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もう一つの物語  作者: 佐伯さん
本編
31/52

31 「……ありがとう、ジル」

 結局セシル君と想いを交えた事は家族に知れ渡ったらしくて、私からルビィに言う前に「兄様が本当に兄様になるんだね」と満面の笑顔で言われたので固まるしかありません。

 ルビィ、確かにそうですけどまだ気が早いですからね。まだ婚約も正式なものではありませんし……父様が外に向けて発表する準備はしていますけど。というか父様は何でルビィにばらしているのですか。


 セシル君推しのルビィからすれば今回の報告は朗報で、何というか本当に嬉しそうに破顔していて……弟からしてみれば兄と慕っている人が本当に兄になるのは喜ばしい限りなのだと思います。ルビィのお陰で進展というか自らの気持ちを定めていく事が出来たのでありがたいですけど、ルビィは何処まで狙っていたのか分からないので末恐ろしくもあり。


「僕としてはこれで一安心なんだけどさ。ジルは良いの?」

「何の事か分かりかねますが」

「とぼけるんだね」


 嬉しそうにしていたルビィが一転、紅茶を淹れていたジルに真っ直ぐな眼差しを向けて問い掛けます。言葉を受けてもジルに動じた様子はなく、ルビィはそんなジルに瞳を細めます。


「僕はセシル兄様の方が好きだけど、想いまで飲み込めとは言ってないからね。横取りしようとするなら阻止するけど、気持ちに終わりを付ける為に口にするくらいならしたら良いと思うよ」

「……本当に、あなたという方は」


 苦笑を浮かべたジルが私の方に向き直り真剣な眼差しを向けてきて、思わず息を飲むとルビィは「僕席外してるから」とあっさり席を立って部屋を出ていってしまい、リビングに私とジルだけが取り残された形です。

 急激に居心地が悪くなったというか緊張感が走って自然と背筋が伸びてカチコチになった私に、ジルは「そんなに意識して頂かなくても結構ですよ」といつも通りの笑み。


 そんな事言われても、ジルが何を言おうとしているのか、ルビィの言葉で察してしまって、普通通りになんて出来やしません。まさかとは思いたかったですが、切って捨てるには眼差しがひたむきなまでに真剣みを帯びていて。


「……リズ様、お慕いしておりました」

「っ」

「心配なさらずとも、想いに応えて欲しいとは言いません。あなたはセシル様を選んだし、私もそれは納得の上ですので」


 ルビィ様も双方に酷な事をさせますね、と苦笑しつつ、それでいて穏やかな表情。


「リズ様は、セシル様を本当に好いていらっしゃるのでしょう?」

「……はい」


 突然想いの丈を告白されて戸惑ってこそいましたが、その問いにはちゃんと答えます。

 私は、セシル君が好き。セシル君が良い、セシル君じゃなきゃ駄目なんです。例え、ずっと側に居てくれたジルが相手であっても。

 私が人生を縛ってきた事くらい、知ってます。私の為だけに働いてくれた。そのジルに対する仕打ちがこれだと思うと罪悪感で胸が引き絞られる思いでしたが、表情を暗くするとジルが「気に病まないでください」と肩を竦めて微笑むのです。


「いつまでもこのままで居られるとは思っていませんでした。あなたは侯爵家の令嬢。私だって、この想いは叶えてはいけないものだと分かっていたのですよ」


 勿論あなたの為に相応の努力はしていましたが、とジルは付け足して困ったように眉を下げてしまいます。


「あなたが欲しかった。あなたの事が愛しくて仕方なかった。けれど……あなたを実際に幸せにするのは、セシル様なのです。それがあなたの選んだ未来なのですから」


 私の選んだ、未来。

 私はセシル君を選んだ、ジルでもユーリス殿下でもなく、セシル君を。選択に一切後悔はありません。

 それが二人を傷付ける事であると分かっても、私は選び直す気など持てません。それだけ、セシル君が好きだから。


 唇を噛み締めてジルの言葉を受け取る私に、ジルは「綺麗な唇を傷付けてはなりませんよ」とやんわりなぞって、それからそっと頭を撫でてきます。

 セシル君と違ってどきどきしないのは、そこに恋情がないから。どうしても、私にはジルの事が大切な家族としか、思えませんでした。それがジルを傷付けるのだと、知っていても。


「悔しいですね、出会った頃はあんなにも小さかった男に、私が見守り続けて来たリズ様を奪われるのは」

「……ジル」

「……けれど、それがリズ様の選択ならば、私はそれを阻む訳にはいかないでしょう? あなたが泣いてしまうのは、嫌だから」


 そっと目尻を指の腹で拭われて、私は自分が涙を滲ませていたのだと気付かされます。泣きたいのはジルの方でしょうに、辛い事を強いている私が泣くなど。

 泣かせたくなかったんですけどね、と何とも言えない笑みを浮かべたジルは、ふと息を吐き眉を寄せます。怒りではなく、悲しみを浮かべて。泣き出す手前のように、顔を歪めて。


 私だってジルを悲しませたくないのに、私の選択がジルを悲しみの淵に追いやる。でも、それが私の選んだ道で、絶対に変えられない。変えたくない。だから、私が泣かせたくないなんて、我が儘なのです。


「……なんて、物分かりの良いことを言ってますが、本当は凄くセシル様は憎たらしいですよ。けれどあなたが悲しむのも見たくない」

「……っ」

「……あなたの幸せを願っていたのに、いつしか自分の幸せを優先させるようになっていた私に、リズ様は勿体ないのでしょう」


 穏やかに微笑んだジルの顔は、作り物のように軋んでいて。私に心配をかけまいとしている事なんて、直ぐに分かります。


「私は、彼が大怪我を負った時に……心の何処かで、このまま居なくなればリズ様は私のものになる、そう考えてしまうくらい、非道で最低な人間なのです。 結局、私も自分の事しか考えていないのですよ。……浅ましい男だ」

「そんな、ジルはっ」

「慰めなくとも大丈夫ですよ。事実、私はそういう事を考えたのですから。本当に幸せを願うなら、そんな事考えるべきではないのに。欲深く、分を弁えない愚かな男なのです。これではあなたにお仕えする資格などないのです」

「……っ」


 自然と、手が動いていました。

 気付けばジルの頬に掌ではたいていて、ジルの唖然とした表情が鮮明に浮かびます。ぺち、という効果音と手応えは本当に弱く、衝撃なんてほぼないに等しい。けれど、ジルは殴られたかのような表情でショックを受けています。


 私がはたくなんて思っていなかったのでしょう。私だってそんなつもりはなかった。でも、どうしてもジルの言葉が、許せなかった。何より、そんな事を言わせてしまった自分が腹立たしい。


「自分の悪口は、そこまでにしてください。私は、あなたに護って来てもらった。資格とか関係ないです」

「……ありがとうございます、リズ様。あなたに幾度も救われてきたのですよ、私は」

「それは私の台詞で」

「だからこそ、私は相応しい相手に守護の役割を明け渡さなければなりません。あなたが望むのは、私ではなく、彼だ」


 苦渋に満ちた表情、けれど、何処か諦めが付いたような達観した眼差しでもありました。

 そんな顔をさせているのは私で。けれど、ジルを選べないし選ばないと決めたのは私です。私がジルの悲しみの元だとは、受け入れています


 自然とごめんなさいの一言が出ようとしていた唇。それをそっと人差し指で押さえ、しーっと子供を宥めるように微笑んだジル。


「謝らないで下さい、決意が揺らぎそうです」

「……ありがとう、ジル」


 謝るのではなくて、最大の感謝を。

 心を込めて、ありったけの感謝をこめて微笑むと、ジルの表情はくしゃりと歪む。けれど、涙だけは零れません。私の前で泣くのを厭うかのように、気丈に微笑み。


「いえ、此方こそあの時私を暗闇から掬い上げてくれて、本当にありがとうございます。あなたが居なければ、今の私は居なかった。私は、あなたに救われた」

「……私も、ジルに救われて、きたよ。感謝しきれません」


 誘拐から助けてくれて、寂しさから救ってくれて、反乱から守ってくれて。他にも、私は数え切れない程、ジルに助けて貰っていた。


「そう言って頂けると、報われます。……リズ様、最後に……抱き締めても、宜しいですか」


 これでけじめを付けるので、と眼差しが語っています。

 私が無言でそっと手を広げると、ジルは静かに笑って私を腕の中へと収めて静かに抱き締めてきて。


 感じるものは、安心感。愛しさはあるけれど、それは大切な家族としてのもので。セシル君とは違う、好き。いつも守ってくれていたジル。私の大切な、兄のような存在。

 いつしか、お兄ちゃんのようなセシル君と、立場が交代していたのですね。


 私は嗚咽を堪えて背を震わせているし、私を抱き締める手が震えているのも感じていますけど、私もジルもそれは指摘しません。ただ、静かに相手の温もりに触れて。


 そっと離された私がジルを見上げると、寂しそうに、そして諦めたように、認めたように柔和な笑みを湛えています。私を責めたりなどしない、そして自分から全て受け入れたジル。

 ……小さい頃から側に居てくれたジル。ずっと大切に大切にくるんできてくれたジル。もう、私はジルにくるまれたままでは、ないのです。私には、新しく大切にしてくれる人が、居るから。


「……ありがとう、ジル」


 もう一度そう言えば、ジルは今日一番の穏やかな笑みで静かに頷きました。

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