とある学校の日本史授業風景 7コマ目 飛鳥時代①
窓の外からは、昼前の柔らかな光が差し込み、教室の空気はどこかそわそわしていた。
時計は12時前を指し、弁当の匂いを想像している生徒が数人いる。
教師の三上は、黒板の前でチョークを指先で転がし、ゆっくりと顔を上げた。
「さて、今日は飛鳥時代の初めから、大きな制度改革までを追っていく。推古天皇の即位と厩戸皇子の摂政就任から始めよう」
前列の男子が小さく手を挙げる。
「先生、推古天皇って、女性の天皇でしたよね? なんで女性が天皇になったんですか?」
三上は微笑みながら黒板に年号を書き込む。
「推古天皇は、豪族間の対立を和らげるための選択でもあった。国内の混乱を収めるために、女性の天皇が即位し、その補佐として摂政が置かれた。厩戸皇子、いわゆる聖徳太子が摂政として政治の中心に入ったとされているな」
教室の後ろで、弁当の話題に夢中だった女子が顔を上げる。
「聖徳太子って、なんか凄いことをいっぱいやった人ですよね?」
「そう言われている。彼を中心として、幾つかの注目すべき政策を実施したとされているな。少なくとも、それらの政策を実施した際の摂政は彼だと記録されている」
教師は触りのようにそう述べると、これらの制度について簡単な系図を黒板に描き始めた。
そこには『冠位十二階』『十八条の憲法』『遣隋使』『仏教の普及』などの文言が並ぶ。
そして、教師は一つ目の制度を指し示した。
「冠位十二階は600年代に導入された制度で、氏族の出自ではなく個人の能力や徳に基づいて位を与える仕組みだ。色で位を示し、有能な人材を登用することで中央の統治力を高めようとした」
小さな冠の図を描きながら教師は説明を始める。
「当時、政権の役人たちは、有力豪族の身内から採用されていた。つまり、完全な縁故採用だな。そこを広く能力を重視する方式に変更したわけだ」
「へー」
あいまいな相槌を打つ生徒。そんな中、前列の真面目な女子が手を挙げる。
「でも、家柄が全然関係なくなったんですか?」
「完全に消えたわけではない。豪族の影響力は依然として強かったが、制度として能力を評価する枠組みを作ったことが重要だ。後の律令制の基礎にもつながる考え方だと言えるだろう」
次に十八条の憲法の見出しを書いた。
「十八条の憲法も同時期の600年代初頭に示された政治の心構えだ。第一条の『和を以て貴しと為す』に代表されるように、和を重んじること、君臣の礼、仏教や儒教の倫理を取り入れた規範が並ぶ。これは単なる法律ではなく、役人の行動規範であり、中央集権を支える思想的土台を作る試みだった」
教室の空気が少し引き締まる。後列の男子が小声で言う。
「なんか、現代の会社の行動指針みたいですね」
「そうだな。理念が先にあって、制度が後から追いつく。十八条はまさにその『理念』の部分を担ったと言える」
更に教師はこの規範についてみるべき点を解説する。
「この憲法は、ある意味世界に類を見ない、初の制度の面がある。条文に、明確に『術法』などの魔力の影響に言及した公的な条文であるという点だ」
「あ~、日本にしか、魔力が無いから……」
「その通りだ。魔力の実在が明らかになっているからこそ、この条文が生まれた事になる。まさしく日本独自の法だ」
教師は、『それ事、術法に頼るべからず』と黒板に書き込んだ。
「術法をみだりに使うな。大まかに言えば、そういう意味合いになる。実際、これ以後宮中では、公的な儀式以外での術は避けるようになったとされている」
「それでも、使う人は使ったのではないでしょうか?」
「そういう事件も起きたのは事実だな」
制度が制定されるのは、それらが起こりうる事象だから、などと教師は続けて、次の解説に移る。
黒板に大陸からの矢印を描き、三上は声を少し強めた。
「仏教は宗教であると同時に、国家統合の戦略でもあった。寺院や僧侶の登用は政治的正当性や文化的権威を補強し、社会の価値観を変えていった」
後列の女子が手を挙げる。
「仏教って、どうやって入ってきたんですか? 半島経由とか…」
「その通りだ。さらに重要なのは遣隋使の派遣だ。他の制度からやや遅れ600年代後半に小野妹子らが隋に派遣され、隋の制度や文化を直接学んだ。隋という強大な国家の存在は、この国にとって無視できない外圧となり、制度改革を急がせる一因になったわけだ」
教室の一角で、昼食のことを考えていた男子がふと顔を上げる。
「遣隋使って危なかったんじゃないっすか? 海を渡るんでしょ? 魔力も無い土地だと酷く弱ったんじゃないっすか?」
三上は肩をすくめて笑う。
「危険はあった。魔力の薄さから来る衰弱も深刻だったとされている。だがそれ以上に得るものが大きかった。制度、技術、書物、そして国際的な立場の確認。遣隋使の往復は、当時のこの国が外の世界と真剣に向き合う決意の表れでもあった」
そこまで説明して、教師は黒板を背に生徒達に向きああった。
「ここまでの内容で、質問はあるだろうか?」
その声に応えたのは、前列に居た男子だ。
「先生、冠位十二階って具体的にどんな徳目で評価したんですか?」
「そうだな。そこは資料集にわかりやすく図がある」
教師は資料集を開き、該当のページを生徒に伝える。
「徳、仁、礼、信、義、智といった徳目が重視されたとされる。色や冠で位を示し、視覚的にも序列を明確にした。だが実際の運用では豪族の力学が絡み、理想どおりにはいかなかった面もある。理想と実情の乖離だな」
資料には、徳目ごとの色分けもカラーで為されていて、生徒の目からしてもわかりやすい。
その横には、十八条の憲法の全文と現代語訳も載せられていた。
ひとしきり眺めていた女子が、首を傾げた。
「この十八条の憲法って、罰則とかなかったんですか? 罰とかないと、みんな守らない気がします」
真面目な彼女は、風紀委員を務めているのだったな、と教師の三上は思い出しつつ、その質問に答える。
「十八条は罰則を細かく定める法律ではなく、政治の心構えを示すものだ。君臣の礼を守ること、和を重んじること、三宝を敬うことなど、役人の倫理を示している。実務的な法体系は後の律令で整備されていく」
とはいえ、と教師は続ける。
「もっとも、このこれらを守れないような者は、冠位を登っていくことは出来なかっただろう。現代で言えば、企業のコンプライアンス等に通じるものだ。守れない者は、出世から外れたと考えれば、想像がつきやすいか?」
「あっ、はい。何となくわかります」
納得した様な女生徒を見つつ、教師は次の話題に移ることにした。
新たに黒板に書き込まれたのは、大化の改新の文字だ。
「さて、話はさらに進む。640年代、乙巳の変を契機に大化の改新が始まった」
三上は黒板に大きく大化の改新に関わるキーワードを書き込んでいく。
「中大兄皇子と中臣鎌足が中心となって蘇我氏の支配を終わらせ、国家の仕組みを根本から改めようとした。ここで掲げられたのが改新の詔による公地公民の原則や税制・官制の整備だ」
後列の女子が小さく呟く。
「でも、そんな大きな改革って、すぐにうまくいったんですか?」
教師は首を振る。
「一夜にして完成したわけではない。抵抗もあったし、地域差も大きい。だが方向性としては、天皇中心の国家を目指す流れが確立された。大化の改新は、その出発点として歴史的に重要だ」
教師は、実施された政策の数々を書き込んでいく。『公地公民制』『国郡制の整備』『戸籍・計帳の作成と班田収授法の制定』『新たな租税制度』。
「公地公民制は、それまで豪族などが所持していた土地と民を帝の元に召し上げ、一元管理していくというモノだ」
前列の男子が眉を寄せる。
「公地公民って、土地と人を国のものにするってことですか?」
「概念としてはそうだ。土地と人民を国家の管理下に置くことで、豪族の私的支配を弱め、中央の統治を強めようとしたことになる」
続いて、『国郡制の整備』を教師は指し示す。
「国郡制の整備は、中央行政府である都を定め、地方に国・郡といった行政区画を置き、国司・郡司などの官吏を配置して地方統治を強化する仕組みだ。これらの行政区画の境には関所が置かれ、駅伝などの情報伝達の仕組みも整備された。所謂旧国名はここから始まっていると言っていいだろう」
「駅伝ってリレーみたいな奴ですか?」
「語源の側と言うべきだな。この場合、繋ぐのは襷では無く書簡になる」
生徒の疑問に答え、教師は次の項目を説明する。
「戸籍・班田制の導入については、戸籍で人口を把握し、班田収授法で土地を民に配分して租税の基礎を作る試みだ。特に戸籍の管理は、律令国家として立つには基盤となる部分と言っていいだろう」
同時に、教師はそれに伴う税制について言及する。
「戸籍の導入によって税制も再編された。旧来の私的徴発や豪族ごとの負担を廃し、班田に基づく租(田の調)などの体系化を図る方針が示されたのだ。豪族の気まぐれ一つで変わりかねない税から、国家の一元管理へと変わったのは、大きな変化だ。そして、これら官僚組織の整備は、後の律令国家へとつながる重要な一歩だった」
そう締めくくる教師の三上。
既にチャイムが鳴るまで、残り数分。
生徒たちの視線は時計と弁当に交互に向く。
教師は苦笑を浮かべそうになりながらも、黒板に今日の要点の数々をまとめ、ゆっくりと読み上げた。
・推古天皇と厩戸皇子の政治は、理念と制度の導入で中央集権化を目指したこと。
・冠位十二階と十八条の憲法は、能力主義と政治倫理を導入する試みであり、後の律令制の基礎を作ったこと。
・遣隋使と大化の改新は、大陸との関わりと国内制度改革が相互に影響し合い、国家形成を加速させたこと。
前列の女子が小さな声で訊ねる。
「先生、結局、変革って良いことばかりなんですか? 伝統を壊すのは怖い気もするし」
三上は黒板の文字を見つめ、静かに答えた。
「変革は道具だ。使い方次第で共同体を強くするし、壊すこともある。重要なのは、誰が、何のために、どのように使うかを見極めることだ。歴史を学ぶというのは、その判断材料を増やすことでもある」
チャイムが鳴り、教室は一斉に立ち上がる。
弁当の話題が一気に広がり、笑い声が廊下まで漏れた。
三上は黒板のチョークを手に取り、最後に一言だけ付け加えた。
「次回はこの時代に起こった大陸との大きな関りと、当時の文化的な出来事を取り上げる。予習しておくように」
弁当のことで盛り上がっていた生徒の一人が、ちらりとノートを見下ろして小さく頷いた。
教室の空気は昼休みの匂いと、次の授業への期待が混ざり合いながら、ゆっくりと解けていった。




