魏志倭人伝に曰く、その女王の墓は百歩余の大きさがあった
ある時、姫巫女が病に伏せた。
日が急に沈み始めたかのような、そんな弱まり方だった。
本当に重要な祭事は執り行っても、それ以外は厳しく、他のクニと鏡を通じてのやり取りができないほどだ。
顔を見せれば、そこには死相が浮かんでいた。
そんな姉の様子に、二人の王子はそれぞれに乱れた。
上の王子は早々に先を見据えたのか、巨大な墳墓を作るよう民に命じた。
「姉上が居なくなるのであれば、せめてその威光を形にし、残さねばならぬ」
常に冷静で先を見通すかのような政の王子の在り様だったが、敬愛しているはずの姫巫女の衰弱を見てもその様に振る舞う様に、民が冷たさを見てしまっても無理はない事だろう。
また、墳墓の建築は無理を押して行われた。
魔力の後押しがあるとはいえ、巨大な墳墓の建築は重労働だ。
民は、政の王子は姫巫女の終わりを悟り、静かに狂ったのかと噂した。
一方の戦の王子は、分かりやすいほどだった。
荒れたのだ。
姫巫女の衰弱する様に心をかき乱されたのか、下の王子は怒り易くなった。
冷静に墳墓建設を指揮する兄に怒り、諫める側役──俺の事だ──に殴りかかり、遂には長の屋敷の屋根に馬の首を投げ込むほどに、狂った。
そして、そのまま姿を消した。
これまで姫巫女と共にクニを支えて来た二人の王子のその在り様は、民は動揺した。
だが、その動揺は最低限に収まっていた。
今後クニを動かすだろう次代の人材──まだ年若いが既に力を示しつつある巫女、強力では戦の王子さえ上回る大男の戦士、諸国の知識豊富な知恵者等が、奔走してクニを纏めていたからだ。
これによって人々の動揺は収まり、またその心は次代の指導者たちへと次第に傾いて行った。
そしてその時が来た。
既に民へと姿を全く見せなくなった姫巫女の、死の報せがクニ中に駆け巡ったのだ。
更に、その死が確かなものだと示すように、天空に輝いていた日輪が欠け始めた。
日蝕だ。
化け物に日輪が喰われていくかのような恐ろしい有様に、政の王子は一つ頷いた。
「時はきた。姉上の弔いに、墳墓にて葬儀の宴を執り行う」
何処までも冷たく事を進める政の王子の在り様に、民は恐れおののいた。
そして……俺とハルカは、その様をずっと見守っていた。
(……あの子達、大丈夫かしら)
(俺達は見守るだけだ。今まで通りにな)
葬儀の準備を長の側役として手伝いながら、俺達は見届ける。
最早子供にも等しい三人の最後を。
【クナの将:クコチヒコ】
天空に輝く日輪が欠けていく。
何たる恐ろしい光景だろうか。
それとも、コレは勝機であろうか?
我には判らぬ。
ただ、王に従うのみである。
我が名はクコチヒコ。
練武のクニにて武を極めし王、ヒミクコに仕えしクナの将である。
我らがクナのクニの宿敵、かのクニの長、姫巫女と呼ばれたあの女。
あの妖しの術を使う女が病に倒れたとの知らせは、何よりも早く我が王ヒミクコへと知らされた。
それからしばらく、密に報せの兵を放つこと幾昼夜。
遂に、あの女が息絶えたとの知らせが、我が王の下へともたらされたのだ。
我が王ヒミクコは歓喜し、すぐさま兵を率いた。
「あの天を見よ! あの女がばらまいた鏡が如き日輪が、今は欠けた! これこそ、あの女が死した証である! 今こそ、かのクニを滅ぼす好機なるぞ!」
王の号令に、精強なる我がクニの兵が雄たけびを上げ、王に率いられ、突き進む。
我もまた、一軍を率い王の軍に続く。
かのクニを滅ぼすのは、我らが悲願だ。
かつてあの女の先代の王は、惰弱であった。我らに散々攻め立てられ、遂には戦場で我が王の手にかかった。
そしてクニを滅ぼすあと一歩まで迫ったのだ。
しかし、妖しの力を発揮したあの女とその弟に巻き返され、遂には逆に脅威にさらされる事となった。
その屈辱を、今雪げる。
道中は無人の野を行くが如く。遮る兵は無く、民も居ない。
(どういう事だ? 余りに容易すぎる)
今までであれば、あの忌まわしきあの女の弟が、人形の兵を率い飛び出してきていただろう。
あの弟にも、何かあったのか?
そうで無くとも、無数の人形の兵は動いてしかるべきだろう。
我が疑問を王は笑い飛ばした。
「あの人形も、所詮はあの女の怪し気な術で動いていたに過ぎぬということよ!」
なるほど、通理である。
だが、弟の側は何をしているのか。
その疑問への答えは、ようやく見つけた民から得られた。
「姉を失い、乱心したか」
民が言うには、病に伏せた姉を見た弟二人は乱心したらしい。
一人は、姉の死後の住居として、人形さえも人足にし巨大な墳墓を作り始めた。
もう一人は狂乱したあげく姿を消した。
そしてあの女が死に残った王子は完全に狂ったのだろう。
全ての政務を放棄し、出来上がった墳墓にて姉の弔いの為の宴を開いているのだとか。
「愚かな事だ。死んだ女を気にしてどうなる……だが、コレは好機である!」
王の勢いは増した。
頭の足らぬ弟は野に下り、小賢しい弟は下らぬ事にかまけている。
ここであの小賢しき弟を葬れば、数多のクニは一気にその意気を挫かれ、クナの国に従うだろうと。
王は、その墳墓へと兵を向けた。
しかし我が心には疑念が湧く。
果たして、あの小賢しき者が、そのような乱心を起すだろうかと?
同時に納得もある。あれ程の威を示した女から、次代へと権威を移す為には、そのような儀礼も必要であろうと。
「案ずるな! あの日を見よ! 未だ欠け続ける日こそが、吉兆である。この暗がりは進軍すら隠しているのだ!」
確かに、薄闇は我らの進軍を隠している。
こうまで深くこのクニに進軍したのは、あの女の父を討ち取った時以来か。
あの時、あの妖しの術と忌まわしき弟に追い払われたが、そのどちらも今は居ない。
王が言う通り、これならば勝てるであろう。
進軍は素早く静かに行われた。
日食の薄闇は我々に覆い被さり、墳墓の輪郭が黒い丘のように浮かび上がる。
篝火が高くあがり、影を揺らす中で宴の輪が見えた。
被せられた布や鈎状の装飾は今は亡きあの女の威光を模していた。
棺の間へ続くらしい、閉ざされた石扉の前で、宴は行われていた。
そこに座する弟──いや、今はあの弟が王なのか──は亡き姉の面影を想い、側近たちは謡い、酒を回していた。
女が一人狂ったように舞い踊り、大柄な男が地を叩き吠える。
その様は、まさしく正気を失って居るかの様。
我が王は目を細め、我が胸の鼓動は高鳴った。
王の顔に深い笑みが浮かぶ。
「愚かな事だ。あの者が王になったとして、何とする。あの女の妖しの術無くして、我らに対抗できるとでも」
その笑みは勝利の確信に満ちていた。
だが我は沈黙を守りつつ、しかし疑念の針を胸の内で回していた。
果たしてこれは、真だろうか?
祭りに見せかけた偽りの儀式ではないか?
何よりの疑念は、戦場にて最も脅威となったあの弟の不在だ。
確かにあの弟は姉を誰よりも慕っていた。
その姉を失うとなれば、乱心するのは必然であろう。
だが、それは真か?
我が経験は戦場の嘘を嗅ぎ分けようとする。
だが王は疑いよりも武威を選んだ。
王は旗を上げ、先頭に立って墳墓へと駆け上った。
我もその後に続く。
王が動いた以上、疑念を抱いている暇は無い。
「愚か者共よ! 此処にそなたらの命運は尽きたぞ!」
巨大な墳墓に駆け上がる途中、辺りの様子が見て取れた。
墳墓の周囲は拓け、兵を伏せている様子もない。
やはり、無駄な疑念であったろうか?
だがしかし。
狂ったように騒ぐ者達ばかりの宴の中、只一人俯くばかりであったあの男──王となった弟が顔を上げた。
その目を見た時、我は悟った。
謀られたのだ!
そう察し、我が王に警告を発するより早く、あの弟が意を発した。
「よくぞ来た! よくぞここまでやって来た! ここがそなたらの死地なるぞ!」
その声と同時に、地を叩いていた大男が、石扉に駆け寄り重い扉をあけ放った。
昏い石の通路が明らかになり、その中から一人の女が姿を現す。
ああ、それはまるであの女の様ではないか。
「鬼道と我が名イヨの名を以て命じます、土の士よ、我らがクニの敵を打倒しなさい!」
その声に応じるように、我らは殺気に包まれた。
巨大な墳墓の彼方此方に立てられた、土の柱。暗がりの中では判別できなかったそれは、あの忌まわしき人形兵ではないか。
十重二十重に墳墓を囲むその数は、墳墓へと駆け上がった我らの数を遥かに超える。
更に女は鏡を掲げた。
まるであの女のように……いかん! コレは!!
「日は陰れどもここにある! 光よ、あれ!!」
掲げられた鏡より、日輪の如き閃光が走った。
それは日輪陰る中の暗がりに慣れた我らの目を灼いた。
この墳墓に登った者だけではなく、ここまで率いていた兵たちまで。
目が眩んだ兵たちの動揺を突き、敵軍が攻め寄せる。
おのれ! なんたる策か!
そして、我等は悟った。
王となったのは、あの弟ではない。
このような力を示したイヨと名乗るあの女こそ、新たな王なのだ!
「ええい、小賢しい! ならばここで貴様らを討ってくれようぞ!」
しかし我が王はこの窮地にも恐れず前に出た。
事実、目の前に小賢しき男と新たな女王が居る。
此処で討ち取ったならば、幾ら包囲されていようが勝利を手繰り寄せられるだろう。
だが、小賢しい偽の王に切りかからんとした我が王の刃を、防ぐ者があった。
「させると思うか!」
「何っ!?」
宴に加わっていた者の内、登り路に背を向けていた者。
顔を布で覆い、言葉を発しなかった者。
それこそ、乱心したという方の弟であった。
更に、鬨の声が下方で上がった。
見れば、伏せられていたらしき大軍が、我らが軍を包囲していた。
ここに至り、我は悟った。
日食の暗がり、これが起きる事を、奴らは知っていたのだと。
この天の機を知り、それを利用し、我らを──いや、我らの王こそをおびき寄せ、撃つための策。
ああ、だが、あの女が幾ら先を見通すとしても、この様な天変地異を予見することなど出来るものなのか!?
我が驚嘆に構わず、戦場はその在り様を変えてゆく。
墳墓に駆け上がった我らは、瞬く間に包囲された。
下方では我等指揮官を欠いた軍が、大軍に包囲され押しつぶされてゆく。
我らの兵は精強なれど、数に勝る奴らにすりつぶされてゆく。
ここに至り、我は敗北を悟る。
新たな女王には、あの石壁さえも動かす大男が守りにつき、人形の兵がその脇を固めている。
最早討つことはできまい。
王もそれを悟ったのだろう。
「退け、クコチヒコ! そなたは退くのだ!」
強大な武を持つあの弟と、我が王は切り結んでいる。
その身を翻そうものなら、あの男は我が王を容易く切り捨てるだろう。
だが、我はまだ退き得る。
そして王の意思も理解した。
我が王ヒミクコには、二人の王子が居る。我らがクニの次代だ。
彼等に我が王の意思を、クナの意思を伝え、後見し盛り立てられるのは、我だけであろう。
故に、我だけでも生き延びよと、王は言っているのだ。
我は、身を翻した。
血路を開きながら墳墓を駆け下り、大軍により崩れかけた兵を率い、その厚みを突破する。
その背後で、絶叫が響いた。
我が王が、討たれたのだ。
しかし退くと決めた以上、それにすら我は構っていられぬ。
ようやく囲いを突破し撤退する途上、我は一度だけ振り返った。
欠けていた太陽は、再び真円を取りもどし、陽光が辺りを照らす。
墳墓の上に、新たな女王の姿がある。
輝かんばかりのその姿は、先代の女王の様である。
しかし、その傍に先代女王の二人の弟の姿はない。
「武を示されたか、我が王よ」
我が王は最後の力を振り絞り、あの二人の弟と相打ちに果てたのだ。
そう悟った我は、我は兵をまとめ帰路を急ぐ。
かのクニとの決戦は終わったわけではないのだ。
イヨという新たな女王に対し、クナも新たな王を立てねばならぬ。
順当であれば、兄王子のナガスネヒコが王となる。
弟王子のアビヒコは、兄王子を慕っている。二人が在れば、クナは立て直せる筈。
その想いと共に、我はクナへと急いだ。
クナの地の上に、黒雲が覆いつつあるのを目にしながら。




