その三本足の烏は、後に八咫烏と呼ばれるようになる
烏が空を飛んでいた。
木々に覆われた深い山の上空を、ゆっくりと。
その下には、多くの人々の姿があった。
深山の細道を、カラスに導かれるように、しっかりと。
多くの人々──いや、軍勢と言っていいだろう。その先頭に立つのは、雄々しい勇士だ。
「三本足か。不思議な烏だ」
顔を上げた勇士が、眩しいものでも見るかのように、烏を見上げる。
その言葉の通りに、その烏には三本目の足があった。
「太陽の巫女神と、巨木の神のご加護か……何と有難い事か」
多くの霊気を取り込んだ鳥獣は、異形を成すという。
そして異形に至った鳥獣は、時として神の眷属となるという。
あの烏は、まさしくそのようなモノであろう。
「夢に太陽の巫女神と巨木の神が立たれた後に、アレが現れた。まさしく吉兆であろう」
行き先に迷っていた彼を導く様に、あの烏は現れた。
その導きに従い歩けば、深い森を抜ける確かな道があったのだ。
勇士は迷いなくその未知へ踏み入れ、その雄姿を先頭に、軍勢は山地を突き進む。
運命の地へと。
もっとも、その吉兆と呼ばれた烏はと言えば、
(全く、イヨったら世話が焼けるのだから。預言で見たって言う、素敵な旦那様も窮地ばかりじゃない)
在る意思に操られているのだが。
そして、俺はと言うと。
(……どうしてこうなった)
彼ら全てを見下ろすような、とある巨木に意思を宿していたのである。
豊かに茂る枝葉を揺らし、天を突いて雲まで届く大樹に。
本当に、どうしてこうなったのか?
俺は、それを思い出していた。
(そろそろ、知識の共有が終わる頃か)
ダンジョンコアネットワークの、その本質。魔力の流れの中に、俺達は居る。
最近では、肉体の感覚を失わないように、ちょっとした部屋のイメージを作り、その中で肉体のイメージを置いていた。
一種の、バーチャル空間とでも言うべきだろうか?
部屋の中は、模様替えもイメージ一つだ。
今はこれからやって来る者達のために、あのクニの長の屋敷、その内装を模していた。
俺は生前に近い姿で、ハルカは俺に合わせたのか原始時代の雰囲気を保ちながら現代風美女に置き換わっている。
ううん、相変わらず俺の嫁は最高過ぎないだろうか?
(……やはりハルカは最高だ)
(うふふ、ありがと。アナタ)
俺は思わず賞賛の意思まで伝えていた。
いや、姫巫女の国では、お互い長く偽装をしていたので、どうしても地味な見た目になりがちだったのだ。
もっとも、それでハルカの魅力は減衰しないのだが、気分の問題と言うやつは存在する。
ハルカも、ある意味本来の姿を取り戻せて嬉しいのか、何とも楽しそうだ。
そんな風にのろけていると、部屋の中に新たな姿が三つ現れた。
姫巫女と、二人の王子の三姉弟だ。
その姿は、彼女彼らが初めて魔力に触れた時の若々しい物。
彼らは周囲を見渡して、見覚えがある光景に一瞬戸惑うものの、直ぐにこの場所が何なのか察し始める。
俺は、そんな彼らに声をかけた。
(さて、まずは歓迎しよう。ようこそ、魔力の源へ)
(ここが、魔力の源……)
(……何という場所だ。この地のあらゆる事が、手に取るようにわかる)
(なんだか、身体に重さが無くて落ち着かないぜ)
同時にその反応に新鮮なものを感じる。
俺やハルカの本体は、この魔力の流れそのものと言っていい。
ここに、誰かを招くという予想など、全くしていなかったのだ。
ましてや、俺達と同類の存在になるなど、誰が様相出来るのか。
とはいえ、新たな住人がやってくるなら歓迎しなければ。
俺は、彼らの様子を見た。
(……知識は無事に受け取れたようだな?)
(ええ、何とか。でも、知識だけ覚えても、実感は伴いませんね)
(そこはまあ、直ぐに慣れるはずだ)
いささか困惑気味の姫巫女。
まあ、無理はない。
彼女達は、その存在を魔力に還元されたことで、俺と同じ存在になった。
しかし、それはダンジョンコアの意思として必要な諸々の知識に欠けた状態だと言える。
実のところ、ハルカもかつてそうだった。
今でも彼女自身はあまりコアの機能を扱おうとしない。
あくまでコアの意思としては俺が主なので、出しゃばらないようにと言う意味もあるだろう。
同時にコアの機能を理解し切れていない節があるのを俺は知っている。
だが、元々俺への恩返しを考えていたらしい姫巫女は違う。
俺の負担を減らそうと、コアの機能を手伝う気満々だったのだ。
その為俺は、密かにダンジョンコアに、一つの機能を追加させたのだ。
コア機能を俺以外の意思へ教育する、一種の学習機能がそれ。
このカリキュラムにより、ダンジョンコアの機能に触れられるようになるのだ。
(……遥か将来の記憶、全てを閲覧させていただきました。今後あのような事が起こり得ると?)
(こちらの世界でその通りになるとは言い切れないけどな)
政の王子の意思が、呆然とした様子で言葉を零した。
そう、コアの機能には、俺の生前の知識も含まれている。
魔力が無い状態での、日本と言う国が辿る歴史や未来の知識も含めて。
それどころか、最近は魔力の総量が増えた為か、この世界の担当仏の範囲を超えて、他の担当仏の領域まで、情報だけはアクセスできるようになってきた。
もっとも、それは何らかの縁が無ければ辿れないのだが。
つまり、それが何を意味するかと言えば、俺の朧げな知識が元の世界からのフィードバックで正確なモノへとアップデートされたのだ。
おかげで、今後の歴史で起きるであろうことが、凡そ正確な年代で予測できてしまう。
もっとも、この世界には魔力があるため、どこまで国内の動きが俺の生前の世界の動きに沿うかは不透明なのだが。
(とはいえ、魔力の源で何ができるかは把握いたしました。これより私達三人は、永劫に渡り父母神様にお仕えいたします)
ひとしきり知識を詰め込まれた混乱から立ち直ったのだろう。
姫巫女が三人を代表して、その様に告げてくる。
だが、いかん。いかんよそれは。
(同じ在り様になったのだから、仕えるとかは止めてくれ。長くこんな有様になっているだけの、普通の男だぞ、俺は)
(でも、父神様……!)
(その呼び方もやめてくれ。俺の事は、アキトと呼べばいい)
(ワタシは、ハルカって呼んでね!)
神、なんて呼ばれるほど俺は御大層な者ではない。
力を行使できるのは、結局ダンジョンコア。俺ではないのだ。
精々、その方向性を提案しているだけ。
そして、今後はその提案者に三人も加わる。
それだけなのだ。
しかし、そう告げた俺とハルカに姫巫女の意思は喜色を浮かべる。
(アキト様にハルカ様ですね! ああ、父母神さ……お二方のお名前を教えて頂けるなんて!)
(そんなにたいそうなモノでも無いというのに)
どうあっても、俺達を敬う有様を変える気はないらしい。
困ったものだが、まあ強制しても仕方ないか。
そう思い直す俺。そこで、これまで惚けていた戦の王子の意思が、ポツリと漏らした。
(……な、なあ師匠。気になって居たんだけどよ、あそこに居るのは、誰だ?)
(……ん? ああ、アレは先客だな)
仮想的に作られた、長の屋敷を模した部屋。そこには窓や入口があり、『外』を見て取れた。
その『外』では、一組の男女がコアの機能を駆使して何やら作業を行っている。
(先客?)
(ああ、皆の前例だな)
あの二人は、姫巫女達三姉弟が魔力となって還元された際に、何が起きるかを示してくれた前例だ。
(とある出来事で、濃密な魔力を身に宿してしまい、その末に魔力に還った二人だ)
(とある出来事? まさか姉上の様な儀式を過去に為した者が居ると?)
(全く同じ儀式では無かったけどな)
あの二人──実際には、男側が為したのは、黄泉帰りの法だ。
ダンジョンのコアの間、そこで大量の魔力を、死した妻の躯に注いだ者。
あの儀式は、姫巫女が為した祈りに匹敵する魔力濃度だった。
儀式を執り行った男に姫巫女程の力が無かった事と、手段そのものが誤っていた為、儀式その者は失敗した。
しかし、儀式の結果あの二人の身体は変質していた。
復活こそしなかったものの、活ける死体になった妻の躯と、姫巫女達のように年を取らないわけではないが身体は強化されてしまった男。
そう、あれは倭国統一を成した王と、その妻の意思だ。
あの時、怨念になりかけていた妃の躯を魔力に還した時、その意識は魔力の流れにいずれ溶けるかと思っていた。
だが、時がたつにつれて、妃の意識が明確になり、また骸から解放されたことで、正気に返って行ったのだ。
そして長年苦悩し続ける王の姿を見続けた。
王が最後に、己の躯がある筈の岩戸を開き、そこで朽ちる事を選んだ時、妃は俺に言ったのだ。
(王は、もう充分に苦しみました。あの方に許しを伝えたいのです)
(……まあ、見て居られないか、あんな姿は)
岩戸を開き、そこに遺された妻の遺品にすがり泣き崩れ、そのまま静かに朽ちる事を選んだ王の姿。
妃は、これ以上苦しむことは無いと、王を自分と同じく魔力に還す事を提案した。
実際、あのまま王が死んでいたら、後悔と悲嘆にまみれた怨霊と成り果てていただろう。
あのダンジョンは封印されていたせいで、魔力濃度が高く、その兆候は既にあったのだ。
俺は、実行に移した。
そして王の意思もまた、ダンジョンの魔力の流れに意思を宿したのだ。
(で、あの二人にも、既にダンジョンコアの仕事を手伝ってもらっているわけだ)
(仕事、ですか?)
(ああ、俺達が意志をヒトの身に移している間、諸々の代行をな……いまは、特にこれだな)
俺は、機能で部屋の中に仮想の地球儀を顕現させる。
そこには、海と大地の色分けと△のアイコン、そして無数に輝く赤い点があった。
(この三角形が、世界の主要な火山。赤い点が、コアの位置だ)
俺の指が、火山のアイコンをなぞる。日本付近のアイコンには、同時に赤い点が無数に点灯していた。
(俺の役目は、人々や世界環境に重大な影響を及ぼす、破滅的な火山噴火の防止。そのためには、火山の傍にコアを配置しなければならない)
赤い点は、海底の火山アイコンも辿りながら、太平洋を囲むように既に配置されていた。
北は後にカムチャッカと呼ばれる半島を辿り、ベーリング海峡を横断して、今度は北米西部沿岸をなぞるように南下。今は後に大陸を横断する運河が作られるあたりにまで届いていた。
南は、既にオセアニアの島々を辿るようにして、南半球にまで至っている。
(このコアの配置を、あの二人に頼んでいるわけだ。専任で行ってくれているから、かなり助かっているな)
(……なるほど、そのような事が)
(で、師匠。あの二人の名前は何て言うんだ?)
戦の王子に問われ、ダンジョンコアの機能を確認する。
そこには、既に決まっていたかのようにある名が記されていた。
(国生みの神、イザナギとイザナミ)
(……ほう?)
(生前は違う名だったらしいが、いつの間にかそのようになっていたらしい。伝承や人々の認知でこの辺りは決まるようだな)
これは、俺も最近気が付いた。
精霊などからカミとなり、そして名を持つ神へと。その変化は、神への人々の認識が影響するようだ。
倭国統一の王とその妃が、いつの間にか国生みの存在と認識される──そういう事もあるのだろう。
特に、この国では魔力の影響が大きすぎる。人々の意思が魔力に溶け込めば、その魔力によって綴られる情報もまた、影響を受けると言った所か。
そして、恐らくそれは、姫巫女達にも当てはまる。
なまじ俺の生前の世界の情報とも混じったせいで、彼らの在り様が近い存在へと紐づけされていく。
(……やっぱりか。アマテラス。ツクヨミ、スサノオ。いつの間にかそう名付けられているぞ?)
(えっ!? あら本当!)
(……ふむ、月を詠む。なるほど、その様な……)
(俺、そんな名なのか!?)
いつの間にか、俺も生前に聞いたことがある名へと変化していた三人。
そして、先客であるイザナギとイザナミ。
彼らとの時代を見つめる日々が、こうして始まったのだ。




