とある学校の日本史授業風景 4コマ目 弥生時代①
窓の外から、教室に暖かな光が差し込む。
午後からの授業で、睡魔に囚われつつある生徒もいるが、教師の三上は構わず授業を開始した。
「今日は、弥生時代を扱う。時代区分だけを覚えるのではない。環境、生業、文化、そして社会の構造がどのように変わったかを因果関係で押さえる事」
そう言いながら、教師は大まかな日本地図を黒板に書き込んだ。
「前回、縄文時代について解説した際に、温暖化で海岸線が内陸に進む、縄文海進について説明したのを覚えているか? 弥生期にはまずこの逆の現象が起きた。海退だ」
各地の現在では平野となっている部分をしめす教師。
「現在の日本の主要な平地部分は、この時海の下から姿を見せたことになる」
「海が遠くなると、魚や貝に頼る生活が難しくなるんですね」
「その通りだ。これにより、縄文期に貝塚などを形成していた集落は、移動を余儀なくされた」
さらに、要点として教師は『平地の拡大』と記した。
「初期農耕ともいえる採集生活を送っていた集落も、変化していくことになる。平地への適応、そして本格的な農耕の開始だ」
平地の拡大と記された下に、『農耕地化』が追加された。
「平地で栽培される作物は、安定した食料をもたらした。もっとも重要なのが、稲作の伝来だ。人々は採集生活から、農業生産へと向かった」
もちろん、と教師は続けた。
「稲作は一夜にして広まったわけではない。その伝来経路や伝播の仕方を考える際、土器や耕具、播種痕跡、耕作跡などが重要な証拠になる」
黒板の日本地図に、朝鮮半島や南方から伸びる矢印が記され、『稲作の伝来』と横にかかれた。
「主に朝鮮半島や長江下流域から技術や品種が移入したと考えられている」
「そういえば、前の授業でいっていたっすね」
「その通りだ。最初期の水田跡が、北九州に遺されている。そこから、全国へと広がっていた形だな」
日本地図に、西から東へと矢印が伸ばされる。
それが、稲作の広がりを示していた。その一方で、矢印が届いていない場所も存在している。
「もっとも、この流れにも例外はある。例えば沖縄は、この時期も含め、長く海産物の採集が主となっていて、貝塚時代と言うべき時代が続く」
沖縄付近に記された『貝塚時代』。そして、北海道の横にも、キーワードが記された。
「北海道の場合、稲作に気候が適さないこともあり、当面は縄文時代が続くことになる。この二つは、明確な例外として覚えておくように」
そして、更にもう一つ、三上は黒板に記した。『ダンジョン』と。
「この時、ダンジョンもまた差異が生まれたと考えられている。山地型と、低地型だ」
教師は、日本各地の主要なダンジョンを記しながら、それを色分けしていった。
「一般に知られているように、山岳部のダンジョンは平地にあるダンジョンよりも、魔力濃度が高く、モンスターやドロップ品が強力であると知られている。それは、海進による影響と言うのが有力な仮説だ」
「えっ、どういうことですか?」
「知っての通り、魔力は海水の影響を強く受ける。そのため、海の底にあった期間、成長が阻害されたという説だな」
事実、山地にあるダンジョンの方が、階層がより深い傾向にあった。
生徒達は納得の色を浮かべ、続く教師の説明に耳を傾ける。
「さて、農業について話を戻そう。稲作は、最初は小規模な湿田から始まり、徐々に灌漑や用水路を伴う集約的な水田耕作へと変化した。これには、農機具の急速な発展も要因にある」
「その農具の発展ってどんなものですか?」
「石製の鋤や木製具から、金属器の導入による鉄製鋤への移行が、最も顕著な例だろう」
「金属器はいつから出てきますか。」
「金属器、特に銅鐸や銅剣などが弥生晩期にかけて出土する。鉄器はさらに実用的な農具や武器として導入され、生産力と軍事力の双方に影響を与えと考えられているな」
さらに、と教師は続ける。
「住居にも変化があった。それまでの地面を掘る形の竪穴式住居から、木材で床を作り地面から建物を引き離した、高床式建築物が現れ始める」
教師が示した資料のページには、再現された高床式の建築物の写真が乗せられていた。
「こういった建築物は、収穫物を収納する為に作られたと考えられている。地面から離すことで、作物を湿気から守り、長期保存が可能になる訳だ。高床式倉庫だな」
写真の倉庫には、地面から伸びた柱の途中に板が付けられており、またあちこちに棒のような物が吊るされていた。
「また、害獣対策もされていた。写真のネズミ返しや、ネズミ弾きなどだな」
ネズミ返しでネズミが柱を登れないイラストや、ネズミ弾きでトビミミネズミがはたき落されるイラストで、生徒達から笑いが漏れる。
実際、コミカルなイラストだった。
教師は教科書のページをめくり、次の説明に移る。
「この時期になると、ダンジョンから明確にドロップ品が生まれるようになったことが、発掘品からわかっている。ダンジョン産の農具や、武具だ。これもまた、農業の急速な発展につながったと考えられている」
「なんだか、ダンジョンが人間の生活に合わせているみたい」
「……そうだな。実のところ、ダンジョンに明確な意思が存在しているのは、様々な事実から確実視されている」
そこで、一人の生徒が手を挙げた。
「うちの神社では、神事の際他の神様と一緒に、根乃国比古命様と、根乃国比売命様が降臨されることがあります」
「地の底の国を司るという、神道の八百万の神々の一柱か。確か夫婦神だったな」
「ええ、とても気さくな神様ですよ?」
「……神道で言う地の底の国が、ダンジョンを指しているかは、未だ決着がついていない論議の対象だ。だから、まあ、その神様がダンジョンの意思かは、横に置くとしよう」
話を戻す、と続けて、教師は資料を広げるように促す。
「資料のように、弥生時代についても、多くの出土品が見つかっている。出土遺物の変遷を見ると、生業の変化がはっきりと見えてくるだろう」
生徒達が広げた資料には、土器の写真が写っていた。
「考古資料の連続性と変化を整理しよう。まず土器だ。縄文土器の縄目模様から、弥生土器の薄手で高温焼成の器へと変わる。用途の違い、例えば保存性の向上や調理法の変化が反映されている」
皿や壺など、そこには縄文時代の物とは明確に違う、現代にも通じる様な形状が見受けられた。
次のページには、様々な姿の人形──埴輪の写真が並んでいる。
装飾の少ない人型や、馬具を付けた馬、そして武器と鎧を身に纏った武人の物まで、様々だ。
「埴輪って面白い形をしているよな」
「そうだな。埴輪は基本的には次の古墳時代に多く見つかるが、弥生時代には既に存在していた。主に墳墓での葬送具の一種と考えられているが、他にも特異な用途に用いられた形跡がある」
『魔力による操作』と、教師は黒板に記す。
「魔力による物品の遠隔操作や、人形の操作。それが、この時代から存在した痕跡が、出土した埴輪から見つかっている。魔石が組み込まれ、自律行動の術式が込められた埴輪だ」
教師は、教室にあるモニターに、ある動画を映し出した。
そこには、発掘された埴輪が魔力を流しこまれ、往年の様に歩きだす姿が映し出されていた。
「この埴輪は、後の式神の使役などに発展すると考えられる、貴重な資料だと言えるだろう」
しかし、大半の埴輪は、このような術式を込められていない、副葬品の意味合いが強いのだと、教師は付け足した。
「弥生時代から古墳時代に至る過程で、形象表現や葬送具が増加していくことになった。埴輪は、社会的シンボルの象徴だと考えていいだろう」
そして、それらを象徴するのが、墳墓の変化だと教師は続けた。
「弥生期を通じて、墓制に明確な変化が見られる。小さな個人墓から、やがて集団墓、大型墳墓への移行だ。これは、只の集団から、支配層の発生や役割の分化が起きていた証拠と言えるだろう」
「具体的にどんなっすか?」
「初期の弥生では、土坑墓や竪穴式の小墓が中心だった。だが時代が進むと、箱式石棺や有蓋の棺、木棺などが現れる。同時に、副葬品の差異が明確になり、一部の墓に銅器や装飾品が多くなる。格差の顕在化だ」
「大きな墳墓があると、それは一人の強い人物がいた証拠ですか」
教師は頷きながら、資料にある様々な墳墓の例を示した。
「おおむねそうだ。大型の墳墓は、その地域での統率力や富の集中を示す。墓域の区画化、葬送儀礼の差、副葬品の種類と量の偏りは、身分制の発生と密接に結びつく」
「埋葬方法の変化が、当時の社会の変化を教えてくれるんですね」
「そうなるな。その顕著な例が、国家の成立だといえるだろう」
教師は、日本各地の主な遺跡を記していく。
「これら主要な遺跡は、特徴的だ。周囲に濠があり、外敵から集落を守る構造だ。環濠集落という」
『環濠集落』そう書き記した教師は、話を続ける。
「こういった集落が、次第に他の集落と連携、もしくは合流していき、各地方で一定の勢力を為していく。豪族の誕生だ。さらに、それは各地方で力を持ち、豪族の集まりが、クニを形成する。こういった国が、日本各地で成立していった」
ここまで説明した時点で、教室にチャイムが鳴り響いた。
「……今日はここまでか。では、次の授業では、弥生時代の続きを進める。大陸側の記録から見る、国々の混乱と統一、それにまつわる出土品や、次の時代への流れを解説する。予習しておくように」
ざわめき始めた生徒達を背に、教師の三上は教室を後にする。
傾き始めた日が、その背を照らしていた。




