魏志倭人伝に曰く、その国には素より和せぬ国があった
俺達がこのクニに来てから、しばらくの時が過ぎた。
その間にも、このクニは大きくなり続けている。
その一番の要因は、長である姫巫女の巫女としての能力の高さだ。
何しろ膨大な魔力を身に宿す前から、俺達の意識に接触できた程、巫女としての能力が高かったのだ。
各地の精霊、もしくはカミと意思を通じて、天候などを時に操り、また大地に働きかけて地形を変える事までできるのだ。
何しろ、大雨続きの際には、空に祈り雲を割って、太陽を覗かせる事までできたのだから、その力は巫女として極まっていると言っていいだろう。
その上、コレは予想外だったのだが、一種の未来予知に近い事までできてしまう。
長の屋敷に飾られていた、鏡。
彼女がその前で祈ると、近い未来に起きるであろう出来事が、そこに映し出された。
予知、預言とまで言っていいその現象について、俺は推測する。
(……ダンジョンコアのネットワークに接触して、膨大な情報から今後起きるだろう事象を演算しているのに近いのか、これは)
(ふわあ、巫女ちゃんはすごいのねえ)
俺もコア側の意識を主に据えるなら、同様の事をできるだろう。ただ、実行したことはない。
コアの機能がいつの間にかそこまで成長していたのに気が付かなかったのもある。
同時に、この機能は魔力とコア機能が及ぶ範囲内での事象に限られる点が問題だ。
俺はダンジョンコアとして、コア機能の範囲拡張をこの所主眼としていた。
つまり予知の範囲外での活動が殆どだったのだ。
何より、ダンジョンネットワーク内の事は、改めて予知するまでも無い事ばかりだったのもある。
(俺は使わない機能だが、この子は使いこなしているな)
(大雨とか、嵐とか、怖いものねえ)
この鏡は、ダンジョンのドロップ品らしい。
俺自身はドロップ品の能力を細かく設定していない。そのためか、個々のドロップ品の性能はかなり幅がある。
その中でも、この鏡の性能は大きく上振れた物のようだ。
俺達の意識に接触した儀式の際にもこの鏡を使用していたというのだから、魔力の感知能力を大きく底上げする機能があるのだろう。
災害に近い天候を予測し、時に精霊やカミに呼びかけそれを防ぎ、時に災害後の復興にその力を発揮する。
クニを纏めていく上で、この上ないほど頼もしいのが、長たる姫巫女だった。
弟二人の働きもクニが大きくなるにつれて重要になって行く。
特に平時は、上の弟である政を司る王子の働きが顕著だ。
(実質的なクニの運営は、政の王子がやっているようなものだな)
(いつも忙しそうよねえ。でも何時も控えめだわ)
(あくまで長は姫巫女だからな。弟側が前に出過ぎると、そこはブレる。献身的だよ、本当に)
田植え、育成、刈り取りなど、どの時期に行うのかの差配は、この政の王子が取り仕切っていた。
月の運行から季節の変わり目を読み取り、適切な日取りで実施させる。
クニの地域ごとに細かな日のズレまで調整し、またそれで収穫を伸ばしているのだから、大したものだろう。
また、クニの内部でのもめ事の仲裁や、地域ごとの調整、他のクニとの折衝まで、この王子がこなしている。
それも、あくまで姉の長を立てながら、だ。
その首元には、長に準じる存在だと示すように、勾玉が揺れていた。
(時代が時代なら、名宰相と呼ばれるような働きぶりだな……)
ただ、時に苛烈な面も政の王子は見せる。
とあるクニに赴いた際の事だ。
そのクニの長は、どうも後の時代で言う私利私欲に満ちた人物であったようだ。
収穫した穀物を抱え込み、民に分ける事を惜しみ、結果そのクニの民は餓えるようになっていたとか。
その実情を知ろうと政の王子がそのクニに赴いたところ、賄賂であるかのように食料を差し出してきたらしい。
だが、それは逆効果だった。
普段は目立たず控えめな政の王子は激高し、一刀の下にその長を切り捨てたのだ。
結果としてそのクニと民は救われた。
しかし、クニの長を問答無用で切り捨てるというのは、流石に問題がある。
コレには長の巫女も咎め、政の王子も弁明はぜず、しばらく謹慎することになった。
もっとも俺は、この件の真相を知っている。
その長は政の王子を、自分の国に引き込もうとしたのだ。
さらに、姫巫女の事にもいろいろと言及したようで、そこが政の王子の逆鱗に触れたのだと。
なるほど切り捨てても無理はないし、何があったかを話す気になれないだろう。
俺も、あえて明かす気にはならなかった。
この王子だが、俺が長の側役になってから直ぐに打ち解けた。
俺の知見──あくまで、この時代で明かせるレベルに押さえているが──を有用なものだと判断したのが大きな理由だ。
そして驚くべきことに、彼も俺達の正体を見破ったのだ。
姉は、優れた巫女としての感性から、魔力の波長を読み取り、俺達の正体を看破した。
それに対して弟は、幾らかのヒントから俺達の正体を推測し、その知恵で正体に確信を持ったというのだから驚きだ。
「何より、姉上が我等兄弟にまでそなたらの正体を隠そうとする理由。そこに考えが至れば、推測は用意だった」
「……見事」
ある夜、この政の王子に呼び出された俺は、根の国の夫婦神であることを看破された上で、そう告げられた。
その顔には、苦悩が浮かぶ。
正体を看破したところで、俺達をどうこうすることも、その力が有用な事も理解しているのだろう。
事実、俺はここまでに政の王子にとって有用な能力を示して来た。
倭国と呼ばれる範囲の、地理や気候、各クニの情報に、外つ国の知識まで。
あくまで、この時代でわかる範疇でしか明かしていないが、それでもクニを治める者にとって、俺からの情報は黄金にも等しい。
そんな訳でいつの間にか俺は、政の王子の相談役を主な仕事にするようになっていた。
「このクニに……いや、姉上に害なす気は?」
「無いですな」
「……これまでから察するに、ヒト以上の力を示す気も?」
「無いですな」
「……何を望まれているのだ」
「ヒトとして、ヒトとクニの行く末を見届けようと」
政の王子は、深いため息をつく。
「……であるなら、何故、あの時力を与えもうたのだ」
「与えてはいない。巫女が願い、つかみ取った。それだけの事だ。故に、見届ける」
「そうか……」
今度のため息には、万感の想いが込められていた。
「……感謝を。そして、今後もその知見、頼りにさせていただく」
「ええ、その様に」
こうして、やけに眩しい満月が照らす中、この夜の話し合いは終わった。
一方で戦の王子は、その力を存分に振るっていた。
何しろ、この魔力に満ちた倭国では、戦う相手に事欠かない。
幾ら強力な巫女が治めているクニとは言え、協力を拒んだり、もしくは巫女の身柄を直接手に入れようと望むクニも存在したのだ。
中には、宿敵とまで言っていい国さえ存在する。
交渉で対処できる相手には、政の王子が対処できたが、世の中には話が通じないような相手が幾らでもいるのが事実。
そんな相手の多くを、戦の王子は薙ぎ払い、叩き潰した。
「その! 俺が! どうして! 師に! 手も足も! 出ないのだ!?」
「まだ力を振り回しているだけだからですなあ。ほら、足運びが雑。視線もつられ放題」
「ぬああああああっ!?」
いつぞやの試しの儀で使用したダンジョンの一室。そこで、今日も元気に戦の王子が足を払われ吹き飛んでいた。
あの試しの儀で何やら戦の王子に気に入られてしまった俺は、その後もずっと彼に稽古をつけている。
まあ、やり過ぎてはいないはずだ。
何しろ、既に武の概念は存在している。
大陸側では多くの武人が居て、力任せだけでは届かない武の高みを目指しているはずだ。
だから、俺がアバターで磨いてきた技術を多少伝えても、問題はない、筈だ。
「それで、次は何処へ遠征に行かれるので?」
「イズモのクニだ! 何でも、多頭の蛇が娘らを丸呑みにして喰らうらしい! これを退治して来る!」
「ほほう、それはそれは」
初めは素手での戦い方を主に指導していたが、最近では武器類の扱いも仕込んでいる。
俺が指導するまでは、力任せに腕や武器を振るうだけだったが、今ではかなりその動きに術理が宿るようになってきた。
おかげで、あしらうのも集中しないと難しくなってきた。
それにしても、多頭の蛇か。
魔力による動植物の影響は、思いもよらない変異を生むらしい。
娘を──つまり人一人を丸呑みにする大蛇が複数の頭を持つとなると、それはもうどう考えても化け物だ。
何より、頭が複数と言うのは危険極まりない。
この王子の強さは飛び抜けているが、それだけの変異を起こしている蛇となると、保有魔力も多く身体は強靭だろう。
兵を纏めて薙ぎ払える力であっても、しなやかな蛇身に勢いを殺され防がれかねない。
その隙に、複数の頭が襲ってくるわけだ。
流石のこの王子も、正面から真正直に戦えば危ういか?
「多頭となると、軍勢と戦うにも等しいでしょう。何か手立ては考えておいでで?」
「考えるのは苦手だ!」
「……さすがに、それはどうかと」
「だが、兄上が考えてくれたぞ!」
「なるほど」
流石は知恵者の王子。なら、特に心配はないようだ。
俺は安心しながら、ひたすら王子の連撃を捌き続けた。
ううん、剣の扱いも様になってきている。
これなら、余程の事が無い限り、負ける事は無いだろう。
とはいえ、まだまだだ。
「はい、ここまで」
「ぐあーっ! また一撃も入れられなかった!!」
一瞬の誘導に釣られた力み、その隙をついて、戦の王子の首元に剣先を添える。
負けをあっさり悟った王子が吠える中、俺は密かに額の汗をぬぐった。
やれやれ、何時までこうやってあしらえるものか。
ドンドン洗練されていく戦の王子の実力に、俺は底知れなさを感じるのだった。
こうして、日々は過ぎていく。
いつしか、巫女のクニはその影響力を増していった。
多くの豪族も、姫巫女の力を認め、傘下となって行く。
だが、そんな中で彼女のクニに対抗するクニがあった。
男王ヒミクコが治める、武のクニ。
姫巫女の両親が命を散らす原因となった、長く対立を続けるクニ。
そのクニの名は、クナと言った。
武の王子をして倒しきれない猛将、クコチヒコを擁する、姫巫女のクニにとっての明確な敵国が、長く立ちふさがっていたのだ。




