厩戸皇子は推古天皇の元摂政となり、幾つもの寺を建立した
推古天皇が即位した。
初の女性天皇が就任し、同時に厩戸皇子が摂政に任じられる。
そんな新たな時代の到来で、宮中は慌ただしさに満ちていた。
俺も厩戸皇子の付きの舎人として、慌ただしい日々を過ごしている。
推古天皇はこの国のトップではあるものの、その実権は蘇我馬子が握っていると言っていい。
その馬子の政策方針は、国内の安定重視だ。
摂政となった厩戸皇子もまた、その方向で新たな規範を制定しようとしている。
後に制定される冠位十二階に十七条の憲法など、大陸の制度などを取り入れた政策は、明らかに国内の安定を目指すものだ。
同時に、厩戸皇子は仏教の振興も熱心だ。
「先の戦にて誓約したのでな。約定は果たさねばなるまい」
「確かに、約定をほごにしたならば、仏罰が下りかねませんな」
先の戦い──丁未の乱で厩戸皇子が四天王像に祈りを捧げ、その結果与えられた加護で勝ちを得た。
その際、皇子は『必ず仏塔を建て、仏法を広める』と誓約をたてている。
あれ程の加護を与えてくれる相手との誓約を反故にするのは、流石に拙いだろう。
「故に、多くの寺院を建てねばならぬ。河勝には、この地での建立を任せたい」
「畏まりましてございます」
そういった理由で、皇子の号令の下、各地で寺院の建設が進められている。
後に聖徳太子建立七寺と呼ばれる寺がそれだ。
有名な法隆寺や、皇子が戦勝を祈願した四天王を祀る四天王大護国寺など。
俺もまた厩戸皇子の側近として、蜂岡寺(後の広隆寺)の建立を命じられている。
(宮中から離れた分、少しは気が休まるな……)
(息苦しいよな、あそこは!)
蜂岡寺は俺の生前で言う京都にある。
後の平安京が広がるはずのこの地は、まだただの盆地だ。
慌ただしさと、蘇我氏の権勢が強い宮中から離れた場所で、俺は寺の建立の指揮を進めつつ、久々に羽を伸ばしていた。
傍には、スサノオの意思が宿った海鳥が居て、俺の話し相手になってくれていた。
(それにしても、女の長とそれを支える政の担い手か……)
(姉上と兄上みたいだな)
思い起こすのは、推古天皇と厩戸皇子の事だ。
生前のアマテラスとツクヨミにも似た関係に、俺とスサノオは何とも言えない郷愁を感じていた。
(姉上達も、あの二人の様子は気になっているみたいだぞ)
(まあ、自分を重ねて見てしまうのは仕方ないか)
実際、実の姉弟ではなく叔母と甥の関係ではあるが、その関係はよく似ていた。
(……まあ、違うところもある。本当の実権は未だに蘇我氏が握っているも同然だ)
(あとは、姉上と違って夫が居た事だな……)
(止そう、スサノオ。それは地雷だ)
スサノオの余計な意思を飛ばしてきて、一瞬、寒気を感じて辺りを見回した。
例の陰った太陽のようにどんよりとしたアマテラスの姿を幻視したのは気のせいだろうか?
実際、推古天皇は敏達天皇の皇后だったため、少なくとも未婚とは言い難い。
終生様々な理由で独り身だったアマテラスとは明確に違うところだ。
だが、三姉弟の中で唯一既婚かつ子孫も遺しているスサノオが指摘するのは、余りに酷だろう。
(そうだよな、兄上も嫁は居なかったし、あの皇子とは違うよな)
(まあ、皇子は既に妃が居るのは確かだが……ツクヨミはその辺り気にしないだろうな)
ちなみに、厩戸皇子には複数の妃が居る。
蘇我氏から嫁いだ政略結婚の意味合いが強い妃から、恋愛の色が強い妃まで様々だ。
だからまあ、生前独り身だったツクヨミよりは、建設的と言える。
(とは言え、この先に待つものを考えると、な)
(……どうした、師匠?)
(いや、何でもない)
生前の歴史で辿った、厩戸皇子の一族が辿った悲劇を思い出し、俺は首を振る。
この世界の歴史の流れは、概ね俺の生前の歴史に沿っていた。だが、幾らかの違いはある。
その違いの中に、皇子の一族の運命も含まれる可能性も、ゼロではないはずだ。
そこまで考えた時、俺の心の中に、寒さや飢えに似た衝動が巻き起こった。
(……足りない)
(うん?)
(ハルカ分が足りない)
(何を言っているんだ、師匠?)
スサノオが宿った海鳥が首をかしげるが、俺はそれどころではなかった。
(ハルカ分が足りないんだよ! ああ、クソ! この時代がハルカに合わないと思ったから、連れてこなかったが、ハルカが傍に居ない事が辛い!)
(……ああ、まあハルカ様には、辛い時期が多そうだな)
蘇我氏と物部氏の戦と、天皇暗殺なんてことが起きるこの時代には、穏やかな気質のハルカと共に来るのは気が引けた。
だからこうして一人でアバターに宿っているのだが、考えてみるとこれほどハルカの意思が傍に居ない期間は初めてだ。
俺の本体である魔力の流れでは共にあり続けているものの、俺だけアバターに意思を宿している事に違和感すら抱いてしまう。
(どんな時でも、どんな時代でも、今まではハルカと一緒だったから、余計につらい!)
(そういえば、今のその写し身には妻が居ないよな)
(ハルカ以外に俺のパートナーは居ない)
そもそも、このアバターは秦氏の河勝の名を名乗ってはいるものの、当然その血は引いていない。
一時名を継いでいるだけで、何れ次代に名を返すだけだ。
このアバターで血を残す必要がない以上、妻は必要ない。
既に元々の当主の血を引く次代の河勝となる者も居るため、その点は問題ない筈だ。
(なら、ハルカ様に仮の写し身でも作って貰って、一時でも傍にいてもらったら良いんじゃないか? 今は平穏なんだし!)
(……ハルカの身体は、毎回俺がその時代に合わせて作っている特別製だ。仮の身体に宿るのは、なんかこう、違うんだ)
(師匠も割と重篤だな……)
スサノオの呆れた意思が飛んで来るが、そこはもう自覚しているし改める気もない。
(ハルカ様も俺のこの身体みたいな、鳥の写し身を使っていなかったか?)
(……鳥の身体だとハルカ分は足りないんだ)
(面倒だなこの師匠は!?)
流石に付き合いきれないとばかりに、翼を羽搏かせるスサノオが宿った海鳥。
だが、実際に足りないのだから仕方がない。
尚、こうやってスサノオと意思を交わしてはいるが、表面上は普通に建設の指揮を指揮している。
何しろ俺の横には、厩戸皇子から授けられた、この建設中の寺院に祀られる予定の仏像が光っているのだ。
(それにしても、相変わらず光っているよな、コレ)
(後光がさしているから、法力とか宿っているんだろうな。どういう理屈なのかはわからないが)
(……そう言えば、兄上が何か言っていたな。高天原みたいなものが出来つつあるとか何とか)
(うん? なんて?)
仏像について語っていると、スサノオが妙な事を言い出した。
ちなみに高天原とは、地下の魔力の流れとは別に、魔力濃度の濃い高地にできた魔力溜まりを指している。
地上に近く人々の意思が宿った魔力も辿り着きやすいのか、信仰を受けた精霊──八百万の神々がそこに集まるようになっていたのだ。
その様はまるで人々が語る高天原の様だったので、自然と俺達もそのように呼ぶようになっていた。
その高天原に似たものが、出来つつある?
(もしかして、仏教への信仰がそこに集まっているって事か?)
(仏、だっけか? その像のもとになった異国の神が形になってきているみたいだ)
(……その手の領域が出来るのが、早すぎないか? 高天原と八百万の神々が形になったのは、かなり長い時間が必要だったぞ?)
(兄上は、異国の民の信仰も受けて居るんじゃないかと言っていたぜ?)
(何?)
スサノオが、更に気になる事を告げて来た。
(兄上が言うには、何万年も魔力を振りまいていたなら、濃さはともかく遍く全ての地にごく薄く魔力は散らされて居るんじゃないかと)
(その薄い魔力を伝わって人々の信仰が伝わって、魔力の濃いこの地で形になってしまったという事か?)
(いや、俺も兄上の受け売りだから詳しくは判らないけれど、そういう物なのか?)
(わからん。が、在り得なくはない、か)
実際、仏像が動き出すのは速かった。
それが異国の信仰をも何らかの形で受けていた結果と言うのなら、確かに納得できる部分はある。
(そういえば、仙人になって自然に溶けたあの道士も、この国にたどり着いた直後に術を使えていたな)
あの道士──徐福も同様だ。
仙人に至る修行とそれに関わる術を到着直後から使えていたのは、大陸でその術理を人々が長く信じていて、その影響が及んでいたと考えるのが自然だ。
(いや、待てよ。ソレを言うなら……)
そう、信仰やその考え方。それはこの世界の人々だけのものではない。
既に、そういった知識が存在することに、魔力はずっと触れ続けて来た。
何万年もの昔から、だ。
(俺の生前の記憶、そこも関わっているのか、もしかして)
うろ覚えだった俺の生前の記憶でも、八百万の神々や、万物に宿る精霊、仏教の神々の知識が多少なりともあった。
そこには創作物などの荒唐無稽な力を発揮しるものも含まれている。
何より、俺自身が閻魔大王に裁かれ、この世界の担当仏に命を下されているという、まさしく信仰では無く実体験として仏の存在を理解している。
その影響が、魔力による仏教やその他の超常の力の発揮に繋がっている可能性が大いにあった。
そこでふと悪戯心が湧いた。
建立の現場から一時離れ、周囲を見渡して誰も居ないことを確認する。
(お、おい師匠。何をする気だ?)
(いやちょっとな。やれそうな気がする)
すっと腰を落とし、腰だめに両手を構える。
経絡を意識し、体内に流れる力を、生命力と混ざりこんだ魔力を、腰だめに構えた両手に集め、練り上げていく。
(師匠、何だソレ!? 何か光っているぞ!?)
スサノオが騒ぎ始めたが、今は無視だ。
腰をひねり、両手で何かを包み込むように構える。
すると手の中に熱が集まってきた。
「発!」
そのまま、気合と共に両掌を前に突き出すと、集められた生命力と魔力の混合塊──あえてこれを気とよぼうか──が、前方へと飛んでいった。
発光を伴ったそれは、ちょっとした土の盛り上がりにぶつかり、
パアン!!
衝撃と共に弾けて消える。
あとには、大きく抉れた土の盛り上がりと、突然の破裂音を聞いたのか、遠くで騒ぐ人足達の声。
……出来ちゃったよ、所謂格ゲー飛び道具が。
(し、師匠……今のは何だよ? 何かの術か何かか?)
(……似たような物かな)
俺は妙にはしゃぎだしたスサノオの意識をあしらいながら、天を仰いだ。
(ヤベーぞ、これ。どうすんだよ、仏様)
自分の認識で魔力が大いに毒されているのを察した俺は、この世界の担当仏へ問い合わせの念を送るも、返答はない。
仏は相変わらずただ見守るだけのようだ。
(俺も今度身体作ったらやってみるぜ!)
そんなスサノオの意思を聞き流しながら、俺は駆け寄って来た人足達をどう言いくるめようかと今更ながらに悩むのだった。




