白村江の戦いの後、防人の制度が作られた
(ふうむ、こうなってしまいましたか)
(ある意味、予想通りだと思う)
魔力の流れの中の仮想空間──今は宮中の部屋を模している──で、俺は皆と共に半島の様子を観察していた。
結果だけ言えば、百済の再興は成った。
但し、以前ほどの領土は確保できていない。
朝鮮半島の南西側の一部を取り戻しただけに過ぎなかった。
それでも唐と結んだ新羅から、かつての領土を取り戻した意味は大きい。恐らく、今後の歴史的な意味でも。
同時に、新生百済のそれ以上の領土拡大は望めないだろう。
(まあ、仕方ないよな。これ以上は戦力的に無理だ)
スサノオの言う通り、魔力に馴染んだ兵の力を以てしても、これ以上は無理だった。
結局のところ、兵の身体から魔力が抜ける度合いは個人差がある。
遣唐使の一部などは、唐の都に着いてもまだ体に魔力が残って超人的な身体能力を発揮できた者も居たが、半島で百済復興の戦を担った兵の中には、早々に魔力が尽きた者も居たのだ。
魔力が尽きた兵も常人よりやや強い程度の身体能力を維持していたが、虚脱感が酷く、また免疫力も低下したのか、体調を崩す者が続出した。
これでは戦にもならないだろう。
新羅は依然として唐との同盟を維持していたため、兵力的にはあちらの方が優位だ。
そのため、日本に亡命してきた百済の王族の要望のような旧領の回復までは到底至らなかった。
(外つ国では、術もうまく働かないから仕方ないわよねえ)
(魔力が薄ければ、呼びかけるべき精霊や神も居ない。五行使いは直接自然を動かす仕組みである以上、多少は使えるようだが……)
もう一つの要因は、魔力の薄い土地では術法が十全に発揮しない点だ。
魔力による身体能力の強化は、体内にため込んだ魔力の作用によるもの。
前述の通り、体内に取り込んだ魔力は魔力の薄い土地でも抜けきるには時間がかかる。
それに対して術法は、周囲の自然に宿る精霊や神、もしくは魔力そのものに自身の魔力で干渉して、超常的な力を引き起こしている。
その仕組み上、魔力の薄い土地では様々な弊害があるのだ。
精霊や神への呼びかけは、魔力の薄さでそれらが存在しえないために意味がない。
五行使いのように、自身の魔力で周囲の魔力に影響を及ぼし自然を操る方式は、周囲の魔力が薄くても自身の魔力を放出することで術法を発揮できるが、規模は極端に小さくなる。
この場合参考にできる事例が、丁未の乱で厩戸皇子の配下が発揮した移動する土塁だろう。
背後の軍勢の姿を隠すほどの規模の土塁が、津波のように移動できたのは、魔力が濃厚な日本ならではだ。
本来動かない地面に、魔力を流して大規模に隆起させ、移動させたのだ。
それに対して先の白村江の戦いだ。
この戦いでは、五行使いたちは精々海面上層の水流を乱す程度しかできなかった。
元々動かない土よりも、余程動かしやすい水であるにもかかわらずだ。
これは、もちろん魔力が海水で拡散しやすい性質も影響している。
広大な海には未だに精霊も神も宿らないようで、幾ら訴えかけても波一つ起きないだろう。
術者自身の魔力で周囲の魔力に干渉する五行使いの術式なら、この時代の船を巻き込み沈める波程度は起こせる──が、それも魔力が濃厚な日本近海限定だ。
同じだけの魔力が白村江の戦いの舞台で存在していたならば、新羅と唐の連合軍の船を巻き込んだ大規模な津波を起こして、地上部隊も含めて一掃できたまである。
それができなかった以上、術者の弱体はただの兵よりも深刻だった。
(国内だと、双方の軍の術者が、そういう大規模な術を妨害し合うのが優先になっているな!)
(確か、北のまつろわぬ民との戦でそのような事になっていましたね)
国内では敵味方双方が魔力で強化される関係上、俺の生前の歴史と比べて戦は派手にはなるものの結果は似たり寄ったりだった。
だが対外的な戦だと、短期的には日本の兵が圧倒する。
そして長期戦になると、その戦力差は急激に小さくなっていく。
(多分、今後もこういう傾向になるのだろうな……)
恐らく、飛鳥の政権もそれを察したのだろう。
百済再興は一応成ったものの、それ以上の大陸側への進出は止め、むしろ外交で対応しようとしている。
特に重視したのは、唐との関係改善のようだ。
遣唐使の回数を増加し、また新生した百済にも唐との関係改善を促しているらしい。
実際唐としては、今回の白村江の戦いの敗戦をかなり深刻に受け止めたようだ。
生き残った兵から聞き取った内容は、時の皇帝にとってあまりに荒唐無稽に聞こえただろう。
しかしその荒唐無稽さは、遣唐使として渡った者たちの幾らかの超人的な身体能力で、実証されてしまっている。
朝廷に戻って来た遣唐使のある者が、皇帝の前で宮殿の壁をひと飛びで飛び越して見せたと語っていたのだ。
(かの国の天子は唖然としていました、ってそれはそうだろう)
(それで、唐は方針を変えたようですね)
これが理由なのかはわからないが、唐と新羅は新生した百済よりも高句麗に兵を向けている。
俺の生前の歴史でも、唐は白村江の戦いの後高句麗征服に動いていたけれど、新生百済を放置してのこの動きは、全く同じとは言えない。
それどころか、唐と新羅との同盟も崩れかけているようだ。
(百済の者らが調べたところ、先の戦いの敗戦の責をお互いに押し付け合っているらしいそうで)
(さもありなん)
唐の本音としては、倭国の兵とはもう当たりたくないと言ったところか。
そんな大陸での動きに対して、国内でも大きな動きがある。
北九州には、俺の生前のような対大陸向けの施設が次々に造られていった。
巨大防塁の水城に、北九州の防衛拠点である大野城や基肄城によって、大宰府は巨大な軍事要塞とされた。
対馬には、前線基地である金田城が置かれて、新生百済に何かあれば直ぐにでも兵を派遣できる拠点になった。
更には屋嶋城のような、瀬戸内海を通じて飛鳥の地に至るまでの各地で拠点を建設する。
その上で、施設という器だけではなく、これらで防衛任務を担う人員──防人の制度も整えられていく。
他にも、烽と呼ばれるのろし台によって、素早い情報伝達の仕組みも作られていった。
これらは多重の防衛線であると同時に、魔力を充実した兵を後方から送り、魔力が尽きた兵を後方に移送する輸送路の整備でもあった。
短期で魔力が尽きるなら、代わりの兵を送り出す。後方に下がった兵は後方の拠点で魔力を回復し、再び前線に戻る。
この動きを円滑にするため、各拠点は防衛拠点と同時に兵の収容に力を入れられていた。
この国の兵は、外国に対して短期では勝利できるが、長期での進出は危うい。
その認識が、この壮大な国家防衛システムを作り上げたのだろう。
同時にこれは、半島にしっかりと打ち込んだ新生百済という根を今後も生かすための、強固な仕組みだ。
(とはいえ、当面は大陸の国と争う事はないのだろうな)
生前の歴史では、唐は紆余曲折の末に半島での影響を失い、新羅は日本へ攻めてくることが無かった。
日本国内も色々と混乱した上で国内重視に舵を切っていたのも理由だろう。
(この世界では、もうどうなるか分からないけどな)
そんな事を思いながら、俺は宮中で百済の使者とやり取りする今代の天皇──天智天皇の様子を眺めるのだった。
そんなある日のことだ。
(……うん?)
(あら? 今何か……)
ハルカと共に、その日も宮中の様子を眺めていると、不意に魔力へ触れるものを感じた。
(……この感じ、以前にも似たような事があったな)
(ええ、あれは……アマテラスちゃんがワタシ達に触れた時ね)
かつて姫巫女と呼んでいたアマテラスが、人の領域を超えたような力を得たきっかけ。
ダンジョンコアの間で一心に祈った末に、魔力の流れをその身に受けた結果、彼女たち姉弟は人を越えた。
同様の感覚が、今起きたのだ。
(アキト様! ハルカ様! 今何かが…!)
(これは、我らと同じような事が起きたのではないでしょうか?)
慌てたように、アマテラスとツクヨミが俺の領域に飛び込んで来る。
俺達と同様の存在になった彼女達も、この感覚が伝わったのだろう。
恐らく、イザナギイザナミ夫妻も同様に感じているはずだが、あちらは今海底のコアネットワーク拡張で手いっぱいだ。
丁度南極プレート外縁を迂回し終えて大西洋に進出し始めたところなので、些事は流しているのだと思う。
それはともかくとして、今大きな何かが起きたのは確実だ。
(一体、誰がどうやって魔力の流れに触れたんだ……?)
(姉上ほどの術者が、この時代に生まれたと言うのでしょうか?)
(アマテラスちゃんみたいな触れ方じゃなかったわね)
興味を持った俺達は、魔力の流れに触れた存在を慌てて探し始めた。
一応、かつてアマテラスが魔力の流れに触れたコアの間を調べてみたが、そちらはもぬけの殻だ。
(……ここではない。ではどこから……?)
(アマテラスちゃんと同じなら、凄い魔力の持ち主を探せば良いと思うわ)
(それだ!)
既に魔力の流れへの接触は失われている。
そのため足取りがつかみにくいが、ハルカの指摘で探すべき相手が定まった。
そして、俺達は巨大な魔力の持ち主を見つけたのだ。
領域内に、目的の人物の周辺の様子を表示させると、そこは薄暗い岩の部屋だ。
そこには、巨大な大岩の前に座り込む一人の男の姿があった。
(これは……吉野の山中にあるダンジョンのコアか)
(誰か居るわね。えっと……お坊さん?)
(修行僧の様ですね。しかし、僧が何故地の底への道に?)
その人物は、ダンジョンのコアの間で、禅を組み一心不乱に読経を続けていた。
(……一種の荒行だろうか? 調べてみたんだが、もう何日も此処に籠っているようだし)
(……このような場所で、ですか? 魔物も出るのですよ?)
(いや、それが……守る者も居る様だ)
(守る者?)
首を傾げたハルカに、俺は別方向からの光景を表示させる。
(ヒッ!)
ハルカが微かな悲鳴を上げた。
僧の背後、上の階層へと続く通路の隣で、たたずむ大きな影があった。
筋骨隆々とした体躯を覆うのは着崩した僧服。
それだけならただの護衛と言えただろうが、明らかに尋常ではない特徴があった。
肌は赤く、口からはみ出た大きな牙。
何より特徴的なのは、額から伸びる二本の角だ。
(……鬼、だと?)
新たに魔力の流れに触れた者は、鬼を従えた修行僧だった。




