記紀に曰く、その剣は布都御魂といった
【イワレヒコ】
我が名はイワレヒコ。
長たる者として産まれ、民をより良く治める者として、父祖の御霊より定められし者だ。
我自身もその様に在ろうと努めて来た。
だが、今の我はそれが揺らいでいる。
兄が、討たれた。
共に苦楽を共にし、先の戦までは共に泰平の世を作るのだと信じて疑わなかった、我が長兄が。
受けた矢傷が深く、癒えなかったのだ。
他の兄も、ここに至るまでに失うか離れてしまった。
兵は居る。だが、兄弟はもはや我一人。
その上、我自身も此処で地に伏せようとしている。
ああ、我らは果たしてこの道を進むべきだったのか……。
始まりは、故郷の巫女が告げた神託であった。
「我が子らよ。この地は我らが切り開きし地成れど、汝らが治めるべきに能わず。治めるにふさわしき地へと行け」
概ね、その様な言葉だ。
故郷のクニにて、祀っていた父祖の御霊の意思は、我らに故郷を離れよと告げていた。
確かに、我が故郷は美しくはあったが、多くの民を抱えるには向かぬ地と言える。
山険しく森深く、クニを富ますべき田畑にも向かぬのだ。
その為、父祖の御霊の言葉に、我ら兄弟は従う事とした。
指し示されたのは、日が登りし方角。
奇しくも、大いなる巫女王が失われたとの報が、我がクニにも届いていた。
我らの父祖の御霊の言葉は、その後を継げとの意でもあるように思われたのだ。
旅立ちに際し、我らは父祖より代々伝わる宝物の数々を持ち出した。
宝剣、宝珠、宝鏡……古より故郷に口開いた霊穴は、そのようなモノを生み出して来た。
何れも、ただならぬ力を持ったモノばかり。
その内の一つが、天鳥船。鳥が空を飛ぶが如く、水面の上を浮かぶ神秘の船である。
これに乗り、我らは旅立った。
多くの国では、歓待を受け、旅路を祝福された。
ウサ、チクシ、キビの国々だ。
これ等では、向かう先での備えとして、兵までも加わった。
聞けば神託らしきものがあったという。
巫女の次に広く国々を治める者が現れるのだと。
神々の後押しを感じ、我らの意気は高まった。
時には、奇妙な者とも遭遇した。
速吸門にて巨大な亀の甲に乗る漁人と巡り合ったのだ。
亀を飼いならしたその者は、流れの早い海に在って、進み易き進路を示した。
我らが天鳥船は浮かぶ神船であり流れなどものともしないが、兵達が乗る船は水面に浮かぶ。
これにより我らは大きく助けられた。
しかしこの旅路は穏やかなモノだけでは無かった。
「我が名はナガスネヒコ! この先に進もうというのは、お前達か!!」
大音声と共に、我らの前に立ちふさがった者。
ナガスネヒコを名乗る荒ぶるその者は、我らが秘宝天鳥船を見ても怯まず襲い掛かって来たのだ。
辛うじてしのいだものの、我等兄弟はその後も幾度となくかの者とぶつかることとなった。
そして、先だっての戦だ。
ナニワより川を遡った地にて、我らはナガスネヒコとぶつかり合った。
地に足付けての戦で、我らは地の利ある敵に苦戦を強いられたのだ。
その際、我が兄にして長兄のヒコイツセが、ナガスネヒコの矢にて深手を負う。
同時に兵の損害も大きく、我らは撤退を余儀なくされた。
「日輪に向かっての進軍は、誤りだったのやも知れぬ」
深手に息も絶え絶えな長兄が、その様に言葉を零した。
「我らが父祖は日輪にも通じる。ならば、日輪を背に戦うのが道理であったのだ」
「ではどうすれば?」
「南よりの進軍。これしかあるまい」
我らの軍は、進路を変えた。
ナニワの地より、船で南へと。
辿り着いたのは、クマノと呼ばれる地であった。
だが、長兄のヒコイツセの命は、ここまでに弱まり切っていた。
恐らく、ナガスネヒコの弓矢には何らかの呪詛が込められていたのであろう。
「……イワレヒコ。後を、託す」
我に全てを託し、長兄は力尽きた。
このクマノの地に至るまでに、他の兄弟も失われていた。
ある時は、荒れ狂う波と風に、浮揚する天鳥船を以てしても行方を遮られた。
余りに荒れる海に激高した兄の一人は、海を荒れさせる元を断たんとして宝剣と共に海へと飛び込み、戻らなかった。
もう一人の兄は意気を失い、故郷へと引き返した。
残る兄弟は、我のみだ。
果たして、我らは本当に巫女の予言に従うべきだったのか。
今更ながらに、心が揺らぐ。
兄弟とともに、故郷の地を治めていたのなら、兄たちも無事では無かったのか。
その様な迷いに囚われていた為だろうか。
我に更なる災厄が降りかかった。
これより山中へ足を踏み入れようとした矢先、山中より荒ぶる神が現れたのだ。
怨念の如き負の念を振りまくその荒ぶる神に、我の兵は恐れおののき、次々を意識を失う。
最後まで耐えた我もまた、その意に屈し、地に伏せる。
「これまで、か……」
ゆっくりと近づいてくる荒ぶる神──負の念を振りまく異形の者。
その不可思議な存在を前に、我が命運は尽きようとしていた。
【アキト】
俺が意志を宿した大樹の、認識範囲は想定以上に広い。
聳えている場所は、確か生前で言う紀伊半島の南側、所謂熊野古道と呼ばれる付近だ。
そこからおよそ紀伊半島の南側全てを認識できている。
恐らく、ダンジョンにまで根を張って魔力を吸い上げている影響なのだろう。
だから、問題の勇士──イワレヒコに降りかかっている災厄も認識できた。
だが、俺でさえその存在には絶句する。
(アレは一体、何なの……?)
(何なのですか、あの異様な者は!?)
鳥類の写し身でそいつを見るアマテラスやツクヨミも、あまりの姿に混乱している。
無理もない。
俺の生前で言うなら、宇宙的恐怖とかそう言った類に近い姿だ。
全身をウネウネと動く触手の様なツタの様なモノに覆われ、よろよろと歩くその元は、恐らく四つ足のケモノ。
多分、熊だとは思う。
だが熊と察せられる部分はほとんどない。
(寄生植物、と言うべきか?)
俺は縄文時代の頃、ハルカと旅をしていた時に見かけた、動く植物たちを思いだした。
あの頃見かけたのは、獲物に絡みつき養分とする蔦植物だ。
おそらく、その系統が変異したのだろう。
(いや、それだけでは無いな。菌糸も混じっている……? 振りまいているのは、胞子か?)
今の俺は植物の身体であるためか、その存在が何者かを理解できた。
菌類と蔦植物の複合体。あの胞子自体は毒では無いものの、魔力を取り込もうとする働きがあるようだ。
その為、一時的に周囲の魔力濃度が薄くなる。
この日本で生きる者は魔力に大きく依存しているため、そんな環境に置かれたら一時的に衰弱してしまうのだろう。
更に、麻痺に近い効果もあって、その胞子漂う範囲内では生き物はろくに動けなくなる。
今のイワレヒコや兵達のように。
その上であの寄生植物は、身動きできない者達を新たな宿主にしていくのだろう。
恐るべき生態だった。
そして、恐らくその発生は古くない。
ごく最近発生したはずだ。
何しろ、この地は姫巫女が治めたクニからさほど遠くない。
今はスサノオとなった戦の王子も、この辺りに脚を伸ばしたことがあった筈だ。
あのようなモノが居たならば、流石に話題にするだろう。
(いや、何時発生したかは横に置こう。今は、あの異形をどうするかだ)
恐らく、恐ろしいのはあの胞子だけだ。
宿主になっている動物はほぼ養分にされて抜け殻同然。
絡みついてくる蔦植物も、武器で切り払える程度だろう。
だが、どうしたものか。
そんな事を考えていると、
(師匠、それならいい考えがあるぜ)
意外なことに、そんな意思がスサノオから飛んできた。
(いい考え?)
(ああ、師匠が今身体にしている高木の神の民の所に、良いものがある)
【イワレヒコ】
蠢く蔦の如き異形の魔手が、我らの身を覆おうとしている。
我らの身体には力入らず、その様を眺める事しか出来ぬ。
異形の蠢く蔦の下には、半ば朽ちた獣の毛皮が見えた。
この異形の苗床にされた哀れなものだ。
我もまた、この獣と同じく生ける屍が如きモノにされるのだろうか。
数多の苦難の末がこの様な結末かと思うと、無念に歯噛みしたくなるが、力入らぬ身ではそれも叶わない。
もはやこれまでか。
諦観に身をゆだねようとしたその時だ。
ザン!
彼方より飛来した一条の輝きが、我に伸びようとした魔手を切り裂き、目の前の地に突き立った。
更には、閃光が如き神威が、突き立った元から辺り一帯へと広がっていく。
「な……なに、が……!?」
呆然と言葉を零し、我は愕然とする。
言葉を、発せられる。
それどころか、欠片も込められなかった力が、再び湧いてきていた。
我は、改めて目の前に突き立ったモノを見た。
……剣だ。
眩き神威を放つ剣。神剣と言うより外ならない。
その時、我の脳裏に何者かの声が響いた。
(それなるは我が剣。振るいて邪気を払うべし)
それが如何なる存在か、如何なる神の声かはわからぬ。
だが、これは救いだ。
「古き御霊の御心に感謝を!!」
我はその神剣を引き抜いた。
ああ、何たる剣か!
溢れる神威に、身体の奥から力が溢れるかのようだ。
我は、導かれるように剣を一閃する。
それだけで、周囲に漂っていた邪気が吹き散らかされ、兵達がゆっくりと力を取り戻してゆく。
その様に、怯えたかのように異形が魔手を引き込み、踵を返そうとする。
だが、逃さぬ。
「妖しき者を、此処に払わん!!」
我は剣閃きを走らせる。
振るう軌跡が神威で光の線の如く、異形を縦横に引き裂いた。
切り刻まれた蔦は、邪気を払われ力を失い、最早動くことはない。
その様子を、力を取り戻した兵達が目の当たりにし、喜色をあげ威勢を上げていく。
「これで、最後だ!!」
最後の一閃にて、我は異形をその苗床諸共、真っ二つに切り裂いた。
最早動くことは無いだろう。
だが念を入れ、骸は焼き清めると決める。
そして、改めて我は手にした神剣を見た。
霊妙なる意を示す神剣。
我がかつて振るっていた宝剣は、ナガスネヒコとの戦にて折られ今は無い。
だが、この神剣であれば、かの者が振るう魔剣にも引けは取らぬだろう。
これこそが、神意か。
今は亡き長兄の言葉の通り、日輪を背負い進軍した矢先に、この様な神剣を得られた。
「……我らの道は、誤ってなどいなかった」
我は、改めて決意を定め、深き山々へと足を向けた。
日輪を背負って。




