24 「ま、悩んで自分で答えを見付けろ」
昨日の事もありますが、お仕事はお仕事なので魔導院に行くのは変わりません。いつものように魔導院に出勤して研究室に入れば、やっぱりいつものようにセシル君は先に席に着いてお仕事をしていました。
ノックとドアの開閉音で私の入室に気付いたセシル君は、緩やかに顔を上げて、それから私の顔を見るなり何と言うか呆気に取られた顔。私、そんな変な顔をしていたでしょうか。
「おはようございます、セシル君」
「……おはよう」
朝の挨拶もいつも通りですけど、こう、やっぱり妙に気恥ずかしい。前にセシル君と出掛けた時も意識はしましたけど、今回は余計に意識してしまうというか。
昨日の事を思い出すだけで胸がぽかぽかして来るので、なるべく仕事中は意識せまいと頬をぺちぺち叩くのですが、セシル君変な目で見てきました。……セシル君のせいなのに。
微妙に頬が熱いのは気にしないでおき、大人しく自分の席に着いてはセシル君を見て。
視線は此方に向けたままのセシル君、私が窺うように見るとやや頬を赤らめて視線がうろうろしだしました。セシル君も何だかんだで意識している、気がします。
「昨日はありがとうございました。凄く、楽しかったです」
照れ臭さを隠しながらお礼を改めて言うと、セシル君は頬を掻いて微妙に視線を逸らしてしまって。でもそれがセシル君なりの照れ隠しなのだと付き合いで分かるので、不快には思いません。
「そう言ってくれるとありがたい。ヴェルフにちゃんと楽しませろって言われたからな」
「……父様ってば」
陰でセシル君の背中を突っついていたなんて。別に意図的に楽しませなくても良いのに。
「まあそれ抜きにしても、男としてはまあ……出掛けるんだから喜んで貰いたいってのは、あったし。言われなくてもちゃんと行き先は決めてたからな」
「ふふ、ありがとうございます。セシル君と一緒なら何処でも楽しいですけどね」
「……お前はそれで良いのかよ」
「私、物より思い出派なので。一緒に過ごす時間を大切にしたいのですよ」
別に、何か贈られたりしなくたって、側に居てお話出来たら私はそれで満足なのです。勿論昨日贈られたぬいぐるみは大切にお部屋に飾ってますしとても嬉しいですけどね。物だけが判断じゃない、そう言いたいのです。
胸に手を当てて笑かけると、セシル君目を丸くしてはまた頬を掻いています。ほのかに強くなった頬の赤に、私も少し頬の熱が増えたのを感じました。
「俺と居て楽しいのか」
「当たり前ですよ。でなければ一緒に出掛けません。セシル君と一緒にお出掛け出来て、私は幸せですよ」
「……大袈裟な奴」
「ふふ、かもしれませんね」
セシル君は大袈裟って言いましたけど、私には実際そう感じるんですから。一緒にお話出来て、お茶が出来て。それだけで、充分に幸せを感じるのです。何か高いものを贈られるより、私は側に居て温もりや声を感じさせてくれる方が好きだなって。
セシル君もそう思ってくれたら良いなあ、何て思うのですが、セシル君はセシル君で恥ずかしそうにして私の顔を見て溜め息。脳内お花畑だな、なんて失礼な事を呟かれたのでセシル君は意地悪ですと返しておきましょう。
そりゃあ浮かれてるかもしれませんけど、昨日が楽しかったから気分が高揚してるだけなのです。それに、セシル君との昨日の事が恥ずかしくて、誤魔化すように笑ってる、というのもありますけど。
「そういえば、セシル君お店で材料買っていましたよね? 何に使うのです?」
昨日何か頼んでいたみたいですし、何かに使うのは分かるのですが……。
「……魔道具にちょっとな」
「あれ、でもセシル君個人でお願いしてましたよね?」
「個人的な目的で使用するものに研究室の素材使う訳にいかないだろ」
それもそうですね、と頷くものの、それを考えると私が貰っている補助術式のブローチとかはセシル君のお金から捻出したもの……?とかケープのブローチを手で押さえると、セシル君の苦笑。俺が勝手にやってるんだよ、と言われて考えてる事はお見通しらしいです。
そんなセシル君には感謝ばかりなのですが、やっぱりセシル君が何に頼んだものを使うのかは気になります。個人的に使うもの、とは言ってるので自分で使うものだとは思いますけど。
「因みに何を頼んだのです?」
「……超高純度のミスリルを用意して貰ってたんだよ。その分値段は跳ね上がるが」
「そりゃあお高そうな……また何か作るのです?」
「……まあな」
微妙に歯切れの悪い言葉。あんまり私に言いたくないのか詳しくは話そうとしてくれないみたいです。視線も少しだけ逸らすようにしてるから、話す気がないらしいです。いえ、話す義務はないですけど。
「何を作るかは教えてくれないのですよね?」
「……ああ」
「完成したら見せてくれますか?」
「したらな。役目が来るかも、分からないが」
「じゃあ楽しみにしてますね」
「おう」
素っ気ないようで何だか強張ったような声に首を傾げつつも、セシル君が言うつもりがないならどうしようもありません。
何を作るのか、知りたかったですが……完成したら見せてくれるのですから、それまで楽しみにしておこうとは思います。セシル君が内緒にしたがるならそれはそれでセシル君の事なので。
それ以上は言いたくなさそうなセシル君に追及する気にもならないですし、引き下がってお仕事を開始します。私が口を閉じたのを見てセシル君もやや安堵した顔になったので、やっぱりつつかれたくなかった事なのでしょう。……何作るんだろう。
まあ見せてはくれるそうなので我慢する事にして、私は私のお仕事をする……のですが、無言になると……ちょっと恥ずかしいです。昨日の事を思い出すというか、何かやけにセシル君の事を意識してしまうというか。
最近のセシル君は、凄く、優しくて、私に甘い。時に厳しい事を言ったり叱ったりするのはいつもの事なのですが、そうじゃない時は全部受け止めるように暖かく包んでくれて、寄り掛からせてくれて。側に、居てくれる。照れ屋さんなのに、触れてきたりして。
セシル君にとっての『特別』がどういうものなのか、考えると恥ずかしい。
今のセシル君はそんな様子などないですし極普通の様子で黙々と仕事をしてます。昨日の積極性……というか大胆さが嘘のよう。今私だけが意識してるみたいです。
触れてくれるのは、嬉しいけど……セシル君は、どういう気持ちで、私に触れてくるのでしょうか。あんな眼差しをされたら、否応がなしにどきどきしてしまうというか。
色々考えてしまって自分でも恥ずかしい事を悩んでは頭をぶんぶん振って追い出し、でもまた考えてしまうという堂々巡りを繰り広げてしまいます。セシル君はセシル君でお仕事真面目にやってて私だけ悩んでますし。
そんなセシル君を見てぼんやりしてしまうのは、なんというか仕方ないのです。
「……そんなに見られると困るんだが」
視線が手元にでなくセシル君に向いていた事に気付かれたらしく、頬を掻いたセシル君は小さな溜め息。
「えっ、あ、ご、ごめんなさい」
お仕事が手に付いていないのが見抜かれてしまったのか、セシル君の何とも言い難い表情。口をもごもごとさせて私になにかを言いかけては、途中で思い直したかのように唇を引き結んで掌で顔を押さえます。
呆れられたのか、叱ろうとしたのか。眉を下げてもう一度ごめんなさいと謝ると、 余計に困ったように髪を掻き乱してはそっと嘆息。
「……リズ、悪いがこれをヴェルフの所に届けてくれないか」
「え?」
「今俺は手が離せないから、頼む。あと今日はヴェルフを手伝ってやれ、リズの仕事は急ぎでないし構わない」
「でも」
「良いから」
「は、はい」
私が集中出来ていないのがよく分かっているらしく、有無を言わさぬ口調で書類を渡しては行ってこいと研究室を追い出されてしまいます。
自業自得ではあるのでどうしようもなく、私がちゃんとお仕事に取り掛かれていなかったのが悪いので大人しく父様の部屋に向かうのですが……やっぱり、ちょっと悲しかったり。セシル君に呆れられた、と思うのです。
「お、リズか。どうした?」
そのままとぼとぼと父様の部屋に行って、きっちりノックと名乗りを上げてから入室すると、父様は顔を上げて出迎えてくれます。
どちらかと言えば自ら動く事を重んじる人ではありますが、書類仕事も当たり前にするので机に向かっていました。机の上には書類が積まれている、なんて事はなく全部処理されているので流石としか言いようがありませんね。
「セシル君から父様に届けてと頼まれものです」
「そうか。で、その顔は? 昨日、楽しかったんだろ?」
私がしょげているのに気付いたらしく、不思議そうな顔。
「楽しかったですけど、気分が抜け切らなくて。お仕事手に付かなくて、頭冷やしてこいとセシル君に追い出されちゃいました」
「あー……まあ許してやれ」
「いえ、私がおやすみ気分が抜けてなかっただけなのです。お仕事も、進んでないし。急ぎじゃないから今日はこっちの仕事手伝えって」
こればっかりは自分が悪いので、と父様に歩み寄って書類を手渡すと、父様は苦笑というか仕方ないな的な笑顔で肩を竦めています。私の顔を見ては「……セシルも照れ屋だからな」と慰めには少し外れた言葉をくれて、あれは照れ屋とかそういう問題なのでしょうかとは思うものの、どうしようもなく黙ります。
「安心しろ、セシル君はリズの事嫌ってないから。ただ集中したかったんだろ」
「……そうなら、良いですけど」
嫌われたり役立たずとか思われていたら、どうしよう……とかは思うのですが、セシル君は懐が深いのでそれくらいでは見捨てたりしない、とも思うのです。それでも不安になるのは仕方ないというか。
肩を縮める私に父様は深く溜め息。父様まで呆れさせているのは申し訳ないのですが、どうしても、心配になってしまうのです。ひとまずセシル君の言われた通りに父様の仕事を手伝って、後で謝らなきゃ。
「父様、手伝う事はありますか? お手伝いしてこいって」
「あー……ジルに他人がやれる仕事は任せたんだよな。本当はリズの持ってきた書類も取りに行かせたんだが、どっかで入れ違いになったんだろ」
「そうですか……じゃあ研究室に戻った方が良いですかね?」
父様はジルに結構お仕事任せてるのですよね。ジルって基本何でも出来る人なので。魔術剣術学術諜報お庭の手入れとか明らかに従者としてはハイスペック過ぎるのです。代わりに料理と絵関係は壊滅的なのでその辺りでバランス取れてますけど。
ジルがお仕事こなしちゃってるなら、私は何をすれば良いのか。研究室に戻って謝った方が良いのかな、なんて考えると私なのですが、父様は少し眉を寄せてから首を振ります。
「……今は止めとけ」
「え?」
「いや、俺も気遣えば良かったな……今あいつら二人にすれば何かしら衝突しそうだし」
「だったら止めにいかなきゃ……」
「リズが行ったら意味ないから止めておけ。まああいつらも観客抜きで話し合いくらいはするべきだろ」
時にぶつかる事も大切だからな、と保護者目線での一言に、私は何というか男の子って皆そんな感じなのかと考えてしまいます。
「……二人ってあまり仲良くないですよね」
「まあ仲良くないっつーか、良くも悪くも我が強くて互いにライバルみたいなものだからな。それに、一つの事で団結出来る癖に一つのものを争うからな」
「取り敢えずあまり仲良くないという事ですよね」
「どっちかが譲らない限りどうしようもないな。少なくとも今のセシルは譲る気なんてないだろうし、唯一のものが欲しければ争うしかないだろ」
「……セシル君も欲しいものが欲しいって言えるようになったのですね」
昔は欲しいものなんてないって言うばかりだったのに。セシル君は昔から無欲というか、あまり娯楽とかそういうのにも興味がなくて、何かを争ってまで欲しがるなんてなかったのです。
だから、我が儘……というには失礼ですが、自分の意思を貫いて欲する程の物が出来たというのは、私にとっても嬉しい。
「まあ、そうだな。此処まで鈍いと俺は逆に感心するが」
「え?」
「や、俺の血を継いだのもあるのか……俺もディアスに散々背中押されたし……まあこの辺りはセシルの態度が悪いのか? いやセシルもそれなりに……」
「父様ー?」
「いや、何でもない。お節介を焼くのはセシルに怒られるからな」
何かぶつぶつ言ってるのは良いのですが、もう少し聞き取りやすく言って欲しいのですが。独り言だったみたいで父様は苦笑してますが、セシル君の事であるのは違いないでしょう。
私としてはセシル君が望みを言えるようになった、欲求を行動に移せるようになった、というのはいつも気遣ってばかりのセシル君にとって素敵な進歩だと思うのです。叶う事なら私が叶えてあげたいな……と考えているのですが、したい事を出来るようになった、と考えると最近の行動について色々と思う事が。
触れるのは、セシル君がしたいから、ですよね。……私に触れるのは、何ででしょうか。セシル君は他の人に触れようとするなんて見た事がありません。
これは、私にだけの、衝動?
「父様、聞いても良いですか?」
「ん?」
「男性は、得てして女性に触れたくなるものなのですか?」
男女という性別で考えるとおかしい事じゃないですし、セシル君がそうなら、それはそれで良いですけど。
父様は質問にちょっと困ったらしく頬を掻きますが、視線は逸らさず眉を下げて。
「あー……まあそりゃあ。だが、普通は触ろうとはしないし、本気で触れたいと思うのは好きな女だけだぞ」
「……そうですか」
……ますます、分からなくなります。その仮定をセシル君に適用したなら答えは出てしまうのですが、そうと断ずるには、自意識過剰だと理性がストップをかけてしまう。
けれど一蹴するには、あまりにも、セシル君の態度が。
考えると余計に恥ずかしくなってきて折角意識していたのも薄れかけていたのに、また頬が再燃し始めてしまうのです。目敏く見付けた父様が少しにやりと口の端を吊り上げたので、からかわれる事も分かってますけど。
「何だ、セシルにでも触られたのか?」
「変な意味に聞こえるので止めて頂けませんか」
「まあそういう意味の方はセシルならしてないけどな。あいつヘタレで手を繋ぐのも一苦労だろうし」
「えっ」
「ん?」
「……普通に手は繋ぎますよ?」
ちゃんとエスコートはしてくれます、と訂正すると、父様は「……進歩したんだな」とほろりと泣きそうなくらいに感動してしまって。
父様はセシル君の事何だと思ってるのでしょうか。そりゃあ照れ屋さんなのは見てて分かりますけど、セシル君は触れないとかそういう訳じゃないです。
「セシル君はちゃんと手を繋いでくれますし頭撫でたり頬を撫でたりするの案外好きですよ」
「お、おう……思ったよりもスキンシップしてた事に父さんびっくりだぞ。明らかにリズだけだと思うが」
父様はセシル君が案外触れる事に驚いているようですが、私にとって重要なのはそこではなくて。
「……り、」
「ん?」
「や、やっぱり、そうなのですかね? 私だけ、ですよね?」
父様の目から見ても、セシル君は私にだけにしか、そういう態度を取らないという事で。特別って、そういう意味、なのでしょうか。
でもあのセシル君がそうだとか考えるとよく分かりませんし、単なる触れ合いの一環なのかもしれません。けれどセシル君が意味もなく触れるとは思いませんし、触りたくて触ってるならそれはそれで嬉しいですし良いですけど……セシル君は、どう考えて、触れているのか。
考えれば考える程にこうでもないああでもないいやでも、と思考がぐるぐる回って分からなくなって、どうして良いのか分かりません。
唇を僅かに動かすに留める私に、少し驚いたような顔をする父様。
「……セシル君の気持ちが、分かりません」
知りたくて、知りたくない。答えを出したくて、出したくない。相反する気持ちが胸でとぐろを巻いていて、結論を出せない、出したくないともがいているのです。
本人から聞けば解決するけれど、それをしてしまえば、確実に、変わる。それが怖くて、私はセシル君に問い掛けられない。
「……まずはリズの気持ちを決めるのが先決だとは思うぞ」
「そ、それは」
「ま、悩め若人って感じだな。青春は良いぞ」
父様は父様で全部見抜いているようで、余計に恥ずかしいです。ただからかうように言われてしまってむっと父様に鋭く視線を投げると「ごめんごめん」と笑って頭を撫でられました。
大きな掌は、温かい。落ち着く。……セシル君に撫でられた時とは、また違う感覚。
「そもそも、セシル君に迷惑だとか、思われたら……嫌、ですし」
「ま、悩んで自分で答えを見付けろ。俺はリズが決めた事なら文句は言わない」
「……はい」
自主性を重んじる父様は、笑って私に任せて。
……セシル君の事をどう思っているのか。この感情は恋愛と呼ぶそれなのか。……まだまだ名前は付けられなくて、私はただ静かに頷いては瞳を伏せました。




