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よくわかる日本の歴史 ~ただし、原始時代から日本にのみダンジョンがあったものとする~  作者: Mr.ティン
伍章 飛鳥時代 ~律令国家の萌芽と仏教の普及~

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遣隋使は隋の崩壊を目の当たりにした

再開します。

「滅びたと!? 隋がか!」

「はっ、各地で農民反乱や豪族の挙兵が続き、遂には天子も臣下に討たれたとの事」

「……そうか。いかな大国と言えど、終わりは来るのだな」


宮中に、急ぎの使者がやって来た。

推古天皇と摂政の厩戸皇子、他蘇我馬子など有力豪族が並ぶ中、その報せがもたらされたのだ。


大陸の大国、隋には何度も使節を送り出している。

所謂、遣隋使だ。

小野妹子らを中心にした607年のものが有名で、俺の生前の歴史では説にも寄るが5回程度は実施されたとされている。

ただ、遣隋使はある時から行われなくなった。

隋が滅亡したからだ。


今更だが、この世界でも俺の生前と同じく、隋は興った。

北朝の北周から禅譲される形で成立した隋は、南朝をも飲み込んで広大な大陸を統一する。

それが6世紀終わりごろの話だ。


中国統一と制度改革を成し遂げ、中央集権的な制度を作り上げ、厩戸皇子の政策の模範にもなった。

まさしく偉業だろう。

ただ、この大国は短命に終わる。

原因は大きく二つ。


一つは、大運河建設・宮殿造営・長城修築などの大規模土木事業で民衆を酷使した事。

この大規模土木工事のうち、大運河はとくに有名だ。

黄河と長江を結ぶ大運河は、大規模な穀倉地域から首都のある地域への輸送路や兵糧を運ぶための大動脈になった。

後々の清の時代にまで活用され続けたと言えば、その影響の大きさが判るだろうか。

ただ、この工事には数百万とも言われる労働者が動員され、その労役により農民に大きな負担になった。


もう一つは、高句麗遠征の失敗で、軍事的威信が失墜した事だ。

この高句麗への遠征だが、2代にわたり4回行われている。

初めは初代皇帝の頃。高句麗が挑発的に隋の北東辺境部に侵攻したことに対する報復としての遠征だった。

しかし、約30万の兵力を擁する大軍は、現地での疫病の蔓延や暴風雨、そして補給不足により撤退を余儀なくされる。

この軍事的失敗が、次代皇帝の度重なる強引な高句麗遠征の要因になった。

次代皇帝は、初代と同様に何十万もの兵力で高句麗に遠征するも、これらも様々な要因により失敗。

実質的に、隋は高句麗に敗北する。


これ等の政策と戦争は、民に重税と徴兵を強いて、農民の生活は困窮した。

これ等の不満を爆発させた農民や豪族により、反乱が頻発したのだ。

時の皇帝である煬帝は反乱を鎮圧できず、撤退先の離宮で臣下に殺害されることになる。

最終的に、代行の皇帝から禅譲を受けた有力な反乱の指導者が、唐を建国するのだ。


この時、遣隋使は現地でその滅亡の様子を事細かに目にしていたらしい。

特に、遣隋使の一部のものは帰国できず、現地に留まり唐の成立までを目の当たりにした。

大国の勃興と言う激動の時代の知見は、彼らの帰国後様々な成果として形になって行くことになったらしい。

少なくとも、俺の生前の歴史ではそうであったようだし、恐らくこの世界でもそうだろう。


それに、およそ30年と短命に終わった隋だが、その国家体制は当時最新と言っていいものだった。

均田制・租調庸制・府兵制・科挙などの整備された制度は、後の長期にわたる大国、唐に継承され、その安定の基盤となったのだ。

ヤマト政権として学ぶべき点は多く、既に取り入れられているものもある。

十七条の憲法──いや、この世界では、十八条の憲法か──などがそれだ。


後の時代に実施される大きな政策も、これらを取り入れていくだろう。



ただ、遣隋使が持ち帰ったモノは、良いモノばかりでは無かったらしい。


「……また新たに倒れた者が出たと?」

「はっ、下人や舎人で多くが臥せっております。皇族の方も既に……」

「疱瘡か」

「……恐らくは」


沈痛な面持ちで顔を伏せた皇子は、仏像に向かい祈った。

俺は、その後姿を見つめる事しか出来ないでいる。

大昔から武を磨いてはきたが、それでは対処できないものが相手だからだ。


ある時、宮中で流行り病が広がり始めた。

高熱を発し、顔面や四肢を中心に斑状の丘疹が出て、最終的に膿疱となる疫病。

それは疱瘡──天然痘だった。

俺の生前の時代では、唯一根絶を果たしたというこれは、はるか昔から世界中で猛威を振るってきた。

致死率は2割から5割と言われ、毒性の強い型では更に致死率が高くなるとされている。

仮に完治しても膿疱として跡が残るこの疫病は、日本でも度々大流行を引き起こして、多数の被害を引き起こして来た。


その天然痘が、宮中で広がっている。

どうやら、最後の遣隋使が他の品々と共に、この厄介な疫病もこの国に持ち込んでしまったようだ。

既に下人だけではなく、皇族にまで被害は広がっていて、何人もが病床に伏せていた。

そうこうしている内に俺のアバターもまた体調を崩していた。

……どうやら、罹患してしまったらしい。


「アナタ、大丈夫? 辛くない? お世話するから何でも言ってね?」

「ああ、大丈夫だよ、ハルカ。まだ、罹り始めだからか、耐えられるかな……。それよりも、ハルカのその身体も罹らないように気を付けて……」

「ワタシは大丈夫よ。この身体は病気にならないようにしたもの」

「そうか……」


俺が倒れたことに慌てたハルカが、下女のアバターを急遽作り出して駆けつけてくれた。

認識を誤魔化す術も使用しているのか、見知らぬ下女が居ても誰も気にしないようで、しっかりと俺の世話をしてくれている。

俺も、ハルカが作り出したアバターのように病気にかからない身体を用意することも出来たのだが、あまり特別にしすぎると人の世に入り込むのに合わないかと、今回の身体はそこまでの性能にしなかったのだ。

その結果が今の体たらくだが、こればかりは仕方ない。

だがそれはそれとして、正直に言えばハルカの言葉に応答するのも症状がきつく億劫だ。

頭痛・腰痛・倦怠感・嘔吐、それらが断続的に襲ってくる。

高熱も発しているようで、寒気も酷い。


……ただ、何となく違和感があった。


(このアバターの性能は高いとはいえ、致死性の疫病にかかっているにしては、大したことが無い……?)


そう、しいて言うなら生前インフルエンザに罹った時程度の辛さと言うべきか。

致死性の疫病にかかったにしては、症状が軽いように思うのだ。

実際、宮中で流行はしていても、今のところ死者は出ていない。

低くても致死率2割と言われるような疫病が広まっているのにも関わらず、だ。


(……もしかして、免疫力も魔力で強化されているのか?)


そんな発想が頭をよぎる。

在り得ない話では無かった。


一応、この世界のこの国でも、病気で命を落とすものは居る。

但し、それは余りに幼い子供や老人など、身体が弱いものか、もしくは複数の病気に罹ってしまい体力が衰えた者等が殆どだ。

天候不順の間のような栄養状況が悪く、身体が衰弱している場合も当てはまるだろう。

それらの場合でも、生前の世界と比べて格段に病気での死者数や、そもそもの症状の重さなど、生前とは明らかに違っていた。

もし、そうだとしたら……。


(いや、むしろ、普通の風邪の方が辛いまであるな)


考え方を変えると、この天然痘はまだ魔力に馴染んでいないのだろう。

古くからこの国にあった風邪の方は、魔力に馴染んでいるのか、普通にこの国の人々にもかかるし、時に肺炎などを引き起こす。

他の病理も、人々の生体が強化されているせいか中々重病まで行かないものの、十分に人を苦しめて来た。

天然痘もまた、この国の魔力に馴染んだら、俺の生前の世界での猛威のように、大きな被害を出すようになるのかもしれない。

俺はハルカの看護を受けながら、そんな事を考えていた。



「おお、河勝か。復調したようで何よりだ」

「殿下こそ、伏せられたとお聞きしましたが……」

「うむ、御仏の加護であろう。母も妃も、もちろんこの身も復調したぞ」

「……それは何よりでございます」


復調した俺が参内すると、丁度厩戸皇子もまた同時期に伏せていたらしく、共に快調を喜ぶことになった。

同時に俺は、内心で天を仰いでいる。


(復調、したのか。皇子も)


一度伏せたもののすっかり元気になり、出来てしまった膿疱さえも跡形も無く治ってしまった厩戸皇子。

その姿に、俺は生前の歴史を思い出す。


厩戸皇子の死因は幾つかの説があるものの、最も有力なのは天然痘による病死だ。

その母穴穂部間人皇女や、妃である膳大郎女に続いて、厩戸皇子もまた天然痘により命を落としたとされている。

数か月という短い期間での、立て続けの病死だ。

他にも何人かの皇族が亡くなるなどして、政治的な空白を生み、それが蘇我氏の専横の原因になったとも言われてもいる。

またこの疫病の影響で、薬師如来等を医薬仏として、疫病退散・病気治癒の祈りの対象としていく流れも産んだとされていた。

その流れが、変わりつつあるのだろうか?


「御仏へ祈りを捧げたところ、病が軽くなったのだ。やはり御仏こそ真であろう」

(……祈りが病に効くなら、民間にはそっち方面で信仰を集めそうだな)


更に皇子から話を聞くと、御仏への祈祷だけではなく、神職の穢れ祓いなども実際に病魔へ効果があるらしく、まだ少ない僧に代わって神職も慌ただしく動いているとか。


(これだけ効果があるなら、国家戦略として仏教の庇護は当然として、民間への仏教の浸透も早まりそうだ)


そんな事を思うと同時に、俺は在る視線を感じていた。


(……宮中に蘇我氏の耳目が途切れることはない、か)


皇子と俺との会話を見つめるのは、恐らく蘇我氏の手の者。

蘇我氏は代替わりしつつあり、馬子から蝦夷へと宗家が移行しつつあるはずだ。

今のところ、厩戸皇子と蘇我氏は協力関係にあるが、俺の生前だと皇子の死後蘇我氏は専横の道を走ることになった。


(皇子が生存したことで、どう歴史が転ぶのか……全く読めないな)


物陰からの視線が何を呼ぶのか。

まるでつかめないまま、俺は皇子に付き従い宮中を進むのだった。

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