知恵者は月に想う
【政の王子】
姉上が、唐突に流浪の民を側役にした。
ほんの少しの間、クニを離れている間の事だ。
クナのクニは、我らのクニだけではなく、方々のクニを侵略していた。
そんな中で、我らのクニがクナのクニを押し返したと知れると、様々なクニが我らのクニを頼り出したのだ。
単なる援軍であれば、弟を差し向けるだけで良い。
しかし、その後の連携や様々な取り決めとなると、弟には荷が重い。
……その力の僅かだけでも、思考を冴えさせる方向に強化があったなら、我の仕事ももっと楽になるのだが。
「姉上、ただいま戻りました」
「隣のクニも、救って来たぜ!」
その様に考えつつ、弟と共に長の屋敷に戻ると、そこには見知らぬ男女が居た。
「姉上、この者達は……?」
「以前のお付きの者達は居なくなってしまったでしょう? だから、新しく見つけたの」
ふむ、確かに姉上の言う通り、長の側役は現状居ない。
男の側役は、先代の長であった父上と共に戦に向かい、共に果てた。
女の側役は残ったが、民が少なくなりすぎ、人手が足りなくなって他に回してしまった。
その為、空席であるのは確かだ。
まずは、壁際に控える男の方を見る。
……何の変哲も無い、特徴も無い男だ。
同時に記憶にもない事から、クニの外からやってきたと推測できる。
他のクニからやって来たのか、それとも交易を生業とする民か。
交易の民であるなら、まあ良い。
各地を旅した知見は、生地しか知らぬ我らのようなクニの民にとって貴重だ。
彼方此方のクニの顔つなぎにも期待できるやも知れぬ。
だが、他のクニからの場合はどうか。
今このクニは大いに伸びつつある。
姉上の巫女として大きく成長した力と、弟の武力。
この二つを軸にし、我がささやかな知恵を添えれば、今後もクニは成長するだろう。
あの、強大なクナのクニのように。
だがそんな我がクニを利用しようとするクニも現れるだろう。
ましてや、クナのクニの息がかかっている者が来ないとも限らない。
我は改めて、男をじっくりと見る。
……地味だ。何の変哲も無い……いや、それは真か?
体格は、しっかりとしている。
控えて居る様も静かに密やかに。
……ただの交易の民に、その様なふるまいは可能か?
解らぬ。
解らぬが、この男が案外若い事に、ようやく気が付いた。
そこで、不意に脳裏に走るものがあった。
(……もしや、姉上に懸想しているのではあるまいな!?)
だとしたらとんでもない事だ。ああ、そうとんでもない。
若い男が姉上に心乱される。それは当たり前のことだ。真理である。
我らが姉上の美しさ素晴らしさを理解出来るそこは許そう。
だが我等兄弟を差し置いて姉上に近づけると考えるなら、それは間違いだ。そう間違いだとも。
姉上に近づくなら、我等兄弟の厳正なる審査を潜り抜けねばならぬのだ。もちろん誰一人通す気はないが。
(警戒、せねばなるまい)
だがしかし、本来為されるべき審査は行われず、こうして姉上の側役に収まろうとしている。
なんたる事か!
どのようにして姉上を唆したかは知らぬが、これは既に制裁対象と言って良いであろう。
(うむ、弟をけしかけるとしよう)
取り合えず、男に対しての処置は決まった。
次に、意図して外していた視線を、女側に向ける。
美しく飾られた姉上と、その傍で甲斐甲斐しく世話を焼く、問題の女を。
いや、女の方はこの際どうでもよい。
(ああ、姉上……何ともお美しい)
そこには美の体現が顕現されていた。
見知らぬ女の手で、姉上本来の美しさが、こうも花開くとは。
悔しいが、我らがどうお世話しようが、この領域にはたどり着けまい。
「……何でそんなに飾られているんだ??」
「それは……」
「こうした方が、愛らしいからよ!」
「そ、そうか」
弟が見知らぬ女の断言に口を閉ざす。
だが確かに、女が言う通りに、只美しいだけでなく、確かな愛らしさがそこにある。
(……女の方は、側役としてもよかろう)
我は、密かにそう決定した。
とはいえ、男の処遇も含め、もう少し説明を求めるべきであった。
「姉上、せめてもう少し説明を。新しく見つけたの、では困ります。この者らは、どこの誰なのです?」
そこで聞き出せたのは、この者らが元は交易の民だという事であった。
しかし、だ。
(……姉上は、何かを隠している)
その素振り、その視線。姉上は自覚が無いだろうが、とても分かりやすいのだ。
特に隠し事は直ぐに判る。
だからこの者らは、ただの交易の民では無いという事になる。
同時に、男の方へ懸念を確認しておく。
「ところで、あの者はお前にとって何だ?」
「妻です」
妻……夫婦だと?
「……そうか、妻か……そうなのか?」
「ええ、それが何か?」
「もしや、姉上の世話はあの者が主か?」
「ええ、男の身で身の回りのお世話など、手に余ります。この身の役目は、それ以外の長の補助になるかと」
「そ、そうか」
男の言葉が真実なら、先の幾つかの懸念は晴れる。
同時に姉上に手を出す様な愚か者でなければ、考慮の余地はある。
(姉上の魅力に釣られたケダモノかと思えば、違うのか? それよりも、まつりごとに関わらせる方が問題か? いやしかし、姉上が言うように、諸国の知見は確かに捨てがたい)
そも、姉上自身巫女としての力で、悪意などは容易に察知する。
その姉上がああも好きにさせている女と、その夫だ。
となるとその存在は、このクニの益になる可能性が高いだろう。
(……ともあれ、観察を続けるか)
地の底の試しの間にて弟が投げ飛ばされる様を見ながら、我はそのように考える。
だが、しばらくこの男女を観察した上で、我は戦慄した。
アレは、あの夫婦は、ヒトではない。
かのクナのクニの王ヒミクコや、将クコチヒコのような規格外の存在は居る。
姉上や我が弟もそうだろう。
だが、明らかにヒトに非ざる存在が其処に居た。
(なぜ、我は気付かなかった!? ……いや、それこそが、証だ。ヒトにあらざる力での、隠蔽、偽装。それこそが)
そして、我等三人に宿った力こそ、そのような存在がこのクニに在る理由であるとしか考えられない。
しかし、であるなら、ただ長の側役などをしているのは何故だ?
疑問を募らせた末、我はその者──父神の側と話すこととした。
「何より、姉上が我等兄弟にまでそなたらの正体を隠そうとする理由。そこに考えが至れば、推測は用意だった」
「……見事」
我が推測を聞き、ただ父神は賞賛の言を述べた。
なるほど、我が正体御看破したところで、有様を変える気は無い様子。
それもそうだろう。姉上は御存じなのだろうから、今更我が気付いたところで同じ事か。
だが、聞き出さねばならぬ事は、ある。
「このクニに……いや、姉上に害なす気は?」
「無いですな」
「……これまでから察するに、ヒト以上の力を示す気も?」
「無いですな」
その言葉に偽りないと、直感としてわかる。だからこそ、分からぬ。
なぜ、根の国の父母神は、このクニに現れた?
「……何を望まれているのだ」
「ヒトとして、ヒトとクニの行く末を見届けようと」
……なんと、重い事を言われるのだ、この神は。
そして、なぜあの時なのだ。
何故力はあの時に与えられた。
先代様──父上が御存命の時ならば、姉上もこうも心労を重ねる事も、ただの姫としての時をもっと過ごせたはず。
「……であるなら、何故、あの時力を与えもうたのだ」
「与えてはいない。巫女が願い、つかみ取った。それだけの事だ。故に、見届ける」
「そうか……」
しかし、帰って来た言葉に、思い違いを悟る。
そうか。やはり全ては姉上だったのだ。
姉上がこのクニを救い、そしてこの神々は、姉上をこそ身を案じて、ここに居る。
「……感謝を。そして、今後もその知見、頼りにさせていただく」
「ええ、その様に」
……聞くべきことはすべて聞けた。
そして、頼ってよい相手だと、知れた。
空を見上げる。良い夜だ。
煌々と輝く月が、我が心さえも照らす。
ああ、憂いはここに消えたのだ。




