とある学校の日本史授業風景 6コマ目 古墳時代①
随分と傾いた日差しが教室へと射し込む。
日本史は、今日最後の枠である6限目。
教師の三上は黒板の前に立ち、疲労を感じつつある生徒を見渡した。
「今日からは、古墳時代に入る。各地の豪族の隆盛と、大王と呼ばれる指導者の存在、そしてヤマト政権の成立が主題となる」
教師は、言葉と共に黒板へとチョークを走らせる。
「古墳時代とは、およそ3世紀の後半から6世紀末から7世紀初頭頃までの期間を指す。各地に建設された巨大な古墳が語源だ」
黒板に示されたのは、大まかな日本地図と、各地に残る有名な古墳群だ。
「まず、古墳の出現と特徴だ。古墳とは、主に首長級の埋葬のための大規模な墳丘墓の総称だ。これらが日本各地に造られたという事は、各地にそれだけの力がある豪族が存在した証だ」
「作るのが大変そうな、でっかいお墓っすもんね」
「ああ。同時に、巨大なだけではなく、形状も独特だ」
真上から見下ろすと、鍵穴の様な形状となる独特な姿を、教師は黒板に書き込んだ。
「形状は多様だが、日本で特に特徴的なのがこの前方後円墳。円形の後円部と、台形状の前方部を組み合わせた形式で、3世紀後半から出現する」
「弥生時代の授業の時に、触れられていました」
「その通りだ。規模と構造は権力の象徴であり、墳丘の周囲には葺石と呼ばれる石を敷き詰めて斜面を保護し、上には埴輪を並べられた。埴輪には円筒形のものと、人物・動物・家形などの形象埴輪がある。これらは葬送儀礼や権威の表象だったとされている」
「埴輪って、かわいい姿のもいますよね」
前列の女子が、資料に記された馬の埴輪の姿を、ノートの端にイラストとして描き加えながら言う
「確かに、愛嬌があるものもあるな。しかし、それだけではない。弥生時代でも触れたが、これらは魔石を組み込まれ、ヒトのように動くものもあった。各地の豪族にとって、これほど力を示し得る物はそう無かったはずだ」
教師は黒板に「葺石」「埴輪」と書き込み、線で「儀礼」「権威」と結ぶ。
「副葬品も重要だ。三角縁神獣鏡、武具、馬具など。鏡は大陸由来の可能性が議論されるが、ここで重要なのは、『権威の象徴』であるという点だ」
「三角縁ってなんの三角なんですか?」
疑問に思ったらしい生真面目そうな男子が、手を挙げ質問する。
教師は質問に答えつつ、資料集に載せられた写真を示した
「鏡の縁部に三角形の文様が連続する形態を指す。神獣鏡とは神話的動物の意匠が施された鏡だ。弥生時代でも開設したが、術の補助具としても有名だな、古墳時代の代表的副葬品と言っていいだろう」
「副葬品の武具・馬具って、戦争強くなったってことですか?」
沿い打った内容が気になるのだろう。体育系の男子が前のめりになり質問した。
「そう単純な話ではないだろう。馬具の増加は騎馬の普及と連動するが、同時に儀礼上の象徴性も持つ。武具は軍事的機能と権威の可視化という二つの側面があると考えるべきだろう」
副葬品として見つかった武具の写真を示しながら、教師は続ける。
「この写真の剣は、明らかにダンジョン産だ。こういった強力な武具が入手出来るダンジョンがあると言う事は、武力に秀でていた豪族である証であるともいえるが、豪族間のやり取りがあった場合もある」
「豪族間のやり取り、ですか?」
「そう、豪族の連合化に関わってくる。順に説明しよう」
教師はそう言って時代の線を引き、「3世紀後半~」と書き記した。
「前方後円墳の成立は、政治権力の広域化と連動する。出現期の代表例として挙げられる箸墓古墳は、その規模と構造から早期の権力集中を示す。箸墓古墳の被葬者については伝承もあるな」
「卑弥呼の墓って言われてると聞きました」
「本人か、そのモチーフになった人物か。そういう説もある、とだけ言っておこう。ここではあくまで、出現期古墳の意義──すなわち、首長権の儀礼化・視覚化の象徴として扱う」
うなずきノートを取る生徒を見回しつつ、教師は更に解説を続ける。
「この時期、豪族の連合化が進んだ。しかし国家と呼ぶにはまだ届かず、制度的成熟が十分ではない為、『豪族連合体』という表現が適切だろう」
そして一つのキーワードを書き込んだ。
「その中から、『大王』と呼ばれる、それら豪族の連合体の長が誕生する。後にその系統がヤマト政権の長、更には天皇へと繋がっていく存在だ」
「その大王って、どれくらい偉かったんですか?」
女子生徒が、ペンを止めて顔を上げるた。
「広域的支配──すなわち、直接統治と間接支配を組み合わせ、盟約や婚姻関係、儀礼、軍事によって影響圏を維持したとされているな。古墳の分布と規模差は、影響圏の可視化と捉えられる」
教師は資料集の該当ページを開くように言う。
生徒がそのページを開くと、古代の勢力概略図が記されていた。
「これに対抗するか、または追従するように、地方豪族も古墳を造営していた。これは『豪族支配の広がり』の痕跡であり、地域の権威がヤマト中枢と連関したことを示すと言っていいだろう」
そして、古墳には大まかに時期区分がある、と教師は続けた。
「出現期・前期・中期・後期・終末期。細分化には諸説あるが、ここでは以下の流れを覚えていくように」
教師は黒板右半分に箇条書きを作る。
出現期:3世紀後半、前方後円墳の成立、箸墓古墳など
前期:4世紀、巨大前方後円墳の造営拡大、鉄器利用拡大
中期:5世紀、墳丘の最大化、馬具の増加、渡来系技術の深化
後期:6世紀、横穴式石室の普及、群集墳の増加、装飾古墳
終末期:6世紀末~7世紀初頭、古墳の縮小傾向、飛鳥時代へ移行
「これらは、純粋に墳墓面を記載している。しかし、此処に各地のダンジョンの諸事情が絡む場合もあった」
資料に提示されたのは、ダンジョンの入口が古墳に取り込まれている様子だ。
「濃厚な魔力に満ちたダンジョン、それも最奥の魔核の間──所謂、コアルームは時に死後の世界にも通じると考えられていたようだ。そこで、ダンジョンの入口に古墳を造成し、コアルームを棺を置く玄室とする場合があった。コレは魔穴型古墳や古墳型ダンジョンと言われる」
古墳とダンジョン、どちらを主眼に置くかで変わる呼び名と続け、教師は更に古墳の説明に戻る。
「『横穴式石室』は側面から石室に出入りする構造で、追葬が容易になる。これは葬送の社会的形式の変化—家族・系譜の扱い、共同体の記憶—と連動する。後期以降の群集墳は、地方社会の変容を映す」
教師は淡々と説明を続ける。
「装飾古墳は、石室内に壁画や線刻で意匠を施す。これも地域性と権威の度合いによって差が生まれていた。副葬品も同様だ」
教師が示す資料には、漢字が刻まれた石が載せられていた。
「この金石文って、漢字が書かれているんですね」
「そのとおりだ。この頃、明確に日本に漢字が取り入れられたと考えられる。漢字の受容は、行政的記録の開始を示しているわけだ。他にも、稲荷山古墳鉄剣銘、江田船山古墳鉄刀銘に刻まれた文字は、被葬者の系譜や肩書きを示す。これによって、『大王』と地方豪族の関係や、官職的な秩序の存在が伺えると言えるだろう」
ここで、重要なキーワードとして、教師は「渡来人」と書き記した。
「そして、その漢字をもたらしたのが、渡来人だ。鉄器、製鉄技術、土木・養蚕などの技術、そして漢字。仏教の正式な伝来はもう少し後だが、宗教・思想以前に技術と記録のインフラが移入される。『仏教伝来前の文化交流』としてコレは重要だ」
「これ以前に漢字は入ってきていなかったんですか? 卑弥呼の時とか」
「そこは、断言できない。明確な記録が残っていないからだ。使者などを送った以上、存在は認識していた筈ではある」
生徒の疑問に答えながら、教師は要点を追記する。
「農耕儀礼──収穫や豊穣を祈る祭祀、占い──政治判断や戦の可否に関わる意思決定の補助、裁判──共同体内の紛争処理。これらは古墳の造営・葬送とも結びつき、権威の正当化に機能した。豪族が儀礼を主催し、共同体を統合する。古墳時代の社会は、儀礼・法・権力が重ね合わさった構造であったと考えられている」
そして、締めくくる様に教師は一つの存在を書き記した。
「そんな社会の中から形成されたのが、今なお続く日本の王統、ヤマト政権だ」
冠位的に記された日本地図。そのほぼ中央、奈良盆地の付近に記された、「ヤマト政権」の文字。
前列の真面目な女子が、手元のノートを開いたまま言う。
「先生、ヤマト政権の形成って、一言で言うと何がポイントですか?」
「ポイントとしては、三つだろう」
教師は質問に答え、黒板の中央に三本線を引く。
1. 中心に『大王』を戴く連合型政治構造(豪族連合体)
2. 古墳・儀礼・婚姻などによる権威の可視化と統合
3. 渡来技術・漢字受容による行政・軍事・生産の強化
「この三点が相互に作用し、広域的支配が成立する。『国家』の語を用いるかは議論があるが、少なくとも政治の階層化と権威の制度化が進行したといえる」
ここで教師は時計を見た。残り時間は少ない。
「今日の内容はここまでだ。主に国内の、ヤマト政権の成立までだが、古墳時代はまだ続く。次回は成立後や、大陸側の資料の内容に触れていく」
丁度ここでチャイムが鳴った。
教師は最後に黒板を見渡し、白い文字の群れを一瞥してから消し始める。チョークの粉が淡く舞い、黒板が黒に戻っていく。
古墳時代の輪郭だけが、各自のノートと頭の中に残っていた。




