義父殿の思い出
これは、縄文時代の頃の話だ。
俺とハルカは、アバターの身で北の最果てまで足を延ばしていた。
後に北海道と呼ばれるようになる島の北端へと。
目的は、地上にあるダンジョンコアの北限の確認だ。
(生前より平均気温が高めとはいえ、ここまでくると流石に肌寒いな……)
(そうね、アナタ……もう少しそばに居ていい?)
(ああ、もちろんだ)
まだ暖かい時期にやってきたとは言え、流石に北の果てだ。
毛皮の服はあるものの時折吹く風は、俺達のアバターの体温を奪っていく。
(この寒さ、あの頃を思い出すわ……アナタと出会ったのも、こんな頃だった)
(……そう言われると、そうか)
旧石器時代は、縄文時代より寒い氷期だ。
初代のアバターが参加した集団は、緯度が低い九州から中国地方辺りを移動していた。
全体的な気温と、緯度による気温の差が打ち消し合った結果、ハルカにとって懐かしい気温になっているようだった。
釣られて俺も、初代のアバターであった頃を思い出す。
(懐かしいな、義父殿に義母様、子供たちに仲間達……)
(あら? お父さんは、アナタにとって懐かしいだけ?)
(む……)
ハルカにそう言われると、確かに懐かしいだけではない事を思いだす。
(いやなあ。何しろああまでずっと目の敵にされていたからな)
(ワタシの事、大事にしすぎていたものね)
実際、俺が槍戦士と呼んだあの雄は、ハルカの父であった為か、ずっと俺に厳しく当たっていた。
狩りがあれば最前列で獲物へと向かわせ、また危険なことを確かめるのも概ね俺だった。
その上で、俺が成功すると何とも不満そうな顔をするのだからたまらない
(癪だったから、一度も失敗してやらなかったけどな)
(そういうアナタだから、危ない事も任せられていたのよ?)
(……まあ、そこは判っている)
初代のアバターは、初めてアバターを作るとなってかなり力を入れた性能だった。
その上、身体に埋め込まれた魔石には、膨大な魔力を蓄積していた為、多少何か危険があっても傷一つつかない。
その為、初代のアバターが率先して危険に飛び込んでいくのは、実に理にかなっていたと言える。
ただ、決してそれだけでは無い筈だ。
(絶対に、ハルカと番になった俺への嫌がらせの意味合いの方が強かったぞ)
(うふふ、それも間違いじゃないわね!)
特に、それら危険から戻った俺をハルカが労おうとすると、意図的に邪魔したりもしてきた。
何とも親馬鹿というかなんというか。
もっとも、その度に義父殿は、番である集団のリーダーやハルカ自身から白い目で見られたりもしていたのだが。
(それでも、義父殿は強かった。本当に)
(ええ、自慢のお父さんだもの)
(他の集団を幾つも見たし、その後も別のアバターで色々な集団で戦士を見た。だが、義父殿程の戦士は居なかったな……)
集団の中で最も実力を持っていた初代のアバターを、それほどまでに冷たく当たっても、義父殿は戦士たちの長だった。
純粋に、強かったのだ。
縄文期に数百年かけて何代ものアバターを乗り継ぎ、様々な集団の戦士を見たが、その中でも最強は義父殿だった。
基本的な身体能力に優れる初代のアバターも、その頃は扱う俺の力量が足らず、総合力という点では一歩譲った程。
だからこそ、義父殿自身、年齢からくる己の衰えを許せなかったのではないかと思う。
化け物じみた大きさに育った赤毛のドウクツグマが、別の集団を襲っているのを目撃したあの日。
義父殿は、俺を含めた集団を退避させると、一人姿を消した。
そう、消したのだ。
それまでに宿していた魔力を本能にちかいやり方で操り、気配を希薄化して一見其処に居ないものと錯覚させる隠形。
戦士として、そして狩人として極まっていた義父殿は、その領域に至っていた。
そして、一人、赤毛のドウクツグマへと戦いを挑んだのだ。
「ホ、ホウアアァッ!!」
「ゴアアッ!」
赤毛はその時、丁度別集団の生き残り、若い雌へと襲い掛かる所だった。
そこへ、影も無く忍び寄る、義父殿。
「ッ!!!」
「ガァァァッ!!??」
あと一歩でその雌が食らいつかれようとしたその時、初撃が赤毛を貫いた。
全く獲物に気付かれていないまま、義父殿は背後からその首へと槍を突き立てたのだ。
だが、既に魔力を膨大に貯め込んだ赤毛には、必殺にはほど遠い。
それでも手負いには違いなく、赤毛は槍の背後にいる持ち主を振り落とそうと、立ち上がり暴れ出した。
(……あの時、義父殿なら一撃で仕留めることも出来たはずだ。ソレが出来なかったのは、あの雌をハルカに重ねてしまったからなのかな)
あの隠形は、完璧だった。
それこそ、気取られぬままに前に回り、狙いすまして目や額などを貫き、一撃で脳を破壊することも出来ただろう。
だが、同時に、あの雌を救うにはあの攻撃しかなかった。
それが、運命を分けた。
一度存在に気付いてしまった赤毛は、魔力を感覚にも行き渡らせたのだろう。
義父殿が再度隠形を成しても、その位置を凡そながら追い続けた。
こうなると、単純なパワーと耐久力、そして持久力まで魔力量に優れた赤毛に戦いの天秤は傾く。
だが、それでも、親父殿は戦い抜いた。
荒れ狂う赤毛によって森や岩は砕かれ、その破片が容赦なく義父殿の身体を削っても、巌のような心で。
そして、その時が来た。
「ホアアアアアアアッ!!」
「ゴアアアアアアッ!?」
一瞬の隙を突き、義父殿の槍が、赤毛の目を貫いたのだ。
「……ゴハッ!!」
だが、浅い。
その直前に届いていた爪の振り上げが、親父殿の腰から下を引きちぎっていたのだ。
この時、もし義父殿が全盛期なら、それでも赤毛を倒せていたかもしれない。
いや、そもそも初撃で頸椎まで貫いて、終わらせていたかもしれなかった。
だが、年月による衰えが、その勢いをわずかに奪っていたのだろう。
全身の力を込めた穂先は、身体の半分を失ったことで重さを奪われ、致命傷に至らなかった。
だが、流石の赤毛も、重傷には違いない。
襲っていた集団や半死体の義父殿を置き、逃げて行く。
それが、義父殿を見失い、ようやく狩りの場にたどり着いた俺のアバターが見た光景だった。
駆け寄った時、義父殿には辛うじて息があった。
だが、明らかに手遅れだ。
そして同時に、俺はこの時まだ魔力による回復手段など持っていなかった。
為す術も無い俺に、義父殿はただ愛用の槍を差し出し、俺を見つめたのだ。
その瞳には、様々な思いが込められている。
俺は一つ頷き、その槍を受け取った。
そして、逃げる赤毛へと大きく受け取った槍を振りかぶり、投げた!
それまで数多く、そしてその後も何度も行った槍投げ。
だが、この時、この一撃を超えるものは、記憶にない。
槍は轟音を上げ、宙を引き裂き、逃げる赤毛の背後から──尾てい骨から頸椎、そして頭蓋と一直線に貫き、遥か彼方の岩に突き立ったのだ。
もちろん、赤毛は即死だ。
その様を確認し、振り返った俺の目に、満足そうに頷いて目を閉じた義父殿が居た。
……それが、俺の義父殿の、最期だった。
(……義父殿は、満足できたのだろうか)
(どうかしら。ワタシ、戦士の気持ちは余りわからないから……)
遠く、この北の地で生きる狩人が見える。
俺達は今回も交易の民の名目で動いているため、このあと集落へと向かう。
あの狩人は、その集落の住人だろうか。
(でも、悔いは無かったと思うわ……アナタに託せたのだもの)
(そうか。そうだと良いな)
思い出の中で何時もしかめっ面していた義父殿。
今もこうしてハルカと寄り添っているのを見たら、どんな顔をするのだろうか。
そして、いつしか義父殿を追いかけるように、武の技を鍛えていると知ったら……。
そんな事を思いながら、俺達は北の果ての集落へと足を向けた。
その背後で、一瞬だけ暖かな風が通り過ぎて行った。




