第2話 悪魔との出会い
風もなく暖かな5月上旬。
この日、鳴海晃は、ようやく取得できた1週間の有給休暇の2日目を満喫していた。
今年29才。
身長177cm、黒髪の短髪、黒く澄んだ目、容姿を誰かに悪く言われた事は一度も無い。
学生時代はそれなりにモテたほうだ。
中学、高校時代は毎日部活のサッカーに励み、鍛えられた肉体美はいまだ健在。余計な脂肪や贅肉はほぼ皆無。
ここ1年は仕事で休みらしい休みは全く取れず、休日出勤が日常茶飯事。
病気とは無縁の健康自慢な体は、さすがに体力も限界に来ていて、悲鳴を上げていた。
昨日は丸1日をひたすら寝て過ごし、今日はつい先程目覚めたばかり。
時刻は午前10時。
自宅のリビングのソファに座り、ゆっくりとコーヒーを飲みながら新聞を眺める。
晃は娘と2人暮らし。妻はいない。
この時間は、最近やたらと噛み付いてくる口うるさい娘も登校していて、家には自分1人だけ。
なんという穏やかで静かな時間。
なんという至福のひと時。
そして今日の天気は雲一つない快晴。
「久しぶりに釣りにでも行くか」
のんびり口調でそう呟いた時、テーブルの上に置いていた、スマホのバイブが突然鳴る。
画面を見ると、職場の後輩の名前が表示されていた。
嫌な予感がしたが取り敢えず出てみる。
「はい」
『お早うございます~俺です、野口でぇ~す。晃先輩~今日ほんの少し、ちょっとの時間だけ仕事手伝ってもらえませんか~? 人手足りなくて困ってるんです~』
やたら明るい声が電話口でハイテンションにそう言う。
彼が言う『ほんの少しちょっとの時間』というのが、ほぼ丸1日だと知っている。
嫌な予感は的中。
冗談じゃないぞと、晃は切り捨てるように返事した。
「俺は只今有給休暇中だ」
『知ってますよ~』
「なら話が早い。俺の分まで頑張れ」
それだけ言い即電話を切る。
これでいい。
自分は今、ようやく取得した有給休暇中だ。
何者にも邪魔はさせない。
スマホをテーブルの上に置くと、外からクラクションが鳴る音が聞こえた。
「ピ、ピ、ピ」
再び嫌な予感がする。
「ピ、ピ、ピ」
晃は立ち上がり窓越しに外を見た。
隣家と離れた郊外の静かな場所に建つ一軒家。
中古の小さな家だが、広い庭が自慢だ。
その自慢の我が庭のド真ん中、玄関の正面に、1台の車が停まっていた。
窓辺に立つ晃の姿を見つけると、車の中に乗っていた人物は、満面の笑顔を見せ両手で大きく手を振った。
* * *
30分後。
鳴海晃は、後輩が運転する車の助手席に仏頂面で座っていた。
渡されたB4サイズの袋を、諦めて仕方なく手に取る。
中には数枚の写真と書類が入っていた。
「3日前の早朝4時の出来事です。俺は夜勤明けで家に帰る途中に交通事故に遭いまして。対向車線を走ってたトラックが、真っ直ぐ俺に向かい突っ込んで来て、ハンドル切って俺は寸前で避ける事が出来ましたが、トラックはガードレールにぶつかって横転、運転手は即死でした。買ったばかりの俺の新車も、側面がガードレールに接触して傷が付いて只今修理中。あ、ソレ死んだ運転手」
「なんだよこれ、グロいな。顔の皮剥がれてるし、肉片見えるし、脳みそ出てるぞ。こんな写真見せるなよ、食欲失せる」
「俺なんかリアルで見たんすよっ、おかげでその日1日は肉が食えませんでした」
ハンドルを握り締め、憤慨するように野口が言う。
丸顔でジャガイモみたいな顔と体型をしているが、彼は野菜嫌いな大の肉食派だ。
晃達は茨城県の堀田警察署に勤務する刑事。
主に強行犯などを担当する刑事部捜査一課に2人は所属している。
同じ大学出身の先輩と後輩の間柄だ。
書類を捲りながら、晃は欠伸交じりに放るように言った。
「どうせ相手の居眠り運転だろ? 交通事故は交通課の仕事、俺達の出番じゃないぞー」
「それが普通の交通事故じゃないんです」
「異常なのか?」
「異常も異常、異常過ぎ。まず、死亡した運転手の男性ですが、本人を特定できる所持品は一切なく身元不明。事故ったトラックは無登録無届け。当時、荷台に約3メートル四方の鉄製の檻を積んでいて、檻の中に1人の少年が全裸の状態で居ました。左足首に足輪をされて、鎖で檻と繋がれた先はガッチリ溶接。檻の入り口の扉も溶接されていて、少年を救助するのに苦労しました」
野口の説明を聞きながら、晃は撮られた檻の写真を見る。
猛獣を入れるような太い柵で出来た頑丈な檻だ。
イカレてる。
「保護した少年ですが、こちらも本人を特定できる所持品は一切なく身元不明。自称16才で、名前はないそうですよ。本人曰く、自分は悪魔の子で自分と関りを持った人間は40日目に死ぬそうです」
「クスリでもやってるのか?」
「血液検査と身体検査やりましたけど、薬物反応ゼロです。怪我、傷、性的暴行の形跡もナシ」
「AIの今の時代に悪魔とは、時代錯誤も甚だしいな。イカレてるかカルトか、お前どっちに賭ける?」
書類に目を通しながら、晃が後輩にそう問いかける。
すると意味深な返事が返ってきた。
「少年の話は真実かもしれませんよ。本人が話したのですが、少年は岡山県にあるユリア協会という場所で産まれたらしいのですが、彼が誕生して40日目に協会職員全員死亡しています」
「裏取りしたのか?」
「はい。その協会は確かに岡山県に存在していて、現在閉鎖しています。40日目に職員全員死亡なんて、偶然にしては出来過ぎと思いませんか?」
「集団自殺か……」
「悪魔説を全否定するつもりですね」
なにが悪魔だ。
やっと取得した至福の有給休暇を邪魔された挙句が、悪魔だ死ぬだの妄言。
あり得ない。
手元の写真や書類を袋の中に雑にしまいながら、晃が毒づくように言う。
「野口、お前遺書を書いとけよー」
「え、なんでですか?」
「悪魔少年と関りを持ったんだから、40日後に死ぬんだろ?」
明の言葉に野口がキョトンとした顔を見せる。
そして心配無用とご都合主義な言葉を述べた。
「俺は死にませんよ? 神に守られてる勇者ですから。大丈夫、100才まで生きる予定です」
「矛盾した事言ってると気付かないか?」
時刻は11時半になろうとしていた。
平日だがこの時間帯はいつも車が混み出す。
町中を通り過ぎて、2人が乗る車は、とあるビジネスホテルの地下駐車場へと入って行った。
バックで縦列駐車をしながら野口が説明する。
「保護した少年が『僕が警察署に行けば署内の人間全員死ぬ事になる、犠牲者を出したくないから警察署には絶対に行かない絶対嫌だ!!』と頑なに拒みまして、仕方なく一時的にここで保護中です」
「ウケるな」
「ガクブルです」
「言ってろ」
車を降りて2人はホテルの中に入って行く。
エレベーターに乗り4階のボタンを押し、上がっている最中に野口は説明を続ける。
「少年ですが、初めのうちはポツリポツリと話をしてくれたんですけど、事情聴取の神の鬼嶋さんとバトンタッチしてから一切話さなくなりまして。食事も丸2日間摂ってない状態です」
「鬼嶋さんは、飴と鞭の鞭しか使わんからな。一定の輩には効果あるが、少年にはただの鬼にしか見えないだろ」
「丁度署員の有給休暇が重なってて、少年の話の裏取りするにも人手が足りなくて。あ、死亡したトラックの運転手ですが、少年曰く、引退したどこぞの神父だそうです。悪魔の自分を葬る為に、檻ごと海中に沈めようとしていたとか」
「ドキュンでカオス」
「ガクブル」
2人の会話のキャッチボールはいつもこんな調子。
エレベーターが4階に到着して降り、シンと静まった廊下を歩いて行く。
進んだ先、『402』と表示された部屋の前で立ち止まり、野口がチャイムを押す。
すぐに中からドア越しに声が寄越された。
『誰だ?』
「野口です」
『合言葉は?』
「……早く開けて下さい。晃先輩を連れて来ました」
扉が開き、悪戯気に笑う同僚の出迎え。
あまり広くもない部屋の中には、晃達を含めて5人。
ベッドの上には開いた状態で置かれたノートパソコンとタブレット。
そして部屋の奥、置かれたテーブルを挟んで、向かい合って座る2人の人物が見えた。
野口が小さな声で晃に言う。
「彼が例の悪魔です」
声が聞こえたのだろうか。
少年がゆっくり晃達のほうを見た。
晃がそこで目にしたのは、悪魔というより天使。
艶のあるサラサラとした茶色の髪、濁りない澄んで綺麗な茶色の目、鼻筋が通り、口元は優しげ、全てのパーツが完璧に整った顔立ち。
芸能界にも居ないような正真正銘の美少年だ。
決して華奢ではなく、ガタイが良いでもない、普通体系。
16才と聞いてたが、童顔なのか中学生くらいに見える。
「僕に関わると死にます。犠牲者を出したくないので、関りのない人をここに連れて来ないでください」
晃達を見ながら、少年はよく通る凛とした声で突然そう言った。
部屋の中に居た全員の動きが一瞬止まる。
だが次の瞬間、
「お前が話さないからだろうがっ! 色々手間ばかりかけさせやがって、さっさと丸ごと全部話せ悪魔ガキっ」
事情聴取の神と呼ばれる男は、鬼の形相で、テーブル越しに向かいの席に座る少年に怒声を浴びせる。
神というよりは、鬼。
少年は臆する事なく目の前の鬼の顔を見た後、プイ、と横を向いた。
先程部屋の扉を開けた同僚が、ポン、と晃の肩を叩き、1枚の紙を差し出し言う。
「休暇中悪いな、鳴海。大体の話は野口から聞いてると思うが、早速だがこれを調べに行ってくれ。死亡した運転手が所属してたらしい協会の住所と名前だ」
「同期入社で同年齢でただの同僚のお前が、なんで上司気取りの上から目線で俺に命令してんだ? ああ?」
「一度やってみたかったんだ」
自分より10センチ低い身長の相手を、まさに上から目線で晃がやり返すと、彼は悪戯気に笑う。
同僚は野口にも1枚の紙を渡し、別の調査指示をする。
晃が渡された紙を見ると、手書きで協会名と住所、その下に4文字の漢字が書かれていた。
眉を寄せながら晃が訊く。
「一番下に書かれた漢字、これ人名なのか? なんて読むんだ?」
「少年がその漢字を書いたんだ。そう教えられて、読み方は知らないらしい。署内の誰も読めないし、読めないから電話で身元確認が出来ない、だから直接行って訊くしかないという状態」
侃黍漿鸚。
…………読めるはずもない。こんな漢字今日初めて見た。日本語か?
紙を覗き見した野口も首を傾げ捲っている。
「森さんと高橋さんが外に出て情報収集中で、俺は連絡待ちだ。何か分かり次第、随時報告入れるし、俺も動くよ」
「了解」
「下の駐車場に署の車を停めてあるから使ってくれ」
「分かった」
同僚に車のキーを渡されて晃はそれを受け取る。
部屋の奥では、鬼嶋が捲し立てるように質問責めし、向かいの席に座る少年は横を向いたまま。
野口と共に部屋を出て、それぞれの目的場所へと向かった。




