その年、太陽は力を失い、夏に雪が降った
人類最悪の年、そう呼ばれる年代がある。
コレには最悪の方向性によって幾つか候補があって、それは以下の通りだ。
疫病──黒死病がまさしく死を振りまいた1347から1349年の期間。
同じく疫病──こちらはスペイン風邪だ──が猛威を振るった1918年。
世界中が戦禍──第二次世界大戦──に包まれた1941から1945年も該当するだろう。
そしてもう一つの有力候補が、6世紀に存在する。
その年は、536から540年の期間。
世界が暗黒に包まれ、飢餓と栄養失調からくる疫病が蔓延したという、恐るべき年だ。
まず太陽が陰った。
6世紀の歴史家プロコピオスは「太陽は光を失い、青白く輝き、影がほとんどできなかった」と記したらしい。
それも数日の話ではなく、数か月から1年以上もの間、同じ状況が続いたとされている。
実際この天候不順にはいくつもの証拠が見つかっていて、この時期の氷河に残る大量の地理の痕跡や、木々の年輪に刻まれた数年にわたる成長不全がそれだ。
もちろん、そんな状況で作物が育つわけがない。
また、暗く乾燥した時期と、猛烈な風雨の時期とが交互に来て、大きな被害を出したと言われている。
これは、西洋だけではなく、中国や日本でも同様の記録が残っている事から、世界規模の異変だった。
中国では、「夏に雪が降り、黄色い塵が降った」という記述が残されているし、日本の場合は天候不順の記述がある。
もちろん、そんな天候不順からくる作物の凶作の記録も併せて残されて、深刻な社会不安が巻き起こったらしい。
結果、各地で大きな混乱が発生した。
寒冷と作物不作は、ビザンツ帝国──所謂東ローマだ──とササン朝ペルシアの社会経済的基盤を弱めたとされている。
特にビザンツは飢饉に続いて541年ころに発生したユスティニアヌスのペストと呼ばれる疫病で人口・軍事力を大きく損ない、戦争遂行能力や税収が低下したとされた。
ササン朝も戦時・税収・食糧供給の圧迫を受け、国境防衛や地方統治の負担が増したことが史料・研究で指摘されているようだ。
他にも、当時バイキングたちが行っていたグリーンランドへの入植がこの寒冷化で失敗となったり、亡びるまで行かなくても、「パンがない年が続いた」という程の食糧危機で国家の弱体化を招いたと推測されている。
コレは中国も同じで、元々南北朝期は既に分裂と動乱の時代で、地方勢力の興亡や都の遷移が続いていた所にこの気象異常が重なった為、脆弱な政治構造に追い打ちをかけ、地方反乱や人口移動が発生したと考えられている。
それが後の大国──隋や唐の成立に繋がっていくわけだ。
そして、この問題の天候不順の原因。それは、火山の大規模な噴火だったと考えられている。
それも、単一の火山では無く複数だ。
536当初の噴火で有力なのは、欧州高緯度の火山の噴火だ。
恐らくアイスランドなどの地で起きたとされているその噴火で、まず初期の「太陽が陰る」現象が引き起こされたと考えられる。
さらに、オセアニアでも大規模な噴火の記録があった。
オセアニアのラバウル──ニューブリテン島周辺の噴火や、クワエ──バヌアツ付近の噴火は、アイスランドと同じく535年頃だ。
その後に起きた南米の噴火も規模が大きい。
540年ころに起きた南米の火山噴火は特に影響が大きく、北半球平均でおおむね0.5〜2℃、局所的には2〜3.5℃程度の低下が数年〜数十年続いたと、俺の生前では考えられていた。
つまり、この時期地球の広範囲で火山活動が活発化していたと言えるのだ。
そして、その兆候が、俺が今生きるこの世界でも、起き始めていた。
(アキト様、地下の力の圧が増しております!)
(南の島や、遥か東方の大陸付近も同様にございます!)
海底のダンジョンコアネットワークを任せているイザナギ、イザナミから急報が入った。
まだ噴火自体は起きていないものの、その兆候が見られ始めたのだ。
地下のマグマ溜まりへ溶岩が急激に登っているのだろう。
このマグマの圧が、大噴火を引き起こす。
だがコアのネットワークの範囲なら、それらの溶岩を幾らか魔力へと変換することで、破滅的な噴火の規模を抑えられるかもしれない。
(地下のエネルギーを使って、魔力の精製を急げ! この際、精製した魔力は全部海水に放出していい!)
(承知した!)
(ご随意に!)
俺の命で、イザナミたちは環太平洋造山帯にある全てのコアをフル稼働させ始める。
俺にとっても、コレは一つの試金石だ。
俺に与えられた役目である、破局噴火の防止。
此処までダンジョンコアを各地に配置し、また海底にまでその手を広げ準備してきた成果が、此処で発揮できるかもしれない。
(とはいえ……アイスランドの方は、無理だな)
オセアニアの火山や長期寒冷化の原因になったとされる南米の噴火は規模を抑えられたとしても、発端に当たる536年のアイスランドにおける噴火にはタッチできない。
そもそも、オセアニアや南米の噴火にしても、規模を抑えられるだけで噴火自体は起きるだろう。
規模を抑えたとはいえ、世界中で複数の火山が同時に爆発したなら、その分太陽光を遮る火山灰の量は多くなる。
(どこまでやれるか、だな……それに、日本国内だ)
地上のコア及び、日本国内の観察を任せているアマテラス達。
深刻な天候不順が続けば、各地の巫女は日照を神に祈る筈だ。
その中には、かつての姫巫女──アマテラス達のように、魔力に触れて天候にも影響を及ぼせる者が出ないとも限らない。
だが、それは後の話だ。
(……起きた後のことは、まず横に置くか。ハルカ、俺達も魔力精製に力を注ぐぞ)
(アナタの望む通りにするわ!)
俺とハルカもイザナギ達に加わり、地下の膨大なエネルギーを魔力に変換し、同時にその魔力でマグマそのものに干渉していく。
(……こっちは、どうにかなりそうだな)
そのかいあって、オセアニアでの複数の火山は、爆発こそしたものの火山灰の拡散はそれほどでも無く、良くある程度に収める事が出来た。
だが、やはり起きるべき事象は起きるらしい。
(アキト様、コレは……!)
(空が、雲に……いや、違う何かに覆われる!?)
その日、北半球全域で、太陽が力を失った。
推定通り、アイスランド付近の火山が大爆発を起こしたのだろう。
真昼でも太陽が蒼白くなって、日光で影が出来ないような暗がりが辺りを包み込んだのだ。
コレはダンジョンの機能で確認できる範囲──環太平洋エリアの北半分が該当した。
気流の関係と、オセアニアでの噴火の規模が押さえられたせいで、南半球はそこまで影響は無いものの、これはほぼ世界中に影響が出ていると言っていい。
(アマテラス、国内の様子は?)
(民は混乱しています。ただ、アキト様、此方を)
(うん?何が……これは!?)
アマテラスが示したのは、多くの巫女や祈られる神々の力によって、上空の塵が薄らぎ、幾らか日光を取り戻している様子だった。
アマテラス自身が姫巫女であった頃に見せた天候操作の奇跡。
その力を、複数の巫女と神に至った精霊の力で再現しているのだ。
(これは、凄いな……!)
(後継に託していた巫女の育成が、見事為された様で何よりと言った所)
ツクヨミの言葉に、彼の生前次代に託していた事柄の一つを思い出す。
各地の霊域──古くからのダンジョンや、そこから溢れる魔力に満ちた地と、そこで育成される禰宜や巫女達。
突出した力を持たなくても、儀礼に則ることで神やより深い魔力へと接続する技法は、代を重ねる度に磨かれていったのだろう。
それが、高高度まで達する塵にも影響を及ぼす天候操作となって結実していた。
(ただ、それでも完全には無理か)
(常時この様な天候では致し方ないかと。巫女の祈りも長時間は持ちませぬ)
無理もない。各地の霊域の魔力と、儀式に参加するモノ全ての祈りがあってこそ、ようやく高高度の塵にまで影響が届くのだ。
数日の天候不順ならともかく、1年を超える期間で上空を覆う塵には、追い付かないだろう。
(ただ、それでも他国よりはましでしょう。この国では何とか不作程度に抑えられましょうが、他国では種籾まで凍りかねませぬ)
俺の生前の記録では、夏に雪が降ったくらいの寒さになると考えると、それはこれから起きる事実だ。
(……民は神の力で幾らか救われるものの、根本的な解決をもたらさなかったから、信仰が揺らぐかな)
(あり得るかと。そこへアキト様が述べられた新たな教えが来る)
(ああ、半島とのやり取りも活発化している。この「蒼褪めた太陽」の数年後に、来るだろう)
新たな教え、新たな神。
それが、この世界の日本にもやってくる。
信仰が揺らいで、乱れる民と国に、末法の思想も含めた教えが。
(……また、ヒトの体でその様子を見届けるか)
新しい時代を前にして、俺はそんな事を考えていた。




