
いつまでも隠れてはいられない。
「ひえっ、そんなぁ!」
セルカの悲鳴は空しく船の後方へと飛び去り、魔物の群れの中へ散った。
船は強力な結界を維持して魔物の群れを引き裂き、強引に西へと突き進む。最初からこうしていれば、楽だったのに。
「プリちゃんは、魔法で眠らせておけばよかったのだな」
「そ、それなら魔物の方を眠らせてくださいよぅ」
確かに、セルカの言う通りだ。では久しぶりに、ウマシカの睡眠魔法を使ってみようか。
私は船の前方へ向けて魔法を放つ。船は高速で移動しているので、前方というより見渡す限りの広範囲で、魔物が波間に力なく漂うことになる。
あれ、やっぱりセルカも寝ちゃったかぁ。
どうも最近は、以前よりも魔法のコントロールが難しい。師匠に教えられた魔力循環などの訓練を続けているうちに更に魔法の威力が上がり、制御が追い付かない事態が続いている。あ、いつもと同じか。
魔法の有効範囲は広いが、持続時間は超短い。眠らせた魔物たちがウマシカのように長い時間水中で眠ったままでいられるのか、ちょっと不憫に思ったからだ。だって、この濁って荒れた海の中だよ。
ほんの一、二分も眠れば魔物は覚醒するので、船が通過した後方ではフラッシュモブのように半狂乱の魔物踊りが突然沸き起こる。楽しい。
(さすが魔王様。魔物にはお優しいのですね)
ほら、ルアンナの嫌味だ。
(でも、不思議とセルカは目覚めないんだよ)
(ああ、それはプリスカと同じで、ほぼ気を失っているのでしょう)
(なるほど)
ウミちゃんの言う少し西、は結構遠かった。それだけでっかい大陸なのだろう。しかもこの陸地は巨大な魔力の空白地帯となっていて、遠距離からの探知が難しい。
西へ向かうにつれて海岸線は白い霧に覆われ、光学的な視界も悪かった。
船は相変わらずフラッシュモブで踊る魔物たちを航跡に残しつつ進み、私は睡眠魔法を断続的にかけ続けた。あ、だから二人は起きないのか。
こりゃまた起きたら起きたで、ひと騒ぎありそうだ。私たちがいる意味ありますか、とかなんとか。
でも、カタツムリの島では二人のおかげで生き延びたんだよ。感謝のお気持ちが足りなかったかなぁ。
少なくともプリスカのためには、早く陸に上がった方がいいだろう。しかし魔物しかいないのかな、この大陸は?
船の左側に見えていた赤茶色の断崖絶壁に、縦に大きな亀裂が現れた。水没したグランドキャニオンのような河口である。いや、行ったことないよ。でも、河川に削られた谷とは限らない。大規模な地殻変動やら、人為的な破壊活動の痕跡とか。
幅が数百メートルはあるその亀裂の中へ、船を進める。心なしか、魔物の数が減ったような気もする。
川というより細長い湾のような水路を進む。両側は切り立つ岸壁。
奥へ奥へと進めば次第に幅は狭まり、水深も浅くなったように思える。水の濁りも薄くなり、霧も晴れて明らかに魔物が減った。そして、陸には乾燥した岩と土ばかりで生き物の気配がない。
(こちらから、お迎えに出ます)
ウミちゃんの気配が濃厚になり、前方の魔物たちが慌てて後方へ逃げ出すのを感じた。そうか。同じ魔物同士、格の違いを感じるのだろう。
(ほら。私は魔王じゃないから、こんな風には魔物が逃げないだろ)
(え、それは私に言っているのですか?)
ルアンナが慌てて返事をする。そりゃそうだよ。プリセルの二人は連発した睡眠魔法のせいで、まだ寝てるし。
(ウミちゃんに言っても仕方がないでしょ)
(そうですね、魔王様)
(だから、魔王とちゃうわ!)
久しぶりに会うウミちゃんに、愛想を尽かされそうな会話である。
(姫様、その船って、水に潜れますよね)
(うん)
(では、私の後についてきてください)
巨大ウミヘビのウミちゃんが、水上に姿を現す。この亀裂の中では、少々窮屈そうだ。潜水するのなら、プリセルの二人も船室へ収納せねばならない。ここで下手に起こすと面倒なので、そっと下部の居住区画へ運び込んでハッチを閉じた。
魔物の消えた海中で前照灯を灯しウミちゃんの姿を追って進むと、右手の壁に黒い穴が見えた。狭い入り口から洞窟の中へ入ると意外と広く、やがてその先で水深が浅くなり、波が打ち寄せる浜辺のような海面に出た。
ただ洞窟の中なので、光がない。暗黒の地底に隠された、小石の浜辺であった。この広い洞窟内では、僅かな魔力が感じられる。これは、ウミちゃんの魔力の残り香だろう。
(ここが私の隠れ家です)
ウミちゃんは、この場所に長く隠れていたようだ。ここが、大陸探査の最初の拠点になる。
船を浜に乗り上げると、私はデッキに出てランタンを灯した。海上と違い、洞窟の中は涼しくて過ごしやすい。
ウミちゃんも浜に上がっている。
(ウミちゃん、ご苦労さま。体は大丈夫?)
何となく、元気がない。
(では、私の影に入りゆっくり休んでね)
話すだけなら、実体化する必要もないのだ。長い間一人でお疲れさまでした。さて、こちらは実体のある従者どもを起こすか。
その前に、もう少し陸の上に船を引き上げておこう。潮が満ちても大丈夫なように。
やや乱暴に船を移動させた衝撃で、プリセルが目覚めた。二人がふらふらと船の甲板に上がってきた。
「ああ、よく寝てすっきりした。姫様、もう夜ですか?」
プリスカが寝ぼけている。
「驚くなよ、もう船は陸の上だ」
「今度は、どこの島ですか?」
「先生、ここは大陸ですよ!」
「あっ、そういえば……」
プリスカの記憶の糸が、やっと繋がったようである。
(姫様、この奥の狭い通路を辿れば、地上に出られます。しかしそこは死の世界でした)
(危険はないの?)
(はい。目立った危険はありませんが、岩と砂ばかりの乾いた大地が広がるばかりです)
そうだ。ウミちゃんは過去に中継点の島の守護獣だったソラちゃんと戦っていたのだ。陸へ上がれないわけではない。
(行きますか?)
(魔法が阻害されたりしない?)
(そんな現象はありませんでした。とにかく何もないだけの土地です)
(よし、じゃ行ってみるか)
今後のことを考えて、船は収納せずそのまま置いておく。私の足元に、一メートル程の長さでウミちゃんが実体化した。あ、そうか。パンダやシロちゃんみたいに、小型化できるんだ。
「ウミちゃんが地上まで案内してくれるらしいよ。行ってみるか?」
船から降りて来る二人を見る。
「こんな所に置いて行かれるくらいなら、行きますよ」
「はい。私も早く大陸を見てみたいです」
「よし。じゃウミちゃん、お願い」
それを合図に、ウミちゃんがにょろりと進み始めた。ウミちゃんの体が白く光り、黒い洞窟を照らしている。
ウミちゃんが自在に体色を変化させるのは知っていたが、光を発するとは知らなかった。
(姫様の魔力により、失っていた力を取り戻しました)
とはいえ、まだ万全とは言えないだろう。細い体をよじりながら、ウミちゃんは狭い岩の通路を登って行く。虫一匹いないのが、せめてもの救いか。
(無理しないでね)
(あの、姫様は本当に魔物にはお優しいようで……)
(なんだ、ルアンナが嫉妬しているよ)
(ルアンナ様は別格ですので、勘弁してください)
ウミちゃんが萎縮しているではないか。
(あのね、魔物に優しいんじゃなくて、マトモに話ができる相手には普通に接してるだけなの。パンダみたいなのと一緒にしないでよね)
(つまり、人斬りとパンダと私だけが、マトモではないとおっしゃりたいのですか?)
(いや違うよ。その枠には、フランシス師匠も入っているから。あと、王都の学園にいる悪いエルフとかね)
黙って後ろを歩く従者たちを放っておいて、そんな話をしているうちに上方から光が差しているのが見えた。いつの間にか周囲の岩は乾いて、埃っぽい空気の匂いがする。
やがて光が強くなり、ついに未踏の大地に私たちは立って、周囲を見渡した。
その場所を一言で言えば、水のないグランドキャニオンである。
赤茶けた岩の崖に突き出たテラスの一画に、私たちは立っている。下に見えるのは岩と砂だけの河床で、草一本生えていない。赤茶けた岩の連なる、枯れた不毛の土地であった。
遠くには、上部が平らな山が点在する。あれは、テーブルマウンテンと呼ぶのだったか。横に縞々の地層が見える風化した巨大な岩の塊が、砂漠に幾つも突き出ている。
空は濃い青色で、雲一つない。頭上がそのまま宇宙であるかのようだ。
強烈な日差しに耐えられず、プリセルの二人は早々に穴の中へと後退した。
「これじゃ、ウミちゃんにはこの先の探索なんて無理だねぇ」
「はい。しかも、再びあの魔物の海を越える力も失い、時間と共に穴の中で徐々に弱っていました」
「プリスカ。念願の揺れない台地だぞ。存分に楽しんでくれ」
「わ、私は海を引き返す方がいいですけど……」
セルカが絶望的な声を上げる。でも、真に絶望的なのはプリちゃんだよなぁ。行くも地獄、戻るも地獄。さあ、どうしたい?
終




